旧・日常&読んだ本log

流れ去る記憶を食い止める。

2005年3月10日~2008年3月23日まで。

以降の更新は、http://tsuna11.blog70.fc2.com/で。


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昨日、本屋の店頭でこんな本を見掛けたのです。

倉橋 由美子
大人のための怪奇掌篇
宝島社

タイトルに「倉橋由美子の怪奇掌編」「大人のための残酷童話」の二つが混ざっている様な感じ・・・。

倉橋 由美子
倉橋由美子の怪奇掌篇


倉橋 由美子
大人のための残酷童話

うーむ、立ち読みで「大人のための怪奇掌篇」の巻頭が「倉橋由美子の怪奇掌篇」と同じ「ヴァンピールの会」であることは確認したんですが。出版社も違うし、再販することになったのでしょうか。で、でも、中身はどっちなんだ!!

(直接、新潮文庫とは関係ないのですが、過去倉橋由美子さんの本が話題になった事もあるので、ブックに掲載させて下さい)

☆関連過去記事
倉橋由美子の怪奇掌篇 」/幻想的な
ポポイ 」/首を飼う
夢の通い路 」/異世界との交歓
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小泉 武夫
中国怪食紀行―我が輩は「冒険する舌」である

目次
まえがき
中国地図
【第1話】赤い色が似合う国
【第2話】犬を食す
【第3話】涙に咽ぶ魚です
【第4話】君知るや究極の蛇の味
【第5話】鶏がとっても旨いから
【第6話】草の子たちに成仏あれ
【第7話】虫は胃のもの味なもの
【第8話】永遠の熟鮓(なれずし)
【第9話】茶の国は知恵深し
【第10話】醸して変身
【第11話】豚は家族の一員である
【第12話】牛肉がいっぱい
【第13話】蘇れ珍獣たち
【第14話】悠久の蒸留器
【第15話】食うことは豊かさの象徴
【第16話】傘を差して大をする
【第17話】路上は今日も大らかなり
【第18話】スッポンと宰相
【第19話】ヤシガニの涙
【第20話】名酒は老窖(ラオチャオ)より出て胃袋に収まる
【第21話】朝の一杯、夜の三回
【第22話】焼鳥はごゆっくり
【第23話】曲は音楽にあらず
【第24話】愉快な職人たちに幸あれ
あとがき
解説 中島らも

目次と副題、『我輩は「冒険する舌」である』、これが全てを物語っていますが、豊富な写真とともに舌による冒険譚が語られています。

大きく分ければ、ゲテモノ系、専門の醸造学・発酵学関係、薀蓄系という感じ(16話、17話などは、暮らしぶりとでもいいましょうか)。何れも軽妙な語り口で書かれており、豊富な写真と相まって、スライドを見ながら、人気教授の講義を受けているような気分になります。

「椅子と机以外の四足は全部食べる」という中国の食。第13話第19話では、希少動物の話が出てきます。保護はされていても、山中までは政府や地方行政区の管理と監視が行き届かないようで、「珍しい」という価値でもって、希少動物が食材として取引される事も珍しくないそうです。食の冒険家であり、冒険する舌を持っているといっても、それは何でもかんでも食べるということではなく、考えながら味わう舌でなければならない、と教授は書いておられます。広い中国、監視を行き届かせるのも、並み大抵の労力では難しいのでしょうか。

物珍しく、面白かったのは、第20話第23話。中国はひとり、つぼや桶、タンクといった容器を必要とせず、土に穴を掘って、それを器にして酒を醸してきた国なのだそうな。当然、液体であれば、土の中に染み込んで無くなってしまうわけで、これは原料が液体ではないからなせる業。原料の穀物を蒸して、それを窖(チャオ:前述の土に掘った穴)の中に放り込んで発酵させる、固体発酵による酒造りを行っている。主原料は蒸した穀物、これにレンガ状の麯(チュイ:麹のようなもの、「曲」ということもある)を砕いて混ぜ、その上に土を被せて土饅頭をつくる。窖の中で、麯の糖化酵素の作用によって、主原料の穀物のデンプンが分解されてブドウ糖になり、ブドウ糖に窖の壁や煉瓦に付着していたアルコール発酵を起こす酵母が作用して、アルコールが生成される。その後、これを掘り出して蒸留するのであるが、このように水を使わないために、中国の白酒は、酒精度の強い酒が生まれてくるというわけ。

この独特の製法により、得られた蒸留酒(白酒)には多種多様の個性を持った香味がついており、これを分類するのに、中国には「香型(シャンシン)」という分類法がある。香により酒を分類するのは、世界でも実に稀なこと。また、アルコール度数が高いお酒が得られるために、抽出力が高く、多種多様の薬酒が生まれる下地となった。

私にとっては非常に面白い本でしたが、蛇や虫、(食用としての)犬の写真などが、かなりあっけらかーんと出てきますので、これらが苦手な方にオススメはいたしません。「美味しそう!」とか「食べたいなぁ」と思うものは、実はかなり少なかったりもするのですが、世の中には色々な食べ物があるもんだなぁと、興味津々、面白い本ではありました。

