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本心の赴くままに、お父様を慕いながら,亨進様をお支えできれば、、


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お父様のみ言葉より、、、、亨進様といかに歩調を合わせられるかの日々です、、、

 

お父様のみ言葉 天聖径より抜粋

 

それ故、我々が生涯の路程を中心として、信仰の道を行くのに、今年行けなければ来年に行き、来年に行けなければ再来年に行き、十代に行けなければ二十代に行き、二十代に行けなければ三十代に行き、三十代に行けなければ四十代に行き、四十代に行けなければ五十代に行きと、この様にしてはいけません。一生をこの様に生きていくなら、彼は、一生をみ旨と一つになった一日の生活を持ってみる事ができずに死ぬでしょう。もしその様に生きたなら、その人は天国に行けません。

 

いくら自分が暮らしているその国が良いといっても、一日の勝利基準をもてなければ天国に行く事ができず、一年の勝利基準をもてなければ永遠の世界に入る事が出来ないのです。それ故、信仰者は永遠を夢見ていく事も重要でしょうが、それより重要な事は、現実においてどの様に悪を清算して善の旗手に成るかという事です。この様な問題が何よりも重要です。

この様な点から見る時、アダムの瞬間的な失敗が億千万年の恨を残してきたのです。アダム家庭で、カイン・アベルが父母の恨を解いて、兄弟の壁を崩して、一つの家庭の起源を作らなければなりませんでした。この様に、復帰摂理の代表として立てられたアベルが死んだのも、瞬間的な事件でした。

 

百二十年かかって箱舟を造ったノアの苦労の路程でも、神様が「願いを成就する日が来たので、船に乗れ」と言われた命令も、一瞬に下されました。この命令に同調した人は、永遠の神様の祝福を受ける事ができましたが、そう出来なかった人は、永遠の審判圏内に埋葬されたと言うのです。

 

アブラハムも同様です。神様が「貴方の子孫をふやして、天の星の様に、浜べの砂のする。……もろももの国民は貴方の子孫によって祝福を得るであろう」(創世記二二・一七、一八)と祝福されましたが、その祝福の命令もカチカチという一瞬に下されたと言うのです。アブラハムが供え物をした時間も、何十年間供え物をしたのではなく、たった一日でした。祭物を裂いて供え物をする時間は、一時間未満でしたが、ここで歴史的な全ての生死禍福の起源が組まれてくるのです。

 

今日、信仰者たちが恐れるべき事は、終わりの日に訪ねてくる審判ではなく、一日一日の生活圏内で訪ねてくる時間です。それを、どの様にみ旨と一致させるか、どの様にみ旨と交差路を形成していくかという問題です。

 

 

善の旗手に!

 

 

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