旧・日常&読んだ本log

流れ去る記憶を食い止める。

2005年3月10日~2008年3月23日まで。

以降の更新は、http://tsuna11.blog70.fc2.com/で。


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旅行に出るため、しばらく留守に致します。

コメント、トラックバックなどの対応が遅れますが、ご了承ください。

宮部さんの「孤宿の人」も恩田さんの「上と外」も読み終わって、感想を書いちゃいたいんだけど、時間がない~。ええ、旅行中に忘れないといいな、と思います。

復帰はたぶん、8/4くらい。それでは、また~クローバー
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高村 薫
レディ・ジョーカー〈上〉 」 「 レディ・ジョーカー〈下〉

「物語三昧」ペトロニウスさんに、高村薫の『リヴィエラを撃て』をオススメしていたところ、こんな記事を書いて下さいました。

ペトロニウスさんの記事はこちら
→ 『リヴィエラを撃て』 高村薫著 素晴らしい人間ドラマでした
  『リヴィエラを撃て』高村薫著② ハードボイルド小説の心象風景とディティールの描写

ついでに、こっちも
→ 『毎日が日曜日』 城山三郎著 日本株式会社の経済戦士たちのバイブル①

で、私はペトロニウスさんにオススメしたくせに、最近、高村作品を読んでません。このブログに記事を書いたのも、合田刑事シリーズ第二作目の『照柿 』くらい。一時期はまって、一気にガーっと読んだので、『新リア王』以外は一応押さえてはいるはずなのだけれど。「企業小説」であることもあり、このたび、唯一まだ持っている『レディ・ジョーカー』を読み直してみることにしました。

高村作品は大抵がどれも緻密な描写が続くのだけれど、再読となるとなまじ筋を知っているだけに、ついつい読み飛ばしてしまうことも。なかなか最初に読んだ時の集中力では読めませんです…。『レディ・ジョーカー』は登場人物の数も結構なものだしねえ。それぞれの人生が重いです。

さて、「レディ・ジョーカー」とは何ぞや。それは、ある犯罪グループが自称する呼び名。警察の捜査に浮かび上がるような<鑑>もなく、一見ばらばらである彼らの人生において、唯一つ共通するもの。それは、「自分はジョーカーを引いてしまったのではないか」という思い。年齢も職業もバラバラの男たち。ただただ目の前に起きた出来事を見据え、与えられた仕事を黙々とこなした日々。しかし、己の人生は、確実に正負のバランスが狂ってはいまいか?

抑鬱された感情の果てに彼らが起こした行動は、大手ビール会社を恐喝して金を強奪するというもの。実際のところ、男たちには金への執着心はほとんどない。それはこの閉塞した状況を抜け出すための手段にすぎない。偶然が積み重なって選ばれた企業<日之出麦酒>も、実は必然であったのか。総会屋<岡田経友会>との関係、関連運輸会社やその主力銀行の融資疑惑を含め、日之出麦酒は様々な手に絡め取られていく。

最初の怪文書を除けば、約5年間のお話であるこの物語。『レディ・ジョーカー』は、合田刑事シリーズ第三作目であるからして、勿論合田刑事も登場する。「レディ・ジョーカー」の脅迫は実に巧妙であり、まずは日之出麦酒社長の城山を誘拐、ビールが人質であることを説明し、後に裏取引を行うというもの。「レディ・ジョーカー」の名にふさわしく、脅迫に使われるビールの色は赤。赤いビール、それは「レディ・ジョーカー」のしるし…。社長の誘拐には当然警察も介入し、また日之出の裏取引を阻止するために、生還した城山社長に張り付けた所轄の刑事が合田というわけ。

警察と企業の駆け引き、警察の捜査、企業内でのパワーバランス、報道記者の世界などなど、余すところなく、非常にみっちりと描かれます。

レディ・ジョーカー」に対峙するうち、メンバーの一人であり、暴力的でぎらぎらした思いを持て余す男に引きずられるように、合田刑事もまた隠微な思いを深めていく。彼らの行動は互いにほとんど愉悦の源でもある。この二人は最後まで突き抜けていってしまうけれど、そうではないメンバーたちもいる。どこの闇に落ちたのかすら分らない者もいるけれど、「終章」で描かれる山々や耕地の姿は美しい。泥のように、澱のように、隠されていた強烈な怒りや、憤りがそれぞれに噴出したこの事件。この事件を体験した者たちは、それぞれに生まれ変わることが出来るのだろうか。この事件が起こったことによる、様々な弊害は残るのだけれど…。