←こちらは、日本経済新聞社による単行本。

単行本の写真の方が少しハードでしょうか。上に上げた光文社・知恵の森文庫のものは、「93:ある食堂の風景(脂肪つきの豚の皮、開いて干した鶏肉、栓抜き、金網、柄杓、干した豚の内臓が壁にかけられている)」が、単行本の方は、「45:角つきの顔も材料(農耕民族の町の自由市場で売られていた、山羊の角つきの顔の皮)」が表紙となっているようです。文庫の方は一見何だか分かりませんが、単行本の方は如何にも怪しげですよね。
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ポール・フライシュマン, 片岡 しのぶ, Paul Fleischman
風をつむぐ少年
あすなろ書房

ブレントは同級生のパーティーで、気になる女の子に肘鉄を食らわされ、赤っ恥を掻かされた。ハイスクールの二年生であり、転校生でもある彼にとって、これは死ぬほど恥ずかしいこと。今回の学校は、父親の仕事の都合で転校を繰り返した挙句の初めての私立校。今度は金持ちの仲間入りを果たしたと思ったのに!
結局彼ら金持ちは、ブレントのような平凡な人間を受け入れてはくれないのだ。

ブレントはアルコールに酔ったまま、家に帰ろうとハイウェイをひた走る。そんな彼の頭によぎったのは、みじめな人生でいるよりも、この苦しみを終わらせてしまえば?という言葉。

しかし、彼は死ななかった。代わりに彼の事故の巻き添えを食った、後続の若い女性が亡くなっていた。自分が死ぬはずだったのに、若く優秀な彼女を死なせてしまったことに苦しむブレント。また、単なる飲酒運転による事故だと思い、様子がおかしいブレントを心配する両親や医者に、自殺するつもりだった、と打ち明けることも出来ない。

被害者リーの母親、サモーラ夫人は報復はまた新たな報復を生むだけと、彼に憎しみをぶつける事はないし、復讐も望まない。代わりに、償いとして、リーの顔をした風で動く人形を四つ作るように望む。それにリーの名前を書いて、アメリカの四隅、ワシントン州、カリフォルニア州、フロリダ州、メイン州にたててくれという。リーはもういないけれど、彼女がもし生きていたならば、大勢の人に微笑を贈ったはず。リーの代わりに、風で動く人形で、それをして欲しいのだ。サモーラ夫人にグレイハウンドのパスを渡されたブレントは、初めての一人旅、人形作りを経験する。

旅先で様々な人に出会い、その場所に風の人形を贈る事で、固く縮こまっていたブレントの心は再び呼吸が出来るようになる。最後の海の傍に住む女性との会話もいい。ブレントは背負った重みを忘れることはないが、それをようやく他人に話すことが出来るようになる。

物語は一章ずつ、シーンが切り替わって進む。ブレントが語る部分に、風で動く人形が、見知らぬ誰かに何かを伝えた話が挿入される。風は誰かの思いをのせて吹き、人形はそれにあわせてくるくると回る。

爽やかな鎮魂と再生のロードノベルであり、良質な児童書でした。
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左下に追いやっているので、飼い主の自分ですら、あまり構って上げていない、
ブログペットの「がるる」

今、何気なく見たら、成長してました。

ぴょんぴょん飛び跳ねているだけだったのから、空中を飛び続けたり、蝙蝠みたいに逆さになったり、わー、色々変わりましたよ。
ピースもするし、まさにピースバット…。

アクションが激しくなって面白いので、もし良かったら遊んであげて下さい。
ずーっとスクロールした、左下におりまする。

「わきわき♪」というフレーズが頭に浮かぶ・・・。口も大きくなったなぁ。
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宮内 好江
世界43か国のサラダレシピ114―パリ発!ユニークなサイドメニュー
グラフ社

Chapter1 フランスのサラダ
Chapter2 西ヨーロッパ、南ヨーロッパのサラダ
Chapter3 北ヨーロッパ、東ヨーロッパのサラダ
Chapter4 アメリカ、アフリカのサラダ
Chapter5 アジア、中近東のサラダ

その土地に関する記述、レシピを教えてくれた人との関わりの話も楽しく、色とりどりのサラダが美しい本。

サラダというと副菜のイメージが強いけれど、ここに載せられたサラダは、肉入りだったり、パスタサラダだったり、結構お腹に溜まりそう。その土地のサラダと言いながら、手に入りにくい食材は、日本で手に入りやすいものに変更してあるので(にしん→しめ鯖とか)、作り易そうな所もよいところ。

ちょっと不思議だったのが、「フランス風かにかまサラダ」。フランスのかにかまぼこは、Surimiと呼ばれ、棒状とフレーク状のものがあるそうな。サンドイッチやサラダに取り入れられ、“シーフード”として大きな顔をしているそうです。

美味しそうだなぁ、と思ったのは、マッシュルームが丸ごとごろごろした、「ギリシャ風マッシュルームサラダ」。ワインとトマトのコクのあるソースで、マッシュルームを煮あげるのです(これは、「ギリシャ風」と言いながらギリシャよりはむしろフランスで知られているらしく、Chapter1に収録されている)。

