旧・日常&読んだ本log

流れ去る記憶を食い止める。

2005年3月10日~2008年3月23日まで。

以降の更新は、http://tsuna11.blog70.fc2.com/で。


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こんな風に大振りのものから、


こんな風にいたって小振りで、密集したものまで。


色も形も様々なツツジ。
道を歩いていても、いい香りが漂う。

久しぶりに画像をアップしたら、編集画面が変わっていて驚きました。でも、随分使い易くなりましたね。一記事10画像までの制限もなくなったのかな。

というわけで、タイトルには関係ないおまけ画像。

しばらく写真を撮っていなかったけれど、八重の桜の花は落ち、梅の実が膨らみ、藤の花が咲いていた。季節は確実に変わっている。

なんだかんだで、写真を撮ることはいいストレス解消になっているのかも。自分の目と感覚で切り取った世界って面白い。また、何か撮りに行きたいなー(とはいえ、今回の画像は思いっきり携帯カメラ。汗 目的地の途中にたまたま花が咲いていたから、撮ったというだけなのであった・・・)。
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有閑マダムさんの所で知った本書。分厚いです、重いです(内容、質量共に)。

有閑マダムさんの記事はこちら

マイケル ギルモア, Mikal Gilmore, 村上 春樹
心臓を貫かれて
 
目次
プロローグ
第一部 モルモンの幽霊
第二部 黒い羊と、拒絶された息子
第三部 兄弟
第四部 ある種の人々の死にざま
第五部 血の歴史
第六部 涙の谷間に
エピローグ

何とも刺激的な「心臓を貫かれて」というタイトルに、心臓を描いた表紙。

ここでいう、「心臓を貫かれて」とは比喩表現ではない。実際に、著者マイケル・ギルモアの兄、ゲイリー・ギルモアは「心臓を貫かれて」死んだのだ。

モルモン教においては、かつて「血の贖い」と呼ばれる一つの教義があったのだという(ただし、近年に至っては、モルモン教会はこのような解釈を否定している)。

 もし人が命を奪ったなら、その人の血は流されなくてはならない。絞首刑や投獄は、罰としても償いとしても十分ではない。死の方法は、神への謝罪として、地面に血をこぼすものでなくてはならない。      (P43より引用)

著者の兄、ゲイリー・ギルモアは、二人のモルモン教徒の青年を殺害し、死刑宣告を受けた。おりしも、時代は死刑制度を復活させたばかりであり、更に犯罪の舞台となったユタ州は、死刑復活の法案をいち早く通過させた最初の州のひとつだった。

ゲイリー・ギルモアは現代アメリカにおいて、時代を代表する犯罪者の一人であり、彼の生涯はベストセラー小説の題材となり、テレビ映画にもなったのだという。この現代において、正直、人を二人殺したからといって、(それは勿論大変な事ではあるけれど)稀代の犯罪者となるわけではない。ゲイリーが有名になったのは、罪科の故ではなく、自らの処罰決定に彼自身が深く関わったから。ゲイリーは死刑判決に対して上告する権利を放棄し、刑の執行を望み、望みどおりに銃殺されたのだ。日本で言えば、池田小児童殺傷事件の宅間守を思い出す。彼らの望みどおりという意味で、「死刑」は既に罰ではなく、合法的な自殺であったとも言える。

さて、本書はこのゲイリーの実弟マイケルが著したものであり、なぜゲイリーが殺人を犯し、銃殺刑を望むに至ったのか、彼らの両親の育った環境まで遡って、丁寧に辿られる。年の離れた兄弟であったゲイリーとマイケルは、その生活環境や少年時代の家庭環境においてもかなり大きな隔たりがあり、マイケルはこの本を書くことによって、家族を取り戻したのだとも言える。たとえそれが、おぞましく暗い家族であったとしても。

そんなわけでこの本には、死刑制度の問題や家族の問題、虐待の問題、家族における秘密の問題、宗教の問題など、どれをとっても重いテーマが含まれている。

人は怪物になることが出来るし、怪物を作り出す事も出来る。
しかもそれが、本来守られるべき、憩うべき場所である家庭で起こることもしばしばあるのだ。

ここからは、細部の感想になります。
長いけれど、よろしければお付き合いくださいませ。

 一人また一人、順番にみんなが死んでいくのを見てきた。最初は父だった。それから兄のゲイレンとゲイリー。最後が母―見る影もなく打ちのめされ絞りとられたひとりの女。あとに残ったのは末っ子の僕と、長男のフランクだけだ。でもある日、家族の歴史の苦痛に耐え切れなくなったとき、フランクは何も言わずに陰の世界へと足を踏み入れていった。        (P24より引用)