「企業小説」として「終章」で語られる出来事は苦い。背後に暴力団誠和会がつく、岡田経友会とのしがらみを暴露した日之出麦酒への報復として、社長職を辞任した城山は第一回公判の前日に射殺される。城山三郎さんの小説などとは(って、たぶん、むかーしに数冊読んだだけなんだけど)、この辺の厳しさ、リアルさが違うよなぁ、と思います。

終章」で、本庁の国際捜査課に警部として異動になったことが知れる合田刑事。照柿』で灼熱の浄化を経験し、レディ・ジョーカー』にて「再び生まれ落ちた」合田刑事。国際捜査課での活躍も見たいものです。

<おまけ> 料理について
城山の秘書、野崎女史が城山のために用意する軽食が美味しそうでねえ。実際に作るのは、自社ビルの四十階にあるビヤレストランの総料理長なのですが。

 もともとは、ザワークラウトと男爵イモを骨付きの塩豚の塊とともに白ワインで煮込んだものだが、城山のために豚の塊は抜いてあり、ネズの実入りの真っ白なザワークラウトが小ぶりの一山、ほくほくに煮上がって粉をふいたジャガイモが一つ、バター煮のサヤインゲンが少々、熱々の湯気を立ててマイセンの皿に載っていた。          (上巻p330から引用)

誘拐犯から解放されて、会社に戻ってとる食事がこれ。ザワークラウトを食べると、この場面を思い出します。
上巻/目次
 一九四七年―怪文書
第一章 一九九〇年―男たち
第二章 一九九四年―前夜
第三章 一九九五年春―事件
下巻/目次
第四章 一九九五年夏―恐喝
第五章 一九九五年秋―崩壊
終章
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西尾 維新
新本格魔法少女りすか
講談社NOVELS

西尾維新さんという人、ずっと気になっていたのです。そんなところ、古本屋でこの本を見つけたので、早速ゲット。

結論からいえば、そして、作中人物、『赤き時の魔女』りすかの口調を真似れば、
 この本をとっても面白く読んだのは、私だったの
面白かったよー。

目次
第一話 やさしい魔法は使えない。
第二話 影あるところに光あれ。
第三話 不幸中の災い。


『城門』の向こうは長崎、『魔法の王国』で育った水倉りすかは、その血液内にあらゆる魔法式を織り込まれている(&ある魔法陣も)。彼女が齢十歳にして、『赤き時の魔女』という称号と、乙種魔法技能免許を取得済みであるのは、そういうわけ。りすかの血は魔法式そのものであるからして、りすかは愛用のカッターナイフで自らを傷つけ、血を流す事により、魔法を発動出来るのだ。きちきちきちきちきちきち…。彼女の魔法の属性(パターン)は『水』であり、種類(カテゴリ)は『時間』。十歳の彼女はそんなわけで、時を前に進めることが出来る。つまり、余計な時間を「省略」出来るというわけ。

さて、りすかは『城門』を越えて、普通の人間が住む世界へやって来た。それは、自分の血液内に高度な魔法式を織り込んだ父、現在行方不明中である水倉神檎を追ってのこと。彼は偉大にして強大な力を持つ魔法使いであり、六百六十五個(半端なのは、一つをりすかにあげたから)の称号保持者でもある。普通の人間に『魔法』を教えることの好きな父親を追い、また、県外(ソト)の人間の「魔法使い」への目を考える内、りすかはいつか県外(ソト)の魔法使いを狩る側へと回っていた。魔法を裁く、『魔法狩り』のりすか。

そんなりすかを『駒』とするのは、りすかの同級生、供犠創貴(くぎきずたか)。ここではまだ明かされていないけれど、大いなる目的とやらのために、『魔法使い』使いを目指す彼。何やら尊大でもあるこのキズタカ。ある魔法使いを自分の手下にならないか?、と勧誘する時の彼の口調はこんな具合。