レバノン、エジプトのレシピなどで、ゴマが登場するところなんかも、何だか不思議でありました。

彩りも美しいので、おもてなしなどに使いやすそうなレシピが満載でありました。
(しかも、手順がそんなにややこしくないのです)
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河村 雅隆
バグパイプの国虹の国―スコットランドとイングランドの間
ブロンズ新社

目次
第一章 虹の国から
 スコットランドとイングランドの間
 「使って保存する」社会
 エスニック・ロンドン
 イートンの不思議な球技

第二章 イギリス・ヨーロッパ・日本
 個性とは何か(一)
 個性とは何か(二)
 重い社会、軽い社会
 ダメモト社会・イギリス
 日本人は何故印象派が好きか
 ヨーロッパにおける「地方」と「中央」
 日本の新聞、英仏の新聞
 多言語国家・スイス
 「コンセプト」の自由競争
 「国民国家」の崩壊
 私のキリスト教、私のヨーロッパ

あとがき~夕陽の風景~

bk1の著者紹介から引くと、著者は「1951年東京生まれ。東京大学経済学部卒業。NHKに入社し、主に報道番組制作に携わる。現在報道局特報部チーフ・プロデューサー。著書に「驢馬は旅に出て」「日本解剖」など」。これはその職業によるものなのか、時に説教くさくなる嫌いがあるものの、私はおおむね楽しく読みました。 私は知らないことも多かったので楽しく読みましたが、事実を知っている方にとっては、それ程面白くない本かもしれません。1章、2章はほとんど別の話であり、またエッセイなので、話はどんどん飛んでいきます。
+++++++++++++++++++メモ+++++++++++++++++++
◆スコットランドとイングランドの間◆
<ヘイドリアン・ウォール>
スコットランドとイングランドの間にある、「ヘイドリアン・ウォール」(ハドリアヌス帝が建設を命じた、いわばイギリス版の万里の長城)について。壁があったところで、それだけで軍隊や人間の動きを防ぎきることは出来ないが、騎馬、車両、あるいは家畜の群れの行動は妨げられる。その間に、ローマ側としては何らかの防御策を取りやすくなる。しかし、皮肉なことに、ブリテン島を支配していたローマ人たちに決定的な打撃を与えたのは、彼らが常に警戒していた北の蛮族ではなく、北海を渡って侵攻してきたバイキング=ノルマン人たちだった。しかし、このウォールが出来たことによって、それより北はローマ人にとり「化外の地」とされ、壁より北がスコットランド、その南がイングランドに分かれていく萌芽となった。

<ハイランドとローランド>
スコットランドといってもそれ自体、単純な一枚岩ではない。地形的にも北部の山岳地帯ハイランドと、南部の比較的平坦なローランドとでは、同じスコットランドとはいえ、随分印象は異なる。ハイランドとローランドの境目をどの辺と見るかは人によって若干違っているが、大体パースから北がハイランドというのが一般的な見方。ハイランドに入るにつれ、人々の話す言葉もだんだん解りにくくなっていく。スコットランドとイングランドが合併したのは十八世紀のはじめの一七〇七年。合併とはいえ、それは事実上併合であり、スコットランド国内には当然強い反対論が巻き起こった。しかし、当時既にスコットランドとイングランドの経済的、軍事的格差は広がっており、特にイングランドと経済的、人的に深く結びついていたローランドの人たちの意見が通り、スコットランドは遂にイングランドとの合併の途を選択した。その後に起こった「カロードンの戦い」の図式は、スコットランド対イングランドの間の戦いではなく、ハイランド対イングランド・ローランド連合軍の戦いだった。カロードンの敗北のあと、多くのスコットランド人たちがイングランドの支配を嫌って新大陸へと移住していった。

<ハイランド・ゲームズ>
「スコットランドのオリンピック」とも呼ばれる、バラターの町の「ハイランド・ゲームズ」について。この祭りは百年近くの歴史を誇るスコットランドの大運動会で、種目にはスコットランド独特のものも少なくない。海外に移住した家族がスコットランドに戻ってくるイベントでもある。

◆エスニック・ロンドン◆
イギリス国内には、アジア、アフリカ出身の人たちが多くいる。われわれが普通にイメージしてきた、いわゆるアングロ・サクソンのイギリス人以外の人たちが多い。これは、第二次大戦後、英連邦の設立ということが大きなきっかけだった。一九四九年、イギリスは植民地を一斉に手放して各々の独立を認め、その一方でいわゆる英連邦(Commonwealth of Nations)を発足させたのだが、このコモンウェルスとは、イギリス国王に忠誠を誓うか、もしくはイギリス国王を<構成諸国の自由な結合の象徴>と認める独立国の連合体のこと。このコモンウェルスの成立とともに、それを構成する国家の国民は、「コモンウェルス市民」として、イギリス国内で、他の国の人々とはちがう特別な扱いを受けることになった。イギリスは、コモンウェルスという制度を通じて、今も数多くの国々に対し、有形無形の影響力を保持しているのであり、そのことは、イギリスという国が、実際の国力よりもずっと大きな影響力と発言力を世界の中で保っているということをもまた、意味している。