 僕は今、家族の中に戻っていきたいと思っている―その物語の中に、伝説の中に、記憶と遺産の中に。僕は家族の物語の中に入り込みたいと思っている。ちょうど僕が、みんなで少年時代を過ごしたあの家を囲む夢の中に入り込みたいと、ずっと望んできたように。そこに入り込んで、いったい何が夢を台なしにして、かくも多くの生命を破滅に追い込んだのかを、探り当てたいと思う。
 どうやら家族の過去の構造が、僕にとっての謎の中心にあるらしい。その過去の歴史を検証することによって、解決の鍵を―そうか、こいつがかくも多くの喪失と暴力をもたらしたのか―見出すことができればと思う。それが解明できたなら、僕はさらなる喪失をまぬがれることができるかもしれない。
 僕は過去に戻る。自分には何も見出せないかもしれないと危惧しつつ、あるいはその一方で自分があまりに多くのことを見出してしまうかもしれないと危惧しつつ。でもこれだけのことはわかっている―僕らはみんな、僕らが生まれるずっと前に起こった何か、知ることを許されなかったその何かに対しての代償を支払ってきたのだ。   
                     (P25より引用)

読者はマイケルとともに、この家族の中に深く入り込んでいく事になる。

四兄弟のうち、年の離れた兄弟であったマイケルは、幸いにも他の兄弟たちのように父に虐待されて育ったわけではなかった。彼らの父フランクは、息子が彼に反抗することを許さなかった。父が年老いたということもあるけれど、マイケルの場合、反抗期を迎える前に、父が亡くなってしまったというわけ。兄弟のうち、真に父親を愛す事が出来たのは、唯一マイケルだけであるといえる。意味もない精神的、肉体的虐待を受けた相手を愛する事は難しい。愛して欲しいと願っても、返って来るのは虐待ばかりなのだ。また、マイケルは一つ所に落ち着いて暮らすことが出来たが、他の兄弟達はそうではなかった。彼らはまるで何かから逃げるように、移動に移動を重ねる家庭の中で育ち、そこには常に父による暴力があった。

しかし、以下の言葉もまた真実なのだろう。地獄を共にする事で、家族となるのであれば、その地獄を共有しなかったマイケルは、真に家族であるという実感をもてなかった。であるから、マイケルはこの本を書かなくてはならなかったのだろう。

 おそらく、同じ地獄を通り抜けなくてはならなかったが故に、たとえ一時的であるにせよ、兄たちはほんものの兄弟であったのだ。それらの写真に写っている顔を目にするとき、僕は彼らを憎む。憎みたくなんかないのだが、憎まないわけにはいかない。兄たちを憎むのは、彼らの写真の中に僕が含まれていないからだ。兄たちを憎むのは、僕が彼らの家族の一部ではないからだ。たとえそれがどのような恐ろしい代償を求められることであったとしても。     (p77より引用)

僕らはみんな、僕らが生まれるずっと前に起こった何か、知ることを許されなかったその何かに対しての代償を支払ってきた」。本書には時々オカルトチックな場面が出てくるのだけれど、それらの現象はここでいうこの「何か」に端を発しているように見える。彼らの父であるフランクが抱えていた謎、母ベッシーが、兄ゲイリーが墓場まで持っていってしまった謎。ネタバレしてしまいますが、本書の終わりに至るまで、実はこの謎は解明される事はない。ノンフィクションではあれど、この謎にミステリー的な興味を抱いた私には、ここの部分はちょっと肩透かしではあっ

少々の事では動じないと思われる、母ベッシーや兄ゲイリーが立ち聞きしてしまったことを後悔するほどの、父の抱えていた大きな謎。それは一体どんなに恐ろしいものだったのか。家族は秘密を抱えたまま、家族たりえるのか。それが分からない事で、余計恐ろしいものに見えるようにも思うし、暗い、重い秘密は染み出て、その家族に影を落とすのではないか、とも思った。「謎」を抱えたまま、人生を生き抜くのは辛いこと本書を上梓したあとの、マイケル・ギルモアの人生も気になる。