「魔法使いなんて言っても、奴ら全然魔法を使いこなせていやがらない―まるで、駄人間と同じだ。両者仲良し、駄人間(できそこない)と半魔族(できそこない)。だったら仕方ない、ぼくが使ってやるしかないだろう。ぼくが使ってやらなきゃ誰が使ってやるって言うんだい?」

とにもかくにも、りすかとキズタカの目的はある一面で一致した。りすかは父を探すため、キズタカは自分の『駒』を探すため。そんな彼らが出会う戦いとは?、の三本立て。

不幸中の災い」のみ、「戦い」というにはちょっと違うかなー。そして、俺様キズタカとりすかの関係に変化が現れる。

はっきりいって、キズタカのやっていることは、道徳的、道義的に見て、正しいことではないのだけれど、それでもやっぱり面白いです。それはこの先、キズタカがそのまんま俺様で尊大なままであったとしても、きっと変わらない。うまく言えないのだけれど、世間一般に正しいとされること以外をやる場合、そこには何らかの痛みを引き受ける覚悟がいる。キズタカの場合、その覚悟があるんじゃないかなー。りすかも可愛いよー。現在「3」まで出ているようだけれど、まだ完結してないんだよねえ。途中まで読んでも、欲求不満になるのかしらん。

今後のためのメモ。

・『城門』の向こう長崎には、かつて『核』が落とされた
・キズタカの父は、佐賀県警の幹部
・魔法使いは海を渡ることが出来ない
・りすかの従兄妹、水倉破記の称号は『迫害にして博愛の悪魔』、属性(パターン)は『水』、種類(カテゴリ)は『運命』
・『にゃるら!』の『ニャルラトテップ』ってナニ?

*臙脂色の文字の部分は本文中より引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡ください。
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F.M.ガルシン, フィリップ・キイー, 河葉田 たか子
空飛ぶかえるの旅行家―ロシア作家の創作昔話
銀の雫


もくじ

空飛ぶかえるの旅行家
F.M.ガルシン

灰色の首のカモ
D.N.マーミン-シビリャーク

作男エメリャーンと空っぽのたいこ
L.N.トルストイ

公正な裁判官
L.N.トルストイ

命のしずく
I.S.トゥルゲーネフ

訳者あとがき


ロシアと言えば、昔話、小話の宝庫。「空飛ぶかえるの旅行家」というタイトルに惹かれて借りてきました。トルストイやトゥルゲーネフなど、どちらかといえば、「ロシア文学!」な人たちまで、こんな童話を書いているとは~、とびっくり。

一番気に入ったのは、表題作の「空飛ぶかえるの旅行家」。沼に棲む一匹の蛙が、カモたちが行くという南へ興味を持った。「クワーッ、すてき!」。二羽のカモのくちばしに細い枝をくわえさせ、カエルはその枝の真ん中を口でくわえてつかまり、空を飛ぶ。カモを使った新しい不思議な旅の方法! 有頂天になったカエルはある失敗をおかすのだけれど…。カエルの口調など、何だか楽しい物語。

挟まっていた「日本エディタースクール出版部の既刊書のご案内」を見て気になったのは、「ロシア民話 魔法の物語」。もう一冊、「ロシア民話 動物たちの冬ごもり」も気になるけれど、この間、ニコライ・スラトコフ「北から南へ」も挫折しちゃったしなぁ…。

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佐藤 良明, 柴田 元幸
佐藤君と柴田君

1950年生まれ、東京大学教養学部助教授、佐藤良明(トマス・ピンチョンやグレゴリー・ベイトソンの翻訳・紹介で知られるとのこと)、1954年生まれ、東京大学教養学部助教授の柴田元幸(ポール・オースター、スティーヴン・ミルハウザーなどの訳で知られる)のお二方によるエッセイ集。
(肩書きについては、1995年に発行された、この本の扉の著者紹介から引用しています)

文末に「さ」(佐藤氏)「し」(柴田氏)と記された文章が、ほぼ交互に並ぶ。

時に、一般教養の<英語Ⅰ>の授業の革命について熱く語り、時に、60年代のポップソングについて語る。そして、時に自らの少年時代について、思いを馳せる。

音楽については、特に佐藤氏の方の思い入れが強く、「そんなん知らんー」となることもあるのですが、柴田氏による「
つまみぐい文学食堂 」を読んだ時にも思ったんだけど、ああ、東大の学生はこんな二人の授業を受けられたのか、と思うとやっぱり羨ましい!(そして、今、Wikipedia を見たら、”歌手の小沢健二は柴田ゼミ出身”なのだとか。)

文章としては、私は柴田さんの脱力系の文の方が好みでした。
特に心に残ったのが、柴田氏による「たのしい翻訳」「ボーン・イン・ザ・工業地帯」の二編。

「たのしい翻訳」に、その恐ろしい書き出しが載せられている、T・R・ピアソンの「甘美なる来世に向かって」も気になるなぁ。訳されても読みこなせないような気もするんだけど。
 
 「ひっかかり、抵抗感こそが味である「悪文」的な原文の、そのひっかかりを再現する」ことを重視している柴田さん。「下手にやると、単に下手な訳文にしか見えなくて、結局は弱気になり、「通りのいい」訳文にしてしまうことが多い」そうだけど、このT・R・ピアソンの文は、そういう意味ではかなり癖の強い「悪文」っぽいです。

「ボーン・イン・ザ・工業地帯」では、柴田さんが訳したスチュアート・ダイベックの「シカゴ育ち」の話と、柴田さん自身の「育ち」の話が絡む。東京のサウス・サイドである京浜工業地帯と、シカゴの南側であるサウス・サイドに、柴田さんはいくつかの共通点を感じるのだそう。

「なつかしい」と「うつくしい」が一致しがたいサウス・サイドを描くなかでダイベックはそこに、ふっと天使の影をよぎらせたり、不思議な言葉で呟かれる老婆たちの祈りを響かせたりして、つかのまの「うつくしいなつかしさ」を、あたかもささやかな救済のように忍び込ませた。

工業地帯の下町に育った柴田さんは、それによって自らが育った町も、一緒に救済された気持ちになったのだとか。そして、この部分にはなんだかしんみりしてしまう。

手拭いを頭に巻いたおじさんたちが黙々と旋盤を回している町工場の並ぶ、夕暮れの街並みを自転車で走るとき、僕はいまも、三十年前の、勉強ができることだけが取り柄の、気の弱い、背が伸びないことを気に病んでいる子供に戻っている。喧嘩と体育ができることが至上の価値である下町では、勉強ができることなんて屁みたいなものであり、そういう世界にあって僕は明るく楽しい少年時代を過ごしたわけでは全然なかった。あのころだって、いまだって、僕はこういう環境にしっくりなじんで生きているわけではない。

そういう、ある種の「うしろめたさ」のようなもの、どこかわかる気がします。

あ、スティーヴン・ミルハウザーの「イン・ザ・ペニー・アーケード」も、気になります。「シカゴ育ち」「イン・ザ・ペニー・アーケード」も、この本が届くべき人たち、この本を読んだらよかったな、と思ってくれる潜在的愛読者に本が届いていない気がするのだって。

 特にミルハウザーなどは、文系よりもむしろ理系の、ふだん小説なんてあまり読まない、どちらかというと人間とかかわるより機械とかかわるほうが好きな、根のやや暗めの人に潜在的愛読者がいるはずだと思うのだが、残念ながらそういう人のところまでこの本は届いていそうにない。

本は人の心に届いてこそのもの。柴田さんがそういう人に読んで欲しいと思ったこの本、自分がこの本を読んだらどう感じるのかなあ、などと思うのでした。

*臙脂色の文字の部分は、本文中より引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡ください。

←文庫も
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T.S. エリオット, Thomas Stearns Eliot, 池田 雅之, ニコラス ベントリー
キャッツ―ポッサムおじさんの猫とつき合う法

もくじ
猫に名前をつけること
おばさん猫ガンビー・キャット
  *
親分猫グロウルタイガー 最後の戦い
あまのじゃく猫ラム・タム・タガー
おちゃめなジェリクル猫たちの歌
  *
泥棒コンビ猫マンゴジェリーとランペルティーザー
長老猫デュートロノミィー
ペキニーズ一家とポリクル一家の仁義なき戦い
  *
猫の魔術師ミストフェリーズ
猫の犯罪王マキャヴィティ
  *
劇場猫ガス
ダンディ猫バストファー・ジョーンズ
鉄道猫スキンプルシャンクス
  *
猫に話しかける法
門番猫モーガン氏の自己紹介

