旧・日常&読んだ本log

流れ去る記憶を食い止める。

2005年3月10日~2008年3月23日まで。

以降の更新は、http://tsuna11.blog70.fc2.com/で。


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塩野 七生

ローマ人の物語 (2) ― ローマは一日にして成らず(下) 新潮文庫


図書館本の合間に、ぼちぼちと読んでおります、「ローマ人の物語」。
乗って来ると結構スピードも上がるのですが、細切れで読んじゃうと、いちいちちょっと前に戻ったり、読みながら地図のあるページを見たりで、文庫本一冊一冊の薄さの割にはどうも時間が掛かってしまいます…。

目次
 カバーの金貨について
第二章 共和制ローマ(承前)
ひとまずの結び
 年表 参考文献 図版出展一覧


相変わらず、ローマをローマ足らしめていたシステムには、色々と感心するところが多かったのだけれど、この巻で特に面白いなぁと思ったのは、「街道」のこと。

後に、すべての道はローマに通ずと言われるまでになる、ローマとローマの戦力要所を繋ぐ街道網。それらは政治・軍事・行政上の必要から敷設され、敷設された人物の名で呼ばれることになる(アッピア街道は、アッピウスが敷設させたもの)。味方にとって便利な道は、そのまま敵にとっても便利なものになるわけで、このこと故にローマは永遠に自衛の戦いを永久に続ける宿命を負ったのではないか、と塩野さんは書く。

また、このシリーズでは私は本の内容よりも、どうも後書きやら何やらに惹かれがちなのだけれど、今回もまた「ひとまずの結び」から。

同時代の研究者たちの史観に何となくしっくりいかないものを感じていた塩野さんは、原史料に当たるようになってはじめて、ローマ観が自分の中に入って来たのだという。それは、国家の興隆や衰退の要因を感性的な事に求める態度をとっていない、約二千年前に生きた彼らの姿勢によるものだ、と塩野さんは分析している。

塩野さんは、興隆は当事者たちの精神が健全であったからであり、衰退はそれが堕落したからだとする論法に納得出来ず、興隆の因を当事者たちが作り上げたシステムに求めるのだという。この辺、こういうアプローチ故に、多くのビジネスマンたちに好まれるのが分かるような気がします。

私自身について言えば、フランス革命を経た現代に生きているとはいえ、自由・平等・博愛を高らかに唱えれば唱えるほど、自由・平等・博愛の実現から遠ざかるのはなぜか、という疑問をいだきつづけてきた。歴史は、この理念を高らかに唱え追及に熱心であった民族では実現せず、一見反対の生き方を選んだ民族では、完全ではないにしても実現できた事実を示している。私などはこの頃、二十世紀末のこの混迷は、フランス革命の理念の自家中毒状態ではないか、とさえ思うようになっている。

理念は確かに大事だけれど、それだけでは人は暮らしていくことは出来ない。人が幸せに生きられるような、システムを構築することが必要なのだよね。それが、政治。逆に高らかに理念を謳うとすれば、それはシステムがおざなりにされている証拠であり、無策の証拠だと言えるのかも。国会の混迷とかを見ていると、ちょっとうんざり。言葉尻とか個人の言動がどうとかじゃなくて、例えば不正や癒着を許さないようなシステムを作ることが重要なんじゃないかなぁ。

■関連過去記事■
・「ローマ人の物語1・ローマは一日にして成らず[上 ]」/民族というもの、国家というもの

*臙脂色の文字の部分は本文中より引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡ください。

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東京創元社の文庫と言えば、「創元推理文庫」と決まっているものだと思っていたのです。

「創元SF文庫」なんてものがあったのだとは!!

今日、本屋で下の本を見つけたのです。

新井 素子
グリーン・レクイエム/緑幻想 (創元SF文庫 (SFあ1-1))

なっつかしの、新井素子さんの「グリーン・レクイエム
講談社文庫では、グリーン・レクイエム」「緑幻想」に分かれていたものが一冊に!

