「対岸の彼女」/大人になるのは何のため?
テーマ:文藝春秋角田 光代
「対岸の彼女
」
大人になったら、子供の頃の悩みは全て払拭され、新しい自分、新しい周囲に恵まれるのだろうか。決してそうではない事を、大人は知っている。子供の頃悩まされたような人は、ある程度の集団になればどこにでもいるものだし、集団であればそこには派閥も勿論存在する。この本の小夜子のように、内気な自分に悩んだ子供時代を、自分の子供に重ねてしまったりもする。
どこの集団にも馴染むことが出来ず、娘のあかりにもなかなか「お友だち」が出来ない小夜子は、公園ジプシーとなって日々を過ごしていた。この閉塞した状況を抜け出すため、彼女は外の世界に職を求める。自分が外で働き、あかりを保育園に預ける事が出来れば、あかりにも友だちが出来るのではないか?
尖った声であかりを叱り付ける事もなくなるのではないか?
私たちは何のために大人になったのか。
物語は二つの時間軸で進む。その一つは、小夜子と、彼女が勤めることになった、「プラチナ・プラネット」の女社長・葵の上を流れる時間。もう一つは、葵の高校時代、葵と魚子(ナナコ)の上を流れる時間。
理解のない夫、姑に囲まれた小夜子、横浜の中学校でいじめに遭い、群馬の田舎町の女子高生となった葵。両者に共通するのは、どこにも行くことが出来ないという閉塞感。それでも、小夜子は大人であり、高校時代の葵は当然子供である。
私たちは何のために大人になったのか。
専業主婦となり家に入る前は、映画配給会社で所謂「クリエイティブ系」の仕事をしていた、小夜子の今度の仕事は肉体労働の清掃業。いじめに遭ったせいで、どことなく警戒心が抜けない葵の心にするりと入り込んできたのは、天真爛漫に見えるナナコ。さあ、二人は外へと脱出することが出来るのか。
既に、第134回の直木賞が発表されているというのに、今更第132回の受賞作の話をしていて何ですが、日常の細やかな、濃やかな話が好きな方に、是非読んで貰いたいと思うので、いつもはネタバレ満載の当ブログですが、今回はここで起こった事を全て書いてしまう気にはなれない(でも、皆さん既に読んでらっしゃる??汗)。
色々あって、葵の会社「プラチナ・プラネット」は空中分解し、葵とナナコは周囲の大人に引き離される。
何を言われても、こんな所に自分の大事なものはないのだから。嫌なら関わらなければいいのだから、という高校時代のナナコの言葉も真実だろう。子供時代の防御壁としては特に。けれども、騙されても信じる事を選び取ることもまた真実であり、迷惑を掛けてはいけない、文句を言われないようにと、一人で背負い込む事をせずに、人と関わっていく生き方もある。私たちが年を重ねるのは、人と関わり合う事が煩わしくなった時、都合よく生活に逃げこむためではないはずなのだ。
大人になるという事は、年を重ね、それぞれ違う場所に立つという事でもある。
でも、違う環境、立場にいる人だって、全く別のルートから同じように苦労しながら、同じ一つの丘を登ってきたのかもしれない。違う場所にいても、違うものを見ていても、それは「変わって」しまう事と同義ではない。そして、大人になった私達には、足がある。選んだ場所に行くことの出来る足がある。
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とてもいい本でした。今現在、色々と関わりの少ない状況にある自分にとっては、イタイ本であることもまた真実なのですが…。角田光代さん、「菊葉荘の幽霊たち」から入って、これはあまり好みではなかったので、若干敬遠気味だったのですが、これからは他の本も読んでみたいと思います。












1 ■これ、よかったです!
つなさーん、お元気ですかー?(だいぶくだけてきてますね…)
これ、去年読んだのです(よって記憶が流れてる)が「良かった」ことだけは覚えています!!
昨日の記事の「トラちゃん」も面白そうですね♪(群さんに一時期はまっていたことがあります)