高校生の頃の私は・・・

コンプレックスと家族を背負う重圧に押し潰されそうだった。


子どもの頃の私は、
DV家庭、おデブ、いじめ
と、良いところが無かったのだが、

でも1つだけ。
『記憶力』
だけは、かなり良かった。

今では、ついさっきのことも覚えていられなく残念な感じだが(笑)

子どもの頃の記憶力はすごかった。

記憶力が良くて、そこそこ集中力があった私は、勉強ができた。

両親も勉強ができた私に期待をした。

特に父は、自分が勉強が好きだったが、したくても、できる環境ではなかったことに心残りがあったようだ。

勉強さえ出来ていれば、人生は変わっていたと思っていた。

私が勉強ができることは、私達、底辺家族の、救いようのない日々の希望となっていた。

母はどこをどう資金繰りしたのか、全く分からないが、塾にまで行かせてくれた。

そして私は学区内トップの名門県立高校に進学していた。


そこからが・・・
コンプレックス地獄の始まりだった。


みんなと、家庭環境が違いすぎる!


中学生までは、気づいていても、まだ見て見ぬフリができた。

言い方は悪いが、家庭環境はピンきりだったように思う。

いろんな家庭環境の子がいた。

でも、高校では違っていた。

まず貧乏な家庭の子がいない。

就学援助のお手紙が渡されるのは私だけ。

「そのお手紙なあに?」と、
私だけに渡される封筒を不思議に思い、無邪気に聞いてくるクラスメート・・・

頼むから聞かないで欲しかった。


その他には、

品がある。

言葉遣いが美しい。

標準語を使いこなしている子も珍しくない。

習い事で、勉強以外の教養が身についている。

リーダーシップをとれる安定感がある。


私に無いものを、みんなが持っているように思えた。
(きっと全員ではなかったんだろうけど)

どれだけ自分が頑張ろうが手に入れられないもの、家庭環境の違いを、まざまざと見せつけられた。


勉強ができることだけが取り柄だった私には、

勉強ができることが前提で、
更に私が羨むキラキラした何かを持っていてる人達。

その中に居るのは、
とても心細く恥ずかしかった。

更に、高校時代の私は人生最大の『おデブ』期。

私が超美少女で、スタイル抜群だったらどうなっていたか分からないが、

もし自分の境遇を話しても、
理解してもらえるとは到底思えなかった。

誰からも相手にされる気がしなかった。

きっと、みんなと違う私は嫌われるだろう。

私ができたのは、言葉遣いを直し、存在感を消して紛れ込むくらいだった。

この辺りの気持ちが、
「認められたい」
「嫌われたくない」
「私を理解してもらいたい」
につながって、
     
そのために何をしたのか?
「いい人になろうとする」
「~ねばならない・~であるべき、という枠を作る」
という思い込みが生まれ、潜在意識に刷り込まれたのだと思う。


高校生活の中で、救いもあった。

歌が大好きだった私は、合唱部に入り3年間没頭した。

歌を歌っている時だけは、集中して何もかも忘れられた。

大好きな歌を歌い、
みんなで作り上げていく、美しいハーモニー。
その中にいられる時間だけは、本当に幸せだった。


勉強は・・・
もうやる気がなくなっていた(笑)


その頃の両親は、
どちらかが入・退院を繰り返していた。

母は、私が名門高校に進学したことで、
家をバカにして挨拶も返してくれなかった近所の人達を見返してやった。
という気持ちを持っていた。

私がどんな気持ちで高校に通っていたかなんて、知るはずもない。

そして、私に対しては、もう高校生だし、頼りに(依存)していいと、ブレーキをはずしていた。

両親にとって私は、頼りになる自慢の娘。

父が入院することになったある日、学校にまで電話がかかってきたことがある。

事務員さんが、
「ご家族が入院されるみたいです。はやくお家に帰って下さい。」
と、大慌てでやって来た。

何事かと心配で、急いで家に帰ると、
全然・・・
生死に関わる訳でもなく、何で学校にまで電話をかけてきたのか分からない。

そんな調子になっていた。

私は高校生だったけど、全然大人ではなかった。

二人とも別々の病院に入院しているときには、不安で不安でたまらなかった。

私は・・・
本当は・・・

逃げ出したかった。

でも、逃げられないのも分かっていた。

私はまだ子どもだよ。
そんなに強くないよ。
頼られても、しんどいよ。
どうしたらいいの?
お願い。誰か助けて!

心細くて、不安で・・・
でも言える相手がいなかった。

頼れる人なんていない。
父方の親戚は、家と関わりたくなかったし、
母方の親戚は、遠すぎた。

兄の連絡先は・・・
分からなかった。
何をしているのかも・・・

この時期の「両親」と「私」の共依存も、
無力な私には辛い時期だったなぁ。