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『てんこ盛り!!永沢君』さくらももこ

2013-06-03 04:09:04 テーマ:マンガ評・さくらももこ
てんこ盛り!!永沢君 (ビッグ コミックス〔スペシャル〕)/小学館
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最近はなんでも実写化してしまうので、一周して驚いてしまうが、さくらももこの国民的マンガ/アニメ『ちびまる子ちゃん』において強烈な印象を残す永沢君を主人公にした『永沢君』の実写ドラマが放映されているらしい。これは、彼と、彼の友人である藤木や小杉が中学生になったはなしで、ちびまる子ちゃんになかった要素とはいわないが、あくまで底流していたという程度にとどまっていた陰気さが加減なしに展開された作品だ。ドラマといっても深夜帯に5分ほどのもののようだが、ジョジョ4部に登場する重ちーなみに「そのあたま、どうなってるの?」とおもえてくる永沢くんのあの髪型をリアルにつくりだし、また独特の表現力であの憎たらしい目つきまで再現するのは、劇団ひとりである。僕はドラマを見ていないし、そもそもテレビがうつらないので、見る予定もとりあえずないが、帯などに見える永沢くんの造形はすばらしい。つまり、非常に憎たらしい顔つきである。いちおう親友の位置になる(永沢じしんは決して認めないが)藤木には、はんにゃの金田哲。僕はお笑いにくわしくないので、あまり知らないが、金田さんというのはたしかイケメン枠だったはずである。それが、これもまた帯やなんかで写真を見ただけだが、青白い唇や、全体的に引きつって上方に緊張している表情など、すごい再現度で、じっさいちょっと似ている。ということは、藤木くんもああ見えて、一歩まちがえればイケメンになったということだろうか・・・。大食いで永沢いわく「愚鈍」の小杉には森三中・大島。僕はお笑いにくわしくないので、あまり知らないが、大島美幸さんというのは女性であったはずである。しかるに、なんだこのはまりようは・・・。


こっそり永沢に恋焦がれる美人設定の城ヶ崎さんは皆藤愛子。こちらは、ちょっと動いているところを見てみないとわからない。というのは、城ヶ崎さんというのは、美人なのに何年もまともな彼氏がいないタイプというか、そのことの理由にまったく思い当たらないタイプで、またそこはかとないMっぽさの感じられる女の子のようにおもわれるので、皆藤愛子はいかにも明るい容姿の、運命をひきつけるという種類のかたであるから、果たしてどのように仕上がっているだろうかと。


という次第であり、じっさいのところ見てみたくなってきたが、ともあれ、本書は、ドラマ化に便乗されて製作された「永沢本」である。4コマちびまる子ちゃんや、スピリッツで以前連載されていたらしい『4コマ!!永沢君』や、永沢の出自が語られる小説『永沢君の詳細』など、たぶん後半は単行本としては未収録だとおもうが、基本としてすでに発表されたことのあるものを再録している感じだが、描き下ろしの頁もいくつかある。どうあれ、ひとまとめになっているという点で、非常におもしろい本ということでまちがいない。


