旧・日常&読んだ本log

流れ去る記憶を食い止める。

2005年3月10日~2008年3月23日まで。

以降の更新は、http://tsuna11.blog70.fc2.com/で。


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恩田 陸
酩酊混乱紀行『恐怖の報酬』日記  

旅行とはすべからく、楽しいもの?
直前には、ドキドキわくわくして仕方のないもの?
ましてや、その地は恩田さんが憧れ続けたという、イギリス・アイルランドだというのに。

「酩酊混乱紀行」とあるとおり、紀行文にも関わらず、その始めの文章は「なぜか新国立劇場にいること」と題され、ビールを飲みながら書かれた、旅行前の観劇の話なのである。そう、恩田さんの「酩酊」と「混乱」は、冒頭から既に始まっていたのだ・・・。

憧れのイギリス、アイルランドに渡るためには、そう、「あれ」に乗らなくてはならない! 恩田さんが恐怖してやまないその乗り物といえば、そう、「飛行機」なのだ!

飛行機と小説家の関係のこと」でつらつらと語られるのは、飛行機嫌いの小説家や監督のこと。スティーヴン・キングしかり、アーサー・C・クラークしかり、レイ・ブラッドベリしかり、スタンリー・キューブリックしかり、・・・。ただでさえ、普段から半ば妄想のように荒唐無稽なプロットを考えている連中が、飛行機を怖がるのはむべなるかな、と恩田さんは考える。勿論、これは恩田さんにも当てはまるわけだけれど・・・。「あれ」に乗る前には、「あれ」に対する恐怖に煩悶し、憧れの地を踏んでも、「あれ」のことが頭にちらつき、帰国が近付けば、再度訪れる「あれ」との遭遇に頭を悩ます・・・。混乱の様すらさえ面白いとは、さすが小説家とも思うのだけれど、じっとりと脂汗が滲むような様が読んでいるこちらにもひしひしと伝わってくる・・・。

というわけで、これは恩田さんの酩酊(ほんとに良く飲んでおられるんだ、これが! ビール、ビール、ビール!という感じ)と混乱、時に妄想が楽しい紀行文。随所に小説や劇、映画についての感想がさらりと忍び込むのも嬉しいところ。飛行機に乗る直前の、成田エクスプレスの中では、「のだめカンタービレ」の千秋真一に感情移入していたりもする。勿論、恩田さんも書かれているとおり、飛行機嫌いの千秋さまに助けてもらう事は出来ないんだけど。きっと、恩田さんの中では、日常とその他の物語の区別がないのだろうな。ま、今回の場合、恐怖に駆られて、思考が特に飛んでいるのかもしれませんが・・・。

そして、興味深かったのが、恩田さんが旅先でよくやるというゲームの事。恩田さんは気に入った場所、雰囲気のある場所に出会ったとき、その場所を舞台にして何が起こるのか、自分やその場所に聞いてみるのだそうだ。ここで何が起きたら驚くか、何が出てきたらお話になるのか。タラの丘で恩田さんの頭に浮かんできたイメージも、いつか小説として紡がれ、形をなすのだろう。

ところで、この明らかに「地球の歩き方」シリーズを模したこの装丁。最終章の「そして、一年後のこと」では、恩田さんはスペイン北部にあるオビエド空港で、冷や汗を流し、立ち尽くしているわけですが、また、こういうの書いてくれないものかな。恩田陸、「酩酊混乱紀行」シリーズ。楽しそうなんだけど。ま、でも、恩田さんの寿命が何だか縮みそうで、それはあんまり嬉しくないわけですが。
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岸本 佐知子
気になる部分

新聞の書評で見かけた「ねにもつタイプ」が気になっていた岸本さん。
ほんとは「ねにもつタイプ」を読みたかったんだけど、わが図書館にはなかったのでこちらの「気になる部分」を。

しかし、白水社から出ているとはとても思えないこの表紙。装丁を知らずに予約で取り寄せちゃったので、ちょっとたじろぎましたよ。や、私、こんなの頼んでないです、という感じでね・・・。

目次
Ⅰ 考えてしまう
Ⅱ ひとり遊び
Ⅲ 軽い妄想癖
Ⅳ 翻訳家の生活と意見

さて、内容はというと、私より一足お先に、岸本体験をされた
nanika さん(nanikaさんの記事はこちら→『ねにもつタイプ 』)が指摘されておられる通り、その妄想力と記憶力に舌を巻く。

そうだなー、一例を挙げると、あなたは街で飾られている七夕の短冊が気になるタイプですか? そう、ことによってはイケナイことだと思いつつも、ついつい絵馬を読んでしまったりとか。もしそういうものが気になるようだったら、あなたも立派に「こちら側」(ええ、私も思いっきりそちらのタイプです)の人間かも。

しょうもないことについつい考え込んでしまう人、ふと聞こえた会話から色々と妄想が広がっていく人、これを読むと力強い味方を得た気分になるかも?(私だけじゃなかった!)

