旧・日常&読んだ本log

流れ去る記憶を食い止める。

2005年3月10日~2008年3月23日まで。

以降の更新は、http://tsuna11.blog70.fc2.com/で。


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大分、秋めいてきましたね。涼しくなるのは嬉しい限り。明日からはもう九月。月日がどんどん過ぎ去っていくように思います。

ところで、ブログのスキン。強調色に黄色を使用している関係で、今の青背景から動かせないことに、途中から気が付きました。白背景の黄色文字は、きっと見辛かろう。今更全部の色を変えるのも面倒くさいし、後の祭り。

皆さんのスキン変更を羨ましく見るのでした。一括で色を変える機能とか、あればいいのにな。ま、このスキン、あまり使ってる方も見掛けないし、分かり易くていいのかな(すっかり自己完結)。

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高村薫「照柿」

現在三作出ている、合田雄一郎シリーズの真ん中。私はちょっと変則的な読み方をしていて、もう何年も前に「マークスの山」「レディ・ジョーカー」は読んでいるのだけれど、真ん中に当たる本作を飛ばしていた。ちょうど図書館にあったので、借りてきた。
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全編を覆うのは、熱。二人の男の熱、気が狂いそうな暑い夏。照柿という赤色の一種。「熱」のせいか、いつもの緻密で這う様な高村節に、更にねっとりとした感触が加わっている。

二人の男とは、シリーズの主人公でもある合田雄一郎と、彼の幼馴染にあたる野田達夫。

合田雄一郎の「熱」は、刑事である彼が追っている「ホステス殺し」。彼の照柿の色は、線路から見た電車の臙脂色。他の作品では、硬質な石の様な印象を人に与える彼が、すっきりとして容赦ないまでに清涼な彼が、この「照柿」では狂ったように一人の女性に執着する。

一方の野田達夫の「熱」は、彼が勤めるベアリング生産工場の熱処理棟の灼熱。彼の照柿の色は、熱処理棟の老朽化した炉の色。

二人の男を繋ぐのは、佐野美保子という女。高村作品ではいつも女性が描かれないのだけれど(「晴子情歌」を除く)、今回は美保子が重要な役割を果たす。とはいっても、男に惚れられる、というだけでは重要な役割とは言い難いだろうか。彼女の行動に整合性は見られないし、彼女をあらわす言葉は「不機嫌」だと思う。何を考えているのか窺い知れない、深い穴のような女性。熱い男たちとは違い、美保子の存在は冷たさを感じさせる。切れ長の、大きく、冷たく、深い穴のような目を持つ女。白く光るふくらはぎ。

三者の出会いは、悲劇的様相を呈し、それぞれに狂った結末を迎える。

《俺の目、さっきからずっとおかしなっとるんや・・・・・・。臙脂色の雨が降っとる、雨も道路も空も全部臙脂色や、浸炭炉みたいな色や、雨が燃えとる・・・・・・。雄一郎、照柿の雨や・・・・・・》
てりがき。照柿。
ああ、照柿という名前だったか、あの色は。
「ああ、達夫、矢田の家で、庭の柿二つ手にのせて、あんたが教えてくれた色や。照柿いう名前やったな、そうやった」
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ムック本「高村薫の本」「担当編集者が語る創作秘話」によると『照柿』は「ドストエフスキーの『罪と罰』のような作品をお願いできませんでしょうか」との依頼を受けて書かれたものとの事。軟派な本読みの私は、実は「罪と罰」を通して読んだことはないのだけれど、「照柿」はストーリーがどうだというよりも、人の内面をしつこく追ったような本。

「マークスの山」がきて、「照柿」がきて、次に「レディ・ジョーカー」がくるのか、と今更ながら納得した。「照柿」で灼熱の浄化があった後に、「レディ・ジョーカー」がくるのだな、多分「照柿」を読むと、「レディ・ジョーカー」単独で読んだ時も、ぐはっと驚いた、雄一郎の義兄である検事、加納祐介との物語後半部でのやり取りが余計にキた。