◆日本の新聞、英仏の新聞◆
<日本社会における「高級紙(クオリテイ・ペイパー)」>
日本の新聞とは、どんな読者にとっても百パーセント満足することが出来ない「デパート」であり、しかしながら皆が多少の不満を持ちながらも、自分自身が直接専門としている以外の領域を知る手懸りとしているメディア。これは日本独特のものである。もうひとつ、日本の新聞に見られる日本独特の性格は、過剰なまでのセンチメンタリズム。事実を事実として見る、物事を多くの角度から眺める-これは多くの日本人に最も欠けている知的態度だと思えるが、書き手の感情移入のあまりに強い紙面を見ていると、日本人のメンタリティは戦前も戦後も変わっていないと思える。

<イギリスの新聞・フランスの新聞>
イギリス(あるいはアングロ・サクソン)とフランスの新聞の性格の違い。イギリスの新聞があくまで情報であるのに対し、フランスの新聞は書き手個人が外界をどう「解釈」したかの報告という要素が強い。しかしながら、この性格は「メディアはセンチメンタリズムとは無縁であるべきだ」という態度と矛盾してはいない。苦労しながらも著者がフランスの新聞を読み続けているのは(ここでは「ル・モンド」が例に挙げられている)、フランスの新聞を読んでいると、英米が考え、否応なく現在の世界の常識となっているのとは全く別の世界地図がそこに見えてくるから。日本の記事が少ない一方、地元ヨーロッパを別にすれば、フランスの紙面では旧植民地の記事が圧倒的に多い。フランス人の頭の中にある世界地図とは、旧植民地に強く引っ張られたイメージのものなのではないだろうか。
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
フランスの紙面に関して言えば、旧植民地系からの移民が多いという事情もあるのでは、と思いましたが(うーん、とはいえ、所謂「高級紙」はその人たちのためのものではないのか?)、英連邦におけるコモンウェルスの人々に与えられるような特権が、フランスでは全く与えられていないのだとすれば、記憶に新しいフランスの暴動についても、何となく分かるようにも思いました。連邦、コモンウェルスは、それがまた結果的にイギリス人の失業率を高めてしまうような事があるとしても、やっぱり植民地を手放す際のウルトラCの策だったのでしょうか。

日本の新聞について、著者はその「デパート」ぶり、センチメンタリズムもここでは肯定されていますが、今はそういう時代ではないようにも思います。新聞にしても、テレビにしても、最近は「枠を埋める」ためだけに、要らない情報まで垂れ流しているように思います…。特に新聞紙面は、時系列を分かりやすく説明し易いという利点があるのですから、もう少し「事実」によった報道を望みたいと思います。
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佐藤 賢一
オクシタニア  

昨日 の続き。三章までで、主要登場人物は出揃った。
さて、ここから彼らはどう生きてゆくのか。

第四章 異端審問
 
今ではドミニコ会士となったエドモンが再び語る。

 オクシタニアの異端は容易に撲滅されず、カタリ派の活動は地下に潜り、実態の把握は以前よりも困難を極めた。南部の領主も、聖職者も、領土や荘園を取り戻してしまえば、もとより邪宗の根絶にそれ程熱心ではない。これに業を煮やした教皇グレゴリウス九世は、一二三三年、勅書を発布し、ここに「異端審問」が成立する。そして、この「異端審問」には、新参で信仰に燃える、刷新の修道会であるドミニコ会士たちが当てられた。ここに、ドミニコ会は教皇庁の直属となる。

 三十九歳に長じたエドモンは、パリからトロサに異端審問官として戻ってきた。熱き若者は冷酷な告発者となっていた。彼は全てをあばく。そう、それは故人に至るまで。エドモンは「ドミニ・カラス(神の犬)」と蔑まれながら、棺桶を壊し、肉塊を掘り起こす。キ・アイタル・フアーラ アイタル・ペリーラ(かくなす者は、かく滅びたり)」。火刑、公権剥奪、財産没収…。

 トロサの人間、ほとんど全てを敵にしたようなエドモンに、旧友アントニだけは優しかった。アントニはジラルダの事を忘れよ、と説く。そう、エドモンの異端への怒りは、妻ジラルダに裏切られたという経験と無縁ではありえない。幸福な商人として、薔薇の都トロサで、順風万帆に歩める筈の人生を台無しにされたのだ。しかし、この怒りは既にジラルダに対するものとばかりは言えない。ジラルダを変えた異端に対する怒りであり、そうした思いが行動の地平を広げ、異端審問官を努める今日に通じているのだ。素朴な幸福を認めない、異端カタリ派をエドモンは断じて認めるわけにはいかない。肉体を蔑み、命を軽んじる異端カタリ派は、突き詰めれば死の教えに他ならない。未来への希望なくして、人は果たして生くることが出来ようか。

 自治都市トロサとて、異端審問官にいいようにやられたままではおられない。町の執政団は、レイモン(ラモン)七世に、異端審問の行き過ぎに抗議する意味で、以後は聖界の協力要請に応えないように求める。異端の密告者が殺害され、ドミニコ会と市民は全面対決する。私刑にあったエドモンはラモン七世の知己を得るが、ドミニコ会は執政団の取り決めにより、市外追放の憂き目に会う。