そうなんだよなー、私も子供の頃、算数の文章題に苦戦したのは、しょうもない事に気がいってしまったからだった・・・。母に悩みを打ち明けて、「そんなことは心配しなくてもよいのよ」と言われてからは、普通に解ける様になったけどさ。岸本さんバージョンの文章題の悩みは、こんな感じです。

「ある人が、くだもの屋さんで20円のリンゴを7こ買おうとしたら、10円たりませんでした。その人はいくら持っていたでしょうか」というような問題があったとすると、私はその”ある人”のことがひどく気の毒になりはじめるのである。この人はもしかして貧乏なのだろうか。家にそれしかお金がなかったのだろうか。リンゴが7個買えないとわかった時に”ある人”が受けたであろう衝撃と悲しみは、いかばかりだったであおるか―。どうかすると、同情が淡い恋心に変わってしまうことさえあり、(”ある人”ったら、うふふ・・・・・・)などと思いを馳せているうちに、「はい、鉛筆おいてー」という先生の声が響きわたってしまうのだった。

そして、岸本さんの本業、翻訳家としてのお仕事で気になったのは、ニコルソン・ベイカーの作品。
やっぱり、本業も拝見しないとねー。


その後に読んだ「フェルマータ」の感想はこちら。いやー、けったいな小説でしたよ。次は「中二階」だ!

 →「
フェルマータ 」/もしも時間を止められたなら?

そして、ついでに、「ねにもつタイプ」も読みました。たのしー!

 →「ねにもつタイプ 」/夢見るように生きている

*臙脂色の文字の部分は、本文中より引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡下さい。
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ドン ウィンズロウ, Don Winslow, 東江 一紀
砂漠で溺れるわけにはいかない  

「ストリート・キッズ」で鮮烈な印象を残した、ニール・ケアリーのシリーズ最新刊にして最終巻。いや、手に入れたものの長らく積読してたので、最新刊といっても、2006年8月に刊行されたものなんだけど・・・。

とはいえ、それもまた翻訳に掛かった長い年月を思うと、ほぼ一瞬の出来事なのかも。本国ではほぼ年間一冊というペースで書かれたこの五作のシリーズ、日本語訳は最初は同じく年一冊ペースだったものの、完結までに十三年半・・・。訳者の方にも色々事情があったようですが、やっぱり、これ、同じペースで読みたかったよ。

「ストリート・キッズ」で、ニールがジョー・グレアムからストリート・キッズの暮らしから引き揚げられたのは、彼が十一歳の時。ニールは探偵のイロハから掃除のイロハ、正しい食生活まで、このグレアムに徹底的に仕込まれる。このニール・ケアリー・シリーズは探偵物語でもあるんだけど、このような出自によるものか、ニールはある銀行の秘密部門、<朋友会>から依頼(というか、大抵の場合、強制な気もするけど)された仕事を遂行するものの、彼は探偵の免許を持ったこともないし、専従で仕事をしたこともない。彼の望みは、こよなく愛する十八世紀の英文学を研究して暮らすこと。彼の「仕事」の部分をとりあえず脇に置くとすると、これは彼の成長物語でもある。

ニールはグレアムに素質を見出され、この探偵仕事を始めた事になっているんだけど、実際、ニールはその若さと無害な外見を生かした潜入は得意なものの、その後の首尾はいつもあまりよろしくない。腕力だってないし、信じやすい性格からか、逃してはならない人間を良く逃していたりもする。大抵の場合、普通の「探偵」は、その仕事の前後において、自らが変わることは少ないと思うのだけれど、ニールの場合、その事件に思いっきり影響を受け、傷つき、事件後には受けた傷を癒すため、隠遁生活を送っていたりもする。ま、隠遁といったところで、大抵<朋友会>からは逃れられていないんだけど・・・。そんなわけで、よーく考えるとあまり探偵業に向いているようにも思われない・・・。

さて、そんなニールが今回駆り出されたお仕事は、ラスヴェガスのホテルから、齢八十六になる老コメディアンを自宅に連れ戻せ、というもの。相手の居場所だって分かっている、送り届ける場所だって確かだ、おまけに相手は高齢の爺さんと来た、グレアムの言うとおり、楽勝の仕事に思われたのだが・・・。その爺さん、ネイサン・シルヴァースタイン、若しくはナッティ・シルヴァーはのらりくらりとニールをはぐらかし、とうとうニールを撒いてしまう! 