永沢という男は小学生のときから陰気で、意地悪で、憎たらしい男なのだが、中学生になってもそこのあたりに変化はない。主人公が彼になることで、当然描かれる機会が増えるので、憎たらしさは増しているようにも感じられるが、たぶん彼自身はほとんど変わっていない。変わったのは、環境のほうである。永沢、藤木、小杉というのは、なんというか、ひとことでいってとてもさえない三人組である。花輪くんのような華はないし、つきぬけて不良になる気概もない。バカを徹底して無神経に生きようとすることもできない。要するに、まったく中学男子的に、身もふたもない現実のなかにあがくのである。といっても、あがくのはおもに藤木である。この三人というのは、決して定型的な「仲良し三人組」ではないのである。これがもし藤木と小杉と、山根くんとか、あるいは多少あたまのよくなった山田とかだったら、そうなっていた可能性もある。つまり、問題なのは永沢なのである。永沢の憎たらしさは、今風にいえば「上から目線」にある。なにもかも達観したような目つきや口調でひとを観察し、評価する。しかし、なにかそれを根拠づけるものが永沢のなかにあるのかというと、じつはべつにない。永沢くんだって他人の評価を気にすることはある。だけれども、最終的には「べつにひとりでもいいや」というぶぶんが彼にはある。そこが、彼の達観の強度を高める。三人の関係においては、永沢の評価が一定の価値をもつことになる。必然としてそこには権力構造が生じ、藤木と小杉においては、最終的にどちらが永沢の側に立つかということが決定的になる。これは、じっさいのところかなり「中学男子」的ではないかとおもう。あのころの少なくとも男子には、そういう残酷さがあったように記憶している。もちろん、ふつうは、権威のあるところは一定ではなく、流動的である。というのは、「べつにひとりでもいいや」ということを最終的な判断の基準にできる中学生などというものは、なかなかいないからである。誰もが権威の位置を探りあい、また探り当て、量的な権力をひきつけてじぶんのものにする。そしておそらく、その権威の位置が不定であればあるほど、そのグループは「仲良し」になる可能性が高いのではないかと。


しかしこの三人ではそうではない。程度でいうと藤木がいじめられていることが多いようだが、永沢くんとしてはたぶん両者均等に観察し、ずばずばと

おもったことをくちにしている。永沢の位置が一定だとすれば、ここに浮き彫りになっているのは藤木と小杉の関係そのものなのかもしれない。永沢くんという、三人の狭い関係性におけるある種絶対的な審級が、ふたりをまるはだかにしてしまっているのかもしれない。


本書におさめられている小説も、ちょっとびっくりする内容である。じつにスピリッツ的というか、はっきりいうとウシジマくん的ですらある。暗く、じめじめしていて、諧謔を含みつつも、読み手を憂うつな気分にさせる、そんな陰気な永沢くんの出自である。しかし、読み進めるとともに、永沢くんのありようはなにか神話性のようなものを帯びてくる。範馬勇次郎が、生まれたそのときから範馬勇次郎だったように、永沢くんも生まれたときから「永沢くん」だった。これの意味するところは、彼の人格は、なんらかの経験や他者からの影響によって構築されたものではない、先天的なものだということである。彼は生まれてからいまの人格に「成った」のではないのである。このような人格のことを「永沢くん」と呼ぶのである。


城ヶ崎さんや花輪くんもいるから、たぶん彼らの通うのは地元の公立中学だとおもわれるが(花輪くんが私立にいかなかったというのはちょっと意外だ)、成績のよくない彼ら、特に藤木と永沢は、なにか絶望をすぎて未来をあきらめているような感じがある。不良の平井君が進学せずに就職するという件についてふたりは、でも10年後はじぶんたちも彼もたいして変わらない生活をしているんじゃないか、だとしたら進学する意味なんてあるのかという、中学生らしくもあり、また同時にいくらなんでも虚無的すぎるやりとりをする(80頁)。このあたりに、たんに「ちびまる子ちゃん」の世界から永沢や藤木を抽出しただけにとどまらない、本書や『永沢君』の味わいというか苦味というか、独特のものがある。なんというか、ギャグなのにぜんぜん笑えないというか、ずっしりと臓腑にこたえるのである。もっともこたえるのは、永沢が神話的絶対性をともなって、不変であるということである。読者のすべてがおそらく、永沢の未来を見ることができる。もちろんなんの仕事をしてるかなんていう具体的なことはわからないが、ひとつだけはわかる。10年たっても20年たっても、永沢の人格はいまと変わっていないはずなのだ。同じ表情で、おなじ憎たらしい発言をしているにちがいないのである。ということは、いっしょにいるかぎりでは、藤木も小杉も同様のしかたで友人であるはずなのだ。たぶん、彼らの不安そのものは、中学生が普遍的に覚えるものと同形なのだろうけれど、それを永沢という人格がどうしようもなく強めているということはたぶんいえる。そうすることで、世にも希望の感じられない中学男子のマンガが成立しているわけである。





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