新井素子さん、全部読んだわけじゃないんだけど、この二冊はかなり好きな本なのです。
また、新しい読者に会えるといいな♪

■関連過去記事
緑幻想 」/想い
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カルロス・ルイス サフォン, Carlos Ruiz Zaf´on, 木村 裕美

風の影〈上〉 (集英社文庫)
風の影〈下〉 (集英社文庫)

たぶん、本好きの人は、みなこの部分を引くであろう、上巻の最初の方の場面。

ある夜明け、主人公ダニエルは古書店を営む父に「忘れられた本の墓場」へと招き入れられる。そこは神秘の場所であり、聖域である。そこにある本の一冊一冊、一巻一巻に、本を書いた人間の魂と、その本を読み、人生を共にした人間の魂が宿る。もう誰の記憶にもない本、時の流れとともに失われた本が、この場所では永遠に生き、いつの日か新しい読者の手に行きつくのを待つ…。

さて、この場所に初めて来た人間は、ある一つの決まりを守らねばならない。ここにある本のどれか一冊を選び、それを引き取り、絶対にこの世から消えないよう、永遠に生き永らえるよう、守ってやらなければならないのだ。ダニエルが選んだのは、フリアン・カラックスという作家の『風の影』という本。

 本を読む者にとって、生まれてはじめてほんとうに心にとどいた本ほど、深い痕跡を残すものはない。はじめて心にうかんだあの映像(イメージ)、忘れた過去においてきたと思っていたあの言葉の余韻は、永遠にぼくらのうちに生き、心の奥深くに「城」を彫りきざむ。そして―その先の人生で何冊本を読もうが、どれだけ広い世界を発見しようが、どれほど多くを学び、また、どれほど多くを忘れようが関係なく―ぼくたちは、かならずそこに帰っていくのだ。    (上巻p20より引用)

ダニエルにとって、『風の影』はまさにそんな本となる。

フリアン・カラックスの他の本にも興味を持ったダニエルは、著者フリアンについて調べ始める。ところが、この本と、フリアン・カラックスという著者には不吉な影が付きまとう。フリアン・カラックスの本は、過去にほとんど全てが焼き払われているというのだ。それも、『風の影』の登場人物でもある悪魔、ライン・クーベルトを名乗る男によって…。そしていつしか、フリアン・カラックスの青春の悲劇が、ダニエル自身の境遇とも共鳴し合う。フリアンとダニエルの人生に影を落とすのは、身分違いとも言える恋。


冒頭ではぐっと引き込まれたものの、実は上巻の間はそんなにノリノリで読んでいたわけではなかったのです。冒頭の雰囲気から、はてしない物語」のようなファンタジーを期待しちゃったんだけど、「忘れられた本の墓場」とはいえ、それは(物語の中では)実在する場所であり、これはファンタジーではなく、ロマンな物語なのでした。あと、上巻でいま一つノれなかったのは、会話文の影響かなぁ。老若男女を問わず、「~してくださいよ」、「~じゃないですか?」という表現が目についたり、なんというか、印象的で個性的なキャラクターも多いのに、その辺が会話文で描き分けられてないような印象を受けたのです(というか、そういうのって、訳の問題???)。話が一気に展開する下巻からは、かなり引き込まれたのだけれど、それは会話文がほとんどない、「ヌリア・モンフォルトの手記」という形をとっている部分がかなりの割合を占めたからなのかもしれません。

ロマンには愛と障害がつきもの。メインはフリアンとペネロペの恋、ダニエルとベアトリスの恋だけれど、この本の中には父と子の愛(息子、娘)や、仕える者の愛、同士のような愛(とはいえ、恋としては悲劇なのだろうけれど)、恋多き男だったある男の誠実な恋など、恋愛だけではなく友愛や、家族愛が語られる。恋ではないけれど、人間の歪みという点では、フリアンのかつての学友であり、バルセロナ警察の刑事部長となったフメロ刑事が恐ろしい…。

