私の伯母は、大正15年生まれです。

終戦当時、北鮮で暮らしていました。

満州からの引揚者のことは、たくさん報道され、

私たちの目に触れることも多く、いろいろと悲惨な体験が語られていますが、

北鮮から引き揚げてきた人々のことは、今まであまり知られていません。

 

伯母は、何度も何度も、この恐怖の引き揚げ体験を、私に語ってくれました。

初めは、伯母は、当然、満州からの引揚者だと思っていました。

北鮮から逃げてきた人たちの事を、私は全く知らなかったのです。

何度も聞いているうちに、「カンコウ」という地名に違和感を感じました。

これは、中国ではなく、朝鮮の地名かもしれないと・・・

改めて、伯母に問うてみると、やはり北鮮にある大きな街のことでした。

 

今まで、あまり疑問にも思わずにいましたが、

北鮮からの引き揚げのことについて、あまりにも無知だということに気付いたのです。

そこで、初めて、ネットで検索してみたところ、下記の記事に行き着きました。

 

忘れられた引揚者~終戦直後・北朝鮮の日本人~

http://www.asyura2.com/13/warb12/msg/211.html

 

伯母は、父親と共に電気局(詳しい名称は不明)で働いていました。

父親は、温厚な人柄で、鮮人たちを可愛がり、とても慕われていたそうです。

そのおかげで、鮮人からの略奪、暴行には合わずに済んだのですが、

終戦が近づくと、日ソ不可侵条約を破棄して、ソ連軍がなだれ込んできました。

伯母は、家族と共に日本人収容施設に、入れられました。

寒くて、食料もなく、衛生状態の悪いその施設で、

一人の女性が出産する場面に、出くわしたそうです。

面識もない、多くの日本人女性が、その出産に手を貸して、

無事に、子どもが産まれたそうです。

まだ20歳の伯母にとって、この出産シーンはあまりにも衝撃的で、

伯母は、出産に対する恐怖に襲われ、

その後生涯にわたり、生理が止まってしまったのだそうです。

 

日本人の多くは、母国に帰る手段もないまま、収容されていました。

寒さと飢えと劣悪な衛生状態の中、自力で本土を目指す人たちが旅立っていきました。

伯母の一家も、その一例です。

わずかな財産を、リュックに入れ、現地の人から、着物などと交換に、

食料を手に入れ、ひたすら南を目指しました。

いくつかの日本人家族が、お金を出し合い、漁師に頼んで、

ヤミ船を出してもらい、海から38度線を越えるつもりでした。

船に乗っていた間のことが、伯母の話からはよくわかりませんが、

陸に降ろされてみると、まだそこは、38度線の北側だったそうです。

水も食料も尽き、両親と伯母と大伯母さんという人と、

4人でまた歩くしかなかったようです。

大伯母さんは、体が不自由だったらしく、父親と伯母とで、交互に背中に負い、

ただひたすら、歩きに歩いて、やっと南鮮まで辿り着いたそうです。

南鮮からは、米軍の引揚船が出ており、それに乗り込んで帰国しました。

 

帰国してからも、伯母の人生は、運命に翻弄されていたとしか、

言いようのない悲惨なものでした。

結婚、夫の浮気、家業の倒産、姑の介護、離婚、寮母として就職、両親の介護・・・

そして、伯母は一人暮らしとなり、80過ぎまで自立して生活していました。

子どもはなく、私が一番の近親者となります。

 

60歳代で、子宮頸がん、放射線治療による膀胱の損傷、自家腎移植・・・

その後も、骨盤の圧迫骨折、腸閉塞、胆管閉塞による機能不全・・・

など、多くの危機と闘い、何度も入退院を繰り返し、92歳の今日を迎えたのです。

 

伯母の生命力の強靭なこと・・・それは、

やはり、北鮮から死線を越えて引き揚げてきたことと無関係ではないでしょう。

 

最近、傍目にも痛々しい程、弱ってきた伯母を見るにつけ、

もっと詳しく、引き揚げの経験を聞いておくべきだったと痛感しています。

 

現代の多くの日本人に、この北鮮からの引き揚げのことを知ってもらいたい・・・

 

そして、すべての戦没者に対して、哀悼の意を表したいと思います。

 

 

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私の闘病史 32

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何ヶ月ぶりでしょう 

歯医者さんに 行けたのは・・・ 

 

その後 銀行 郵便局 スーパーと 車で回って 帰宅 

 

下痢は 止まりましたが  

頭痛 めまい くらくら感が ハンパなく 

すごく 気分が悪いです 

 

これは 以前から あった症状です 

下痢がひどかった時には 気にならなかったのですが 

今は かなり辛く感じます 

 

他に ここ数日 味覚障害っぽい感じが 現れてきました 

これは 発病当時にあった症状です 

塩、醤油などの 味付けが ひどく強く感じられて 

料理が まったく 美味しくないのです 

せっかく 作った料理も 3種類くらい 

冷蔵庫に しまったままになっています 

お酢の味付けなら なんとか食べられそうなので 

今日は お寿司と サンドイッチを 買ってきました 

 