今回のニールの個人的な事情としては、彼は二ヶ月後に「高く孤独な道を行け」で出会ったカレンとの挙式を控えている。そのことは彼にとっても大変結構なことなのだけれど、無性に子供を欲しがるようになったカレンに困惑し、そのことで互いにギクシャクしたまま、この事件のためにカレンと暮らす家を離れる事になる。ナッティを連れ戻しにいっても、頭はカレンと子供の事でいっぱい。もしかしたら気付けたかもしれないヒントをことごとく見逃した結果、ニールはナッティに逃げられ、どうしても自宅に帰りたがらないナッティの事情に気づく事がない。

老コメディアンであるナッティの昔話、ナッティとホープの関係など、最初はうんざりしていたものの、ニールは人生の先達として、彼らを尊重というか、ある意味では尊敬するようになる。そして、ニールが何よりも恐れる「子供を作る」ということ。彼の母親は麻薬中毒の売春婦であり、父親は母親の客の一人にして、顔も名前も分からない。ニールには家庭が分からないし、そもそも自分が父親になれる自信だってない・・・。そのニールの心が、この老コメディアンとの旅路の中で、少しずつ動いていく所が今回の見所でしょうか。

「ストリート・キッズ」から始まったニールの旅も、随分遠くに来たような気がします。しかし、「ニールの成長記」として読むなら尚更、もっと速いペースで読みたかったな、と思うのでした・・・。ストリート・キッズ」にて、ジョー・グレアムに出会って擬似的な親子関係を結び、最終巻の「砂漠で溺れるわけにはいかない」にて、こわごわと家庭に向けて一歩を踏み出す。新たなニールシリーズを読むことはもうないわけだけれど、ニールの今後の人生が幸せであるといいな、と思う。

     
←シリーズのその他四作。このシリーズは装丁とタイトルも魅力の一つ。
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川端 裕人
川の名前  

川に夏に少年。この三つが揃ったら、他に何が必要なのだろう。
必要なものは、もう全て揃っているではないか!

とはいえ、舞台は多摩川の支流、桜川。現代の少年たちの物語であるからして、少年たちが川にじゃぼーんと飛び込み、カワガキとなって川と戯れる、なんていう形の川と少年の物語ではない。

主人公は、菊野脩、小学校五年生。自然写真家の父さんと、これまで一緒に行ったのは、アマゾンやユーコンなどのスケールの大きな川。今までは長期の休みは、この父と共に撮影旅行に出ていたし、学校だって何度も変わった。父と離婚した母は既に新しい家庭を築いている。この夏だって、本当は父さんは脩と一緒にユーコン川に行きたかったみたいだけれど、何が特別というわけでもない、この場所、この桜川北小の五年二組。この夏、脩はここを離れたくないと思ったのだ。

脩と共にこの夏をすごすのは、一緒に自由研究をする事になった、ゴム丸こと亀丸。そして、物静かな態度だけれど、川について誰よりも深い知識を持ち、脩とゴム丸を助ける、河童こと河邑。

出て来るのは、勿論、脩の仲間たちだけではなく、何かとゴム丸に突っかかる、ジャイアンを思わせる海野や、すかした優等生、手嶋たち。

そして、彼らを巡るこの夏の出来事。

何かと脩を敵視するすかした優等生、手嶋との関係は、年齢は違うけれど、まるで『
河よりも長くゆるやかに 』のトシと深雪のようでもある。互いに認め合った彼らはきっと、これからは親友になるのだろう。

夏が終わって、少年達は少し大人になる。

周りを固める大人もいい。圧巻は、チャルメラの音楽と共に現れ、「カワガキ~」と叫ぶ喇叭爺だけど、教師のデビルもなかなかだし、水族館の獣医、鈴木先生だっていい。あ、父さんの妹で、脩を預かってくれている、看護士の恵美もね。

タイトルにもなっている「川の名前」。この意味は、是非、自分で確かめて欲しいなぁ。「川の名前」に自分の居場所。うーん、深いです。結構前に、この本をいい!と書いておられるブログを幾つかお見かけして、そんなにいいなら、読んでみようと思っていたのだけれど、さすが評判の本。面白かったです~。

 ←少年達を前面に押し出した文庫もいいけど、単行本の装丁の方がイメージ。



メモ1
ホトケドジョウ (=オババ)
:神奈川県水産技術センター内水面試験場のページにリンク
オギ
:浜島書店のページにリンク
 ススキと、混同していましたよ・・・。違うのね。

メモ2
以下、ネタバレになってしまうので、これから読まれる方は、どうぞお読みになりませんよう(リンクも飛ばないでくださいねー)。全てを忘れ去ってしまう、自分のためのメモであります。

しかし、この作者は、ほんとにペンギンが好きなのだなぁ、と。笑
以前読んだ、同作者による本の記事はこちら → 

こっちは思いっきり、ノンフィクションなんだけど。いやぁ、この方、とっても多才だなぁ
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オンライン書店ビーケーワン:百億の昼と千億の夜   オンライン書店ビーケーワン:百億の昼と千億の夜