さて、目次を見ても分かる通り、これは現代の物語ではありません。内戦と、第二次世界大戦を経たスペインを舞台としています。だからこそ、フメロのような人物が成り上がって、善良だけれど彼の気に障る人物の生活を脅かしたり、大人たちが何となく人生に疲れたような空気を醸し出しているのかも。スペイン内戦について、知識があった方が、躓かずに読むことが出来るかもしれません(私、ちびっと躓きました)。

登場人物の中で一人好きな人物をあげるとすれば、元スパイにして、元ホームレスであり、凄腕の古書店のバイヤーであり(お客が求める稀覯本を手に入れるには、ほとんど考古学発掘の世界であり、古典の知識と、ヤミの商売の基本的なテクニックがいるのだとか)、女性大好きなフェルミン! いやー、フェルミン登場から、ぐっと読み易くなりましたよ。ダニエルに拾いだされたに等しいため、彼に忠誠を誓うフェルミン(こんなにいい人だなんて、逆に怪しい、と途中から、フェルミンに裏切られたらどうしよう、とドキドキしながら読んでたのですが、フェルミン、ちゃんといい人で良かった!笑)。

ミステリーというよりは、ロマン小説であり、章のタイトルから引くならば、「ドラマティス・ペルソナエ(人間たちのドラマ)」でした。雰囲気も話も全然違うけれど、「嫌われ松子の一生 」のように、過去の人間の足跡を現代の人間が追うスタイルのお話です。「嫌われ松子の一生」では、現代の主人公の男女と、過去の松子と男たちを対比させることで、これから如何様にも生きることが出来る主人公の可能性を残していたけれど、こちら、「風の影」においてもやはり…。歴史は繰り返すだけではないのだよね。

・Wikipediaのスペイン内戦にリンク

*臙脂色の文字の部分は本文中より引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡ください。

(上)目次
忘れられた本の墓場
一九四五年―一九四九年 灰の日々
一九五○年 取るに足りないもの
一九五○年―一九五四年 人は見かけによらない
一九五四年 影の都市(一~十五)
(下)目次
一九五四年 影の都市(十六~三十一)
一九三三―一九五四年 ヌリア・モンフォルト―亡霊の回想
一九五四年 風の影
一九五四年十一月二十七日 ポスト・モルテム(死後)
一九五五年 三月の海
一九六五年 ドラマティス・ペルソナエ(人間たちのドラマ)
訳者あとがき
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朱川 湊人
いっぺんさん (いっぺんさん)

花まんま 」以来の朱川さんです。

舞台は「花まんま」とは違って大阪の下町ではないけれど、やはり「東京」が遠い地方都市を舞台にしているように思います。そして、ノスタルジックで、少し、こわい。

目次
いっぺんさん
コドモノクニ
小さなふしぎ
逆井水(さからいみず)
蛇霊憑き
山から来るもの
磯幽霊
八十八姫(やそやひめ)


たとえば、子供の頃の思い出を語るようなお話においては、重松清さんが描くような世界になってもおかしくはない。そこをぐぐぐ、と怪異の側に舵を切るのが朱川さん。「怪異」の味付けには、濃淡があるようにも思うけれど…。

■「いっぺんさん」
どんな願い事も一回だけ叶えてくれるという「いっぺんさん」。友達のしーちゃんの願いとは…。
働かず、暴力をふるう父、父の代わりに生計を支える母、そして幼い弟妹たち。追い討ちをかけるように、しーちゃんは病に侵される。「いっぺんさん」ははたして、しーちゃんの願いを、私の願いを叶えてくれたのか?