呪われた家族の、たった二人の生き残りである、長兄フランクと著者マイケル。フランクはこの家族にその最期まで付き合い、マイケルはそこから逃げ出す事で、成功した音楽ジャーナリストとなった。マイケルが探し当てたフランクは、傍目には成功したとはいえないし、惨めな環境にいたけれど、その心は美しかった。あんな環境に生まれ育ち、色々な苦しみを受け、家族の面倒を引き受けた後、ひっそりと姿を消していたフランク。なぜにこんな崇高な心をもてたのか。美しい何かを自分の代わりとして愛することで、自分の状況に関係なく力を得る事が出来る。物語の中にそういった場面が出て来るときは、いつも陳腐だと思っていたのだけれど、現実のこの関係はとても美しかった。フランクは孤独ではあるけれど、愛を知る人なのだと思う(しかし、苦難ばかりの人生の中で、一体どこで愛を学ぶ事が出来たのだろう! そして最後に明かされる一つの秘密は皮肉でもある)。

 「俺は思った。『おれたちのうちの一人は―たった一人だけだが―なんとかうまく抜け出せたんだ。成功したんだ。そっとしておいてやらなくちゃならない。幸福なままにしておいてやらなくちゃならない。それがせめてもの俺にできることだ。そのまま行かせてやろう。あいつが家族の絆に縛られていなくちゃならない理由は何もないんだもの』ってな」       (P569より引用)

家族の中を、いつも絶望、暗闇が支配していたわけではない。しかし、彼らのうち誰かが、家族に救いを求め、転換点となり得る時点があったとしても、この家族は彼らに救いを与える事は出来なかった。いつもタイミングがずれていたのだ。そういう意味で、確かにこれはこの家族にかけられた「呪い」だったのかもしれない。

また、「荒廃」という言葉が何度となく出てくるので、何となく荒れた食事風景や汚い生活環境を思い浮かべるのだけれど、ボロボロの家に住んでいた時期もあるとはいえ、最終的に彼らは美しい家に住んでさえいる。両親とて、「家族をやり直す」こと、きちんとした家庭を作る事を全く望まなかったわけではないのだ。しかし、美しい家、美味しい料理などの目に見える形が、家族を救うわけではない。母ベッシーは「美しい家」に狂信的に固執するし、美味しい料理はいつも喧嘩の材料として床に投げ捨てられるためだけにあった。

でも残りの僕らは、最終ページのまだその先まで、人生を生きていかなくてはならない。その人生の中では、死者達の残した波が収まることは、絶えてないのだ。
                                  (P547より引用)
わたしたちの人生は死のその瞬間まで続く。
本書を読んだ事で、私の中にも一つの波が出来たように思う。

*臙脂色の文字の部分は本文中より引用を行っています。何か問題がございましたら、ご連絡ください。
*既に文庫化もされているようです(文春文庫より刊行)
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夕刊に載ってたビジュアルが結構衝撃だったので、検索をかけてみた。
実はちょっとイメージとは違ったんだけれど、でもやっぱり、これは「間宮兄弟」だ!「そもそもありえない」を実写にすると、こうなるわけね、なるほどー。

雪の結晶公式サイトはこちら 雪の結晶
(予告も見られますよー。「スペシャル」も楽しい!)

佐々木蔵之介さん、結構好きなのですが、ちょっと笑っちゃうよな~、このビジュアル。でも、なんかいい雰囲気が出てる感じ。

私の原作本の感想はここ 。ちょうど一年前くらいに書いた感想で、もうそんなに経ったのかと、ちょっと吃驚。

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ネット兄貴のとらにーさまより、「あいつバトン 」なるバトンを手渡されました。

とらさんも、私と同じくとらさんからバトンを手渡されたペトロニウス さんも、ネット上の擬似兄弟ということで、兄弟物であるという「創竜伝」を絡めた記事を書かれておりますが、私はこの本、読んだことがないのでした。ガーン。

しかし、そもそも何で見も知らぬ人を「兄貴」呼ばわりする事になったのか。笑
まぁ、そこに「兄貴オーラ」があったから、としか言いようがないんですが。笑
ネット上にはそんな「兄貴」なとらさんの、その又「兄貴」がいらっしゃるようで、関係性って面白いもんだなぁ、と思いました。

私もネット上には、もう一人の兄貴、ペトロニウスさんがおられるのですが、とらさんと同じく「兄貴」であっても、少し違う距離、違う存在であることも面白いです。
最近は、とらさんは何となく「とらにーさま」な気分、ペトロニウスさんは「兄ペトロニウス!(なぜか叫び気味。笑)な気分です。笑

では、いってみます。

1 あいつの名前を教えてください

とら兄貴もしくは、とらにーさま

2 ぶっちゃけあいつとどういう関係?