 訳者あとがき 猫になりたかったポッサムおじさんの猫交遊録


ミュージカル「キャッツ」の原作である、詩人T.S.エリオットのユーモラスな猫の本。

以前、エロール・ル・カインの手による絵本(「キャッツ―ボス猫・グロウルタイガー絶体絶命 」)を読んだことがあるのだけれど、この絵本に収められていた三つのお話も、勿論この本に収められている。

実は、絵本で三つのお話(詩?)を読んだとき、ちょっと消化不良気味だったんだけど、こちらの文庫ではたんまりお話が載せられているので、そういったこともありません♪ でも、引き続き、エロール・ル・カインの絵本、「魔術師キャッツ―大魔術師ミストフェリーズ マンゴとランプルの悪ガキコンビ」は探そうっと。
また、キャッツはお話というか、ほとんど詩なので、言葉遊びの面も大きく、その辺の解説が丁寧に下に載せられているのも嬉しかったなぁ。「キャッツ」に登場する猫たちの名前には、T.S.エリオット自身の造語が多いのだって。

ミュージカル「キャッツ」でも印象深く、また「キャッツ―ボス猫・グロウルタイガー絶体絶命 」にもあったJellicle Catsは、Jelly「柔らかくて、プリプリした」、-cleはラテン語のclueの異形で「小さな」ものを表す接尾辞から出来た言葉なのだそうな。

さらに、訳者あとがきによりますと、「ポッサムおじさんOld Possum」というのは、先輩のアメリカ詩人エズラ・パウンドがエリオットにつけた渾名なのだとか。「猫に話しかける法」を読むと、エリオットと猫との付き合い方が良く分かります。


 犬は犬、猫は猫であって、お調子者でいなか者の犬とは違う。
 だから、みなさんから猫にご挨拶を。
 でも、猫は、人様になれなれしくされるのが大嫌い、
 そのことを忘れてはいけません。
 猫たるもの、人間から敬意を表されるのは、
 当然至極なこと。
 「犬は犬、猫は猫」ということ。
 これこそが、猫に話しかけるコツ。
 
 (イタリック部分は、省略語、意訳して引用しています)

この本には様々な猫が出てくるけれど、エリオットの敬意あふれる猫との付き合い方が良く分かるでしょう? 「お調子者でいなか者」っていうのはあれだけど、確かに犬の方が猫よりも、人が好い感じがするよなぁ。でも、猫は気難し屋であるからこそ、親しく接することができれば、より喜びは増すのかな。
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大崎 梢
晩夏に捧ぐ<成風堂書店事件メモ・出張編>

配達あかずきん 」の続編、今度は出張だ!スペシャル。

いつものように成風堂で働く杏子のもとに、届いたのは一通の手紙。それは故郷に戻り、地元の老舗書店・「まるう堂」で働く、元同僚の美保からのもの。手紙が知らせるのは、「まるう堂」に持ち上がった幽霊騒動。杏子が常日頃から多恵の推理力を自慢していたために、是非探偵としてお越し頂きたい、との要請。

駅ビルの休館日、成風堂恒例の八月の休みに合わせ、老舗書店の見学も兼ねて、しぶしぶながら、杏子は多恵と二人、信州の高原へと赴くことになる。そこで待ち受けていたのは、四半世紀前の殺人事件の謎。老作家が殺され、弟子が逮捕されたこの事件、「まるう堂」に出る幽霊は、この弟子だとのまことしやかな噂。なぜ、こんな噂が流れるのか、真犯人は別にいたのか??