高村作品の男性は、大抵整った硬質な外見の内に、どろどろとした感情を秘めている。「照柿」はそういった感情の動きを追ったような作品だった。あと、ほんとはダンテの「神曲」を読んでいれば、もっと深く楽しめるであろう作品。これまた未読なのだった。
高村 薫
照柿
別冊宝島981号「高村薫の本 」

*臙脂色の文字の部分は引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡ください。
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スパドラー・ブタリアー著/鳥居千代香訳
「ダウリーと闘い続けて―インドの女性と結婚持参金」つげ書房新社

訳のせいなのか、原文のせいなのか、決して読みやすい文ではない。しかし、これは事実が全てを凌駕するタイプの本。

目次
序文
第一章  隣家で起こったこと
第二章  不正感
第三章  活動の始まり
第四章  街頭劇
第五章  家族の共謀
第六章  新しい場所・古い問題
第七章  団体の設立
第八章  インドの司法制度との出会い
第九章  有罪判決と「不確かさの恩恵」
第十章  なぜ有罪判決が珍しいか―立法者と彼らの論理
第十一章 偏見と先入観
第十二章 抵抗することの重要性
第十三章 終わりに
訳者あとがき

ダウリーとは、訳注によれば「結婚持参金・婚資」とのこと。

本書は、隣家の若い女性の死を切っ掛けに、「ダウリー問題」に気付き、この問題と取り組んだ歴史を著したもの。著者は八十一歳でこの本を書いたが、現在でも女性団体「カルミカ」での仕事を続けているとのこと。

日本でも結納金や結婚支度金といったものがあるけれど、ダウリーがこれとは違うのは、ダウリーはただ結婚の時だけに要求されるものではないということ。勿論、結婚の時のダウリーの額も、婚家の重要な関心事項であり、ダウリーの額が十分でないために、婚家で非情ないじめを受けたりもする。ダウリーの要求は際限がない(あなたの息子にスクーターを与えたのだから、義理の息子である私にもスクーターが貰える筈だ、など。現金だけでなく、テレビなどの家電製品も要求される)。

また、ダウリーの問題は、宗教の問題、インドの慣習の問題とも深く結び付いている(カーストとダウリーについては、時々顔を出すものの、全体としてこの本のみでは良く分からなかった)。

魂を救済するには十の方法があるが、ヒンドゥー教徒の女性が救われる道は、ただ結婚という方法のみ。よって、未婚の少女は父親にとって重荷であり、思春期前に娘を結婚させることができなければ、父親はその義務を果たしていないことになる。親は娘を出来るだけ早く結婚させなければならないと焦り、これから姻戚になる人たちにさまざまな気を引くものを提供する。娘を結婚させようと焦るため、娘の結婚相手についての十分な調査も行われない。妻が不審な死を遂げた男性であっても、結婚の申し込みはなくならないのだ。

結婚した娘が、婚家について訴えようと、逃げ出してこようと、女性の実家は「婚家への順応」を望む。なぜなら、離婚した娘がいることは、残りの娘の結婚へ悪影響を及ぼすから。そして女性が殺されて初めて、娘の置かれていた状況に気付くのだ。

この問題で救われないのは、被害者である娘の母親も、またこの慣習に縛られているため、たとえ娘が焼き殺されても、息子の母親としての自分は、「ダウリー」について悪の意識、罪の意識を持たないことだ。司法制度も、著者らの運動により徐々に変わっていくのだが、法律を司る人々の意識の改革は、なかなか難しいようだ(ダウリーは文化的側面も有するので)。

最近でも、ダウリーに関係した暴力やダウリー死の事件の数は増え続けているそうだ。今日、ダウリーは北インドの中流階級のヒンドゥー教徒の家族だけの問題ではなく、その影響は広範囲に拡大し続けており、イスラーム教徒、キリスト教徒、シーク教徒の若い女性たちもまた、ダウリーが原因で苦しんでいるとのことである。

