2016年1月10日(日)比婆山古道を通って御陵へ登った。 越原から吾妻山への山道入り口から比婆山古道登山口まではほとんど雪が無かった。 登山道入り口から飛越岩までは5センチ程度の雪が積もっていた。 写真を撮りながらゆっくり登ったので登山口から御陵まで約2時間かかった。 比婆山頂上付近の積雪が10センチ程度だった。この時期にこれだけしか雪が無いなんて初めてだ。
比婆山古道登山口。雪はこの程度
雪が少ないので時どき滑る
植林地帯を抜けるのに約25分かかった
植林地帯を抜けるとブナ林と雑木林となる
ここからは急登。登りは時どき滑る程度だが急坂なので下りは要注意
雪が少くよく滑るので下りでは登山道脇のブッシュの上を歩いた
吾妻山(左写真)ブナ(右写真)
登山道付近にブナの巨木が点在する
飛越岩
登山口から約1時間30分
吾妻山(大膳原)
命神社下(トイレ跡そば)
昼から登ったのでこの辺りから霧氷が見られるようになった
命神社
栂(イチイの木)
御陵手前分岐
左写真の左から来た。右写真の奥が御陵
御陵到着(登山口から約2時間)
御陵のバックが青空となった。昼から登った甲斐があった
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広島県庄原市東城町「お通り」が11月2日(日)に行われます。

正午スタート広島観光ナビ

お通りは江戸初期から行なわれています。
広島藩家老職東城浅野家の五穀豊穰祈願の依頼により執り行われた祭礼の最終日に神輿と行列が町内を練り歩いたのが「お通り」のはじまりだとされています。
その後武者行列も加わり今日まで伝えられています。

このお通りの特徴は母衣(ほろ)にあります。
母衣はもともと戦場で背後からの矢をよけるための武具ですが,東城では子どもの健康と平和を願って「母の衣で包む」という意味を持った「母衣」という装飾品として現在のような姿に変化してきました。
記録によると約270年前にはすでに現在のような母衣が作られていたようです。
東城に伝わる母衣は全国的にも珍しい形状をしています。
また,毎年母衣を見ることができる行列も珍しいと言うことです。

これが母衣(ほろ)です。


休暇村 帝釈峡


皆既月食撮影しました。
撮影場所:庄原市比和町

急いで帰って撮影開始
オートで1枚。露出オーバーだけど、影の部分の模様が見える。

マニュアルにして撮影。半分食われちゃいました。

左下から上へと欠けていきました。


月食で月が全て隠れると赤い月になりました。

撮影中、月の左を流れ星が二回流れました。
2014年9月26日、吾妻山キャンプ場駐車場から南の原を通って山頂へ登った。
その後、山頂から大膳原へ下り、一休みしてから南の原を通ってキャンプ場へ戻った。
登り始めた7時過ぎは寒かったが、8時前には暑くなりウインドブレーカーを脱いだ。
土曜日の早朝ということもあって登るときに出会った人は4人。頂上では一人でのんびりと過ごすことができた。

南の原から急斜面を少し登ると山頂手前の見晴らしのいい場所にでる。
ここからは、猿政山から烏帽子・大膳原まで見渡せる。

南の原から山頂に向かうと上写真の右(こんもりとした上)に出る。
下の山並と野草はここで撮影

猿政山

続きは

吾妻山へ登る(南の原から山頂へ)踊る木発見

※西城町側から熊野神社前を通って立烏帽子駐車場に行く道が通行止めとなっています。(いつまでかは未確認)
車で立烏帽子駐車場へは比和町から福田大規模林道終点から右へ折れて西城町に入ると上がれます。

比和町・福田大規模林道から比婆連山を望む(比婆連山の四季をドライブで楽しむ)

泣ける広島県のwebsiteでも使われている泣き景色の農村風景(下写真)は、庄原市比和町三河内です。

地図の黄線は県道(西城比和線)、赤線は農免道路です。ポスターの撮影場所は農免道路の終点付近(右端)です。下図の2番で撮影されています。

この辺りは管理人の散歩コースなのでこの付近の撮影ポイントを紹介します。
地図の番号をポイント番号として紹介します。

ポイント5から撮影。ポスター撮影場所(ポイント2)を撮影場所として記しています。左の山が三つ子山でむかし山城がありました雪の三つ子山登山を紹介しています

ポイント2で撮影。ポスターの場所を少し右から写しています。
正面の田がポスターの点景の人物入っている田です。

ポイント3で撮影。3月末

ポイント2で撮影。4月末。ポスターの写真の点景人物の奥の田から右側です。

ポイント3で撮影。5月初旬、上写真の右端部分の田が正面です。

ポイント3で撮影。4月末

ポイント3で撮影。

ポイント3で撮影。

ポイント1で撮影。 8月中旬
左の松は1番の撮影ポイントでしたが現在ありません。(泣ける)

ポイント1で撮影

ポイント3で撮影