■「コドモノクニ」
冬『ゆきおんな』、夏『くらげのおつかい』、春『いっすんぼうし』、秋『かぐやひめ』の四篇からなる子供のお話。ソシテ、コドモタチハ……。

■「小さなふしぎ」

昭和四十年代初めのお話。父が大病を患ったため、貧しい暮らしを強いられていた私たち家族。貧乏は辛くはなかったけれど、幼い弟たちに駄菓子すら買ってやれないことが辛かった…。私は「鳥使い」の中山さんの手伝いをして、小遣いを稼ぐことになる。
自由を奪われ、小鳥の御神籤なる芸をする鳥のチュンスケと、戦争で片腕を失った中山さん。彼らが不幸だと誰が決めた? そうなった以上、自分のやり方で生きていくしかないではないか。そして、チュンスケの死後に現れた怪異。中山さんの取った行動とは…。

■「逆井水」
この一篇だけは、ちょっと毛色が違って、ユーモラスでもあるのかも。
世界を見てやろうと、中古のバイクを手に入れ、旅に出た三十歳、無職となった俺。
旅先で知り合った美女と、首尾よくベッドイン。さらに、その女が言うには、播菩山という山を回り込んだところにある小さな村には、若い女しかいないのだという。男の人がいない村。若さとタフさを見込まれた俺は、女の妹がいるというその村へ行ってみてはどうかと勧められる。どんなに居心地が良くとも、村にいるのは二日まで。それだけを忘れるな、というのが女との約束だったのだが…。

■蛇霊憑き
どうして、こんなことになってしまったのでしょう…。姉が語る、妹アケミの物語。
怪談に良くあるパターンと言えばそうなんだけれど、ぞーっとします。


■山から来るもの

母に恋人との時間をプレゼントするつもりで、年末に山間の田舎町にある母の実家へと帰った阿佐美。山の方へは近付かないように、と祖母に注意を受けるのだが…。山の近くで阿佐美が見てしまったもの。それは年に一度、山の奥の神社からこの世に降りてくる餓鬼。それを見た者には不幸が訪れるのだという。
「何があってもあーちゃんの味方」と言っていた、祖母の豹変ぶりが痛い。

■磯幽霊

北陸の親戚の家へと向かった小説家の私。私が海岸で出会ったのは、イヤリングを探す女の幽霊。危うく幽霊に海へと引っ張り込まれそうになった私。そんな私の元に、子供のころ、その幽霊となった女に誘拐されたことがあるという、奇妙な男がやって来る。

■八十八姫

僕が育った山間の小さな村では、姫さまが八十八年に一度交代する、「姫うつり」の儀式が執り行われていた。けれどその瞬間まで、まさか本当に村の女性の中から後継者を選ぶだなんて、僕は思ってもいなかったのだ。
淡い恋心を抱いていた君、羽純に届いた姫さまの「お知らせ」。
あれから三十年がたち、あの村は既に地図から消えてしまった。でも、僕の心の一部は、あの日、確実に動きを止めてしまったのだ。

ノスタルジックな朱川ワールド。すべてが後味の良い終わり方を迎えるわけではないのだけれど、この世界を堪能しました。
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本多 顕彰, ジェームズ・バリ
ピーター・パン (1953年) (新潮文庫〈第588〉)

amazonでは出ませんが、美しい表紙は米倉斉加年さんの手によるもの。この方で有名なのは、夢野 久作さんの「ドグラ・マグラ」の挿絵らしい。Wikipediaには、角川文庫版のカバーイラストが米倉斉加年さんによるもの、と書いてあったのだけれど(リンク1リンク2 )、下に貼ったのであってるのかな?



amazonでちらちら見た感じだと、こちらの雰囲気が「ピーター・パン」に近い感じかなぁ。

ついでに、興味が出てきたのは、この辺とか。


さて、本題の「ピーター・パン」に戻りますと、私、石井桃子訳、福音館書店の「ピーター・パンとウェンディ」は子供のころからの愛読書だったのですが、それとは別に「ピーター・パン」が存在する事に、これまで全く気付きませんでした…。で、図書館のリサイクル・コーナーにて、新潮文庫版のこの本を見つけて、拝借してきたというわけです。