ほとんどの場合、両親や他の人たちは女性にどんな役割も与えない。女性は知性がない、決定を下すことが出来ないと考え、女性に決定権を与えない。だが、そのような考えを捨てれば、必要なとき、女性としての知的な判断を下すことができるのである。

インドでは高い地位に女性がついていることも多いので、こういった問題があることが不思議だったけれど、高い地位にいる女性は、ごく一部の上流階級に属し、機会に恵まれた女性だけであるとのこと。女性は物ではない。慣習も変わっていって欲しいし、女性自身も慣習に縛られることなく、いざという時は自分の身を守り、抵抗出来ますように、と思った。

スバドラー・ブタリアー, 鳥居 千代香
ダウリーと闘い続けて―インドの女性と結婚持参金

*臙脂色の文字の部分は本文中より引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡ください。
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そろそろブログを始めて、半年が過ぎようとしている(正確には、まだ少し早いけれど)。ほぼ同時期にブログを始めて、お互いに初期の頃から読者登録していた方が、ブログを卒業された。

ブログを始めて半年が経つのを機に、「居心地がよくてつい長居をしてしまったけれど、そろそろ前に進まなきゃ」と、ブログも全部削除されてしまった。「これが最後の記事になる」という記事を出してくれたから、コメントも残せたし、何の切っ掛けもないまま、会えなくなってしまった人よりも、最後の挨拶が出来て良かったのかもしれない。

ネットでの出会いは、かように儚いものだけれど、その方を通じて知った世界もあって、出会えて良かったなぁと思う。多分、実生活では会うことも、話すこともなかった人たちと、ネットでは性別、年齢、職業、住所、趣味・興味に関わらず、ある瞬間を共有することが出来る。私はまだ当分ここを拠点に、記事を書いていくだろうけれど、卒業して前進していく、その方の前途に幸あれと思う。時間を共有して、時々共感出来たことは、とても幸せなことだった。

ああ、でもブログの閉鎖ってとても淋しい。これだけ多くの方がブログをやっていると(そして、ブログを出来るかどうかは、時間的余裕にも関わってくることだし)、良い出会いも沢山あるけれど、別れもあるんだよなぁ。
ちょっと、しんみり。
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安野 光雅
空想の絵本

安野光雅氏本人による、絵を描いた時の「たねあかし」本。
あとがきによると、載せられた絵は、「以前『安野光雅の画集』という絵本を出した頃に描いていた作品がいろいろと出てきたので、これらを併せて取捨選択」したものとのこと。

私が気に入ったのは、「二階だての世界」という絵。
この絵のたねあかしは、こんな感じ。

こどもの頃、階段を上がって二階に行くが、二階にも玄関があって、そこから出るととたんに外国(たとえばイギリス)だ、という空想にこっていた。外国の小学校へ通ってそこで遊び、家に帰ってきて、下に降りるとそこは日本で、日本の友達がいて「やあ、どこに行ってたんだよ、昨日からさがしていたんだぞ」などと言うが、秘密だから「A町のおじさんちに行ってたんだ」などとうそをつくしかない。

子どもの頃って、こういう空想をしたことがあったなぁ。大人になってもこういう空想の世界を忘れず、且つ絵にすることが出来るっていいなぁと思った。

*臙脂色の文字の部分は本文中より引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡ください。
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アミューズソフトエンタテインメント
リトル・ダンサー DTSエディション

炭鉱の町ダーラムで暮らすビリーは十一歳。母は既に亡いが、少し惚けかかった祖母と、父と兄と暮らしている。父と兄は炭鉱労働者。ストライキが長引き、警官隊との衝突が耐えない日々を送る。

こんなマッチョな町で男の子がやるべきスポーツは、ボクシング、サッカーやレスリング。ある日、ビリーはボクシングクラブの隣でやっていた、クラシック・バレエに魅せられる。ボクシングホールでバレエを教える先生に助けられ、ビリーはロイヤル・バレエ学校のオーディションを目指す。

