「春日(かすが)灯籠(どうろう)、町の早起き」は奈良の名物という。落語のまくらだから真偽のほどはうけ合えない。春日大社の神鹿(しんろく)を死なせれば、たとえ子どもでも死罪になった昔の話である

 朝、起きると家の前でシカが死んでいる。このままではえらいおとがめを受けると、そっと隣に運んでおく。次に起きた隣家の人はあわてて死骸を向かいの家へ……朝寝をしていたら、どんな目にあうか分からないという次第である

 この落語「鹿政談(しかせいだん)」では、シカを誤って殺した豆腐屋をお奉行が「死んだのは犬だ」と言って助ける。豆腐屋を捕らえた役人も逆に奉行にシカの餌代流用を暴かれ「犬」と認める。理不尽(りふじん)な法に苦しむ庶民には胸のすく名裁きである

 神鹿として保護されてきた奈良公園周辺のシカは今や世界でも珍しい市街地のシカとして外国人観光客の人気を集める。そんななか天然記念物であるはずの「奈良のシカ」の捕獲が今週初めから始まった--といえば驚く方もいよう

 捕獲対象地域は奈良市東部の郊外で、奈良公園は対象外である。これまでは一部を除く同市全域のシカが天然記念物として保護されてきた。しかし農作物の食害被害の深刻化とともに初めて頭数管理に踏み切ることになったのである

 各地で増える食害はシカの聖地、奈良も例外ではなかった。一方で捕獲中止を求める自然保護団体の声が耳に残るのは、道路一つを隔てて保護を受けている神鹿が思い浮かぶからか。人とシカの共存にむけた名案がほしい現代の「鹿政談」だ。 

【8/5 毎日新聞・余録】
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