目次
公園の大漫遊
 ピーター・パンが活躍するロンドンの大公園に、皆さんをご案内しましょう。あきれるほど広く、いろんな名所がある。
ピーター・パン
 生れて七日目、ピーターは、窓から逃げ出して、公園へ飛び帰る。赤ちゃんから、小鳥へ逆戻りしたのです。しかし、会う妖精に、みな逃げられて大弱り。
鶫の巣
 鶫たちは総動員で、ピーターのために、ボートを造りました。ピーターは、楽しい公園の探検に船出します。妖精の小人たちと会って……。
閉め出しの時間
 ピーターの奏でる美しい楽の音、躍る妖精の群れ。だが、ピーターも、お母さんが恋しくなり、飛ぶ力を与えて貰い、大空高く。そして我が家の窓へ。だがお母さんは、別の子を。
小さい家
 ぶきりょうな妖精の処女が、公爵さまの恋心を燃やし、忽ち、五十組の結婚式があげられるお話。その蔭には、可愛い、健気なお嬢さんが、夜の公園での大冒険。
ピーターの山羊
 勇敢なピーターと、健気なお嬢さんとが、親愛のキス。二人の悲しい別れ。
 解説


最近、姪と甥の七五三のお祝いにちょっぴり参加させて貰ったのですが、あんなに良く分らない言葉を喋っていた彼らが(そう、それはまるでここで言われている鳥の言葉のよう!)、すっかり普通の言葉を話すようになっていて、意思疎通もほぼ出来るようになっていました。親に聞いているつもりでいたら、本人が答えてくれたりとか、ね。

「ピーター・パン」の中でいう「子供」は、この意思疎通が出来る前の子供を言っているのだと思います。

 子供は人間になるまえに小鳥だったのであり、生れた最初二、三週間は少し乱暴で、肩の、翼がついていたところが非常にむずむずするもの。赤ん坊時代には、小鳥時代の色々な風俗習慣を覚えていたものだけれど、成長するにつれ、いつしかそれを忘れてしまう。

さらに、この世の中には「妖精」という素敵な存在がある。永遠に子供のままである、ピーター・パンの良い友達となったのが、妖精たち。気まぐれで、役に立つことは決してしない彼らだけれど、妖精たちの舞踏会は実に素敵!

 妖精と人間との大きな違いは、妖精は役に立つことを決してしないということ。この世に初めて生れて来た赤ん坊が、初めて笑った時に、その笑いがこなごなにわれて、何百万という細かいものになって、それがすっかり跳ねまわって行った、それが妖精の始まり…。

決して子供礼讃!な本ではないのだと思うけれど、子供の持つ豊かな想像力や可能性を慈しむような物語だと思います。ちょっと古めかしい言い回しもまた良き哉。
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伊坂 幸太郎
陽気なギャングが地球を回す (祥伝社文庫)

目次
第一章
悪党たちは下見のあとで、銀行を襲う
「犬の吠える相手が泥棒とはかぎらない」
第二章
悪党たちは反省を行ない、死体を見つける
「税金と死ほど確かなものはない」
第三章
悪党たちは映画館の話をし、暴力をふるう
「鞭を惜しむと子供はだめになる」
第四章
悪党たちは作戦を練り、裏をかかれる
 新書刊行時あとがき
 解説 ギャングをめぐる二つの考察と二つのおしゃべり
    ミステリ書評家・村上貴史


如何にも、伊坂さんらしく、つまらない(その時点では、という意味で)伏線が、ラストにはぴたぴたとはまり、自分たちなりの道徳観と判断指標を持つ人間たちが活躍する小説です。

ここでいうギャングとは、それぞれに特殊能力を持ち、けれども日常生活では普通の社会人としての顔を持つ、四人の銀行強盗グループのこと。銀行強盗という、一般には犯罪であり、そこに至るまでは高い障壁があると思われる行為であっても、彼らは飄々とその「仕事」をこなす。特にお金が必要なわけではなく、偶然、映画館爆破事件とその後の銀行強盗事件に居合わせたために、銀行強盗グループを組むことになった彼ら。人質となって銀行強盗を観察する機会を得たために、皮肉にもどうすれば銀行強盗が成功するか?ということが、理解出来てしまったというわけ。