光瀬 龍   光瀬 龍, 萩尾 望都

百億の昼と千億の夜 」 「百億の昼と千億の夜
ハヤカワ文庫       秋田文庫


目次 ~小説~
序章
第一章 影絵の海
第二章 オリハルコン
第三章 弥勒
第四章 エルサレムより
第五章 喪える都市
第六章 新星雲紀
第七章 最後の人々
第八章 遠い道
 あとがき

目次 ~漫画~
序章 天地創造
第1章 アトランティス幻想
第2章 悉達多
第3章 梵天 帝釈天
第4章 阿修羅
第5章 弥勒
第6章 ユダとキリスト
第7章 ゴルゴダの奇跡
第8章 トーキョー・シティー
第9章 戦士たち
第10章 ”シ”を追う
第11章 ゼン・ゼン・シティー
第12章 コンパートメント
第13章 ユダの目覚め
第14章 トバツ市で待つもの
第15章 摩尼宝殿入り口
第16章 アスタータ50
第17章 幻の軍勢
第18章 遠い道
終章 百億の昼と千億の夜
 解説(山本真巳)


タイトルと、序章の文章の流れるような美しさに惹かれて古本屋でゲットしたものの、時空を自在に越え、神の存在を疑い、絶対者に迫っていくこの物語。なかなかついていけなくって難儀していた所、萩尾望都さんの手による漫画を借りる事が出来ました。

で、途中までは小説版を読んでいたのだけれど、これは駄目だ、と残りはざばざばと流し読んで(嗚呼、きっと、勿体無いんだろうなぁ)、さっさと漫画の方に移ってしまったのです。

私は小説の流れに着いていけなかったけれど、SF読みの方たちはすんなりと読めるのかしら。文章が美しいだけに、何とも勿体無いのだけれど・・・。

 
寄せてはかえし
 寄せてはかえし
 かえしては寄せる波また波の上を、いそぐことを知らない時の流れだけが、
 夜をむかえ、昼をむかえ、また夜をむかえ。
(p10より引用)

 
寄せてはかえし
 寄せてはかえし
 かえしては寄せる数千億日の昼と夜。その間も波はたゆみなく鳴りつづけ、さわぎつづけてきたのだった。
(p11より引用)

などと、「寄せてはかえす」という印象的なフレーズが、まさに寄せてはかえすように、効果的に使われている。このフレーズを読めただけでも、良かったなぁなどと思ってしまう。

さて、内容の方は、うーん、小説版にしても漫画にしても、なかなか厄介な問題を描いているように思います。正直、少々、ムズカシイ・・・。


人々は、形は違えど、神を、絶対者を信仰する。信仰とともに、そこに語られるのは、多くの場合、滅びとその後の救いの予言。キリスト教における最後の審判しかり、仏教における末法の世しかり・・・。

天上界へと上った悉達多王子が見たものは、地上と同じ荒廃だった。それは阿修羅王によるものだというのだが・・・。阿修羅王に出会った悉達多は、阿修羅王が神を信じられぬが故に、天上界での戦いを続けている事を知る。全てを救うといわれている弥勒は、なぜ現れ出でる前に、五十六億七千万年という長いときを必要とするのか。人々は約された未来の理想の社会のために、これまで何を捧げてきたのだろうか・・・。そして、これからも・・・。

次に語られるのはナザレのイエスの時代。彼はある大きな存在に操られた存在であった。十字架に磔にされたことすらも、計画の一部にしか過ぎず、イエスはその後、地球の管理委員となる。

そして、阿修羅王や、シッタータ、オリオナエまたはプラトン、イスカリオテのユダたちの戦いが始まる・・・。しかし、その戦いすらも、はじめから誰かに決められたものであったのか。宇宙は広く、外へ外へと広がり、長い時ですら、相対的には短い一瞬にしか過ぎない。人間が生きるこの地球、銀河系は狭く、人の一生などまさに一瞬。そうして、阿修羅王の前には、また新たな道が続いていたのだ・・・。

と、こんな風に、纏めてみても、やっぱりあまり理解したとは言えないかもー。何とも壮大な物語です。一緒にたゆたいながら、読むのがいいのかなぁ。長いときを経て、揺るぐ事のない阿修羅王(年若い少女の姿で描かれる)も素敵です。

あ、どうでもいい一言を言うと、小説の中では、「ほのお(炎)」が「ほのほ」と表記されているのですね。で、「ほのほの世界」と書いてあったのを、最初、そのまんま「ホノホノセカイ」と読んで、何だか楽しそうな世界だなぁ、と思ってしまいました。・・・そんなわけないよね。


