すっぴんマスター

(※注:ゲーム攻略サイトではありません)読んだ小説などについて、かってにべらべらしゃべってます。基本ネタバレしてますので、注意。異論反論、論理的矛盾、誤った知識などありましたら、コメントにて指摘していただけるとうれしいです。


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■『1922』スティーヴン・キング著/横山啓明・中川聖訳 文春文庫




1922 (文春文庫)/文藝春秋
¥720
Amazon.co.jp



「8年前、私は息子とともに妻を殺し、古井戸に捨てた。殺すことに迷いはなかった。しかし私と息子は、これをきっかけに底なしの破滅へと落下しはじめたのだ…罪悪のもたらす魂の地獄!恐怖の帝王がパワフルな筆致で圧倒する荒涼たる犯罪小説「1922」と、黒いユーモア満載の「公正な取引」を収録。巨匠の最新作品集」






3日くらいで一気に読み終えてしまった、文春文庫新刊。わりと重量級な本がたまっているから、そのあいまに息抜きとして読もうとおもっていたのに!


編集部による巻末の「作品解題」によると本書は、4つの作品を収めたキングの第3中篇集となる『Full Dark,No Stars』のうち、「1922」「Fair Extention」の2編を収めたものとなっている。残りの2編はキングじしんの解説を含めて春ごろに刊行される予定。今回は「闇、無慈悲さ、絶望」というふうにテーマがはっきりと決められているようで、キングじしんのことばでいえばそれは「harsh」ということになるよう。キングじしんのその解説とやらを読んでみないことにははっきりしたことはわからないが、これはちょっと不思議でもある。なぜなら、いちいちテーマとしてたてて断りをいれるまでもなく、キングはこれまでも数え切れないほどの絶望的で、不快で、「harsh」な物語を世に送り出してきたからだ。となれば、この「harsh」という言葉遣いのなかになんらかの意図された新しいものを見なければならないのかもしれない。


本書の大部分を占める「1922」は長編といってもよいくらいの長さで、ウィルフレッド・ジェイムズが1922年に犯した罪を、1930年の地点からホテルの一室で、文章によって告白するという設定になっている。文章で回想していくという方法は、なにかよく見る気がする。名作「霧」もそうだったはず。物語がすすみながら、それがどういった意味をもち、どういった結末をもたらすのか、書き手は知っているので、文章のなかにもそれは含まれている。暗に示されるだけのばあいもあるし、きちんと、いきなり結末が書かれるパターンもあるが、いずれにせよ、物語は1930年のホテルの一室に回収されていくことになる。

彼が犯した罪とは、妻殺しである。土地の売買をめぐり、意見の合わない妻を、ジェイムズは、14歳の息子ヘンリーに手伝わせて殺害し、裏庭の井戸に死体を隠してしまったのである。ジェイムズはネブラスカ州の農夫で、田舎者だが読書家ということで多少理知的なぶぶんもある。述懐を見るかぎりではそれほど悪人という感じはないのだが、それでも彼は妻を殺してしまった。それほどまでに100エーカーの土地に固執するのはどういう心理機構なのか、おそらく、アメリカ人の土地に対する執着だとか、保守的な面だとかロマンチストな面だとか、そういうふうに見るべきなんだろうが、ともあれ重要なことは、14歳の愛する息子のこころをとりかえしのつかないほど損なってまで、農地を守りたかったのだという事実のほうだろう。アメリカは1929年に大恐慌をむかえるが、農業の面で見ると1923年あたりからその兆しはあったということである。

殺害そのものは、計画らしい計画もたてないまま実行したせいでてんやわんやだが、いちおうの隠蔽は完了し、その後の保安官や知人に対して語られる「妻の家出」という物語もなかなかよくできており、うまくいけば永遠にこの犯罪があらわになることはないだろうというふうにおもえてくる。しかし、ここから、ジェイムズは転落の一途をたどることになる。呪いとしかいいようのない、ジェイムズからすれば現実である、執拗にからみつく妻の幻想、損なわれたヘンリー、母親・妻がいないということそれじたいなどが規定路線をすすむように彼と彼の周囲を破滅に追い込んでいく。そこに、結末のあたりでは恐慌の波までおしよせ、あたかもアメリカの不況そのものも、ジェイムズの犯罪がもたらした波が大きく広がった結果であり、呪いとなって全土を覆っているかのような感覚になる。キングは、内容量のわりに字数の多い作家でもある。それは特徴的な細部描写やローカルな比喩のせいということはあるだろうが、ではそもそもこの細部描写というのがなんなのかというと、それはわたしたちに見えている合理的な世界ということであり、多くの超常現象が「他者」の顕現であるのとは逆に、緻密な描写はわたしたちの世界の縁取りを明らかにし、いっぽうで制御できないなにものか、すなわち他者をはっきりとあぶりだす。偏執的に描かれるジェイムズの、幻想こみの世界は、外の世界の不穏な気配を敏感に拾い上げ、連続していくのである。


もう一篇のごく短い「公正な取引」は、悪魔と契約するおはなしだが、これもたいへんスリリングな筆致であって、ものの数十分で読み終えてしまった。癌に侵され余命いくばくもないストリーターは、ものごとを「延長」させることを生業とする悪魔(らしき男)と出会い、金を支払って、寿命をのばす。ただし、取り除かれた不幸は別の、誰か憎いものに転移させねばならない。不幸の転移したストリーターの友人一家の凋落も、これ以上ないほどの不幸の連続なのだが、ところどころ、その過程で、現実に存在する映画俳優などの不幸や不正を対応させ、やはり不幸の、呪いの伝播のようなものとして描かれているぶぶんがある。悪魔の口ぶりでは、相手側にどのような不幸がおとずれるか、精密に統御することはどうもできないようだが、しかしあるいは、この悪魔はテレビが好きなので、現実の事件からヒントを得て、次の不幸につなげているのかもしれない。