ネット(ブログ)で出会ったおにーさま。
「とら」に対しては猫に、「にーさま」に対しては、幼い五才くらいの妹になったりしています。いや、ほんとは自分、あんまり可愛げのあるタイプではないんですけど。これまた一つの関係性なんでしょうなー。

3 あいつを色でたとえると?

それはやっぱり、黄色と黒でしょう。笑 プロフィールにも書いてあるし。
あとは、ブログのカラーから、ちょっと和っぽいピンク。この獅子のスキンの前がどんなのだったかは忘れちゃったけど、このデザインも長いですよねえ?
「とら」スキンが出来ればいいのにねえ。笑

4 あいつを四文字熟語で例えると?

四文字熟語じゃないけど、四文字で表すならば「余裕綽々」かなぁ。
「とら」だけに、「威風凛凛」なんて如何?笑

5 あいつの良いところ、ひとつ教えて

本に関しても、人に対しても分け隔てがないところ。かつ、怒るべきときは怒り、言うべき事はきちんと言える精神の強さ。

6 あいつの嫌な所ひとつ教えて

ないですよー、なんせ「にーさま」ですから!笑
(こう、幼い妹が年の離れた兄を崇拝するイメージだな、これ、まさに。笑)

7 あいつに唄わせたい歌は?

イタリア歌曲「すみれ」。
音楽バトン2 」の時に、とらさんが私にたとえて下さったのですが、わかんなかったので。笑 ・・・男性も歌えるものなんだろうか。

8 あいつと遊びに行くならどこ?

「とら」だからなー。草原とか?笑
背中に乗って、走り回る!(走り回るのはとらさんで!)

9 あいつと一日入れ替われたら、何をする?

憧れの書庫に篭る!笑

10 この場を借りて、あいつに言ってやりたいことがあれば

記事の更新、楽しみにしてます♪
「手当たり次第の本棚」の充実も、「ふかふか」もー、「虎精伝」もー!笑
<欲張り。笑

ここで、本当はお決まりの「バトンを渡す人は誰?」の出番となるのですが、今回は回さない方向で。以前似たのをやってるような気もするし。笑

最近、ネットにかけられる力が減ってはいるのですが、これまで出会った人たちとの関係も、これからまた出会う人たちとの関係も大事に出来たらなー、と思います。新たな兄弟姉妹やお仲間になってくださる方、まだどこかにおられるのでしょうか(いや、兄弟姉妹に限定するわけではないんですけど。笑)。
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朱川 湊人 花まんま

大阪の下町を舞台に描かれる、どこか淋しく、やさしい六篇の物語。

目次
トカビの夜
妖精生物
摩訶不思議
花まんま
送りん婆
凍蝶

「トカビの夜」
東京から都落ち同然で移り住んだ、Sという下町にある文化住宅。両親はその境遇に慣れないようであったが、少年だったユキオは袋小路で近所の子供達と黄金の日々を過ごした。みなが、同じように貧しい中に、ある外国籍の家族が暮らしていた。
「トカビ」とは、本当はトッカビやトッケビ、トクカビと発音される、朝鮮のいたずらばかりする子鬼のこと。日本で生まれ育ったチュンジの発音では、「トカビ」となる。病がちだったチュンジの弟、チェンホが亡くなってから、近隣で奇怪な出来事が多発したのだが・・・。

「妖精生物」
少女の頃、「私」は国電の高架下で、クラゲのような『妖精生物』を買った。性の目覚めを表すかのような、妖精生物の不思議な感触。妖精生物は幸せをもたらすのだという、男の言葉とは裏腹に、世津子の家族を不幸が襲う。怒りを覚えた世津子は、妖精生物を叩き捨てる。
この話の怖いところは、最後の部分。妖精生物は彼女に、「その幸せでいいのか?」と問いかける。

「摩訶不思議」
アホな死に方をした、ツトムおっちゃんの話。ふらふらと定職に付かず、女のヒモのようなことをしていたおっちゃん。人並みの葬式をとの願い(というか兄の見栄)むなしく、最後までおっちゃんはやってくれる。
女性陣が強いお話。

「花まんま」
俊樹の大事な妹フミ子。父亡き後、俊樹はフミ子を更に大切に思う。30ちょっとの若さで亡くなってしまった父は、フミ子が生まれた時、感極まって病院の玄関でバンザイしてしまうほど、その誕生を喜んだ。
大事な大事な妹フミ子。俊樹がお父ちゃんに守ると約束したフミ子。いつからか様子がおかしくなった彼女は、前世を思い出したのだという。前世での父を心配したフミ子は、そこに行きたいと願うのだが・・・。損な役回り、兄貴の思い。

