ゴシック歴史ロマン/「グノーシスの薔薇」
テーマ:角川書店デヴィッド・マドセン 大久保譲訳「グノーシスの薔薇」
時は十五世紀末から十六世紀初頭のルネサンス爛熟期。教皇レオ十世(ジョヴァンニ・デ・メディチ)に仕える小人、ジュゼッペ・アマドネッリ(ペッペ)の手記という形で物語が進む。
「小人」というのは所謂差別用語だとは思うのだけれど、原文のまま。彼が特異な身体を持っていることも、この物語の重要な因子になっている。特異なのは身体だけではなく、実は彼はキリスト教の頂点である教皇に仕えながらも、「グノーシス信仰」を持つ異端者でもある。私も一応カトリック信者の端くれなのだけれど、「異端者狩りというものが過去行われ、火刑などの迫害があった」という位の知識しかなくて、「グノーシス信仰」そのものは初耳。
簡単に言うとキリスト教では「全ては神が創った」となるところを、グノーシス信仰では「物質的な存在は邪悪で、悪魔が作ったもの」となる。ペッペや、同様に特異な身体を持つ仲間達(所謂、フリークス)にとって、「肉体は穢れた、厭わしいもの。なぜなら全ての肉体は、邪悪な存在が創り出したものだからだ。肉体は、魂が閉じ込められている牢獄なのだ」という教義は、非常に分かり易いものだったのだろう。
ペッペを中心に、ペッペが仕えるレオ十世という人物、ペッペをグノーシス信仰に導いた少女ラウラ、ラウラの父でありグノーシス信仰の師(マスター)でもあるアンドレア・デ・コリーニ、ラウラを捕らえた審問官トマーゾ・デッラ・クローチェなどの姿が描かれる。
訳者あとがきによると、本書の背景となる時代は、以下のようなものであったらしい。まさに混乱、混沌とした時代。
地上における神の代理人である教皇は、精神面ではキリスト教世界の頂点にあったが、世俗の権力としてはローマを中心に割拠する一領主として他の群雄と相争っていた。イタリア半島に食指を動かすフランスとの対立はことに深刻で、何度も対仏戦争を行っている。一方で、そんな教会の現状に対する批判も当然激しくなり、宗教改革への機運が高まり始める
ペッペが仕えるレオ十世の評価も、毀誉褒貶相半ばするといった所。
奢侈によって教皇庁の財政を傾け、贖宥(免罪)を乱発してルターによる批判を招いた人物。同時に、メディチ家出身に相応しく、パトロンとして豊穣なルネサンス文化を支えきった人物。豊かな人文主義的教養の持ち主であり敬虔な教会の長でもあるレオの人物像は、一見すると矛盾の塊だろう
本書で描かれるレオ十世はちょっとぎょっとするような趣味や性癖を持っているし、本書にはエロティックであったりグロテスクである表現が多々見られる。ただ、訳者あとがきにもあるように、淡々と語るペッペの効果によるものか、気持ち悪い~とは決して思わない。
「グノーシスの薔薇」にも、相反するイメージの並列が繰り返し登場する。聖と俗、美と醜が混在し逆転するさかさまの世界。これらすべてが、俗悪の極みから聖性を、醜の中から美を蘇らせるための仕掛けであることは、本書を読み終えた読者には自明のことと思う
正直歴史的背景にきっちりついていけたとは、とても思えないのだけれど、私は本書を「ペッペの愛の物語」として、興味深く読みました。爛熟、豊饒、混沌、酩酊…。偶には日常を離れて、こういう世界に耽溺するのも如何でしょうか。
- 著者: デヴィッド・マドセン, 大久保 譲
- タイトル: グノーシスの薔薇











1 ■グノーシス主義
SFが好きな人や、聖書学の最新学説を知りたい人にとっては、キリスト教グノーシス主義は、非常に興味ある話題です。昨今の、イエスの子供がいた!(マグダラのマリアの話ですね)とか、死海文書とかの、ミステリーものの小説のセンシェーショナルな謎の部分も、かなりがこのグノーシスと関わっているといいます。僕も大学の授業に潜り込んで勉強した覚えがあります。おもしろかったので(笑)。というのは、好きなSF作家のフィリップ・K・ディツクが、グノーシスの研究をずっと続けていた人だからです。これは、ぜひ読んでみたいですねー。しかも丁寧な説明で、背景が分かって、興味深いです。