レクイエム・フォー・ドリーム
テーマ:映画まみれ『レクイエム・フォー・ドリーム』(‘00/アメリカ)
監督: ダーレン・アロノフスキー
監督は『π』で一躍その名を知らしめたダーレン・アロノフスキー。
『π』では数字に取り憑かれていく男を描いたアロノフスキーが今回テーマとしたのはドラッグだ。
ドラッグを小道具として使う映画はいくらでもあるし、ドラッグに限らず中毒の様を描いたものは多くあった。
『パルプ・フィクション』は、ジョン・トラヴォルタがヘロインを打つシーンをある種スタイリッシュに描いたし、
『トレインスポッティング』は若者がドラッグにどっぷりはまった様を独特な疾走感で描いた作品だった。
この『レクイエム・フォー・ドリーム』もそんなドラッグを扱った映画だがほかのそれらとはまるで重さが違う。
昔、「覚せい剤やめますか?それとも人間やめますか?」というACの広告があったが、
この作品はドラッグに溺れ、中毒になり抜け出せなくなった末の悲劇的な顛末を描いた作品だ。
ストーリーの一つの材料としてではなくドラッグの恐ろしさ、ただそれだけをこれでもかと叩きつけられる。
未亡人サラは、ある日、TVのクイズ番組から出演依頼の電話を受け、亡き夫との思い出の赤いワンピース
を着て出場しようとダイエットを試みる。またその頃、彼女の息子ハリーと恋人マリオンのもとに、
友人のタイロンが麻薬密売の話を持ちかける。
サラは病院で出されたダイエット薬としてドラッグに出会い、息子たちは密売という形でそれぞれ関わるようなる。
ストーリーはこの2組の話を交互に進ませながら、ドラッグ依存に陥いる経緯と中毒の恐ろしさと
その先に待っている残酷な結末を描いていく。
この映画の中ではドラッグによるトリップ状態を、コラージュなどを駆使したサブリミナルのような映像と
音楽によって疑似体験でもしているかのような錯覚を観客に体験させる。
この映像の気分の悪さは、まさにドラッグのもたらす恐ろしさを身をもって感じさせられているようだ。
もちろん経験はないが、きっとこんな感じなんだろうなと思わせる嫌な感覚に襲われる。
当たり前だが、ドラッグは始めることは簡単だが抜け出すのは困難。
最終的には一粒の希望もない結末が待っている。
そもそも、ドラッグに限らず中毒というものはそういうものだ。タバコ、酒、ギャンブル、その他多くの娯楽が
僕らの周りにはあふれているし、その可能性はそこら中に転がっている。
人間なんてちっぽけで一人では決して生きられないし、絶えず何かに依存していていなければ生きていけない生き物。
たとえばこの映画で語られるドラッグ。中毒になることはひとりでもきっかけ一つで簡単に出来る。
だけど、抜け出すことは簡単じゃない。そんな時頼るのは実は周りの人間だったりする。
依存を断ち切るのは一人ではやはり難しいだろう。ただ、もし周りにも頼れる人間がいなかったら・・・
この映画では本来頼るべき、親・恋人・友人という周りの人間も同じく中毒であり手を差し伸べる相手さえいない。
徹底的に体と心を破壊しつくさなかれば永久に終わることのない地獄のような状況だ。
まさに悪夢としか言いようがない。
このアリ地獄にはまってしまった彼ら、ドラッグ欲しさにハリーは犯罪に走りマリオンは自らの体を売る。
特に劇中、あの美しいジェニファー・コネリー演じるマリオンが狂気に落ちてしまった顛末は悲劇そのもの。
金を得るため、セックスショーの見世物となってしまった彼女の壮絶なシーンは目を覆いたくなるほど。
そもそも人間はとても感情的で弱い生き物。そんな人間が、奈落の底に落ちていく様は見ていてとても辛い。
ドラッグの恐ろしさは言うまでもないが、ドラッグをした側の意識の中にまで入り込んだかのようなこの
『レクイエム・フォー・ドリーム』の後味はやはり劇的に悪い。
人間のもろさをまざまざと見せ付けられたようでとても悲しく、しばらくは辛い余韻を残す映画だ。











1 ■無題
こんにちは、はじめまして。
いつも読んでます。
この映画の公開時に清水健太郎が宣伝していたのが非常に印象的でした。