「送りん婆」
送りん婆は、「送り言葉」を聞かせて、魂と肉体を切り離す。これによって、ひどい苦しみの中で死を待つしかない人々に、近しい者達との別れの時間をおくる事が出来るのだ。先代送りん婆に、後継者と見込まれたみさ子の少女時代のお話。
「送りん婆」であるおばさんの、ただ一度の「外道」は苦い。戦時中には実際にあっても不思議ではないお話。

「凍蝶」
蔑まれる家に生まれた、ミチオの話。子供の世界は、大人の世界の差別を如実に反映する。寂しい少年であった、ミチオが出会い、ほのかな恋心を抱いたミワさんのお話。
凍蝶とはミワさんの故郷にいた蝶。そして、ミワさんもまた蝶であった。

書いてみて思ったけれど、どの短編においても、本当に死が身近。であるからして、この世とあの世との境界も朧。「送りん婆」「凍蝶」の二編が、良かった。

大阪に土地勘が全くないので、良く分からないのだけれど、かの地をご存知の方なら、どう読まれるのかなぁ、と思った。あくまでも物語の中の虚構の舞台なのか、それとも、本当にこういう雰囲気が色濃く残っているのだろうか。

みすじゃん 。」のおんもらきさんの記事にリンク
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レオポルド ショヴォー, L´eopold Chauveau, 山脇 百合子
きつねのルナール

表紙扉からそのまま引きます。

この本の原典『狐物語』は、十二世紀後半から十三世紀の中ごろにかけてのフランスで、多くの書き手によってつくりあげられた<動物叙事詩>。動物たちを登場人物とした物語の中に、中世という時代の風物や雰囲気、そこに生きる人々の暮らしぶりと思いを生き生きと描き出した傑作です。定評あるレオポルド・ショヴォー編の現代語訳から二十二のお話を選び、親しみやすい日本語に移して、現地取材の成果をもりこんだ豊富な挿絵をつけました。

訳と挿絵を担当されているのは、「ぐりとぐら」シリーズのイラストでお馴染みの、山脇百合子さん。表紙もいかにも可愛いでしょう。豊富な挿絵も目が楽しい。表紙の絵と「中世フランス」の二つに惹かれて、借りてきたもの。

収録されているのは、[1]そもそものはじまりから[22]ルナールとお百姓のリエタールまで。

自分が生きる、また妻子を養うためとはいえ、絵はほのぼのとしているけれど、ルナールは悪賢く、時にひどいヤツ。とりわけ良くルナールの被害にあっているのは、国でも屈指の領主である、狼のイザングラン。イザングランはルナールを「かわいい甥っ子」と呼び、応えてルナールは「伯父さま」と呼び合う仲ではあるけれど、イザングランは[2]では大切な腿肉を盗まれ、[8]では熱湯により頭の毛を剃られ、[9]では尻尾を切り落とされ、[15]では井戸の底に置き去りにされ、と散々な目にあっている。

この物語の不思議なところは、獣然としているところと、騎馬姿などの、思いっきり擬人化された表現が入り混じるところ。獣然としてても、普通にお百姓さんや商人たちと話してたりもするんだけれど(ま、「寓話」であるしね)。

私もあまり知恵が回る方ではないので、ルナールよりもどちらかというと、彼に騙される動物たちや、お百姓さんに大いに同情してしまった。狼のプリモなんて、なんとルナールにより殺されてしまうのだ! 大体、ルナールは自分が人を騙す事には抵抗がないんだけれど、自分が騙された場合は、確実にやり返してるんだよね・・・。伯父さま・・・・・・の野郎、見てろ>とかさ。汗

また、この本には数多ある『狐物語』の中から、選ばれたものが載っているので、例えば[22]における、ルナールの次のような台詞はちょっと流れ的に意味が通らないような気もする。

「悪事を働くことしか考えないやつは ― 殺したり、ぬすんだり、誠意もへったくれもなく、うそやペテンで隣人の財産をむしり取ったりするやつは、何一つ不幸にみまわれない。どころか、世界一尊敬され、財産もたっぷりふえるだろう。だけど、悪いことをしたり言ったりするのをつつしむ人には、あらゆる不幸と災難が用意されている」