分かったからには、実行しちゃいましょう、というノリの彼らの犯罪はとってもスマート。通報する隙を与えず、籠城することもなく、仲間の一人である響野が演説をぶっている間にボストンバックに札束を詰め、正確な体内時計を持ち、自動車の盗難だって朝飯前の雪子の待つ車で逃走する。そもそも、銀行から金を頂くとはいえ、それはきっと保険会社の懐が痛むだけで、誰も傷つけることのない実にスマートな犯罪なのだ(本当か?、という気もするけど。笑)。

そんな彼らとは対極に立つ、荒っぽい現金輸送車襲撃事件も、同時に街を賑わしていた。そうして、なぜか現金輸送車ジャックとニアミスした彼らは、みすみす銀行から奪った金と逃走用の車を、彼等に奪い去られてしまう。なぜ、そのグループにタイミングがばれたのか? 彼等の狙いは車だったのか、金だったのか? そこには、雪子の元・夫、地道(という名だけれど、「地道」さからは対極にある男)が関係しているようで…。

と、筋はこんな感じなんだけど、筋はどうでもいいというか、ギャングたちの個性が面白いお話です。映画化もされてたし、続編もあるのですね。これは映画化したくなるのが良く分かるな~。同じ伊坂作品でも、「アヒルと鴨のコインロッカー 」は映像化なんて、んな無茶な、と思ったし、「重力ピエロ 」もちょっと辛いと思うけど、これは普通に映像化出来ちゃうように思います。



さて、ここで、簡単にギャングたちの特徴をメモ。それぞれ、単独の能力としては銀行強盗に役立つものとは思われないけれど、四人集まると、立派な犯罪グループが出来上がるのです。そう、最初の伊坂さんの言葉にある通り、銀行強盗は四人いるのです。

■リーダー格の成瀬
:市役所勤務。その人間が嘘を吐いているかどうかを、完璧に察知することが出来る人間嘘発見器。別れた妻と、自閉症の息子、タダシがいる。
■嘘しかついたことがない、と評される響野
:妻、祥子と共に喫茶店を経営する。ボクシングでインターハイに出たことがある。演説が得意。
■人間よりも動物をこよなく愛する若者、久遠
:卓越したスリの技術を持つ。
■精巧な体内時計を持つ、雪子
:車の盗難もお手の物。慎一という、高校生の息子がいる。

その他、辞書の内容をイメージしたという、文章中に出てくる記述も楽しい。これは、『広辞苑 第五版』の記述に伊坂さんが脚色を施したのだとか(「アヒルと鴨のコインロッカー」といい、伊坂さんは広辞苑派なのかしらん)。

たとえば、【会話】では、「二人あるいは少人数で、向かい合って話し合うこと。また、その話。成立することは困難。どちらかが満足を得ると、どちらかは忍耐を強いられることが多い」とか、ちょっとシニカルな感じ。ちょっとくすり、くらいな感覚が程良いのでは。

☆関連過去記事☆
オーデュボンの祈り
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逢坂 剛, 北原 亞以子, 福田 浩
鬼平が「うまい」と言った江戸の味
PHP出版

池波さんのシリーズ物の中では、私の好みでいえば、

 好き ← 剣客商売 > 梅安 > 鬼平

だったりするのですが、池波さんの食の話って美味しそうだし、と借りてきました。

これね、語りも逢坂剛さんと北原亞以子さんと、作家のお二人が担当してらして、お二方とも本業でお世話になったことはないけれど、作家から見た裏話的なものも面白かったです。