成風堂、出張編。前作は短編だったけれど、今回はこれ一本で読ませます。終盤付近で描かれる、弟子、小松秋郎の事情はあまりに陰惨なので、うわ、これ、そんな筋じゃなくても良かったのでは、とは思うのだけれど、あとは割といい感じなのではないでしょうか。ま、「歓迎 成風堂書店 名探偵ご一同さま ようこそ まるう堂へ」の横断幕には、杏子でなくともびっくりだけれど。

しかし、この人の本を読むと、自分も本屋が好きだとは思っていたのだけれど、自分なんかはまだまだなのだな、と思います。結局、本にかかわる仕事に就くこともなかったしねえ。この本の中、「まるう堂」こと、「宇都木堂書店」の店内や棚の様子の描写には、ほんとに愛が溢れてます。お店は店主の小宇宙なんだよね。ネット書店や図書館もいいけれど、時には地元の頑張ってる本屋さんで、買い物しなきゃなぁ。
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野町 和嘉
サハラ縦走
岩波文庫 同時代ライブラリー


目次
1 サハラへのパスポート
2 オアシス
3 タマランセットへ
4 ニジェール
5 地平線
6 リビアの奥地で
7 キャラバン同行記
8 私たちの旅
9 タッシリ・ナジェール取材記
10 ラクダ君の死
11 旅のおわりに

 その後のサハラ
 -同時代ライブラリー版によせて-


あとがきのような「その後のサハラ」より引くと、これは1974年から75年にかけての約一年間に及ぶサハラ旅行の記録。1974年10月にロンドンを出発して翌年ミュンヘンに到着するまで、延々五万キロに達する車の旅と、車を手離したあと空路アルジェリアに行きタッシリの山塊をめぐった旅。

サハラとは、アラビア語の”沙漠”を意味する普通名詞であり、それは地球上でもっとも広大な荒地なのだという。アフリカ大陸の大西洋沿岸から東は紅海まで、地中海沿岸から南は北緯十五度線上まで、十一カ国にまたがり実に全アフリカの三分の一の面積を占める荒涼たる世界。

太古、ヨーロッパに数次の氷河期をもたらしたのと同じ気候変動によって、サハラは湿潤と乾燥とを何度も繰り返した。七、八千年前にはカバや象さえ生きていたサハラ地域に、現在の沙漠にいたる乾燥化が始まったのは、紀元前二千年頃のことなのだという。そして、広大な内陸部の低地と、それを囲む海岸部の山岳地帯という、サハラを取り巻く地形が、一旦乾き始めた地域の急速な乾燥化を助長した。湿気を含んだ海洋からの風はことごとく山々で遮られ、奥深い内陸部に降雨をもたらすことはなく、そうして残されたのは、激しい風化作用を受けた巨岩の峰々や、礫沙漠。もしくは、礫がさらに風化し、微粒子となった、砂粒からなる砂丘群。

この熱砂の世界を、この上なく清浄な世界と感じる著者が語る、沙漠とそこで出会った人たちの物語。たとえば、オアシスの話(「オアシス」という言葉から連想される、緑滴る枯れない泉があるわけではなく、そこは人々が必死に水を守る土地であり、その水も深い井戸から汗みずくになって汲み出すものである)、沙漠の塩の話(太古海底であった場所であるからして、塩分が沈殿し、ほぼ無尽蔵に塩がある)、ラクダのキャラバンの話(ラクダのキャラバンは、すでに輸送力としてではなく食肉用として組織されていたらしい)、素焼きの壺が置かれるお墓の話(サウジアラビアのファイサル元国王の墓の写真も、著者が見たオアシス・イグリにある墓と何等変わらぬ簡素なものであったらしい)、トゥアレグ族の話(見知らぬ者の前で素顔を晒すと、鼻や口から悪霊が体内に入り込むと信じられているため、ベールの巻き方が独特なのだという)など、なかなか聞けない話などではありますまいか。

著者の本業は写真家なので、残念ながらカラーではないのだけれど、載せられている写真も豊富。そもそも、私がこの本を手に取ったきっかけは、表紙の夕陽と砂丘の写真に惹かれてのことだったしね(これまた残念ながら、画像が出ないようだけれど)。トゥアレグ族のラクダレースは、かっこいい!