いい気分です
踊り出すと 何もかも忘れて 消えます 何もかも
自分が変わって 体の中に炎が 宙を飛んでる気分になります
鳥のように 電気のように そう 電気のように
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単に男の子がやるべきではないスポーツをやっている、というだけではない。炭鉱の町では、バレエなどには縁がない。だって父はダーラムしか知らず、これまでロンドンに行ったこともないのだ。
「国の首都だよ」「だが炭鉱はない」

日本で同様の物語を作ったとしても、決してこの作品と同じにはならないだろう。階級、クラスというものを考えた。それによる選択肢の幅というものも。

父は兄に「おれたちに未来が?」「だがビリーには未来がある」という。生まれ育った町を離れず、将来も見えた生活を送る父兄とは、違う道もあるはずなのだ。

ストが終わって炭鉱へ入るシーン(暗い中にすし詰めで降りていく)、ビリーが去った後のボクシングホールでの先生の姿が印象深い。


ラストもいい(可憐な少女と見まごうばかりの、ビリーの友人マイケルの変貌ぶりにはびっくりするけど)。
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色々なことを抜いても、踊る喜びに溢れたビリーはとても魅力的だ(クラシックバレエの型に、単純に当てはまるものではないと思う)。父と兄のビリーへの愛もいい。後半からのお父さんの行動は素晴らしいの一言!かっこいい!

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■毎度でしつこいですが、ペトロニウスさんの所にも、「リトル・ダンサー」の記事があったので、こちら にリンク。
漫画「昴」もクラシックバレエを題材とし、また周囲に理解されなかったよなぁ。「リトル・ダンサー」のビリーの方が、周囲の人々は温かい。日本を舞台にするとなると、あれぐらい主人公を孤独にさせなくてはならなかったのかな。

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欠田誠「マネキン 美しい人体の物語」晶文社

「美しい人体」に惹かれて、借りてきた。

目次
第一章 スポーツマネキン誕生記
第二章 人体を表現するということ
第三章 日本のマネキンの歩み
第四章 私は企業内作家である
第五章 人間をまるごと型取りする
第六章 二人の巨匠 村井次郎とジャン=ピエール・ダルナ
おわりに

芸術的な面と、商業ベースに乗せる面とを両立させる所が面白かった。創業期における挑戦も。何であれ、情熱的に仕事をしている人の話を聞くのは面白い。ジェーン・バーキンの等身大マネキンの美しいこと!

彫刻は決意してできるものではないし、決意してやめられるものでもない。私は生活のために職業としてマネキンの製作を始めたわけだが、体験を重ねていくうちに、マネキン造型は人間の表現、人体彫刻の新しいジャンルだという思いが高まってきた。マネキンは一般大衆のためのアートだという考えが確信に変わった。私の二刀流が一刀流になった。そのころはまだ、ポップアートという言葉はなかった。
欠田 誠
マネキン 美しい人体の物語

*臙脂色の文字の部分は本文中より引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡ください。
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キングレコード
リック
リック;The Dark Side of The Sun

アメリカの青年リックは、難病の治療のため、世界を転々とし、現在は両親と共にユーゴスラビアに住んでいる。彼は自分の姿を見ることもかなわない。革のマスクを付け、全身黒づくめの格好で暮らしている。家の中は雨戸を閉ざし、光を遮断している。リックは難病、母は精神を病んでいる。黒づくめでマスクを取ることも出来ないリックは、「闇の王子」だ。

でも、僕には関係ない。何もかも外の世界の話なんだ。

ある日、国際演劇祭で、リックはアメリカからやって来た女優フランシスに出会う。

孤独だと感じているもの、あるいは今恋をしているものがいたら、その全てにこの物語をささげる。

リックの病気は、光をあびたら、三日しか生きられないというもの。皮膚は爛れ、苦痛の内に死んでいく。彼は光の中での生を切望する。彼の父の願いも切ない。

でも、顔が見えなきゃ一人と同じだろ。

もう一度三人で幸せになりたいんだ。
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月並みな感想だけど、ブラッド・ピットの短い生を謳歌する姿が良かった(なぜにイルカが出てくるの?と思ったけど)。あの眩しそうな顔、はにかんだ笑み。まさに純真無垢な青年。