鬼平犯科帳の一部が抜き書きされて、その部分に描かれた食を再現した写真とレシピ、それを味わってのお二方の文が入る。春夏、秋冬篇があるのだけれど、まぁ、このシリーズは冊数もかなりのものだとはいえ、オールシーズン通して食の話があるのも凄いことだよねえ。池波さんは季節感を表すのに食を用いたとのことだけれど、こういう描写があってこそ、あの世界に浸れるわけだよね。

目次
 甘いもの好きだった「鬼の平蔵」  福田 浩
一、鬼平の味 春・夏篇
二、料理を楽しみ、作品を味わう
三、鬼平の味 秋・冬篇
あとがき


どれも美味しそうなのだけれど、本作の料理人である福田さんが作る根深汁の葱は、短めのぶつ切り。「こうすると、切り口がなぜか丸みを帯びて美しく、食べやすくなる」とこの後の文章「恨みも根深い、根深汁」にて、逢坂さんが書いておられるのだけれど、私もいつも斜め切りだったので、これは試してみよっと。

私、全シリーズ通して、美味しそうだと思ったのが、根深汁なんだけど(我ながら、安い・・・・)、池波ワールドの中では、食の話はどれも重要というか、目を惹く感じで繋がってますよね~。

←amazon見てたら、こんなのも~。
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畠中 恵
ねこのばば (新潮文庫)

途中、すっ飛ばして、その時点での最新刊であった「うそうそ」を読んでしまった私ですが、図書館で「ねこのばば」の文庫を見つけたので、やっぱり借りてきちゃいました。

相変わらず、長崎屋の若だんな、一太郎は体が弱く、佐助や仁吉は若だんなには甘甘で…。以下、5つの短編が語られます。

目次

茶巾たまご
花かんざし
ねこのばば
産土
たまやたま


うーん、やっぱり、このシリーズは短編がいいような気がします。それでも、現時点で一番好きなのは、登場人物それぞれの事情が巧みに描かれた感のある「ぬしさまへ」で、(一太郎の腹違いの兄、松之助の話、「空のビードロ」や、仁吉の千年にわたる片思いを描いた「仁吉の思い人」など)、今回のは悪くはないけど、特筆すべき出来ではないようにも思います。人気シリーズだけに、ちと点が辛くなってしまうのかも。畠中さん、わが図書館でも人気でして、つくもがみ貸します」なんかも、すごい予約数なんですが…。

「産土」は、犬神である佐助の話。犬神である彼だけれど、「佐助」と呼んでくれる人のあるありがたさ、居場所のあるありがたさ。

「たまやたま」では、一太郎の幼馴染、栄吉の妹、お春に縁談が…。さて、一太郎はお春の謎かけを解くことが出来るのか??

メディアミックス流行りの昨今ですが、この週末にはこの「しゃばけ」のドラマが放映されますね。楽しみなような、怖いような。予約しておかなくっちゃ。

☆関連過去記事☆
・「しゃばけ 」/妖(あやかし)
・「ぬしさまへ 」/やっぱり妖(あやかし)
・「うそうそ 」/若だんな、箱根で湯治・・・・のはずが?
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桂 米朝
上方落語 桂米朝コレクション〈1〉四季折々 (ちくま文庫)

上方も何も、ほとんど落語を聞いたことはないのだけれど、ちょうど北村さんの「円紫さんと私」シリーズを読んでいたこともあり、図書館で目について借りてきた本です。私の落語体験と言えば、タクシーの中で運転手さんが聞いているもの、というくらいのお寒いものなんですが…。当時、実家が終バスが終わるとタクシーで帰るしかない場所にあり、深夜料金を払って帰ったものです。暗い夜道を行く中、くつくつと笑いながら、落語を聞いている運転手さんが印象的でした。

さて、こちらの桂米朝コレクション。「どもならん」くて、「かなわんなぁ、これ」な出来事が、笑いに転ずる様が楽しかったです。すべて理詰めでいくわけではないけれど、時代に合わない部分も何とか考えながらなさっているわけですね。後は、こうやるといやな後味が出てしまう(だって、落語の登場人物と言ったら、それはお調子者なわけですし)、というところを、ほのぼのと、からりと明るい笑いに持っていく。それが演者の技なのでしょうね。