いろいろと やっかいなことが 続きますが 

回復途上なので 仕方のないことなのでしょう 

 

ジェイゾロフトは 8分の1を 1日半おきに飲み 

離脱症状もなく 順調に 減薬できています 

 

こうして 減薬の過程を 詳しく記しておけば 

誰かの 役に立つのではないかと 思っています 

 

減薬期間に どんな症状が 現れるのかということは 

個人差が大きいようで ネットで調べてみても 

なかなか 参考になるものは 見つかりません 

 

医師による 臨床例なども 見当たりません 

 

次に何が起きるのか まったく 予測不可能です 

 

唯一 断薬.com というサイトには 

多くの減薬、断薬の経験談が 載せられていますが 

自分と よく似た例を 探すのも なかなか大変です 

 

ベンゾの断薬には アシュトンマニュアルというものがありますが 

SSIRの断薬には マニュアルがあるのかどうかもわかりません 

 

医師によって 作られるべきではないかと思います 

 

薬を処方するだけでなく 薬をやめる方法も 教えて欲しいです 

 

この頭の くらくら感と 悪心 どうにかしてほしいと言っても 

なんの方法もないのでしょうね 

 

ただただ ひたすら 耐え抜くしかないのでしょう

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私の闘病史 31

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一昨日から ジェイゾロフト 8分の1まで 減らしました 

 

もう1ヶ月以上 下痢が続いています 

頭も ぼーーーーっとしたままです 

すごく 辛い毎日で もうストレスの限界でした 

 

昨日は 1ヶ月に1回の 受診日でした 

 

主治医が言うには  

それは 自然治癒力 自己免疫力 というものだそうです 

長い間 精神薬で 押さえつけていた  

その力が よみがえり たまり続けてきた 毒素を 

体外に 放出するために 下痢を起こしている 

ということだそうです 

 

頭が ぼーーーーっとして 何も インプットできないのも 

いらないものを 放出中であると 考えれば  

なんだか すごく 納得できます 

 

主治医いわく 

下痢は 一番効果的な デトックス だそうです 

体内の毒素が どんどん 放出され浄化されつつある 

悪いことと 受け止めず 喜べばいい そうです 

悪いことと思うと それがストレスになり 

そのストレスを また放出しなければならなくなる 

良いことと思えば ストレスは起きず 

放出にかかる エネルギーも 最小限に抑えられる そうです 

 

なるほど なんか すごく納得!!! 

 

確かに ジェイゾロフトは 最小限にまで 減薬し 

重篤な 副作用が起きるとは 考え憎いですね 

セロトニン過剰説も ちょっと無理があります 

 

薬にばかり 意識が偏り  

もともとの 体の仕組みというものを 忘れていたようです 

 

まあ 今となっては 薬も 体に不必要な  

毒素の一つと言えるでしょう 

できるだけ 減らすのは 良いことと思えます 

 

ゼロにすると 離脱症状が出るのなら 

毎日 8分の1を飲み続けるか 

36時間間隔投与にしてみてはと 提案されました 

 

下痢が 薬の副作用でなければ それで十分です 

 

医師は それ程下痢が続けば 

体は 急速に 浄化され 回復するはずだから 

楽しみにしていてください と 

 

ああ~ なんだか すっかり ストレスがなくなりました 

先生 ありがとうございました 

 

もう 下痢を恐れないことにします 

どんどん 下痢をして 健康な体を取り戻したいです 

15年間 たまり続けた 毒素や老廃物は 

おそらく ハンパない量になっているでしょう 

もう そのすべてを さっさと 放出してしまいたい 

 

帰宅すると すごく 眠くなり 夕方まで 爆睡でした

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鬱状態、パニック障害などで、

これから、心療科、精神科を受診しようと思って入る方に

下記の記事を、ご一読いただきたく、リンクしました。

私が、パキシル、ジェイゾロフトを、長期間服用し、

感じたのと同じことが、丁寧に書かれています。

これを読んでも、まだ薬を飲みたいと思われるでしょうか?

 

抗うつ剤の副作用!SSRIは要注意

 

自分の体は自分で護るという覚悟が必要だということを

忘れないでください。

特に、精神疾患にかかっている場合は、正常な判断が、

できなくなっている可能性があります。

この記事を、信頼できる家族、友人などに読んでもらって、

助言を仰いでいただきたいと強く願います。

私の闘病史 30

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ジェイゾロフト4分の1錠で なんとかやっていけそうです 

 

これ以上 離脱症状と闘う体力はないので 

涼しくなるまで 4分の1を維持することにしました 

 

午前中に カレーを作り 午後からは 

久々に 夫と夫の友人と3人で カラオケに行きました 

3人で5時間 立って歌うので かなりの運動量です 

 

薬との格闘で 体力をすり減らしてしまったので 

ここからは 体力作りに精を出さなければ・・・ 

 

かなり疲れているはずですが あまり自覚がありません 

 

汗だくなので お風呂に入りたい 

入れるかな?