ブラッド・ピットも良かったけど、「父さん」が良かったなぁ。息子のためになることは、何でもしてやりたいのだけど、息子はもう父の手を離れてしまう。

「物語三昧」 のペトロニウスさんのところで、「リック」のブラピの美しさがいわれていて、それにつられて見たのですが、噂にたがわぬ美しさでありました。
■ペトロニウスさんの本記事はこちら
→『MEET JOE BLACK/邦題ジョー・ブラックによろしく』マーティン・ブレスト監督

吹き替えじゃなくって、字幕で見たかったなぁ。
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「三国志」「三国志」と騒いでいるのもどうかと思うのですが、とりあえず10巻中5巻まで読み終わりました。

最初は合戦につぐ合戦に、少々辟易していたものの、何とか面白くなってきました。しかし、登場人物の多いこと!でも、これだけの多さだからこそ、誰かに自分を模す事が出来て、男性に人気があるのかも、と思いました。やっぱり、乱世における一門の武将ってかっこいいですもんね。我もかくあらん、ということでしょうか。

戦いに敗れてもそれで終わりではないところ(負け方、落ちのび方にもキャラクターが出ているような)、昨日の敵は今日の友であったり、またその逆でもあるところ。私はその辺が面白いな、と思います。

5巻の最後にようやく、諸葛孔明登場! しかし、孔明は美人さんなのかな。なんか描写がすごいです。「花のうごくか、嫋々竹そよぐか、と疑われるばかり」ってすごいなーと。「嫋々」って、大抵は美女にかかる形容詞かと思ってたけど、男性にも使うものなのね。うーん、才色兼備?(ちょっと違う?)
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吉本直志郎作、村上豊絵「青葉学園物語 まっちくれ、涙」

前回書いた「右むけ、左!」 は青葉学園物語の最初の巻だったのだけど、この「まっちくれ、涙」は全5部作の最終巻にあたる。あとがきには、「この青葉学園物語は、一冊ずつが独立完結のおはなしになっているので、みなさんはどれから読んでもさしつかえありません。また、一冊だけしか読まなくてもいいわけです。でもぼくは、五冊みんな読んでくれるひとのほうが好きです」、とある。

残りの3冊は順番に、「さよならは半分だけ」(これは、昭和54年度、第二十五回青少年読書感想文全国コンクール課題図書だって)、「翔ぶんだったら、いま!」「空色の空の下で」。どれも良かった記憶があるのだけれど、手元にないため、今、記事を書くことが出来ません。今の子どもが読んで共感を覚えるかどうかは分からないけど、乱暴なようでいて優しかったり、普段罵り合ってるくせに、いたわりあったり、互いに思いやりあったり。野遊びや彼らの友情がいいと思う。
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■水アメ作戦でいこう!
青葉学園では、梅雨明けの夏休み前、すもう大会が行われることになった。寮別対抗に勝つために、なつめ寮の男子は、他の寮とは一味違う作戦を実行するが?

「ええかおまえら。おれらなつめ寮のもんも、あのアホどもとおんなじように練習をつんだって差がつくわけはない。ほかの寮とちがうことをしてこそ、はじめて差がつくんじゃ」
「アホとおんなじことをしよったら、なーんのことはない、おれらもアホじゃないか。ええ、それが道理じゃろうが」
「そこでじゃ。これから耕一くんが、きたるべきすもう大会のために、おれとふたりで知恵をあわせて考えた結果を、練習より、はるかにまさる名案をおまえらに話して聞かせる」
「まあ、いたらぬわれわれじゃが、あのアホどもと反対の方向へむけて努力をすりゃあ勝てるということよ。これがまた、うれしい努力なんよ。くっ、ひっひひ」