 市外追放にあったエドモンは、異端カタリ派の聖地であるという、ピレネの天嶮に鎮座するモンセギュールの調査を進める。そこにジラルダがいるはずなのだ。一人、モンセギュールへの偵察の道行きを行くエドモンの前に、偶然ジラルダが現れる。改めて出会ったジラルダは、ただジラルダでしかなかった。素晴らしい女でもなければ、邪な女でもない。妻であった頃となんら変わらないジラルダに、エドモンは神の啓示を見る。この女は固く自分に結び付けられた女であり、決して離れられない伴侶なのだ。それでも、ジラルダは彼の元に戻ってきはしない。

 一二四二年、ラモン七世は満を持して反撃の狼煙をあげる。エドモンたち、十二人のドミニコ会士はアヴィニョネ城で袋の鼠となる。彼らドミニコ会士の死骸が、蜂起の狼煙となるのだ。

第五章 無冠の帝王
 
再び、ラモン七世が語る。

 ラモン七世は、フランス王に欠片の忠誠も示さない独立国、異端の国を建てることを夢見る。それはまた、ローマ教皇の薄汚れた権威など、ひとつも通用しない聖域であり、無冠の帝王は無冠のまま、どんな支配者も置かない自由な理想郷を建てるのだ。そう、神の力など頼みはしない、全ては自分の力で整えるのだ。  

 オクシタニア全土が総決起し、南部騎士がラモンの元に集まるが、ラモンはまたも苦杯を喫する。二枚の壁と頼んだ、ラ・マルシュ伯ウグス・デ・リュジャン、イングランド王ヘンリー三世、ともにルイ九世の精鋭軍団に無残に蹴散らされ、ラモンが張った策は全てが裏目、裏目と転ずる。フランス王に降伏せよとの勧告に現れたのは、死んだはずのドミニコ会士エドモンだった。ラモン七世は、またしてもフランス王に敗北する。全てを持っている、恵まれている、勝ちに執着しきることが出来ないラモンは、持たざる人々に勝つことが出来ないのか。

 これらのことと並行して、ラモン七世は白昼夢を見るようになる。肉体は全くの別人でありながら、誰の魂がその身に宿っているのか、彼には見ることが出来る。夢の中には、ジラルダが、エドモンが、また父ラモン六世が、フランス王父子が、騎士シモン父子が、時代は違えど度々現れるのだ。前世でも、現世でも、来世でも、転生するたびに同じ人間に出会うのはなぜなのか。別の時代で魂が交錯していればこそ、人はその出会いに特別な意味を感じ、それが運命というものの真相なのか。

 エドモンに生きるのが怖いのだ、美しく負けたいだけだと看破され、何事かを得心したラモンは、完徳女ジラルダの信仰を、「自分は上等な人間だと思いたい」という心に過ぎにない、と迫る。ラモンとジラルダが似ているがゆえに、エドモンはラモンの苦悩を見抜いたのだ。ラモンはジラルダが毒虫さながらの生命力を恥じながら、ひたすら敬虔な人間であることを求めているだけだ、と断じる。
「あの御坊が欲しいんですやろ

第六章 聖地
 
最後の章は、男たちを結び付けていたジラルダが語る。

 一二四三年、再び十字軍が宣言され、カタリ派の聖地、モンセギュール包囲が始められた。雪が吹き荒ぶ中、ジラルダたちは篭城を強いられていた。ジラルダたち「良きキリスト者」は、雇い入れた傭兵達、南部騎士との生活の軋轢に苦しむ。十字軍の攻撃に晒され、冬山に閉じ込められたジラルダの思いは、現在や過去へと千々に乱れる。肉体を否定し、死をも恐れぬはずが、徐々に狂っていく出家者、完徳者たち、過去、エドモンに頼り、浅ましく救われようとした自分、目前に迫った危機への恐怖に捕らわれる自分。自分の信仰は、ラモン七世の言うとおり、ただ自尊心を満足させる方便に過ぎぬのか。

 砲撃が飛び交い、絶体絶命のモンセギュールにやって来たのは、十字軍の全権代表を称した、ドミニコ会士エドモンであった。いまだ迷いの渦中にいるジラルダに、平らかな目をし、総身に確信を漲らせたエドモンは眩しかった。そもそもは、魂を磨きたいと志を立てたのは自分であったはずなのに、なぜ自分ではなく、エドモンだけが成長できるのか。それは信奉する神の違いなのか、人間としての差であるのか。

 エドモンがやって来たのは、十字軍、聖俗それぞれの総大将の全権大使として、和睦を申し入れるためであった。和睦とはいえその内実は降伏勧告であったが、エドモンは意固地になって篭城している南部騎士たちの気持ちを溶かす。人間は必ずしも道理で動くものではない。さりとて帰依する神が侮辱されたくらいでは、誰も重い腰を上げたりはしない。前後の見境がない程に怒るのは、何よりも可愛い自分が傷付けられるからである。エドモンの言葉には説得力があり、対する教団の司教マルティの言葉は上すべるのみ。

