「図書室の海」/短編集
テーマ:新潮社ノン・シリーズの短編集。あとがきには、ご本人による「おのおのの短編の生まれた背景」のメモつき。
目次
春よ、こい
茶色の小壜
イサオ・オサリヴァンを捜して
睡蓮
ある映画の記憶
ピクニックの準備
国境の南
オデュッセイア
図書室の海
ノスタルジア
長編の番外編に当たるのは、以下の三作。
□睡蓮(「麦の海に沈む果実 」の水野理瀬の幼年時代)
□ピクニックの準備(「夜のピクニック 」の予告編
□図書室の海(「六番目の小夜子」の番外編)
印象に残ったものをあげます。
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■睡蓮
前述のように、これは「麦の海に沈む果実」の水野理瀬の幼年時代に当たる作品。幼い頃から、理瀬は理瀬だったのだなぁと思った。校長も。
睡蓮の下には、綺麗な女の子が埋っている。しかし、お砂糖のような女の子では、美しい睡蓮の花を咲かせることは出来ない。苦しみ傷つき、自分を汚いと感じる女の子でなければ、池の底の冷たい泥の感触を感じることは出来ない。
■ある映画の記憶
この話を読みながら、フィクションだと思っていた小説、映画が、実在していたということに驚いた。恩田さんは、記憶に拘る人であるように思える。
【メモ】小説:一色次郎「青幻記」、映画:「青幻記」
■ピクニックの準備
「夜のピクニック」の番外編。予告編として一日で書き上げたとのこと。やっぱりまた、このフレーズが出てくる。「たったそれだけのこと」が「特別」であることって、沢山ある。願わくば、そういう「特別」を沢山見付けたいもの。
みんなで夜歩く。たったそれだけのことが、どうしてあんなに特別のことなんだろう。
■国境の南
ある事件があった喫茶店に久しぶりに足を踏み入れた「わたし」。回想の内にいた彼であったが、最後に過去と現実とのリンクに立ち戻らされる。
南へという言葉には、魔力がある。私ももし逃げるのであれば、北へではなく南へ逃げたい。
あたしね、南の国へ行くの。遠い南の国。
あたしは南の島に行きたいわけじゃないの。海辺に寝転がりたいとは思わない。アメリカに行って、ひたすら南へ南へとどこまでも下って行きたいだけなんだ。それに、アメリカ映画だと、たいてい犯罪者は最後にメキシコに逃げ込むでしょ?
■オデュッセイア
古代、西の海のほとりの城塞都市だったココロコ。ココロコには意識があり、動くことが出来る。上のほうには居住地があり、てっぺんには星見櫓。かつてはそこに長老が住み、星を見ながらココロコと進路の相談をしたのだ。ココロコは長い長い年月を過ごしてきた。動くことが出来ることを知らなかった時代、動くことを知った時代、泳げることを知り新大陸を目指した時代、スピードを求められた時代、静かな場所でひっそり過ごすようになった時代、古くて美しいものを愛する人々に愛された時代。そして、それがやってきた。まどろみの後、ココロコはまた旅をする。
私たちはまだ旅の途中なのだ。
「吸血鬼ハンターD」にも浮遊都市が出てきたような(違ったかも)。浮遊する都市というイメージはやはり魅力的。
■図書室の海
「六番目の小夜子」の番外編。こちらは未読。思春期の少年少女の描き方がうまいなぁと感じる。子供の頃、冷静で大人びていると言われた経験のある人間は、こういった感情に覚えがあると思う。
彼女は幼い頃から、薄々気付いていた。
自分が物語のヒロインにはなれないということを。
主人公になれるのは、揺れている者だけだ。さざなみのようにきらきら瞬いて、光る部分と陰の部分とを持っている者だけが主人公になれる。
でも、最後は明るい。夏は立派に主人公となる。
全ては謎のまま。でも、最後に決めるのはあたしなんだからね。
夏は窓に溢れる光に顔を向け、一人でにやりと笑う。
- 恩田 陸
- 図書室の海
*臙脂色の文字の部分は、本文中より引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡ください。











1 ■予約中^^;
だったので待つ楽しみが増えました♪
「六番目の小夜子」は一気に読んでしまえるほどはまりました。
私の読書の傾向は、良いと思う本に出会ったら
まずその作家の本を読破したくなります。
実は今、恩田陸、伊坂幸太郎ブームです(笑