*臙脂色の文字の部分は本文中より引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡下さい。

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オンライン書店ビーケーワン:ぬすまれた夢

ジョーン エイキン, Joan Aiken, Margaret Walty, 井辻 朱美, マーガレット ウォルティー

ぬすまれた夢

くもん出版

段落と一体化したような美しい絵に、ちょっぴり奇妙な風味の童話。巻頭にはそれぞれの短編からとった、カラーページもついてます。こういう本は大好き♪ 楽しかったな~。

目次
虹の最後のかけら
ぬすまれた夢
鍵のかたちをした葉っぱ
さけぶ髪の毛
女の子を愛した木
探しもの―足をひと組
世界一の画家
おふろの中のクモ
ことばをひとつ
 訳者あとがき


「虹の最後のかけら」
お気に入りの歌を忘れてしまった西風に、歌を思い出させてあげた男の子、ジェイスンは、そのお礼に「自分の虹」を望む。けれども、それは西風にも難しい注文なのだという。虹の貰い方を教えてもらったジェイスンは、早速<クジャクの滝>へと向かい、「ぼくだけの虹」を貰うのだった。
滝の精霊が言うには、虹をしまっておくのは難しい、家まで持って帰れたら驚きだということなのだけれど、ジェイソンが家へと向かう道にも、様々な障害(?)が・・・。
いやー、錠を開けられたり、プディングに入れて食べると元気が出たり、包帯の代わりになったり、虹って何でも出来ちゃうんだよね。最後の西風とジェイスンの会話がいい。

「ぬすまれた夢」

少年、クレムが見たすてきな夢を、<歯の妖精>が盗んでいった。他の妖精たちが言う事には、<歯の妖精>はあらゆるものの裏側にある、<月の島>の中の歯で出来たお城に住んでいるのだという。クレムは妖精たちの力を借りて、<歯の妖精>の元へと辿り着く。
<歯の妖精>は、世界で一番年寄りの妖精。真っ白な世界で孤独に暮らす、<歯の妖精>を哀れに思ったクラムは・・・。

「鍵のかたちをした葉っぱ」

葉っぱを十二枚受け止めて、一枚一枚全部違う木のだとしたら、そいつは魔法。
石のゴブリンに唆されたティムは、すっかり小さくなって、ほら穴に閉じ込められてしまう。

「さけぶ髪の毛」

まだ幼い五つの時、両親がいない間に、誤って名付親の妖精、猫に化けていたクリムプルシャムの髭を切り落としてしまった王女、クリスティーナ。以来、クリスティーナの髪の毛は、いやらしい小さな声を片時も休めることなく、彼女の悩みの種となった。ところが、この声はクリスティーナにしか聞こえない・・・。

「女の子を愛した木」

世界中でポリーほど可愛い女の子はいない。カシの木は、いつだって彼女を見守っていた。けれど、女の子は木よりも早く大人になる。ポリーはこの小さな村を出て行ってしまい、カシの木は悲しむばかりなのだけれど・・・・。

「探しもの―足をひと組」

みえっぱりで、いばりや、ずぼらで、いいかげんで、テニスがうまい男の子、カル・フィンホーン。何の気なしに蝶を叩いて気絶させてしまったカルだけれど、その彼の前に、なんとつばさのあるものたちの女王、エスクレアモンドが現れた。カルの態度に怒ったエスクレアモンドは、彼の両足を自由にしてしまう。自由になった両足は、彼を見捨ててどこかに行ってしまう・・・。

「世界一の画家」
海辺で、水の精、ケルピーに出会った少年、マイケル。マイケルの夢は画家になること。
これだけは、ちょっとハッピーエンドとはいえないのかなぁ。ケルピーの約束、人々の評判。世の評判とは難しいもの。

「おふろの中のクモ」

淋しくて退屈していたエンマ姫は、自分勝手で意地悪な性格に育ってしまった。悪いことに、エンマはひいおばあさんから、魔女の素質をすこーしだけ、受け継いでいた。エンマはその素質を日々、鍛錬するのだけれど・・・。

「ことばをひとつ」

みじかい無作法な言葉を使う、少年、ダン。ある日、通りで出会ったおばあさんに、いつものように無作法な言葉を投げつけたダンは、無作法な言葉を使うたびに、体中のどこかが透き通るようになってしまった。
両親はダンに学校をやめさせ、山におくって羊飼いにすることにした。人がいない山の中で、羊だけを相手にしていれば、暴言を吐くこともなく、言葉を出す前にきちんと考えるようになるはず・・・。
この話のみは、ちょっと教訓めいているけれど、ダンが知る「ことばのつかいかた」はなかなか奥深い。おばあさんが言うように、「ことばとは調味料のようなもの。多すぎるのも、少なすぎるのもこまりもの」なんだよね。
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カズオ・イシグロ, 小野寺 健, Kazuo Ishiguro「女たちの遠い夏

カズオ イシグロ, Kazuo Ishiguro, 小野寺 健

遠い山なみの光


カズオ・イシグロの「女たちの遠い夏」。原題は、「A Pale View of Hills」ということで、私が読んだのはちくま文庫版「女たちの遠い夏」なんだけど、ハヤカワ文庫から出ているものは「遠い山なみの光」というタイトルになっているそう。訳者も同じ方のようだし、これ、中身は一緒なのかなぁ? 原題に近いのはハヤカワ文庫だけれども、読み終わってみると、ちくま文庫版のこのタイトルも、翻訳としてはとてもいいな、と思う。

イギリス人の夫と二度目の結婚をし、イギリスに移り住んだ日本人女性、悦子。日本人の夫、二郎との子供、景子の自殺という事態に直面した彼女は、帰し方を振り返る。

もう、全編、カズオ・イシグロならではの、「信頼ならざる語り手」の風味が満載。この作家の場合、書かれていることよりも、書かれていないことの方が、実は重要だったりするので、うーむ、実際はこの時何が起こったのだろう?、この人はどう考えていたのだろう?、と色々想像しながら読みました。こういう書き方のスリリングさに、慣れてくると、ゾクゾク、ドキドキしちゃうなぁ。

悦子が思い出すのは、主にあの夏の出来事。彼女が一人目の子供(景子?)を妊娠中に、過ごした戦後の長崎での思い出。

まだ親子が同じ家に住む事が当たり前だった時代、新婚の二郎と悦子が暮らしたのは、狭いけれどそれなりに現代的で、若夫婦が多く暮らすアパート。その夏、二郎の父、「緒方さん」は、悦子たち夫婦の元に逗留する。

「緒方さん」が象徴するのは、価値基準が変わってしまった世の中で、上手く適応することが出来ない人間。生涯を教育に捧げた「緒方さん」だったけれど、戦後においては、アメリカによる民主主義が幅を利かせ、戦前の教育は全て悪であるとされた。息子もまた、自分自身の仕事に忙しい現役世代だからして、父親のそんな気持ちを顧みることはない。この父子の将棋の場面など、かなり切ない。悦子のみが、その「緒方さん」の気持ちに寄り添うのであるが・・・。見たことないんだけど、ちょっと小津映画の『東京物語』のようでもあるのかな?

いま一人、登場するのは佐知子という名の、少々得体の知れない女。彼女は所謂、「アメリカさん」であり、悦子たちが暮らす集合住宅から少し離れた古い木造の家に、娘、万里子と暮らす。悦子は何かと彼女たち母子を気に掛けるのだけれど、佐知子の態度はあまりいいとは言えない。本来は名家の嫁であり、戦争さえなければこんな暮らしをしてはいなかった、と薄笑う彼女。口では娘の幸せが一番、と言いながら、娘の万里子を放っておいたり、万里子が飼っていた子猫を引越しに邪魔だから、という理由のみで殺してしまったりなどと、母親としてもちょっとどうか、という感じ。佐知子が象徴するのは、自分自身の幸せや可能性のみを追求する人間なのかなぁ。学校に行っていない娘の万理子も、一風変わった感じで、それは悦子の自殺した娘、景子の生前の引き篭もる様にも通じている感じ。

日本を棄てて、アメリカに出て行こうとする佐知子。端から見れば、そんなあやふやな可能性に、自分や娘の人生を賭けてもいいのか?、と思えるのだけれど、不確かなものだと分かっていても、何もない人生よりは余程ましだと佐知子は言い切る。

多くは語られないけれど、それはきっと日本人の夫、二郎と別れ、イギリスに渡った悦子の生き方とも重なるはず・・・。

回想する悦子の傍にいるのは、イギリス人の夫との間に生まれた娘、ニキ。ニキは悦子の生き方を肯定するけれど、ニキ自身の人生への母親の干渉は固く拒む。そして、ニキもまた、親の干渉を拒んだ自分の世界、彼女の居場所であるロンドンへと帰っていく・・・。

様々な価値観、阻害されたコミュニケーション、脆弱な世界・・・。こう並べると否定的にも思えるけれど、興味深く、面白く読みました。全編を覆うのは、何となく不穏なイメージだし、「幸せです」と言い切るたびに、不幸や不安が覗く感じなのだけれど・・・。

うーん、そしてこれは、悦子=佐知子で、景子=万里子なのでいいのかな。佐知子母子と妊娠中の悦子の三人で、長崎のケーブルカーに乗ったときの思い出について、「あの時は景子も幸せだったのよ」とあるのだよね。やはり、カズオ・イシグロは油断がならないのでありました・・・。


■カズオ・イシグロの感想
・「
わたしを離さないで 」/この無慈悲な世界の中で ← これにて瞠目
・「
わたしたちが孤児だったころ 」/揺らぐ世界の中で・・・・
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シオドア スタージョン, Theodore Sturgeon, 山本 光伸
きみの血を  

