”与えもしないで得ることはない”

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この方の書いてらっしゃることが好きで、だいたい毎日ブログを読んでます。

最後にね、❝ただ そう思っただけ❞っていつも書いてあるんですが、まずそれが好き。

気付かないと、行動していないと、ただ、そうも思えないと思うんです。

 

今日のブログはまさに、わたしが最近思ったいたことと同じだったので、リプログさせていただくことにしました。


 

わたしはこういう仕事をしていると、人からいろんな話をされます。

最近も仕事の悩みを聞きまして。

それを母に話してたんですよ。

 

わたし 「もっと周りの先輩とか上司とかが❝どうしたん?❞とか❝最近どう?❞って聞いてあげなあかんよなぁ。」

母 「そりゃそうやけど、みんな自分のことで精一杯やから、しゃーないんちゃう?」

わたし 「えー!そういうもんなん?自分さえ良ければええん?みんなで仕事してるねんで?」

母 「上司が見て見ぬふりやったら、諦めなしゃーないやろ。長いものに巻かれるか、自分でがむしゃらに闘うか、それしかないやん。」

わたし 「それやったら、組織の意味ないやんか。」

母 「けど、今どきの会社ってそういうもんなんちゃう?目先のことばっかり。で、気付いてない人になんぼ言うても無駄やで。気付いてないねんもん。あんたが聞いたったらええやんか。」

 

まぁ、確かに母の言うことはわかるんですけどね、わたしが先輩だったら、ひとこと声掛けるけどね。

母はだいたい相談なんてものを基本してきません。自分で決めて、事後報告、そういう人だから、声掛けてもらわなくていいのかも。

しかし、みんな面倒なことには関わりたくないんですね。寂しいなぁ、それって。

気付いてないのかな、ほんとに。気付かないふりをしてるんじゃないの?

何か違うよな、って思います。

 

シヴァナンダ・ヨガのトレーニングでは、スタッフや先生、いろんな人が助けてくれます。

わたしも今回も、とてもたくさんの人に助けていただきました。スタッフも先生も、無償なんですよ。

シヴァナンダ・ヨガではこれを、カルマ・ヨガと言います。

無私の奉仕を通して、無執着を学ぶことです。

生徒たちももちろん、一日のスケジュールの中でカルマ・ヨガを行います。

「わたしたちのために、寝ずに勉強したりご飯作ったり、明日の用意をしたり、わたしもしっかり学んで応えなければ。」

という思いになりました。

 

無執着、なかなか難しいです。

やはり結果を求めていかないと、それは人生の目的には繋がらないからです。

わたしなりにカルマ・ヨガについて考えたのですが、

行為をするときにはひとさまが喜んでくれるように、その時のベストを尽くして行う。

そして、できることもどんどん増やしていく。

どんな仕事も心を込めて行う。

 

感謝の気持ちを、つい期待してしまうこともありますが、いやいやそれは別に必要ないって、その気持ちは手放すようにしています。

でもね、実は結果は求めなくても、ちゃんとついてくるのですよ。

生徒さんがヨガをした後、すっきりした、清々しい顔で帰って行かれること。

また来て、一緒にヨガをしてくださること。

自分以外の人と、本音で話ができたりすること。

で、ありがとうございます、楽しかった、って言っていただくことがほとんど。

他にもね、いろいろあります。

求めてなくても、与えたらちゃんとついてくるんですね。

 

スワミに

「ヨガのクラスをするときは、先生が生徒たちにプラーナ(気)を与えること。そうすればクラスにエネルギーが満ちてくる。カルマ・ヨギの態度で教えること。それをすることで、わたしたちも高まるし、生徒の精神性も高まってくる。」

と言われ、その言葉を思い出しながらクラスをしています。

わずかであっても、わたしの持っているものをとにかく出し切ってクラスをしよう、という気持ちで。

結果的に、生徒さんたちから教えてもらうことのほうが多いし、与えてもらっていることも多いです。

生徒さんにとってはわたしだけが先生だけど、わたしはたくさんの先生がいてありがたいことだな、って思うのです。

みなさん、「また来ます~(^∇^)」って言ってくださるし、これがわたしの人生の目的だなって思います。

ヨガをすることで、笑顔になっていただくこと。

外側に幸せを求めなくても、ちゃんと一緒にヨガをしてくれる人がたくさんいるし、支えてくれる人もたくさんいる、もうすでにわたしは満たされているのだから、わたしも、もっともっとできることをやっていこう、と思うのです。

 