ま、これもまたある種の人生の真実ではあるのかもしれないけれど(でも、[22]に至るまで、「悪いことをしたり言ったりするのをつつし」んでるとは思えないんだよ)。

「解説」にもあるように、「のどかで豊かな中世フランスの田園風景」を楽しむことの出来た本(ただし、ルナールの行状は時々、ひどい)。

物語として収められたものだけを読んでいると分からない設定が、解説に載っていたのでメモ。

昔、ルナールという名前の性悪の狐がいました。仲間の動物たちをだましたり、ペテンにかけたり、罠に落としたりするのが大好きで、それが生きがいという大変なワルで、動物世界の人々は、鶏も四十雀も烏も山猫も狼もみんな、こやつのためにひどい目にあわされていました。でも、ルナールはとてもずる賢く、頭もよければ口も達者なので、動物世界の国王であるライオンのノーブル王の宮廷にいくら訴え出ても、いつもうまく言いのがれられてしまうのがおちでした。その上、ルナールはノーブル王の重臣として信頼あつく、国王がいざというときにはもっとも頼りにしている諸侯の一人なのです。しかしルナールのほうは、国王など少しも本気では恐れていないのです。それどころか、内心では馬鹿にしきっているので、国王が軍勢をひきいてルナールの城を攻めに来ても、痛くもかゆくもありません
                         
(以上、解説より引用)。

中世フランスの人々は、ルナールの姿を痛快だと見たのかなぁ。もともとのお話は、ピエール・ド・サン=クルーというキリスト教の僧が創ったものであり、その後、それらの続きや全く異なる新しい話を創作する作者が次々とあらわれたそう。ルナールは今でも、フランスで愛されているのだろうか。

あ、そうそう、[1]そもそものはじまりでは、女性としては、「うーむ」と思います。イヴっていっつも分が悪いよね・・・。

*臙脂色の文字の部分は引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡下さい。
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アクセル ハッケ, Axel Hacke, Michael Sova, 那須田 淳, 木本 栄,
ミヒャエル ゾーヴァ
ちいさなちいさな王様

私たちが住むこの世界では、人間は何も出来ない、何も知らない赤ちゃんとして生まれ、成長して、知識を増やし、大人になる。でも、この表紙に見える、分厚い深紅のビロードのマントをまとった、太った小さな王様の世界ではそうではないのだ。

王様は、名を十二月王二世という。彼の父は十二月王一世、そのまた父は一月三日王という(この辺、原語だとどういう風になっているのだろう。何か意味があるのだろうか)。

さて、この小さな王様に言わせると、私たちの世界の方が非論理的であり、王様の世界の方が理にかなっているのだという。

「最後にいなくなるっていうなら、どうしてはじめにいちばん大きくて、次第に小さくなって消えていくっていうふうにならないのかね?つまり、けしつぶみたいに小さくなって、とうとう見えなくなるという意味だが」

王様の世界では、何でも知っており、何をやらせてもそつなく出来る、そういう状態で人は産まれ出るのだという。人生というのはある日起き上がって、それで全てが始まるのだ。ただし、王様の世界では大きくなるにつれ、次第に物を忘れ、小さくなっていくのだという。そして最後には見えなくなってしまう。

小さくなって、忘れていく事は悲しいことかって?いえいえ、決してそうではない。仕事や人生の雑事から解放され、頭の空いた空間は遊びや空想で埋める生活。小さい方が人生経験豊か。小さい方が偉いのだ!大きな連中などに、文句など言わせてなるものか!

これは気まぐれに「僕」のところにやって来るようになった「小さな王様」と、ちょっぴり人生に疲れた普通のサラリーマン、「僕」とのお話。

目次
1 大きくなると小さくなる
2 眠っているときに起きている
3 存在しないものが存在する
4 命の終わりは永遠のはじまり
5 忘れていても覚えている

美しい挿絵といい、少々意味深なタイトルといい、これは大人の童話。余裕がないときに読むと、ちょっと辛いかもしれませんが、私はこの王様のお話、好きでした。

「おまえのところについて、ちょっと話してくれるかね」

絵も好き、王様の少々尊大な物言いも好き。

そして、なかなか素敵な、王様の世界での生命の誕生場面。

「地面についたとき、二人がちゃんとしっかりと抱きしめあい、なおかつ、目もちゃんとしっかり閉じていたら、地面はまるでトランポリンのように弾み、その勢いで二人は天までとびあがることができる。そのときに、二人は空から星をひとつ取ってきて、それをベッドの中に入れておく。朝になると、そいつが目を覚まして、おれたちの一人となるわけだ」