陸軍軍曹で精神科医の、フィリップ・アウターブリッジ(フィル)と、アルバート・ウィリアムズ大佐(アル)との往復書簡によって、物語が動いていくという、ちょっと変わった形式の物語。

海外駐屯地で少佐の鼻を殴って、フィルが勤務する陸軍神経精神病院へと送られてきた、兵士ジョージ・スミス。アル大佐は、ジョージは正常であり、適当なテストの後、自由の身にしてやるようにと、部下であり友人でもある、ドクター・フィルにオフレコで頼むのだが・・・。

そもそも、ジョージが少佐を殴ったのは、故郷にいる恋人、アンナに送った手紙の内容について、問いただされた場において。孤独と釣り、狩りを好む、大男であるジョージ。「なぜ狩りをするのか」。この質問もまた、彼にとって禁忌なようである。この質問を少佐にされたジョージは、コップを握り潰して、少佐に殴りかかろうとしたのだ。ジョージが恋人、アンナに送った、たった三行の手紙。その内容とは一体どんなものだったのか?

フィルが少しずつジョージの謎に迫る毎に、薄紙を剥ぐ様に、ごく普通の、若しくはちょっと寡黙なだけの人間であるかのように見えた、ジョージの異常性が少しずつ明らかになっていく。ミステリとして読んでも、サイコ・ホラーとして読んでも、これは結構怖い物語。

中盤、テストの一環として、フィルがジョージにこれまでの自分について、客観的に書いてみるようにと指示し、ジョージによる約80ページ程の手記が語られる。例えばそこで語られる森の様子、狩りの様子は、生き生きと魅力的だし、不幸な子供時代、少年時代も、貧しいアメリカとして、時に読むことがあるものだ。でも、きっと、これを読む人は、この物語を最後まで読んで、もう一度この手記に戻るんだろうなぁ。確かに、全てはそこに書いてあるのだもの!(でも、こんなの気付けないってば)

シオドア・スタージョンはSFの巨匠であるそうだけれど、この物語ではSFっぽいのは、あえて言えば、最初と最後の字体が違う部分、この物語全体を俯瞰するような視点のみかなぁ。もっと読み辛いと思っていたのだけれど、ジョージの秘密が気になって、どんどん読み進めてしまいました。うーん、巧い! でも、ジョージに「わかるだろう?」といわれるたびに、ちょっとゾッとしました。ジョージがそうなってしまったのも分かるけど、でも、その行為については分かりたくないよー、という感じ。

(あ、一点、ジョージの父さんの会話文の訳が気になりました。英語が上手く話せないヨーロッパ系移民ということで、ああいう話し方になっちゃったのかなぁ。ちょっと緊迫感が削がれましたよ(おう、ええ匂いやんけ」とか、そりゃないよ~)。
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宮崎 駿

シュナの旅  
徳間アニメージュ文庫


目次
旅立ち
西へ
都城にて
襲撃
神人の土地へ
テア


映画「ゲド戦記」の原案となった作品とのことですが、これは実に勿体無いなぁ。私がお借りした本の奥付によると、初版は1983年6月15日で、私が読んだのは2006年8月15日の67刷であるらしい。こんなに古くから、宮崎駿監督が温めていた物語。あとがきには、「現在の日本の状況では、このような地味な企画は通るはずもありません」とあるけれど、版を重ねている事からも、そんなことはないと思うのだよね。こういう「地味な物語」を受け入れられる程に、日本のアニメ映画も十分成熟したと思うのだけどな。物語の骨格もいいし、イメージもまた美しい。

物語の内容については、amazonから引いてしまいます。

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宮崎駿が描き下ろしたオールカラーの絵物語。1982年「アニメージュ」にて『風の谷のナウシカ』の連載を開始したのとほぼ同時期に描かれた作品である。水彩の淡い色をいくつも重ねて着色した絵が美しい。
作物の育たない貧しい国の王子シュナは、大地に豊饒をもたらすという「金色の種」を求め、西へと旅に出る。つらい旅の途中、人間を売り買いする町で商品として売られている姉妹と出会う。彼女らを助けた後、ひとりでたどり着いた「神人の土地」で、金色の種を見つけるが…。どんな状況にあっても、生きようとする人間のたくましさ。強い心だけが生みだすことのできる、やさしさ。そして、弱さと無力さ。宮崎は、短い物語のなかに、そんなものを、ただそのまま描き出してみせる。

世界観の作りこみとそれを表現する絵の力は圧巻。特に「神人の土地」にあふれる虫、植物、巨人、月の造形には、一切の迷いが見らない。彼の頭のなかに広がる原風景を見せられているようで、生々しいほどの迫力に満ちている。死と生、喜びと恐怖の一体となったこの世界観は、以降の宮崎作品にも幾度となく登場する。