■里子の島で
青葉学園の子どもたちは、毎年夏休みになると、日和島という瀬戸内海に浮かぶ小さな島へ里子に行く。一年ぶりに会う家族に優しく世話してもらったり、島の子どもたちと遊んだり、ちょっとした仲たがいをしたり、楽しい日々は10日ほど続く。耕一がお世話になっている藤浦家に、見事な鯉がいた事でちょっとした騒動が起こる。

「―しかし、人間も勝手なことをいうじゃないですか。どの鯉もまじめに泳いどるのに、やれ、おまえは尾に色がついとる、やれ、おまえはヒゲが似合わんとかいうて、鯉に相談もなしに決めつけたりして・・・・・・」
「はははは、なにをばかなことを・・・・・・おまえさんが飼うたんじゃあ、あの赤べっこうも、宝の持ちぐされじゃのう」
「はははは、そういうこと、そういうこと」
「どうじゃ、藤浦さん」「―あの赤べっこうを、つまり、その・・・・・・二万円で、わしに売る気はないかの」

島の子とちょっぴり意地悪し合って、仲たがいしても、結局最後はみんな仲良し。

「おーい、伝ちゃーん!来年もまたくるぜ!」
「バイ、バーイ!伝ちゃーん!」
「あんまり、えらそうにするなよーう!」
と、和彦も進も、それからボータンも、甲板の手すりから身をのりだすようにして手をふりかえした。
「おまえらも、おれらの島へきて、あんまりえらそうにするなよーう!」

■精霊ながし
学園のみんなが日和島で楽しい夏休みを送っている間、学園最年長で高校二年の弘明は、杉の伐採のアルバイトに精を出していた。夏休みいっぱいを働きとおし、手に入れたお金で恵子と二人で喜びを分かち合うのだ。男たちの汗の匂い、いがらっぽい煙草の匂い、花札をめくる音、弘明はこれまで知らなかった別世間を知る。弘明と年の近いタンコは、何かと弘明の世話をしてくれたのだが・・・。

おたがいにしんそこうちとけ、信頼しあえば、人間は、ぜったいこんなことはできないはずだ。しんじつ信頼を得た人間どうしのあいだでは、ぜったい、こんなことはおきないのだ。
―だれだろうと、相手が本気でくるとき、自分も本気でかえさなければいけないんだ。だれもが、そうした信頼のなかで、あったかい心をかよわせあえば、こんなこともなくなるんだ―
弘明は、自分の生活のなかには、学園での暮らしのなかには、そうした信頼のうえに成り立つあたたかい心のかよいあいがあることに思いあたった。

学園を出た仲間たちが、それぞれに遭うだろう試練や障害を考えた弘明は、それでも人を信頼する心を失わずにいて欲しいと願う。そして、学園の一人である恵子と一緒に、あたたかい家族をつくることを強く決意する。弘明の心の片隅にはいつも恵子がいる。山道を歩きながら、弘明は八年前の戦争後の焼け跡でのお骨ひろいを思い出す。

「雲にもお家が、あーるか」
弘明のほうへ首をかたむけ、なぞなぞをかけてくるようにいった。
お骨ひろいは、どの班も、恵子のようにからっぽの箱のまま学園にもどってきた子のほうが多かった。

悲しいとき、つらいとき、まてよ、ここでくじけてはいけんぞ、ここで涙なんか見せてはいけんぞ、とふんばって、明日につなぐ支えになるものを心のなかに持つのだ。
そんな何かを心のなかに持って、強く生きていくのだ。
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古い児童書だけれど、最後の「精霊ながし」などは、大人になった今読んでもとてもいい話。世の中は決して楽園ではないけれど、きっとそれもみんな自分の心持ちなんだよね。
吉本 直志郎, 村上 豊
まっちくれ、涙

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