 エドモンの大きさに打たれたジラルダであるが、自分との差を感じるにつけ、何でもこなすエドモンの掌で転がされているような錯覚を受け、やはりここに至ってもエドモンを受け入れることが出来ない。モンセギュール城内の床に埋められた金櫃を掘り出して外に運び出し、新たな傭兵を雇い入れ、一発逆転を狙うことを提案したジラルダは、自らこの困難な道行を志願する。しかし、やはりこの冬山を越える道行きは非常に困難なものだった。遭難しかけたジラルダは、彼女を追ってきたエドモンに助けられる。助けられた山小屋で、ジラルダはようやくエドモンと素直に話すことが出来る。

 ここからのジラルダの素直な心境の吐露は、この長い物語にここまで付き合ってきただけに、感慨深いものがある。恐らくはこの長い物語は、ただこの一組の男女の結びつきを描くためにある。エドモンから、ラモン七世から見たジラルダは、少々得体の知れない存在であったが、彼女はもっと自由に生きたいと願う、ただの若い女であった。彼女もまたようやく、小さな存在であった自分を認めることが出来る。

 ジラルダは一般的な女性とは少々異なるとは思うけれど、これまでの作を読んで「女性が描けないのでは」と疑っていた佐藤作品の中では、格段に「女」である。エドモンに救いを求め、守られながらも、その愛玩犬のような地位に落ちた自分を認めることが出来ない。さりながら、自らの力、才覚で何事かをなす事はならず、自由に生きるために出家したのだ。

 一二四四年、モンセギュールはとうとう降伏勧告を容れ、開城する。城兵は自由に退去することが出来、何人もアヴィニョネ事件の関与を問われない。信仰上の過失を告白すれば、身柄が拘束されることはない。異端の信仰を捨てないものは直ちに火刑に処される。ジラルダは火刑を逃れ、ケリビュス城に金袋を届けた後に、エドモンの元へ戻ることを約束し、更にはエドモンと来世の約束を交わすのだが…。


プロローグエピローグは、老いてトゥールーズの管区長となったエドモンによって語られる。「来世の約束」をした二人の信仰は、既に正統カトリックのものとは思われないが、ひたすらに神を求めた男女は、二人で永遠を手に入れた。生きるとは、肉体が朽ち落ち、魂とて覚束なくなることである。しかしながら、エドモンは来世の約束を胸に、醜くとも生きていく道を選びたいと願う。

ジラルダの行動はかなりエキセントリックでもあり、全て理解出来るわけではないけれど、溢れるエネルギーを持て余しながら、自分を偽ることの出来ないその生き方は、いっそ潔くもある。宗教は生きるためのものなのか、死ぬためのものなのか。神は生きることを望んでいると思うし、このエネルギーを持ったまま、恐れず生き抜いて欲しかったなぁ、と思う。

長く重い物語ではありますが(一章の戦場の描写なども、かなり辛い)、二人の男女の生き方にぴったり添った、満足感、充実感があります。エドモンはちょっと出来過ぎじゃない?、とも思うけれど。意地っ張りのジラルダ、トロサの都そのもののような、ラモン七世の生き方も何だか悲しい。でも、それぞれの人生の輝きを丁寧に描いた本だと思います。あっけない最期を遂げてしまうのですが、一章の神がかり的なシモンも、結構怖いです。「信じる」事の強さと怖さを感じます。読む時によって、誰に感情移入するかは違ってくるのかもしれませんが、登場人物の誰もがそれぞれ非常にボリュームのある人生を送っています。

(オック語、オイル語圏の違いを示すために、エドモン、ジラルダ、ラモン七世など、トロサ(トゥルーズ)の人々の語りは関西弁調です。最初は少々読みづらかったのですが、これが薔薇の都トロサの人々の自由闊達さ、北部フランス人たちの生真面目さを上手く表していると思いました)

*臙脂色の文字の部分は、本文中より引用を行っております。
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佐藤 賢一
オクシタニア  

この時代、フランスはいまだ統一されておらず、広大で肥沃な土地が広がる南部フランスは、オクシタニアあるいは、ラングドック(オック語圏)と呼ばれていた。そのオクシタニアでは異端「アルビジョワ派(カタリ派)」が蔓延り、正統カトリックが打ち捨てられているという。オクシタニアを治めるトゥールーズ伯レイモン六世は「無冠の帝王」の異名を恣にし、異端を擁護して、此度はなんと、教皇特使を殺害したという。最早手を拱いている段階ではない。カトリック教会は武力をもって、異端アルビジョワ派を討伐することとする。

(今回、あまりに長いので、二本に分けます。今日は全六章の三章まで)

第一章 十字軍
 第一章は、シモン・ドゥ・モンフォールによって語られる。
 
 北部フランス、ランクドイル(オイル語圏)の田舎領主、シモン・ドゥ・モンフォールはオクシタニアを成敗するという、アルビジョワ十字軍に駆り出される。シモンはその益荒男ぶりを裏切って、元来が臆病で気の小さい男であった。田舎領主としての身分や生活に満足していたシモンであるが、夫の栄達を望む妻、「神」を確信した旧知の聖職者に追い立てられるように、十字軍に参戦することとなる。

