「青葉学園物語 右むけ、左!」 /学園生活 | 旧・日常&読んだ本log

旧・日常&読んだ本log

流れ去る記憶を食い止める。

2005年3月10日~2008年3月23日まで。

以降の更新は、http://tsuna11.blog70.fc2.com/で。

吉本直志郎作、村上豊絵「青葉学園物語 右むけ、左!」

カバーの「作者からきみたちへのメッセージ」より

あっ、「右むけ、左!」をみつけたな。これは、ぼくが書いたはじめての作品だ。小説を書く才能があるふりをして、本を出版してもらうのもなかなか才能がいるんだ。毎日、ペンをガリガリやって、ようやくぼくの仕事はおわった。あとは君たちが、青葉学園のなかまとどんなふうに遊ぶか楽しみだ。
さあ、いっしょに飛びだそう!梅雨晴れの空の下をのどいっぱいにわめき、もつれあいながら走っていくあの子たちと。

青葉学園物語は「広島戦災児育成所」という養護施設が舞台になっている。昭和三十年ごろになると、戦災で身寄りを失った子どもたちがあらかた巣立って、一般家庭の事情によって、施設に身を寄せる子どもの方が多くなり、のちに「童心園」と名を改めた。この物語に登場するのは、その戦災児育成所時代と、童心園時代にまたがる時期の子どもたち(以上、「あとがき」より)。

全五巻からなる物語ですが、今も私の手元にあるのは、一巻に当たるこの「右むけ、左!」と、最終巻である「まっちくれ、涙」のみ。読み直していたら、ちょっと買い直したくなりました。この一巻は、どうもその当時のお友達から、私の9歳の誕生日に頂いたものであるようです。お母さまが選ばれたのだとは思うけれど、この物語に出会えてよかったなぁ、と思います。感謝。沢山笑って、ほんのり涙するような物語。
**************************************
■ぶたぶた会議だ ぶう!ぶう!ぶう!
青葉学園にはブタが三匹いる。各寮に分担された畑で野菜をつくり、それを市場におろして買ったブタだ。二年まえ学園にやってきたブタはもうすっかり大きくなって、近いうち売られていく。きょうの夕食のあと、そのブタを売った金でなにを買うか、自治会をひらいて決めることになっている。
進はみんなのまえにまわって、うしろむきで歩きながら、
「―みんな、野球のユニホームがほしゅうないか。」
と、きりだした。

青葉学園のメンバー、お目見え。野球のユニホーム欲しさに、進たちは女の子におべっかを使ったり、色々工夫するのだが・・・。

■青葉ニュースです
毎月の一日には誕生会がある。
みんなで歌をうたったりクイズをして、その月に生まれた子どもたちをまとめて祝うのだ。
誕生会で、きまってやるのは「青葉ニュース」という幻燈だ。先月、学園でおきたことを絵にして、食堂の壁に映すのだ。どこの寮でも誕生会主催の番がめぐってくると、これにいちばん力をいれる。

「ぶたぶた会議」で、惜しくも野球のユニホームの夢破れた進。肥溜めに落ちた子豚を助け、ユニホームへの望みを繋ぐ。そんな進を待っていたのは、楽しい幻燈ニュースでは映せないような出来事だった。

■手品師の忘れ物
―あのおじいさんと女の子は、どこで眠るんじゃろうか。帰っていく家はあるんじゃろうか。あの子、学校はどうしよるんじゃろうか―

「ボータン。右むけひだり、言うたら・・・・・・ついつい、心にもないことをしてしまうことかも知れんのう。」
ボータンは、ちょっとの間だまっていたが、
「おれは、そうは思わん。」
と言った。
「ぶ、ははは、は、おまえもしぶといのう。まあ、それぞれに受けとり方があるわい。」
と、和彦は、にがりきったように笑い、
「おれは、右むけひだり、言うたら、気持ちは右をむいとるのに、ついつい、その反対のことをしてしまうことじゃと決めた。」
「そいじゃあ、おれは、事実が右じゃっても、一歩ゆずって、相手を理解してやることじゃと決めた。」
「言葉いうて、いろいろに考えられるもんじゃのう、ボータン。」

学園に手品師のおじいさんと、女の子がやって来た。学園の皆は滅多に見られない手品を楽しむのだが・・・。
**************************************
表題作である「右むけ、左!」がとてもいいのです。学校帰りに道理もへったくれもない言い合いをするのも、和彦とボータンの二人なら、引用中の会話を交わすのも同じ二人。「右むけ、左!」になること、ありませんか?
吉本 直志郎, 村上 豊
右むけ、左!

*臙脂色の文字の部分は本文中より引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡ください。