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家族が市民ミュージアムから

タダでもらってきました。

地元の歴史だから好きだけど

読むのがシンドイのは何故〜?



やっぱ誰の何が、がわかってないと

つまんないのかな。


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ていうのに行ってきました。
 
古代歴史文化協議会というところがやってて
 
去年もあったみたいです。
 
 
こちら↑は去年の資料をDLできます。
 
興味ある方はどうぞ♬
 
 
 
場所がよみうり大手町ホール。
 
田舎者はしこたま迷ってしまい
 
時間に遅れてしまいました。
 
ビル風冷たくて鼻水が出てきました。
 
 
この古代歴史文化協議会は埼玉県、石川県、福井県、三重県、兵庫県、奈良県、和歌
 
山県、鳥取県、島根県、岡山県、広島県、福岡県、佐賀県、宮崎県の14県で構成され
 
ていて。
 
行くとホールの前にブースがあって各県の古代押しパンフレットなんかが
 
置かれ望むといただけます。
 
私は奈良県のブースで行けなかった
 
現説のコレ↓をいただいてきました。
 
 
 
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行きたかった〜〜〜〜。

 

ちなみに橿考研ニュースも置いてありました‥。

 

 

 

講演はごあいさつにはじまって

 

「古代韓半島における硬玉製勾玉の移入とその歴史的背景」

 

(日本は日本の教科書が「朝鮮半島」表記なので

 

「朝鮮半島」と呼びます、といってました)

 

という内容で韓国の大学の先生がお話し下さいました。

 

朴天秀先生です。

 

なのに私ったら遅れてしまったもんで

 

ちょっと内容が掴みきれてないかも‥。

 

その後

 

休憩後各県の方々で

 

パネルディスカッションというかたちになりました。

 

橿考研の所長様がコーディネーターでした。

 

所長先生の進行はとても楽しくて

 

宇宙とも交信しませんし、船をこぐこともありませんでした。

 

私は環日本海みたいな考え方が好きで

 

気になっているんですが

 

玉についてはそうでもないのかな。(アフガニスタンのガラスとか出てくるし)

 

糸魚川の翡翠が有名ですけど

 

じゃあ日本海側の勾玉なんか立派な翡翠が使われてるかというと

 

そうでもなくてあんまり状態がよくないのが

使ってあるそうです。

 

所長先生さまは鉄との交易に使って

 

そういう輸出品だったからというようなことを

 

おっしゃっていたような。

 

いいものは外国へ行ってしまったんですね。

 

なるほどーと思いました。

 

 

 

あと翡翠と天河石の勾玉の違いとか。そっくりですよね。

 

純水に天河席を沈ませると比重でわかるとか。

 

(あと鉛の入り具合とか)

 

でも文化財なんでそこまでできないとか。

 

興味深かったです。

 

 

和歌山県の豪族紀氏のお話も面白くて

 

朝鮮半島派遣があったから

 

古墳副葬品がまるで「プチ藤ノ木古墳」とか。

 

和歌山の古墳行きたくなる〜〜。

 

ガラス玉では古墳だけでなく

 

鎮魂具もそうですが

 

なんと法隆寺の救世観世音菩薩の冠。

 

あれにもガラス玉がついてるらしいのです。

 

今度の3月にいって(年に二回拝見できるんですよね。調べたら4月だったんですが

、他にも特別公開されるのかな)

 

強力な光源かなんか当てて見てみるといいですよ、と

 

所長様がおっしゃってました。いいこと聞いた!

 

というわけで寝ちゃうかな(失礼な!)という

 

こともなく楽しめました。

 

来年もやるそうなので(どこかで同じことを聞いたような)

 

楽しみです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 
 
 
 
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奈文研の東京講演へいってきました。

 

朝10:00~16:00までずっと聴講するアレです。

 

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今回の場所は学術総合センター2F。

 

私は東西線竹橋から歩いて行きました。

 

ここら辺は東京!って感じですね。

 

共立女子の建物が見えて

 

「ああ、車で埼玉から帰ってくる時、首都高に乗ると通るところだ」

 

と気がつきました。

 

 

 

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マッチデープログラムみたいだな。
 
内容も。有料なとこも500円。
 
 
プロジェクターで映されてた画像が詰まってると
 
思ってください。
 
 
 
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ランチは神保町が近いので

 

わりとありました。

 

私は青連という中華屋さんでユーリンチーランチを780円で。

 

 

 

午後からは古代のファッションショーです。

 

飛鳥時代と奈良時代の装束をきた方々がでていらっしゃいました。

 

なんと馬場先生が大臣クラスの天平衣装で登場です。

 

残念ながら撮影禁止です。

 

ぜひ撮りたかったのに〜〜。

 

馬場先生だから軽快な冗談も飛ばしまくりです。

 

衣装の前の合わせのこと、

 

ヘアスタイルのこと

 

どうして飛鳥時代と奈良時代がこんなに違うのか

 

話されてました。

 

この頃の女帝さんは正式には白の装束だったそうです。

 

紫が一番偉いと思ってました。

 

知らないこといっぱいあるんだなぁ。

 

午前中は船漕いでたので(今年もか!)

 

午後は楽しく聴けました。

 

来年は有楽町で10月7日だそうです。

 

もう決まってるので

 

予定に入れといてくださいね、と司会の方が言ってました。

 

最後は古代衣装の方々が並んでお見送りしてくださいました。

 

馬場先生も。ありがたや〜かっこよかったです。

 

 

 

帰りに竹橋の駅に行くのに学術総合センターのまわりを

 

歩いてたら、さっきのスタッフの方がいらっしゃいました。

 

するとそばに奈良ナンバーのトラックが2台。

 

これにマッチデープログラムや「むかしむかし」

 

や飛鳥資料館の本なんかを積んできたのかしら。

 

古代の衣装も?

 

宅配じゃ済まない荷物なのねきっと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 
 
 
 
 
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行って来ました。

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江戸博のは今日までです。

毎年埴輪をドーンと入り口付近に展示してたそう


今年は縄文式土器がメーンを飾っています。

ちょうど文化庁の方が

説明をされるというので

かぶりつきで聞いてました。

その時代時代のキャッチフレーズがおもしろくて

展示に見入ってしまいます。

「糸つむぎ 布を織ったら アイロンで」

「秀吉の金箔瓦 露と消え」

など。

だから金箔瓦見てきました。

ほんとに金箔はってたんですね〜。

文化庁の方が

「山上憶良がこんなに暮らしが苦しいんだと

歌ってますけどそんなことはないんです。

中国の真似して詠んだものなんですから。

このころの税はそんなにきつくないんです。」

とおっしゃってました。

私が社会科で習ってた

里長がムチをふりあげ、「米を出せ!」

のイメージはなんだったの?

私くらいの年のものはみなそういうもんだと思っています。



「不動穀」についてもふれられ

「倉が米でいっぱいになったら

次にまた倉を作って入れる。」

「ただそこにあるだけなんですよ。

誰も見ませんから。緊急時に出すくらいで。

そうしたらお役人が私腹を肥やすために

その米使います。

で、バレそうになったときは倉に火をつけてしまうんですよ。

そうするとバレずにすむわけです」

そういうのが各地に出ています。」

の炭化した米が。

それを見た何百年後のお百姓さんが

「ここには米をたんと持っていた長者がおったんじゃな。」

といって長者〇〇、長者なんちゃらという名前をつけたそうです。

なので長者と付いている場所は

掘ってみると奈良時代後期から平安時代のお役所跡

だったりするそうです。




その他にも東日本大震災の復興と埋蔵文化材保護の展示や

発掘によって判明した災害跡群の展示があり

いにしえから私たちの先祖がたどってきた道筋を

教えてくれてます。

現実は激烈なものばかりでこれを乗り越えてきたのかと

われを忘れて見入ってしまうことばかりです。


そこから

私たちが教訓にし、学びとれるものがあるような気がしました。

てか、そうしないとだめだよね。

先人たちも「ここからやばいから気をつけろ」

など石にきざんだりしてるんですけどね。

現代技術が発達したから大丈夫、とか

今の科学を過信してはダメですよね。



石山寺

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もう疲れ果てています。

どういうこと?

トシなんだな。

jr石山あたりが保良宮跡らしいと読んだけど、

イマイチ実感湧かず。

礎石もあったりするらしい。

へそ石?



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瀬田川。

瀬田大橋のレプリカを何年か前

NHKさん実験で燃やしてませんでした?

恵美押勝の乱を検証したんだか

なんだかで。



そんなこんなで。

石山寺へ行ってみました。

悲しいことに桜はつぼみ。

咲いたら見事でしょうね。

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これがうわさの。


あ、ちなみに今御開帳やってます。

仏さんの、手につながった紐をにぎれます。

ありがたや。


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気になるシロモノ。

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もうゼイゼイしてる。

等高線こんでるとこはキツイってことですね。
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ミツバツツジ

ホーホケキョですって、のどかだなぁ。

そういえば紫式部の人形もいたなぁ。

あんまりパンフに書かれてない気がします。

書かれてないことのほうがおもしろそうなのに。





念持仏、近年の調査で見つかって

厨子かなんかに入ってたのかな。

飛鳥、白鳳、天平ってそれぞれ書いてありました。

あんだけ上野の法隆寺館通って

ちっちゃい仏さん眺めているのに

この三体の違いがイマイチわかりません。

修行不足ですわ。

この後奈良へいきます。


鈴鹿考古博物館に到着したら

まだまだ講座の時間には早すぎたので

展示を見学したりしました。

それでも余裕があったので

史跡に行ってみることにしました。

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博物館の周りの梅です。


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つぼみもあったんですが、

風で散ったりしてるのもありました。






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相変わらずひどい画像の撮りっぷり。

まだ整備途中なんですね。


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なんだか相模の国分寺跡と比べてしまいます。

あちらより規模が大きそうですが

なにがなんだか

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礎石跡?


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国史跡と書いてあります。

これからなのかしら。

すっごい広いです。

川があって高台なのはお約束どおりですね。




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コストコで来られた方はスルー物件ですよ~っと。



このところ地元の遺跡関連が多くて、

ちょこちょこ行っております。

今回のは府中市の発掘40年というのの

遺物とギャラリートークです。

府中伊勢丹の中でした。

この催しを知ったのは、橘郡衛の国指定遺跡の記念講演で知りました。

縁とは不思議なもんですね。

府中市の国府関連遺跡の発掘のお手伝いをやっていたというのもありますが、

郡衙から国衛とちょっと比較したくなりますね。


内容は過去の新聞記事をプロジェクターで映したものに

説明を付けてくれるという感じでした。


なにせ40年ですから。

私の子どもの頃の記事からつい最近まで

遺跡というのはすごいですね。

長いスパンで考えて行くというのを肌で感じました。

旧石器時代から昭和までいろんなものが埋まっていました。

それぞれ興味深かったので

やっぱり単眼鏡が欲しいと思いました。 


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ゆるキャラのかめまるくん。

軽快な動きが全くとれないゆるキャラです。

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会場の目の前の大国魂神社です。

七五三がたくさんお参りに来てました。

それでも荘厳な印象は変わりません。










雨のせいでしょうか。


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帰りに

久しぶりに府中へ来たのだからと

「むつみ屋」さんの中華そばを食べようと思ったら

もう終わってました…。

近くにある「青葉」で中華そばいただきました。

雨の日の中華そばはほっとしますね。



コストコで来た皆さんはスル~物件ですよっと






ジモト遺跡が国指定史跡になったので、

講演会やってたもんで行ってみました。



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昨日も奈文研行ったのに今日も!

しかも時間を間違えて半分聞く事が出来なかった…。

二連チャンはやっぱり体にクるのでしょうか。


場所は川崎南部市民には馴染みのうっすい

高津市民ホール。

ノクティとかいう商業ビルの12階なんて難儀過ぎる。


だいたいエレベーターが常に満員で使えないではないですか。

エスカレーターで地道に行きました。

ホールの入口で画像にある冊子をいただきまして。

あとからよく読んだらよくできた冊子でした。



私が聞きたかった今回の史跡になったところは

すでに終わっていて(残念無念)

同じような国指定史跡がどうやって今後活かしていくか

そのような講演会になっていました。

「地域の小学校と連携して~」

「長期スパンで計画し地道に予算を確保して行く…。」

さすが講師のみなさま真面目な提案をされますね。

岐阜関市の『弥勒寺官衙遺跡』からいらした田中先生は


「鵜飼い、円空、郡衙の三点セットで売り出したい」と具体的

提案をされていました。

なるほど~。

さてわが街川崎はどうなんでしょう。

国指定史跡になって半年ということもあって

これから感が否めません。

てか、川崎は農村地帯と違って住宅が密集している地です。

観光や学習で呼び込むにも駐車場にも難儀するでしょう。

とても特殊な遺跡なのだと思います。

またこれらを観光資源とかあんまり考えてないと思います。

「市民に知っててほしい」「子どもに伝えたい」

という意識なんだと思います。


中学の時古代史にハマり、中央(奈良)はいろんな歴史があるのに

自分の住んでいるところはどうだったんだろうと

無い頭しぼって図書館行って調べたり、本屋へも足を運びましたが

なんだかわからないのです。

まるで霞か何かがかかっているかのように

そのころのジモトは空白でした。

貝塚や古墳があって、

でも?当時の人達の姿が見えて来ないのでした。

なのでその空白の時代を生きていた人が居た痕跡を

この前の現地説明会で見る事が出来たのです。

確かにここにいたんだなって。

まるで遠い親戚にあったような気持ちでした。

奈良や京都とはやっぱり違う感覚ですね。ジモトの遺跡というのは。

でね、

やっぱり視覚にも訴えたいんですけど、

何せ出てくるもんが、役所とか倉じゃないですか。

倉の中に一杯もみがらが積んであって、

はい、こんな風でした~っていわれても

ふ~んで終わりだと思うんです。

正倉(倉ですね)一つ再現すると一億円かかるそうです。

私なんかだとマニアなので、籾殻にまみれたいとか、

正倉の中で一夜を明かしたいという願望がありますが

普通の人はそうはいきませんわね。

ジモトの古地図でここらへんまで湿地帯で、こうやって

物資を多摩川や矢上川で運んで、

だから館や正倉が上にあるとか。

NHKみたいにCGで見られるといいんですけど。

あと、薄くてもいいのでこの手の小説なんかあると

それもって定年後の夫婦がウォーキングがてら

廻ってくれると思います。

ウォーキングマップや道の整備なんかもお願いしたいとこですね。


やっぱ妄想って大事だと思います。

架空でもいいからこの時代にこんな人がいた、

っていうのが欲しいですね。



コストコで来た方は素通り物件ですよ~。





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行って来ました。

ホントは奈良へ行って、正倉院展と馬場先生の講座だったのに。

近場で(有楽町です!)山田寺の回廊の遺構の表紙ですから

こっち行っちゃいますよ。

会場のしたはルミネですから、

お昼の心配もなし!







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お昼休憩で余裕に食べられました。





【プログラム】
10:00~10:05 開会挨拶
 松村 恵司(所長)
10 : 05~10 : 50 なぜ建築史の研究者が発掘現場に?
 西田 紀子(飛鳥資料館学芸室研究員)
10:50~11:35 古代土器の年代推定
発掘遺構と古代建築をつなぐ
 西山 和宏(都城発掘調査部主任研究員)
昼食休憩
12:45~13:30 古代建築の復原の手がかり -平城宮朱雀門と第一次大極殿-
 鈴木 智大(都城発掘調査部遺構研究室研究員)
13:30~14:15 東西楼は入母屋か寄棟か -平城宮第一次大極殿院の復原にむけて-
 海野 聡(都城発掘調査部遺構研究室研究員)
休憩
14:30~15:15 山田寺倒壊回廊が語る古代建築史
  箱﨑 和久(都城発掘調査部遺構研究室長)
15:15~16:00 出土部材をしらべ、まもり、つたえる
  番 光(文化遺産部建造物研究室研究員)
16:00 閉会


これ全部聴講してきました。

最初はメモしてたけど、そのうち船漕ぎ出しました…。

てか宇宙と交信か?

入母屋作りか寄せ棟あたりで何書いてるかわからなくなって。

皆さんよく平気だわ~。

講座のトライアスロンみたい。

メモもびっちりあるけどブログに書き写す気力なし。

そのうち追記する日がくるんだろうか…。

内容的には貴重なお話でしたよ。

「こんな晴れた日に暗いところで古代建築の話を聞く皆さん…」
といわれましたが確かにそうですよね。



 コストコブログで来た方は素通りですよ~~~。



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朝行って、昼には帰宅できる現地説明会ってステキ♪



やっとジモトでも現地説明会に参加できました。


なんでも倉庫群が発見されて、あーた、

国史跡に指定されたんですのよ。ジモトお初!!

しかし見つかったのは正倉院(倉庫よね)だけでそれ以外の施設

は見つかっていないのです。いいのか?

川崎市舞い上がっていないのか。

まぁ、郡衙の成り立ちや廃絶までの経過をたどることができるのでOK!みたいです。

郡衙っつうのは県の下に来る市みたいなやつです。

ちなみに武蔵国橘郡になります。

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こんな等高線がつまってるとこなんて
悪い予感しかしません。


そうです。上り坂なんです。

ジモトでも平べったい所に住んでいるもんで

上り坂はいやぁぁ~。

時間が読めないんで、早めに行動、

早めに到着。



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結構な人出です。


周りはアパートや住宅がニョキニョキ建ってる住宅地です。



係の方が、「まだ時間がありますから、影向寺さん見学してきたらどうですか。」

と進めてくるのですぐそこなんです。

古刹なんですよ。なのに私一回も行ったことがないんです。

それもこれも登り坂のせい~。

上る気がおきないぃぃ。



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影向寺さん正面。

やや、思ってた以上にいいお寺さん。


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説明がかいてあります。

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立派な銀杏の木ですね。

うんちくがありましたが忘れました。



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六角堂

なんかこれに関しては資料がないっす。

聖徳太子像(鎌倉時代?)もこのお寺にあるからその関係かしら。

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影向石。

塔の心柱の臍穴、仏舎利の収めらた穴が繋がったもの?

ここのくぼみにたまった水は眼病に効くとか。あたしの老眼にも効くかしら?


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さて現説です。






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あたし、いつも食べ物ばかり撮ってるから、こういう撮影は超下手ですね。

寄り過ぎ。



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掘ったて柱のあとなんですけどね。

さっき行った影向寺(ようこうじと読みます)は礎石の上に

柱を立てているんですが、郡衙と思われるこちらは掘ったて柱

で要するに穴の直接柱を立てているのです。

重い瓦屋根の柱には向かないけど

茅葺きなどにはいいそうです。









ここの遺跡弥生時代の竪穴式住居も出てます。

環濠集落だったらしいです。

三つあったって言ってました。




昔から人が住んでいたんですねー。
  




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出土品もあります。






ジモト愛満載なんですけど、

うちのほうからだと、矢上川使ってここの郡衙に税を納めたのかもと思いました。

ローカルな話で申し訳ないんですが

橘小学校あたりは湿地でちょっと水が上がると

船で移動してたんですって、ここら辺の人達。

やっぱ湿地帯なんだなぁ。

そんなんで稲作できたのかなといつも心配してしまいます。











多摩川からこちら側を見ると視界に入ってくるのが

この郡衙なんですね。

どっかで聞いたようなような話ですね。

支配者って同じようなこと考えるんでしょうか。

ちょっと高い所があってそばに川が流れてて物資が運べるみたいな。

先ほどの影向寺は出土した軒丸瓦から7世紀後半からあったらしいです。

で、馬絹古墳に眠る豪族がこの寺を造ったのではといわれていました。

そういう有力者が当時の郡衙の郡司なんでしょう。

なんですけどね、文字資料がないのですよ。

だから名前がワカラナイ。

地方色でてますねー。

これが中央に近かったら名前が残ったかもなのに。








「橘官衙遺跡群を活かす」というシンポジウムも来月

10月25日にあります。

…行ってみたい気もします。














ここは調査の後埋め戻して市民農園にするそうです。