 四年前、一二〇四年の、第四回十字軍でもほうほうの体で帰ってきたばかり。なぜ田舎領主に過ぎない自分が故郷を離れ、こんな目に合わなくてはならないのか。討つべき「キリストの敵」も二転三転し、戦場における虐殺、略奪など、そのあまりの惨状にシモンは塞ぎ込む。敵が見えない中、ベジエの市民は虐殺され(「ノウィット・エニーム・ドミヌス・クイ・スント・エイス(神は神のものを知りたまう)」のだから)、新たな「敵」とされたトランカヴェル副伯の最後の牙城、カルカソンヌが陥落する。

 これで、無事自分の領土に帰れると思ったシモンの元にやって来たのは、カルカソンヌとベジエの副伯という地位。それには領内に正統信仰を徹底させるという責務がセットで付いて来る。そう、シモンは本末転倒の十字軍に形をつけ、それを切り上げるための捨て駒となった。

 大規模な十字軍は去ったが、シモンは十字軍の俗界の総大将となる。ところが、臣従した筈の都市が、忠誠を捧げた筈の騎士が、たちまち反旗を翻す。手にしたはずの新封が敵と化し、シモンはこの異邦で孤立する。潔癖で不器用な北部人を自認するシモンからすれば、南部人の二枚舌はほとんど卑劣にもうつる。戦いを続けざるを得ないシモンは、ミネルブで異端の完徳者(ペルフエクテイ)たちの火刑を、目の前にする。彼らは賛美歌を歌いながら、幸福感に恍惚と酔うように、ひとり、またひとりと、火の中へ入っていく。このものたちは、一体何なのだ?
もとより、シモン自らも大義に疑問を持つ十字軍、シモンは「神」がどちらにいるのか分からなくなる。

 しかしながら、次の戦場、テルムでシモンは奇蹟を見る。攻略に困難を極めた城の中で、テルム城の全員が赤痢で死んでいたのだ。シモンは異端の神は偽者であることを確信し、迷いが消えたシモンは、鬼神のような強さを発揮するようになる。やさしい父、やさしい夫であったシモンはもういない。そこには、ただ、「キリストの騎士」がいるのみである。もう何も怖いものはない。オクシタニアに神の国を造るために、秩序ある家を建てるために、シモンは破竹の快進撃を続け、たった二年でオクシタニア全土をあらかた征服してしまう。

前半の迷い、愚痴を言うシモンから一転する様が鮮やか。

第二章 薔薇色の都
 第二章は、自治都市、トロサ(トゥールーズ)の名家の息子、エドモン・ダヴィヌスによって語られる。

 フランス南部、オクシタニアの都市、トロサの市民から見た、シモン・ドゥ・モンフォールは、強欲で異常な強さを発揮する、恐ろしい悪魔のような男である。アラゴン・オクシタニア連合軍は、シモン率いる十字軍に散々にしてやられ、アラゴン王ペラ二世も殺されたという。

 第一章の戦いから一転、今度は自治都市トロサの自由な市民の生活が描かれる。シモンには二枚舌で骨がないと侮蔑される南部人であるが、彼らはその財力を背景とし、ただひたすらに自由なのだ。トロサは薔薇色の都であり、人生を謳歌すべき宮殿である。ここでは、強き騎士シモンはがつがつとした成り上がりにしか見えず、頼りなく、市民にも迷惑を掛ける、トロサ伯、レイモン六世が、雅で鷹揚な皆が認める支配者となる。

 さて、オクシタニアで戦が続く中、エドモンは幼馴染のジラルダと結婚する。互いの家同士の釣り合いもよく、そもそもは町でも評判の不良娘であったジラルダが、夜毎エドモンを訪ねて来たことが、二人の馴れ初めでもあり、不良娘が自分だけに胸襟を開く心地よさにエドモンは酔う。ジラルダはなぜ不良娘、蓮っ葉な娘と思われていたのか? 彼女は自分の愛らしい外見、女らしさを認めることが出来ず、また生真面目な思い、感情を持て余し、自分の言葉に応えてくれる人間を求めていたのだ。

 上手くいくと思われていた、エドモンとジラルダの結婚生活に暗雲が立ち込める。エドモンはジラルダと思いを通わせることが出来なくなった。ジラルダは異端である「良きキリスト者」、カタリ派(アルビジョワ派)の教えに傾倒していたのだ。この地上が地獄であるとするカタリ派からすれば、エドモンが求めてやまないジラルダの愛らしい肉体も、必ず滅びるつまらない物でしかない。

 一二一六年は元トロサ伯ラモン父子の反撃で幕をあけた。トロサもそれに呼応して蜂起することとなる。この反乱は騎士シモンによって、速やかに平らげられるが、エドモンはトロサに突きつけられた屈辱の条件をばねに復讐を誓う。一二一七年、エドモンはトロサ民兵隊長として立つ。この一年はジラルダとの間を修復し、互いに言葉を重ね、分かり合うことが出来たと思った一年間でもあった。しかし、その実、エドモンの言葉はジラルダに届いていなかった。この世には悪しき営みしかないとするジラルダの信念は固く、一二一八年、とうとう騎士シモンを倒すことに成功したその日、ジラルダの姿は消え去った。彼女はカタリ派の出家者となったのだ。