最初に米朝さんの、その噺に対する考えや解説が入り、その後にお噺が収録されているスタイルです。「千両みかん」における、以下の文がまさに、落語というものを表しているのかと。

 時代が変わりすぎてしまいましたが、なればこそ、古い時代の物語をしゃべることによって、その夢の世界へ見事にお客様を御案内し得た時の、われわれの喜びもお客様の興趣も、一段とまさるのではないかと考えます。

そうやって、今はもうない夢の世界へ案内してくれるのが、落語なのですね。

目次
けんげしゃ茶屋
正月丁稚
池田の猪買い
貧乏花見
百年目
愛宕山
千両みかん
蛇含草
まめだ
かけとり
風の神送り

解説 小松左京


百年目」は、「円紫さんと私」シリーズの若き日の円紫さんが、師匠のやるこの噺を聞いて、落語をやろう、と決めた噺。というわけで、当然、「空飛ぶ馬 」にもこの噺の解説は出てくるわけですが、やっぱり字数の関係もあるし、この時は噺を全部わかったわけではなかったので、このお噺をきちんと読めたのも嬉しかったな。

貧乏花見」は、大正期に東京へ移されて、「長屋の花見」という題のお馴染みの落語になったのだとか。疎い私でも、タイトルくらいは聞いたことがあったかな。貧乏長屋のパワー溢れる人々が良かったです。お茶を持ち寄って樽に入れて「お茶け」と称したり、そんなものをこの人たちが持っているはずもない、持ち寄った晩菜の大層な名前も楽しい。

これ、今amazonを見たら、全8巻のシリーズなのだとか。2は「奇想天外」で、3は「愛憎模様」、4は「商売繁盛」、5は「怪異霊験」で、6は「事件発生」。7は「芸道百般」、8は「美味礼讃」。むー、テーマもみんな気になるではないですか。わが図書館に、全部置いてあるのならば、ぼちぼちと読んでいきたいシリーズでありまする。

*臙脂色の文字の部分は、本文中より引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡ください。

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ちょっと前から、「飛ぶ教室」が気になっていて、でも、これって古典的作品だけあって、翻訳も色々あるし、一体どれを読めばいいのさーー??、と困っていたのです。

ケストナーって、子供のころに「ふたりのロッテ」「点子ちゃんとアントン」は読んだ記憶があるのだけれど(あと、エーミールも、かな。そして、ややこしいけど、ピッピのリンドグレーンにも、エーミール・シリーズがあるのですね。ぐはー、この辺り、私、混同してそうです…)、ゲドやナルニア、ピッピほどには入れ込まず、数冊読んでそれきりになっていたのだよね。

で、今回、その設定に惹かれて、「サーカスの小びと」を借りてきたのですが、ちょーっとこれは大人が読むには辛い児童書だったかな、と(おっと、amazonを見たら、これって続編「サーカスの小びととおじょうさん」もあるのですね)。マッチ箱をベッドとする小びと、メックスヒェン・ピヒェルシュタイナーが、親代わりの魔術師ヨークス・フォン・ポークス教授と組んで、サーカスの芸人として人気者になるという痛快さはあるのだけれど、この荒唐無稽さを楽しむ遊び心が、今、自分にはちょっと足りなかったよう。

「飛ぶ教室」は未だチャレンジしたことがない、光文社の古典新訳シリーズで出てるみたいだから、良い機会だし、この訳で読んでみようかな。



ほか、ケストナーでamazonを検索してて、気になったのは、以下の本。

そういえば、エーミールなんかにも探偵が出てきたはずだけれど、自分の中ではケストナーと「創元推理文庫」という組み合わせがちょっと新鮮。



時節柄、こちらも気になります。

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