ひたすら沙漠を旅したそれまでの章とちょっと違うのは、タッシリ・ナジェール取材記。タッシリ・ナジェールとは、トゥアレグの言葉、タマシェック語で”川のある台地”を意味し、平均標高千数百メートルのサハラ中央部を走る広々とした台地のこと。そこには、サハラがかつて緑だったころ、その頃の岩壁画が、様々な様式、様々な年代で描かれているのだという。ところが、今ではこの地は乾いた死の台地となったため、水の補給が難しく、壁画を見て回るのはとても困難なことなのだとか。著者はラクダとロバを駆使し(ラクダはたくさんの荷物を運べるけれど、ロバのように険しい道は通れない)、何とかたくさんの壁画を見て回る。白い巨人や象のレリーフ、ロバや牛など、大らかな壁画が面白いです。

トゥアレグ族の少年、アブリと、旅人スレイマンが紡ぐ物語、「砂漠の宝―あるいはサイードの物語 」を思い出しながら、読みました。しかし、沙漠で生きるのって、ほんと過酷…。この旅に付き合った奥さんも凄いと思いました。車の移動も、当然、砂に足を取られながらなわけで、ほとんど苦行だもの。なのに、沙漠を旅することをやめないわけで、「魅せられる」ってきっとこういうことを言うのだろうね。
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山田 宗樹
ゴールデンタイム―続・嫌われ松子の一生

ある一人の哀しい女の転落していく様を描いた、「嫌われ松子の一生 」の続編。

常に他者に人生の評価を求めていた松子は、ひたすらに堕ちていった。

さて、「嫌われ松子の一生」の感想を書いたとき、私は「笙と彼女、松子と男達を対比させることで、これから如何様にも生きることが出来る、笙の可能性を残しているのではないかと思った」などと書いたのだけれど、まさに、これはその笙と彼女、明日香の物語。

彼女、といっても、「嫌われ松子の一生」において、医者になるために医学部に入りなおすことに決めた明日香は、既に笙との別れを決めていたわけで、今では二人の道は分かれ、元・彼、元・彼女という間柄。

明日香は佐賀で順調に医学生としての道を歩み、開業医の息子である新しい恋人や、友人に囲まれ、充実した日々を送っている。
一方の笙は、こちらは全く振るわず。就職活動に失敗し、ずるずると東京に住みながら、フリーターで食いつなぐ。

佐賀で暮らす明日香。東京で暮らす笙。既に交わることはないかと思われたが?

明日香は順調過ぎる日々の中、申し分のない人であるはずの恋人が、明日香の将来をどんどんと決めてしまうことに焦る。自分の将来は既に自分のものではないのか? 笙と別れ、医学生を志した時の決意はどこにいってしまったのか?

全く振るわなかった笙が出会ったのは、「演じる」人たち。笙はミックやユリとの出会いによって、「俳優」という夢を見るようになる。

二十四歳の二人、明日香は目の前に結婚という現実を見、笙は一度も舞台に立ったこともないのに、ロンドン公演の夢を見る。夢と現実の戦い。けれど、誰が他人の夢や他人の人生を、「くだらない」と決めつけることが出来るのだろう。

二人は恋人同士ではなくなったけれど、「松子」の一生をともに辿ったことで、得難い友となった。笙は明日香の、明日香は笙の、定点観測地点。自分がどこにいるのか、あの頃からどう変わったのか、二人は互いを見ることで、知ることが出来るのだろう。

これ、まだ続編もありそうな終わり方。羽ばたく明日香に比べて、笙は今までいま一つ飛びきれていなかったけれど、今度は笙が羽ばたく様もみたいなぁ。
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綿矢 りさ
夢を与える

「蹴りたい背中」にはあんまり感心しなかったのだけれど、こっちは良かったよ、綿矢りささん。同時に、あー、「綿矢りさ」も大人になっちゃったんだなぁ、とも思ったけれど。大人も大人、何だかそれはこの「夢を与える」の中で、主人公である夕子が呟く、「私の皮膚は他の女の子たちよりも早く老けるだろう」というような大人になり方で、勝手ながらちょっと心配してしまうくらい。ま、作品は作品、作家は作家で本来別々のものなのでしょうが。

芸能人、スポーツ選手などが、最近よく使うこの「夢を与える」や、希望を与えるという言葉。傲岸不遜とも思われる、この言葉の裏の彼らの生活は、一体どうなっているのか。他人に「夢を与え」続けるというのは、どういうことなのか。本書は、残酷で無残な青春小説とも読めるような気がする。