*この本のことは、柳田さんの「砂漠でみつけた一冊の絵本」 で知りました。
*臙脂色の文字の部分は本文中より引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡ください。
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舞城 王太郎
阿修羅ガール

舞城さん、初読みです。で、これが面白かったかというと、ちょっと微妙。最初はふんふんと読んでいて、途中放り投げそうになりつつも、最後、形が見えてくると、それに興味を持って読み通しちゃったという感じ。最初に比べると、最後は妙に綺麗に収まってしまっているなぁ、とは思うものの、後数冊は読んでみないと、この作家の雰囲気を理解したとは言えないのかも。

と思っていたら、tujigiriさんも、ほぼ同様の意見を述べておられました。
 ◆tujigiriさんの記事はこちら
   →「阿修羅ガール」舞城王太郎 / 摩訶不思議な自閉空間

とら
さんが取り上げられておられた、こちらの本も気になるところ。
 ◆とらさんの記事はこちら
   →世界は密室でできている』 ちょっとシュールな青春小説


さて、この物語は、アルマゲドン三門JUMPSTART MY HEARTの三部構成で描かれる。 第一部「アルマゲドン」では、女子高生アイコの日常が、彼女の超口語体で語られる。時々、人生の真理が顔を覗かせるものの、ま、アイコは基本的には感情のおもむくままに、時々反省したりしつつも、彼女の人生をゆく。

ただの学園物、少女の生活を描いたものか?と思うと、物語は段々きな臭くなってくる。舞城さんの小説では、人が沢山死ぬのが決まり事なのかな。まずは、冒頭でアイコが好きでもないのに、やってしまった事を反省していた、佐野明彦が忽然と姿を消し、足の指とともに身代金の要求が彼の家に届けられる。更に更に、彼女の住む調布では、それ以前に「グルグル魔人」なるものの手による未解決殺人事件があって・・・。これを中学生の手によるものと決め付けた、インターネット掲示板《天の声》メンバーによる、キッチン(厨房)狩りが始まり、調布アルマゲドンが告知される。

さて、第二部にあたる「三門」。ここを乗り越えるのが一番辛かった。あと、時々フォントが異常に大きくなって、ビックリしたりもする。であるけれど、第一部を読んで、この先に少しは興味がある人は、このまま読み進めることをオススメします。要はアイコの心象風景が延々と続くので、「今までの謎は?」と思うと、頭の中が「????」になってしまう。

三部「JUMPSTART MY HEART」。物語はアイコの現実へと戻ってくる。色々あって、幾分か悟って賢くなったアイコがそこにいる。第一部の弾けた口調に慣れてしまったので、「あれ?これアイコ?」とも思うんだけどね。

何故なら私がこうして生きて、お兄ちゃんたちと暮らしたり、陽治のことを思ったり、陽治以外の人とエッチしちゃって虚しかったり、意味ないことで喧嘩したり、死んだり、蘇ったりすることが、私は本当に楽しいからだ。楽しい、と感じている気持ちは本当だから、それなら結局全部オーライなのだ。オールオッケー、問題なし。私は自分の存在を疑うことすら楽しんでいる。人間、楽しむということが最優先だし、そう心がけなくても、最優先してる。苦しんでる人は、その苦しみを楽しんでるんだし、頑張ってる人はその頑張りを楽しんでる。人が今やってることが、その人の選んだ、自分にとって一番楽しいことなのだ。うんうん。

霊能者、桜月淡雪のお茶会は羨ましいな~。自分で焙じた熱いほうじ茶と、丁寧に出した冷たい緑茶に、手作り和菓子を外で食べられるんですぜ。しかし、とうとう行方が分からない、佐野君は憐れである、と思う。

←文庫化もされています。
舞城 王太郎
阿修羅ガール

帯を見て成る程。私は女子高生青春物と読んだけれど、これって、一応恋愛小説でもあるのか。「恋愛物」のイメージからは、ファーフロムであるとは思うけど。笑 人が沢山死ぬとはいえ、ミステリーとも思えないんだよな。舞城さんが書かれる小説は、通常どこに分類されるのかな。

*臙脂色の文字の部分は本文中より引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡ください。
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ムーミンシリーズはご存知の通り著名な児童文学であり、私も子供の頃に読んだ事はあるのだけれど、「ナルニア」「ゲド戦記」とは違い、のめり込んだという印象は薄い。ムーミンシリーズはどこか哲学的でもあって(いや、ゲド」とかもそうなんだけど)、他の児童書とはちょっと違うような気もしていた。