 ジラルダに去られたエドモンは荒れに荒れていた。町で偶然会った、ドミニコ会の僧に感化され、エドモンもまたドミニコ会に入信し、出家する。ドミニコ会の僧に言わせると、カタリ派の教えは邪な二神論者のもの。ドミニコ会は、この地上を地獄と決め付け、切り捨てることはないのだという。ここに、エドモンとジラルダは敵対する神を信奉することになる。

第三章 北の王国
 
第三章は、若ラモン、トロサ伯ラモン七世が語る。

 舞台は再び、戦場へ、政治の世界へと舞い戻る。今上トロサ伯となった、ラモン七世は神の存在など信じない。愚かな気分屋で、オクシタニアに未曾有の騒乱を呼び起こした、父と同じ道を歩むつもりもない。騎士シモンの死から五年、未だ闘争は続いていたが、神など信じて、宗派などに翻弄されて、せっかくの生を浪費するつもりはない。

 オクシタニアに再び牙を向いたフランス王を制するために、ラモンは教皇庁に和解を申し出るが、その申し出はブールジュ公会議ではねつけられ、あろうことか、フランス王ルイ八世の新しい十字軍が高らかに宣言される。しかしながら、フランス王ルイ八世は遠征の途中で病に冒され、落命する。神はフランス王の十字軍を罰せられた、これは神意の現れであると、オクシタニアは再び熱狂に包まれる。

 自らの力、美貌を頼み、常に自分を律し、神を利用し、他人を信用することもなかったというのに、なぜか若ラモンは父伯と同じ道を歩むこととなる。和解のために訪れた筈の、北部シャンパーニュ伯の城で、若ラモンは屈辱的な和議条約を結ばされる。女子供と坊主ほど、この世の中に始末に悪いものはない。世の常識というものが通用せず、絶対の優位を信じて疑わないのだ。勝敗が決したわけでもないのに、ラモン七世は屈辱の条件の数々を呑まされる。

 正統の神はどこまでも自分の敵のようである。神を信じる「弱い」人間が救われ、信じない「強い」人間である自分は救われない。これは信じないことに対する神の罰なのであろうか。正統の神、異端カタリ派の神ともに、自らの軍資金として利用していたラモンであるが、ここに正統の神を捨て、オクシタニアに「異端の国」を造ることを誓う。誓う相手は、今では完徳女となったジラルダである。
*************************************************
今日はここまで。延々と書いておくのは、歴史的な流れをここに記録しておくためであります。面白くなくてすみません。直ぐに忘れてしまうのですよ…。でも、これらの大きな歴史の流れの中で、個々人が生き抜いていく様は、重いけれど本当に感動的なのです。 しかし、流石に歴史的事実が、自分の中でまだまだこなれない感じ。13世紀フランス南部、オクシタニア地方の地図、主要登場人物(オック語読み付き)も付いているんですけどね。

2/2 に続く。

*臙脂色の文字の部分は、本文中より引用を行っております。
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昨日とは違って雲もあったけど、あんまり「冬」という感じがしない空。
白い雲がぷかぷか。


大分、膨らんでいる蕾。花が咲くのももう直ぐかな。
右は万両でよいのでしょうか?(赤い実つける植物って、多いですよね…)


◆おまけ

通りかかる度に、いつも「鳩のなる木」という言葉がよぎる桜の木。
鳩たちの冬の餌場になっている模様。

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小池真理子さんは何となく気になっている作家さんなのだけれど、どうもどっぷり恋愛小説に浸る気になれず、その周辺をウロウロ。

 

小池 真理子

贅肉  
中央公論社


(表紙絵がある都合上、文庫を載せておりますが、私が読んだのは単行本です。表紙も少し違うような?)

この本は表紙の迫力につられて借りてきたものだけれど、どうも、これは過去に一度読んだことがあるような気がする・・・。久々にやってしまいました。
ま、ほとんど内容を忘れていたので、再読にそう問題はなかったのですが。

目次
贅肉
ねじれた偶像
一人芝居
誤解を生む法則
どうにかなる

で、肝心の本についてですが、これはどれもこれも悪意が仄見え、ホラー調の味わいのある短編集。基本的にはラスト、悲劇的なんだけれど、それを別の所から冷静な目が見つめている感じです。「どうにかなる」だけは少し違うけれど、これだって主人公ではない側から見ると、十分に悲劇的。いや、主人公から見ても、これは悲劇なのか?「どうにかなる」とはとても思えない・・・。

一番、強い印象を受けたのは、表題作でもある「贅肉」。
依存し、依存される関係性が、ねっとりした感触を残し、気持ちが悪い。

やっぱり、小池さんの真価を知るには、どっぷり恋愛小説を読まねばならないのでしょうか・・・。体力がありそうな時に、チャレンジしてみようかと思います(どうも、恋愛小説にはエネルギーを吸い取られる)。どなたか良い本をご存知でしたら、教えてください。しかし、この短編だけでも、十分生気を吸い取られたような気がいたします・・・。悪意、苦手です・・・。

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