だからね、周りの人が困っているのに気付いたら、ひと声掛けてあげて欲しいです。

例え、詳しく話を聞かなくても、気に掛けてくれる人がいるってわかったら安心できたりもするし。

みんな、誰かに、知っているところはもちろん、知らないところで助けてもらっているのですから。

 

母の言う通り、「こんなんで困ってるんです。」って言われたら、話を聞くことを続けていこうかなと思いました。

 

 

 

 

 

カルマ・ヨギたち。お世話になりました。

 

 

 

プラユキさんとお話ししてきました。

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昨日は、タイのお寺の副住職をされているプラユキさんにお会いしました。

一対一での面談形式で、何でもお話しを聞いてくださいます。

今年の一月に二回もお会いしました。

 

一月の時点でもうヨガのトレーニングに行くことはお話ししていたので、今回はその報告、これから何をやっていきたいか、心境の変化など、わたしの思いのほどを聞いていただきました。

今回のトレーニングについては、話したいことがいっぱいあるので、かなりのペースで喋ったなと思います。

 

毎日毎日、今まで生きてきてこんなに考えたこともなかったし、勉強がわからなくて、睡眠不足だし、身体もキツくて泣いたりして、とにかく今までしたことのない経験をして、とても充実した日々を送ったとは思うけれども、

先生やスタッフのみんなにたくさん助けてもらって、クラスメイト達と共に学ぶ日々を過ごす中で、わたしは近くにいる大切な人の苦しみなんて全然わかっていなかったし、理解しようとする気持ちも足りなかったし、

たった10年くらいヨガを教えていることなんて、ほんとにちっぽけで何でもないことだったなと、泣いたりしたこと。

 

その時の思考や感情=わたし、とみんな思って、苦しんだりしてるけど、ほんとはそうじゃないってこと。

 

今苦しい、辛いって感じていても、それはわたしの心が今感じているだけで、それはずっと続いていかないということ。

 

既にヨガのクラスに来てくれいてる人は、少しずつ身体や心や自分について理解し始めているけど、ストレスの脅威にさらされて健康を害している人たち、身体が思うように動かなくなってきた人たち、すべての人にヨガは恩恵をもたらすけれども、そういった人たちにどのようにしてヨガを伝えていけばいいのか、とかいう話。

 

 

など、全部全部聞いてくださいました。

 

得たものがたくさんあったねと仰ってくださいました。でも、わたし自身はそんな風にはまだまだ思えなくて。

そしてこれから、どうやってヨガを伝えていけばいいのか、課題が見つかりましたね、とも。

ほんとその通りで、まだまだ届いていないところにどうやって届けていけばいいのか、これから考えていかなければと思いました。

 

トレーニングを受けに行って、生徒さんやヨガ講師仲間は『どんなことやったんですか~』とか聞いてくれるんですけど、

ヨガと関係ないところの友人とか身内は、あまり聞いてくれないし、話しても、あんまり興味がなさそうで…近くにいる人ほどそんな感じだなと思います。

 

わたしたちが苦しいと感じる時、身体と心と魂の不調和がすべての問題の原因となっているわけで、昨日も書いたんですけど身体のほうが心より扱いやすい。だから、アーサナをまずやって身体を整えることから始めていきましょう、と日本で一般的にヨガと呼ばれている、身体を使うハタ・ヨガをまず実践することが望ましいのではないかと思います。

 

みんな苦しみから解き放たれたいけど、そもそもその苦しみって一体何?だれが、どこが、なにが、その苦しみを感じているのか?わたしというものが何であるのかを理解しないとそれがわからない。

でも、心や魂という目に見えないものに焦点をあてるより、まずここにあるわたしの身体というものからアプローチしていくのがわかりやすく、身体を知り、心を知り、魂を知り、わたしを知った時点で初めて、何が苦しいのか、その苦しみからどうやって自由になるのかがわかるんじゃないかなと。

だから、心身とも健やかに生きていくには、心と身体は相互に作用しているので、まず扱いやすい身体から。身体を動かす、健やかに保つ。心と身体は相互に作用しているので、それにはハタ・ヨガのポーズ(アーサナ)が最適じゃないかと思うので、それを知ってもらうことから始めていくしかないんだろう、とお話ししました。

 

プラユキさんの伝えられている仏教の教えや、瞑想も、わたしが実践しているヨガも、どれも幸せを感じられる心を育むためのものですよね。

幸せ、何が、どういう状態が幸せなんでしょう。

幸せはすでに内側にあって、みんなはそれを既に持っているんですけど、それになかなか気付くことができない。

気付いてもらうきっかけをどうやって作っていくのか、それがわたしの課題だと今は思っています、ということなどもお話ししてきました。

 

 

これから頑張っていきましょうね、とご挨拶して帰りました。

 

 

わたしはまだまだ若輩者だから、プラユキさんみたいな懐の深い方の足元にも及びません。

けれど、このような志の高い方に実際会うというのは、わたしの士気も高まります。

いい気を頂けたと思います。

いろいろしんどかったんですけど、一気に緊張がとれた感じでした。

 

ここでさまざまなことを書いてはいますが、いくら本を読んだりトレーニングに行ったりして知識を得たとしても、実践していかなければ机上の空論なので、これからしっかりやっていこうと思います。

 

プラユキ先生、ありがとうございました。

 

 

アーサナから始めてみましょう。

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昨日は、お寺ヨガ担当の日でした。
3か月ぶりです。
この季節は寒暖の差も大きいし、花粉やらPM2,5やらで、過ごしにくい季節。
わたしも、身体がだるくていつも通りのゆっくりめのクラスにしました。
少しでもだるさが軽減されていたらいいなと思いながら進めていました。
 
お寺ヨガで、5年くらい前に行っていたスタジオの生徒さんに再会しまして、
わたしも、どこかでお会いした方だなと受け付けて思ったのですが、
向こうから『みほ先生ですか?』と声を掛けてくださいました。
ずっと何らかの形で続けてくださっていたそうで、それがとても嬉しかったです。
こういう再会はとても嬉しいものです。
 
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身体が寒い時期に溜め込んだものを排出しようとするこの季節。
そして気候もだし、異動や入学、引っ越しなど、環境の変化も多く、ただでさえもストレスを感じることの多い時期でもあります。
ストレス反応を解消することを進んでやっていかないと、疲れがどんどん溜まっていきます。
ゆっくり睡眠を取ることも大切ですし、食を整えていくことも大切、そして適度に身体を動かすこと、そして呼吸を意識することが身体にとってとても大切ですし、
身体を整えていくことで、ストレスに対応できる柔軟な心を育んでいくことができます。
 
わたしがなぜ、ゆっくりめのクラスをするかと言うと、それぞれのアーサナの種類、目的に従って呼応するそれぞれの身体の部分に心と意識を集中したいのと、呼吸がゆったりとできていることにも意識を向けてもらいたいからです。
エネルギッシュに動くクラスも集中して行わないといけないので結果、瞑想的動いていくことになるのですが、
もっと身体の隅々まで意識してもらいたいから、ゆっくりめにアーサナをやっていただいてます。
物足りなさを感じる方もいらっしゃるかもしれませんが、正しく動くこと、正しく呼吸すること、そして正しくくつろぐこと(リラクゼーション)を繰り返し行っていくことで、まず交感神経系の過剰興奮を弱め、副交感神経系を活性化させ休息と回復を促すので身体がまず整っていきますし、身体が整ってくると、心もゆったりつくつろいだ状態、そしてしなやかさも備わって、さまざまな外側からくる刺激に対応することができるようになってくるのです。
 
先日、初めて陰ヨガを受けてくれた生徒さんが、『ポーズの長めのキープも、これといった決まりもなく、身体に合わせてその時の状態に合わせて、そして自分に合わせてやっていくことができるその柔軟な感じがよかった~』と仰ってくれたのですが、ほんとその通りで、じっくりゆっくり、その日のその時間の、今のわたしに合わせていくことで、自分のことを知ることもできるし、❝ああ、これでいいんだな~❞と自分を受け容れることも可能になるのですね。
 
ヨガの教えは、正しく行えば、誰が行っても、必ず恩恵をもたらしてくれます。
それくらい優しい教えなのです。
 
まず、アーサナから。
難しいことはとりあえず一旦棚上げしておいて、身体を整えていきましょう。
 
ヨガの教えの中にも、
 
わたしたちに必要なのは、鋼鉄の強さであり、同時にまたその柔軟さである。
非常に硬くて強いがもろい、粗鉄でなく、身体はどの方向にでも思いのままに曲げられるように、柔軟でなければならない。
そういう身体はいつも健康で緊張がない、。そういう身体が強くしなやかな心を作る。
 
少し簡単なことばに変更して書きましたが、強く、柔軟な身体を作っていくこと、そこからスタートすることでいいと思います。
 
ストレスを感じやすいこの季節。
でも、新しいことを始めようという気持ちになるこの季節。
是非、ヨガを生活に取り入れることを始めてみてください。
 
ヨガはマットとそれを敷く畳一畳分のスペース、ゆったりした服装しか道具は必要ありません。
そして、大切なのはあなたの身体と心です。
 
  नम: शिवाय