主人公は、夕子。その愛らしい容姿でもって、チャイルドモデルとして活動していた彼女は、大手チーズ会社との半永久的なCM契約により、日本全国に知られた存在となる。そのCMは「ゆーちゃん」の成長を映し続ける。「ゆーちゃん」とは誰なのか?、世間の関心が高まったところに、普通の少女としての「ゆーちゃん」の難関高校の合格。幼いころから知っている少女が、健やかに成長するさまを見た大衆は、夕子が「普通の少女」である事に好感を持ち、彼女は一気にブレイクを果たすのだが…。

主人公はこのアイドルとなる夕子であるけれど、実際には彼女の母も、この物語に濃密に絡みついてくる。日仏ハーフのどこか頼りなげなトーマを繋ぎ止めたのは、夕子の誕生であったのだけれど、無理矢理繋ぎ止めた関係はいつか破綻する。夕子にとってはいい父親のトーマであったけれど、彼はいつしか夕子や妻、幹子に隠れて、もう一つの「家」を持つようになっていた。夫、トーマへの満たされぬ思いを埋めるように、母、幹子は夕子の芸能活動を全力でサポートする。母子が邁進した芸能活動の果てに待ち受けていたものは、しかし…。

高校に入学する前、完全にブレイクを果たす前の夕子の生活は、時にCMに出たり、ギャルズクラブの妹分としてレポーター活動などもこなすものの、まだまだ至ってのどかなもの。母、幹子の実家にもほど近い、海、山、川と自然に恵まれた昭浜の家での一家三人の暮らし。同級生との他愛もない会話。恋とも呼べぬような淡い思い。

ところが、ブレイクを果たした後の夕子の生活は一変する。都内に借りた仮住まいのままのようなマンションでの母子の暮らし、高校へ辿り着いても、眠り続けてしまうような疲労、詰め込まれたスケジュール。薙ぎ倒す様にひたすらにスケジュールをこなす日々の中で、夕子は段々と倦んでいき、「一般人」に恐怖を覚える「芸能人」になっていく。けれど、どんなに忙しくても、使い捨てられるのは、こわい。

高校三年生となった夕子の勢いが失速するのは、大学受験のため。普通の理想の人生を歩んでこその、みんなの「ゆーちゃん」である、阿部夕子というもの。ところが、夕子は突然の静かな生活に耐えられなくなっていた。そして、夕子にとっては運命の恋に出会ってしまう。それは、普通の人間にとっては、ごく普通の恋愛で終わる可能性もあったのだけれど…。ここでも、母と同じように無理矢理繋げた関係が、ある衝撃的な事件を呼ぶ。

夢を与えるとは、他人の夢であり続けること。そして、その他人の夢を裏切るような生き方をしてはならない。初めての恋に、世間の人々を「裏切った」夕子の独白は、あまりにも早く大人になってしまった少女のもの。諦観に老成。そして、人はきっと、そういう少女をテレビで見たいとは思わない。明るく、頬紅を塗らなくても、ふっくらと輝いていた頬は、すでに痩せて萎んでしまった。夕子の今後はどうなるのか。普通の人々の信頼の手を手放して、文中にあるような赤黒い欲望の手と手を結ぶのか。

ずしんと重い小説です。高校生の頃の夕子が頑張れたのは、中学生の頃やその前の生活が充実していたからなのだよね。ところが、何の実もない高校生活が彼女の心を萎ませてしまった。人間は、自分の現在の少し前の遺産を食い潰して生きている。積み重ねなく、常に人に「夢を与え」続け、他人の夢であり続ける。それは、やっぱり、壊れていくものなのでしょう。

今、amazonを見たら、amazonではなぜか押し並べて低評価のようですが、私は濃密な良い小説だと思いました。でも、この絶望が深すぎて、綿矢りささんがずーっとこっち側に深度を深めていってしまうとしたら、次の作品を読むのが怖いな、とも思いました。蹴りたい背中」のディスコミュニケーション一本槍よりは(って、随分前にぱらぱらと読んだ印象のみだけど)、私はもっといろいろなテーマが盛り込まれた感がある「夢を与える」の方が好きなんだけれど、欲を言えばもう少し希望を感じさせる作品も読みたいな、とも思います。次作はどう来る? 綿矢りさ。
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