2011年12月30日(金) 17時07分03秒

劇団第七インターチェンジ第20回公演「少女小説」

テーマ:ブログ
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 地方で若い(同世代以下の)連中がやってる音楽や芝居はまずくだらない。理由ははっきりしていて、ノンセクトの学生運動が存在しないためである。一般学生から完全に浮いた党派系のものであれば別だが、そうではなくノンセクトの学生運動をやってる連中が同じサークル棟にいれば、それに参加していない音楽サークルや演劇サークルのメンバーたちも、日常的な交流の中で、自分たちの表現行為と社会運動的な表現行為との差異や共通点について漠然とでも考えることによって自然に表現の質を磨ぎすませていくし、また仮に床屋政談レベルの社会派気取りをやればバカにされるのでそういうものも自然と淘汰される。学生の文化レベルが上がれば、それと競合して存在する同じ地域の学生以外の同世代の文化レベルも上がる。したがって、逆にノンセクトの学生運動が存在しない地域では若者文化はゴミクズ同然になるし、現に日本全国どこでも地方は今ほぼそうなっているのである。
 これまで福岡・熊本・鹿児島で、もともと何の期待もしてないから成り行きでたまにではあるが、それぞれいくつか地元の若手劇団の芝居を観る機会はあり、非期待に違わずすべてくだらなかった。
 何の文句もない、面白い芝居を観たのは、昨年末の熊本の「劇団第七インターチェンジ」のものが初めてである。
 座長・亀井純太郎君との出会いがそもそも劇的だった。
 昨年秋、10年ほどずっと追っかけ続けている「劇団どくんご」の全国ツアーのスケジュールにぽっかり空いてる部分に、急遽、熊本公演を入れようという話になり、私がそのために動いた。熊本の知人と会場候補地を挙げ合っているうち、「大学構内はどうか」という案が出たのだが、それでまず熊本の大学関係者(学生か教員か職員か)と接触しよう、というのが難航した。学生劇団のメンバーと会ってはみても、「テント芝居」というキーワードへの敏感な反応は、それこそノンセクト学生運動が身近に存在しない環境に身を置く学生たちには期待すべくもない。学内でやるなら観るけれども、積極的に呼ぼう、そのために協力しようという学生は現れない。
 タイムリミットも迫り、途方に暮れていたところへ、熊大の現役学生も1人だけ在籍しているという熊大OBたちの劇団と連絡がつき、さっそく会うことになった。「第七インター」などという、新左翼党派「第四インター」を想起させるような劇団名に、「あるいは」と淡い期待もあったが、もちろん淡いものでしかなかった。
 が、待ち合わせの場所に「どうもどうも」と現れた亀井君は、「熊本にこんな若者がいたのか」とこちらが仰天するほどの近年稀に見る“逸材”だった。こちらから示唆もしないうちから学生運動の不在について嘆きはじめ、「ウチは9・11直後の国際反戦デーに結成したことになってるんですよ、もちろん実際は違うんですけど」などと熱く語りはじめた。
 亀井君の話を総合すると、きっと学生運動があると期待して熊大に入学したものの、それはほとんど入れ違いに壊滅しており(熊大のノンセクト学生運動は93、4年まで存続。その最後のメンバーの1人は実は私の友人で、熊大学生運動がどう終焉したかについてのロング・インタビューを『デルクイ02』に掲載予定)、学館のトイレなどに剥がされないまま残っているビラにその“残り香”を感じながら、悶々とした学生生活を送ったらしい。
 もちろん亀井君は熊大構内への「劇団どくんご」招致にすぐさま乗り気となり、実際、去年・今年とそれは実現している。

