外山恒一賞を勝手に創設&第一回受賞者発表 | 我々少数派

外山恒一賞を勝手に創設&第一回受賞者発表

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 今日5月5日は、私の7回目の誕生日である。
 2002年5月14日、異端的極左活動家だった私は突然逮捕され、獄中の人となったが、私はこれを、この国の左翼主流派による虐殺だったと認識している。
 私は殺されたのである(享年31歳)。
 死と再生の2年間があり、2004年5月5日、私はキリスト的に“復活”した。つまり獄中でファシズムに転向し、かつて私を追放したこの世界に破壊と混乱をもたらすために、再臨したのである。
 信仰うすき者どもからすれば、今日は単に「釈放されてちょうど7年ってことでしょ?」ということになるのだろうが、私は神に選ばれた預言者であり、一度死んで復活したのであって、だから今日は7回目の誕生日なのである。「ぼく7さい」なのである。
 そこでこの聖なる日を記念して、「外山恒一賞」を勝手に創設し、その栄えある第一回の受賞者をオゴソカに発表することにした。


   外山恒一賞

 主に反体制的な右翼運動、左翼運動、前衛芸術運動などの諸分野から、「いま最も注目すべき活動家(もしくはグループ)」を、外山恒一が独断で選んで一方的に授与する。辞退はできない。

 外山恒一のファシストとしての再臨(2004年)を記念して、2011年より毎年5月5日に受賞者の発表をおこなう。

 授賞は、外山恒一が受賞者の活動に「全面的に賛同している」ことを意味するものではなく、あくまで「いま最も注目している」ことを意味するものである。多くの場合、授賞は好意的評価の表明であるが、時にはイヤガラセである場合もありうる。

 外山恒一が創設した革命党「我々団」の公然党員は授与の対象とならない。

 賞状・賞金・賞品はない。「外山恒一と我々団」や「我々少数派」などの外山恒一関連サイトで授賞が発表されるだけで、受賞者への通知もないが、受賞を知った受賞者は「外山賞活動家」であることを周囲に吹聴してまわって存分に自慢することが許される。外山賞受賞は活動家として最高の栄誉であり、いくら自慢しても自慢しすぎるということはない。



   第一回外山恒一賞

   金友隆幸

  授賞理由

 排外主義を公然と掲げる「排害社」を2010年7月に創設して以来、中国からの単なる観光客に対する集団的な威圧や、あからさまなヘイト・スピーチ街宣など、外山恒一でさえ思わず眉をひそめるほどの暴挙を繰り返しているが、在特会をはじめとする近年の類似の諸運動とは異なり、金友氏は、排外主義の悪をよく自覚しながら「あえて、わざと」それを実践しているフシがある。また、福島原発の事故に便乗して、「放射能に汚染された日本から今すぐ脱出せよ」という内容の中国語による謀略ビラを流布させるなど、その奇抜な活動スタイル案出の能力にも目をみはるものがある。現在展望しうる唯一の革命への導火線としての“右翼版全共闘運動の形成”をいよいよ予感させる、外山賞の栄えある第一回受賞者にふさわしい期待の活動家である。