チベットの民話に感銘を受けた宮崎が「地味な企画」ということでアニメ化を断念し「自分なりの映像化」を行ったものが、本作である。だがアニメという万人に向けた形をとっていれば、また違うものになっていたはずだ。淡々と、厳かに物語が進行する本書の独特の雰囲気は、絵物語という形態であればこその魅力といえるだろう。(門倉紫麻)


残念ながら、この「シュナの旅」の元となったという、チベット民話『犬になった王子』は見つけられなかったのだけれど(もしかして絶版?)、その他、見つけられた範囲で気になるチベット民話関連の本。
オンライン書店ビーケーワン:チベットのものいう鳥    

関根 房子
チベット民話28夜物語
大塚 勇三, 秋野 亥左牟

石のししのものがたり―チベットの民話による

君島 久子

ケサル大王物語―幻のチベット英雄伝

大塚勇三さんといえば、児童書の訳者として、随分お世話になった方なので(リンドグレーン、プリョイセン、プロイスラーなど)、『石のししのものがたり』が一番気になるかな。でも、調べていたら、君島久子さんも、実は自分にとって懐かしい方だということに気付きました。下に出した画像の本も、君島久子さんによるもの。

←これ、子供の頃、紙芝居を作ったりしたんだ。中国のお話だったのね。

チベットといえば、政治的にも難しい地区だけれど、民話の伝承などはどうなっているのかなぁ。中国やモンゴル、インドなんかとも、似た系統の民話があるのかしらん
(あ、でも、インドの民話ってイメージ湧かないなぁ。色々な神様が出てくるのでいいのだっけ?)。

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テーマ:
小野 不由美
東亰異聞

このごろ、都に流行るもの。
人に火をつけ、突き落とし、自らは全身火達磨となって姿を消す火炎魔人に、赤姫の衣装を纏い、鋭利な爪で人を斬り殺す闇御前。人魂売りに、首遣いに、居合い抜き・・・。
御一新からこちら、曖昧なものは姿を消し、合理的な考えが良しとされる世の中になったというのに、これらのものどもは、まるで物の怪、妖怪のよう。

果たして、これらのものどもの背後には人がいるのか? それとも、御一新後にたわめられた夜の眷属、闇のものどもが、跳梁跋扈しているのか?

舞台は、東京のパラレルワールドのような街、帝都・東亰。謎に迫る探偵役には、帝都日報の記者、平河新一郎に、大道芸師の顔役の万造。幕間の語りのように挟まれるのは、謎の黒衣の人物と、黒髪も艶やかな人形との遣り取り。

目次
序幕  ちかごろ、帝都に跋扈する者ども
第一幕 さて、闇の華とは
第二幕 一方、夜の華とは
第三幕 夜の底、魚の回遊
第四幕 夜の者、満願成就の場
大詰  時代転変
解説  野崎 六助


小野不由美さんを読むのは初めてだったんだけど、これは面白かったー。闇の華、夜の華に引き込まれた。

軟泥の上に築かれた街、東亰とくれば、やはり東京を思い出すわけだけれど、現実の東京とはすこーし重なって、すこーし違うのかな。明治二十九年を舞台とし、江戸から東亰へと変わった明治元年からの歴史の流れも描かれるわけだけど、この辺り、あまり知識がないので、ここに描かれたことが真実なのか、そうではないのか、良く分からなかったりもする。

さて、火炎魔人と闇御前を追う内に、探偵役の平河と万造が突き当たったのは、鷹司公爵家のお家騒動。常と直。同年に違う腹から生れたものの、先代の正室、初子は次男の常ばかりを可愛がり、莫大な鷹司家の遺産、全てを常に残すのであった。家督は本来長男が継ぐべきもの。直の周辺も、これには黙っていないようなのだが・・・。

お家騒動はともかく、延々と続く呪詛の念の恐ろしさや、黒衣の男の底知れなさが不気味でもあり、魅力的でもあった。大詰では、全ての枷が解き放たれて、まるですとんと布を落とされたように、背後に広がる大きな世界が一気に姿を現す。

歌舞伎の知識があるとちょっと楽しいのかな。ところで、あの人形は八百屋お七が変化したものでよいのかなぁ。ちょっと謎。

「闇とは、黒でも白でもない。ただひとつのもので塗りつぶされたもののことだ。夜とはそのように、ただひとつのもので塗りつぶされたもののことなんだよ」

瓦斯灯などでは、決して追い払えない、闇や夜。現代では夜の者どもは、どこへ行ってしまったのでしょうか。会いたいようでもあり、会いたくなくもあり・・・。

*臙脂色の文字の部分は本文中より引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡下さい。
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