 その亀井君の芝居を、初めての「どくんご」熊大公演も無事終了した翌月、「どくんご」の面々と共に観に行った。2010年12月、第七インター第18回公演だという「13」である。
 それまでの成り行きから、多少の期待はしていたが、冒頭に述べたとおり、地方の若者の芝居に不平不満や怒りや苛立ち以外の方向で心を動かされたことは皆無だから、期待しすぎないように気をつけた。
 が、要するに地方の若者がやってるにもかかわらず何の不満もない芝居を私は初めて観た。こんなことならフツーに期待して観たって充分満足したはずだ。
 もう1年も前のことなので細部は忘れてしまっているが、レストランに客が予約申し込みに来る。「13人の予定」だという。話が進むにつれて、どうやらそれは「最後の晩餐」らしく、またその予約を申し込みに来ているのはユダらしいことも明らかになっていく(のだが、はっきりそう説明されるわけではないので、最後までそうと気づかなかった観客もたぶん大勢いる)。また、レストランの店員たちはみな包帯を巻いたりそれぞれ怪我を負っている様子で、しかも舞台からいったん姿を消し、また戻ってくるたびに負傷の程度がヒドくなっている。店員たちや「ユダ」との間でとりとめのない会話が延々と繰り返されるのだが、その端々から、どうやらその地域は内戦の戦場となっており、やはりそうはっきりと名指されるわけではないが、その内戦はいわゆる「対テロ戦争」「まったく新しい戦争」の文脈で勃発したものであるらしい(もちろんこれまたそうと理解できなかった観客はやはり大勢いただろう)。が、私にしても理解できたのはこれら大枠だけで、上演時間の大半は、脱線につぐ脱線の、噛み合わないシュールな会話に費やされる(この「笑い」も実にセンスがよく、分かる人には分かるように露骨に示されてはいる、言及したような大枠の設定を理解しない観客にも楽しめるものだし、実際に客席はしじゅう湧いていた)。進行中の内戦について、登場人物たちが、あるいは作者がどう考えているのかといったことはまったく示されない。そして、物語的にもストーリーは何ら解決しないまま唐突にプッツリと「幕」となる。
 先日、約1年ぶりに観た第20回公演「少女小説」も、およそ似たような作風だった。地方の一軒家らしきところで、若い姉妹が、やはり意味不明のとりとめもないシュールな会話を続けながら、両親の帰宅を待っている。そこへ唐突に、役人か何かであるらしい2人組が乱入してきて、「放送を聞いてなかったんですか、ただちに避難してください」と迫る。姉妹は「放送」を知らず、どうして避難する必要があるのかと、当然2人組に問いただすが、返ってくる答えはどうにも要領を得ない。ただ「緊急事態だ」と繰り返すばかりで、やがて「実はこの床下に熊がいるんです」などとも云い出すが、どうもその場しのぎのデマカセくさい。床下に熊がいると聞いて姉妹がパニックになりかけると、「しかし冬眠中なのでただちに危険というわけではない」とも云う。そこで姉妹が「ただちに危険でないのならそう急いで避難する必要もなさそうだ」と話し合い始めると、「いやそれでもすぐ逃げてください」と云ってその理由を挙げるのだが、それらもやはりその場しのぎでテキトーにデッチ上げているっぽい。……というふうに物語の大枠を取り出せば、明白に「3・11」をモチーフとした作品なのだが、舞台上では一言も「地震」や「津波」や「原発」といったキーワードは出ないので、そのことに気づかなかった観客もどうやら多いらしい。BARラジカルの店員ら3人を伴って観に行ったのだが、3人が3人とも、私にとっては露骨に明白であるように思えた(だって「2人組」は要するに「安全だけど逃げてください」「ただちに危険というわけではありませんが逃げてください」と云ってるわけで)この設定に気づいていなかったようなのだ。が、やはり今回も、私にしたところで理解できたのはこの大枠だけである。「ただちに影響はありませんがただちに逃げてください」という不条理を、作者つまり亀井君はまったく“論評”するそぶりを見せない。ただ「なんだかなー」という“気分”だけは伝わってくる。そして「13」同様、とりとめのない会話が延々と繰り返されているうちに、まったく何も解決しないまま、プッツリと終わる。
 先に「面白い」と書いたが、「13」にしても「少女小説」にしても、正直云うとこれが面白いのか面白くないのかさえよく分からない。ということはつまり、すごく面白いのである。くだらないものは、少なくともくだらないことだけはハッキリと分かるからである。観ていて頭の中が「?」でいっぱいになり、しかしとりあえず舞台上で繰り広げられているシュールな会話にはつい笑わされ、つまり退屈させられることはなく、それでも要するにそれが何なのかということは最後までさっぱり分からず、一方で我々を取り囲む現実に「なんだかなー」という釈然としないモヤモヤした“気分”を作者と共有しえていることだけはよく分かる。

 学生運動の存在しない環境にあっても、その“不在”を充分に意識している者は水準に到達しうるのだと、亀井君の作る舞台に思い知らされ続けている。
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