ついでに言えば、著者トーベ・ヤンソンが北欧の人だからか、何となく寒色や淋しげなイメージがあって、子供の頃はどこか恐怖を感じていた。キャラクターよりも本の方に先に出会っていたので、「ムーミン、可愛い!」とは思わなかったな~。今の方が楽しく読めそうだし、どこで恐怖を感じたのか、どこに淋しげなイメージを持ったのか、これはもう一度読み直したいシリーズ。いつかゆっくり読み直したいなぁ、と思う。 そんなわけで、今日はこの本を。

ミルヤ キヴィ, Mirja Kivi, 末延 弘子, トーベ ヤンソン
ようこそ!ムーミン谷へ―ムーミン谷博物館コレクション

目次
はじめに
トーベ・ヤンソン―ムーミンの生みの親
ムーミン作品
ムーミン世界
ムーミン谷博物館と博物館コレクション
ありがとう、トーベ・ヤンソン
出典
参考文献
付録1 トーベ・ヤンソンに贈られた賞の数々
付録2 ムーミン作品
付録3 ムーミン造形物

原文のせいなのかもしれないけど、文章はちょっと読み辛い。でも、美しい絵や三次元のムーミン作品(いわゆる、フィギュア?)を楽しむ事が出来る。色使いといい、表紙もいいんだ~。また、「ムーミン世界」の章では、ムーミン作品の解説および登場人物紹介が載せられている。どちらもとても詳しくて、思い出せる部分もあった。

ムーミンの生みの親、トーベ・ヤンソンはかつて、「境界線を愛しているの」と語ったそう。また、数少ないエッセーの中には児童書について、こんな言葉があるらしい。「児童書には、作家が立ちどまっても子どもたちが前へ進めるような小道がないといけません。説明できない脅威や光輝や正体を明かさない顔がなくてはいけません」。もう一度、説明できない脅威や光輝や正体を明かさない顔に出会ってみたいな~♪ 子供の頃は、これに脅えてしまったのかなぁ。勿体無かった!

*臙脂色の文字の部分は本文中より引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡ください。
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深町さんといえば、私が最もお世話になったのは、メアリ・H・クラークの一連のサスペンス物。そのハーレクインロマンスも真っ青な展開に飽きが来て、途中リタイアしたものの、最初の頃は結構面白かったように思う。深町さんには、その他にも色々な訳書があって、例えばこのブログの中で言えば、クリスティの「さあ、あなたの暮らしぶりを話して 」なども、深町さんの手によるもの。

深町 真理子
翻訳者の仕事部屋
飛鳥新社


さて、今日のこの本は翻訳者・深町さんのエッセイ集。あちこちに散らばったものを集めたものらしく、幾分重複しているところもあるものの、私は興味深く読みました。プライドを持って、生き生きと仕事をしておられるので、生き方の本と読んでもいいのかもしれません。

訳者は役者。役者は台本を、訳者は原著を読んで、そこに書かれていることを自分なりに咀嚼し、解釈をする。両者の違いは、その表現に用いるのが、役者は自分の肉体であり、訳者は自分の言葉であるという、ただそれだけ。小説というものは、何を語るかだけではなく、いかに語るかに作者が心血を注いだもの。何を語っているかを正確に伝えるだけでは不十分であり、いかに語っているかを伝える事が出来てはじめて、翻訳の名に値すると言えるだろう。

こう語る深町さんの翻訳の話、日常の話、翻訳から離れた純粋な読書の楽しみの話などなど。

目次
Ⅰ 私の翻訳作法
Ⅱ 仕事机から離れて
Ⅲ こんな本を訳したり読んだり
フカマチ式翻訳実践講座


【メモ】(:以降は、私の感想)

・「アンネの日記」を訳しながら、感じたご自分の戦争体験との共通点
・ノルウェーの木造教会スターヴヒルケ:ノルウェーも面白そう。
・章タイトル「十月はブラッドベリの月-」(Ⅲより):郷愁を感じるというブラッドベリ。私はなぜ読んでいないのだ?
・スティーヴン・キングは末端肥大症である。彼は本質的に”語ること”の好きな人で、プロットの妙や、構成上のバランスよりも、まずは語りたいことのありったけを、その場その場の描写にぶち込んでいかないと気がすまない:一字一句、同感
・深町さんが、京極さんの「狂骨の夢」を読んでた!

・折原一さんもお気に入りらしい

・皆川博子「死の泉」:以前読んで、面白かったのに、すっかり内容を忘れている自分に気付く。ガーン。

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