「アフガニスタンの少女、日本に生きる」 /アフガニスタン
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- 虎山 ニルファ
- アフガニスタンの少女、日本に生きる
草思社
虎山 ニルファ
1974年12月7日、アフガニスタンの首都カブールで父アミン・コヒィ、母ファウジィア・フィールジィの長女として生まれる。兄が一人。父は農林省の官僚、母は教師という恵まれた家庭に生まれるが、両親の離婚、クーデターの勃発により日本で研修中の父が帰国できなくなるという不幸に見舞われる。ソ連のアフガニスタン侵攻をきっかけに、兄は山越えをしてイランへ脱出。著者も、1990年6月、15歳のとき、メッカ大巡礼の名目でアフガニスタンを脱出し、サウジアラビアで幼いころ別れた父との再会を果たす。同年7月11日、来日。読み書きもできない状態から、大学卒業、オーストラリア留学まで果たし、いまではダリ語、ペルシャ語、ウズベク語、英語、日本語の5カ国語を使いこなす。現在は、国際機関や政府機関で通訳として活躍するほか、博士号を取得するために大学院進学をめざして日々努力をしている。父親が日本に帰化したため、その子どもとして兄と共に帰化。ニルファ・コヒィから虎山ニルファに改名(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
目次
第一章 祖国アフガニスタンへ
第二章 アフガニスタンでの暮らし
第三章 日本での暮らし
第四章 アフガニスタン復興をめざして
ほとんど、自分と同年代であるともいえる、彼女のアフガニスタンでの生活、脱出行は、私の想像を絶するもの。また、読み書きも出来ない状態から、来日後、夜間中学、高校を経て、大学進学まで果たしているガッツは、特筆すべきものだと思う。勿論、そこには彼女の父親の愛情や助力も大きい。ただ闇雲に勉強するのではなく、ターゲットを絞ったことを正直に語っている所は、彼女の率直さを良くあらわしていると思う。
先程、私はその暮らしを「私の想像を絶するもの」と書いたけれど、例えばイスラム女性の置かれている状況についても、彼女はいい面、悪い面の両方があるというように、全否定をするわけではないし、安易な同情の目を拒否しているように思う。他国の伝統文化について語ることの難しさを感じるけれど、事実と感情は切り離して考えるべきなのだと思う(自国の文化、自分の価値判断で、他国の文化をはからない、というような)。この暮らしのせいで、父が「彼女を学校にやってほしい」と日本から送金していたのにも関わらず、学校にも行かせて貰えず、後年、非常に苦労することになるのだが・・・。
自分の国籍を友達に偽って話すことも多かった彼女が(日本人は英語の出来ない外国人に対して非常に冷たい)、自国アフガニスタンについてきちんと考えるようになったという過程についても、非常に率直に書かれている。
これは一人のまだ若い女性が、アフガニスタンでの生活について、日本で感じたことについて、率直に語った本だ。
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以下、メモ
■ムジャヒディンについて
ムジャヒディンは国のためにソ連軍と戦っていたのだから、当然民衆にとっては味方のはずなのだが、実際にはそうとも言い切れない部分があった。ムジャヒディンは男の子がいる家から男の子を連れていき、共に戦う兵士にした。
■アフガニスタンの内戦について
アフガニスタンは両大国の介入で激しい内戦状態に陥った。そのうち330万人がパキスタンに難民として逃れ、そこで「マラドサ」と呼ばれるイスラム教の高等教育機関で教育を受けた者の一部が、過激なイスラム教徒となり、あのイスラム原理主義勢力「タリバン」の幹部となった。
■アフガニスタンの地雷について
地雷の目的は人を殺すことではなく、傷つけること、負傷させること。人が一人死ぬのは、戦力が一人減るということにすぎないが、一人が負傷すれば、看護する人も必要になり、それだけ戦力や戦う意欲をそぐことができる。アフガニスタンにまだまだ多く残されている地雷。今、子どもたちが地雷を踏んでも、彼らはあまりに痩せ過ぎていて、地雷の重量センサーに引っ掛からない事もある(勿論、手足を吹き飛ばされた子どもたちも多くいる)。
■入管の通訳をしていたときの話
「犯罪者じゃないのに、そういうふうに扱われて、おれはもう死にたいんだ」
日本の入管での扱いの粗末さは、難民認定を待つ人々にとって、彼らの誇りを傷つけるもの。
■同時多発テロについて
同時多発テロが起こったとき、ビン・ラディンはタリバンの支援者としてアフガニスタンにいた。そのために、彼女の周囲の日本の友人は、アフガン人である彼女に、「気をつけるように」と注意をした(日本では何か事が起こったときに、同じ人種に非難が集まる傾向がある)。
しかし、タリバンのほとんどは貧しいパキスタン人であり、一般のアフガン人はタリバンの支配下に置かれていたというだけである。タリバンは1944年、突然現れた。本拠地は南部のカンダハルにあったが、パキスタン軍や傭兵はじりじりと後退し、タリバンはあっというまにアフガニスタンの九割を支配してしまった。
違いを知ろうともせず、彼女にただ「気をつけるように」と迫る、周囲の人々に彼女は苛立つ(勿論、アフガン人を責めるべきではなく、パキスタン人を責めるべきだ、というわけではない)。
■アフガニスタンの現状について
アフガニスタンには、ソ連侵攻や同時多発テロ以降のアメリカによる爆撃のせいだけではなく、干ばつや地震などの天災も重なって、食料などの人道援助がなければ生きていけない人の数が現在750万人以上いると言われている。世界食糧計画の資料によると、そのうち、いつ餓死してもおかしくない人たちが40万人以上いる。
■日本とアフガニスタンについて(学校における講演の質問より)
アフガニスタンで暮らしている人のほうが、表情が明るかったり、自殺者がいないというのは皮肉なことだ。日本にもう十数年も住んでいる彼女は、上辺だけで判断しているわけではなく、日本の子どもたちに豊かな国にうまれたからこその悩みがあることも知っている。しかし、心の悩みを考える余裕さえないアフガニスタンの子どもたちに比べ、それはぜいたくな悩みだと感じる。