さて、キングじしんが設定したというこの作品集のテーマだが、これは、あとの2編と、さらに彼の解説を読んでみなければ、はっきりしたことはいえないだろう。しかし、「公正な取引」はともかくとして「1922」などはほとんどすべて現実的なことば、つまり、超常現象を用いずに記されているし(妻に関してはすべてジェイムズの妄想と解釈することもできるのだ)、やはりなんらかの変化というか、特別の背骨のようなものを見ることはできるかもしれない。たとえばそれは、「1922」の告白文という形式そのものに見えるかもしれないし、歴史的な出来事とからみあうように、まるで無関係ではないかのように描かれるそのしかたにも見て取れるかもしれない。

ちょうど311が日本人の作家にとって、好むと好まざるとにかかわらずそうであるように、911がアメリカの作家であるキングに落としている影は無視できないだろう。いってみれば911こそが、キングの描いてきたことそのものだった。背後にどんな政治的事情があるにしても、たしかに911はわたしたちの世界認識をゆさぶり、世界の輪郭をひどく不確定なものにしてしまった。世界はおもっているほどたしかなものではないのかもしれない、数え上げることのできるものではないのかもしれない、そういう、ロゴスをこえた身体的確信が、わたしたちのなかに訪れたはずである。角を曲がったほんのむこうに、理解のおよばない湿っぽい異世界が広がっている、そここそが、キングの描き出してきた他者の顕現としての異界だったというのが僕の理解である。

「1922」の時代設定は当然1922年だが、解題によれば当時の様子を撮影した写真集に着想を得たということになっている。しかし、アメリカの大恐慌が念頭にあったことはまちがいないだろう。これもまた、実際に、現実にあらわになった「他者的な」異界である。それは制御することができない。たほう、妻を殺したジェイムズは、最初のうちこそうまくいきそうな流れにありながら、徐々に周囲に破滅の気配がたちこめはじめ、けっきょくのところ彼はなにひとつ制御できていなかったのだということが明らかになっていく。彼は、いろいろと大義をたてながらも、つまるところ、「思い通り」にするために罪を犯した。にもかかわらず、彼は、そのことが原因で、いっさいの能動性を失ってしまう。文字通りなにひとつうまくいかなくなる。物語は、すべての解答を知るものとして、未来の地点から彼自身が語るかたちで進行する。キングのその他の作品にも見られるが、こうした文章は、彼ではない人物が、彼のいないところで読むことがたいていのばあい想定されている、一種の遺書である。そこには正解がある。少なくとも、あとになって考えてみればこうあるべきだった、というふうに考えることの可能な道を見出すことはできる。それであるから、文章は、行いや選択の誤りを理解しつつそのまま進まなければならない、という独特の緊張を孕むことになる。告白文や回想は、あとになって変更することができないということを旨として成立しているのである。またそれが遺書であるばあい、そこに、筆者じしんは存在しないのであり、あとになって追記をしたり、補注を加えたりということもできない。完結し、硬化しなければならないのだ。手を加えることのできない歴史、それも、他者的な、制御できない呪いを抱えた歴史・・・。それがもし現在進行の物語であれば、主人公には選択の余地があり、あるいは呪いに打ち勝つかもしれない。完膚なきまでやられてしまうかもしれないが、可能性としては、文体がそのなかに勝利を潜ませていたとしても矛盾はないし、読者がそこからかってに希望の芽を見出したとしても不思議はない。ところが、この物語では、破滅が、構造レベルで決定しているのである。不可避の破滅、この世ならぬ、干渉不可能なレベルからの転落の導き。キングがたてたテーマは、おそらくこういうところにつながっていく。告白されつつある物語のなかのジェイムズは、もはや破滅の運命に逆らうことができない。そしてさらに、そうした気配が、文章のそこかしこに潜んでいる。キングの想定した「絶望」は、そういうところにあるのではないか。

さらに、そうした物語世界は、現実の不穏さと響きあう。「硬化した告白文」は、あるいはわたしたちが、まだ思い起こすことの可能な程度に近い、歴史上のある破滅的な事件を語るくちぶりと、よく似ているのかもしれない。小説を通して、現実世界を描く、あるいは、そこに働きかける、というのではなく、おそらくここでは、現実世界の歴史的できごとが、harshな語り口を避けえぬものとして、小説のなかに取り込まれていくのである。


「公正な取引」では、現実世界との共鳴はもっと小さいものになっている。だが、このことで、歴史的にみればどうということもない映画俳優たちのスキャンダルは、背後に悪魔の作為があるかのような雰囲気になる、というのは深読みしすぎだが、コミカルにさえ読めそうな不幸の連続を、「公正な取引」では不幸をもたらす側として眺めることになる。一種の読みのくせで、因果応報というか、そのうち立場が逆転してしまうんじゃないかとおもって読んでいるぶぶんもあるにはあったが、おそらく、おはなしをぜんたいで眺めたとき、不幸の連続のやりきれなさより、それを平気で眺めているストリーターの図こそがharshなのだ。おそらく、キングの考える絶望の相は、一通りではないのだろう。残りの2作ではどのような不快な物語があらわれてくるのだろうか。




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