1 | 2 | 3 | 4 | 5 |最初 次ページ >>
2014-10-26 01:39:27

池田龍夫のマスコミ時評(116)集団的自衛権など、松坂市長の勇気ある発言(8/20)

テーマ:天才の勉強法
  

 池田龍夫のマスコミ時評(116



集団的自衛権など、松坂市長の勇気ある発言(8/20)

                 

池田龍夫(ジャーナリスト)

 

 

 「解釈改憲許さぬ『国民意思』を」と訴えた山中光茂・三重県松坂市長の問題提起に感銘した。毎日新聞814
付朝刊オピニオン面「発言」欄に掲載されたもので、集団的自衛権行使の危険性を率直に表明している。

 

 山中市長は「首長である私は市民団体を結成し、憲法学者や有識者らとともに集団訴訟、国家賠償請求でこの決定
に立ち向かう運動を始めた。これは『右』でも『左』でもない。

 

松阪から市民運動として全国へと広げ、問題の重要性を国民に訴えていきたいと思う。(中略)日本は憲法9条に基づき、平和主義を抑止力としてきた。それが、日本の誇りでもあった。

 

それが変更されることは『国民意思』によってストップしなくてはならない。全国から1万通を超える賛同メッセージ
をいただいた。

 

地方議員の賛同の輪も広がってきた。まずは『法の支配』を守る司法の場において、最終的には国民が立憲主義と平和主義を守り抜く闘いにつなげていかなくてはならないと確信している」と、堂々と述べている姿勢に共感する国民は多いだろう。

 

 また、山中氏は「私はかつて医師としてアフリカ諸国で活動した。そこでは『愚かな為政者』の判断で国家体制が変えられ、国民生活が破壊されることも決して珍しくない。

 

内戦後の民族紛争の継続や人種間の格差拡大など為政者の判断が負の連鎖を広げる現実を肌で感じてきた」と述べ、今回の「発言」に至った過程を説明していたが、解釈改憲の危険性を訴えざるを得なかったに違いない。

 

「日本会議」の組織拡大が気がかりだ

 

 ここで傍と気づいたことだが、山中氏の姿勢と真っ向対立する「日本会議」と称する組織の存在である。今年6月東京都議会で女性都議に「早く結婚したほうがいいんじゃないか」とヤジを飛ばした鈴木章浩都議=自民党員派を離脱=は、日本会議の地方議員連メンバーという。

 

東京新聞731日付朝刊「こちら特報部」面が大々的に取り上げていた。それによると「日本会議」は19975月、保守系宗教団体などでつくる「日本を守る会」と保守系文化人や旧軍関係者などを中心とする「日本を守る国民会議」を統合して結成された。

 

地方議員の会員数が多く、会員数は全国で35000人に上るそうだ。日本会議発足と同時に立ち上げた「日本会議国会議員懇談会」には、今年5月現在で289人が加盟しており、安倍首相と麻生財務相は特別顧問。

 

安倍内閣の閣僚19人のうち13人が懇談会メンバーと推測される。同紙の取材に対し、日本会議ウオチャーの山口智美モンタナ州立大学准教授は「国会議員のみならず、地方議員や宗教関係者の動員力を駆使した運動は、教育基本法改正や首相の靖国神社参拝、選択的夫婦別姓導入の阻止など90年代後半からの右翼化の流れを確実にした」と警告を発している。

 

健全な政治運営を望みたい

 

集団的自衛権と特別秘密保護法をめぐって世情は騒然としている。

 

それに加え、ツイッターによるヘイトスピーチなど、〝二極分解〟の様相を深めてきた。安倍政権の国民への説明不足に起因している点が多いと思われる。主権在民の平和憲法の精神に基づき、〝独りよがり〟でない、健全な政治運営を望みたい。

AD
2014-10-26 01:38:55

日韓和解のための歴史相互コミュニケーションー「最初の日韓衝突・壬午事変はなぜ起きたのか」①

テーマ:天才の勉強法

 

日韓和解のための歴史相互コミュニケーション①


最初の日韓衝突・壬午事変はなぜ起きたのか①

 

 

                     前坂 俊之(ジャーナリスト)

 明治維新当時の世界の国際秩序「万国公法(国際法)秩序」は、西欧列強による地球規模での植民地の獲得競争だった。

 

アジア、アフリカなどの有色人種の国はいずれも西欧列強の植民地、属国、勢力下に圧迫されていた。

 植民地の危機感をもった日本はいち早く鎖国から目がさめて開国し、文明開化、殖産振興によりこの国際秩序に仲間入りした。

 

 だが、朝鮮とその宗主国・中華帝国は西欧とは異なる独自の「冊封朝貢秩序」を古来から維持していた。天下の中心は中華であり、周辺国は中華の徳を慕って朝貢する。中華との距離によって遠く離れたベトナム、日本などを夷狄(いてき一野蛮人)と蔑んでいた。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E5%A4%B7

 

 

 朝鮮国王・李太王の実父で実権を握る大院君は中華思想により日本を蔑視、日本が鎖国を解いたのは中華秩序への挑戦とみなした。

 

 明治政府の成立とともに明治元年(186811月、日本は朝鮮に修好を求めたが、文書中に「皇」「奉勅」などの文字が入っていたのに驚き、朝鮮は国書を突き返した。皇は中国皇帝にしか使われず、天皇が朝鮮国王の上に立つことを意味し、朝鮮支配の野望があると誤解した。

 

この時期の朝鮮では鎖国、攘夷の風が吹き荒れており、大院君はフランス、米国を侵攻を退けたと過信して、得意絶頂の時期だったのである。あまりにもタイミングが悪すぎて、日韓対立は一層エスカレートしていく。

 

 

 当時の韓国は、米英仏露の諸国がつぎつぎに艦隊を派遣して開国を迫るという、ちょうど日本の開国前後、嘉永年間と同じような状態で、同国内には守旧派である事大党(鎖国・親清国派)と独立党(開国・親日本派)が対立して、抗争が絶えなかった。

五月にはまず米国が韓国と条約を結ぶことに成功、これに刺激された事大党が日米排斥運動をおこしていた。

これにともなって日韓人間の衝突事件も続発し、三月末にも五人の日本人が元山付近で殺された。

 

ロシア、フランス、米国、イギリスのなどの開国要求を大院君は断固として拒絶、徳川末期の日本の幕府側の鎖国を守るために外国船打払い令と同じような対応だったのである。

 

  1864年(高宗1年)228日、ロシア側より豆満江より咸鏡道に南下して通商を要求する書簡が送られてくるが、拒絶し、使者を捕らえ、処刑した。

 

   明治維新の2年前の1866年(慶応元年―2年)1125日、フランス人神父9人と、カトリック信者8000人を
捕えて大虐殺した。
(丙寅教獄)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%99%E5%AF%
85%E6%95%99%E7%8D%84

 

するなど、キリスト教を徹底的に弾圧した。(この大虐殺と日本の幕末、明治期のキリシタン虐殺の数(数十人)とを比較してみよ。現在も続く北朝鮮国内での数十万人に上る餓死、政治犯の人権弾圧、処刑、大虐殺は李氏朝鮮以来の伝統的なものといえる)

 

これを機に1016日に江華島へ侵攻したフランス艦隊を撃退した「丙寅洋擾」

 

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%99%E5%AF%85%E6%B4%8B%E6%93%BE

 

   18667月、アメリカから通商を求めて大同江を遡上してきた米商船ジェネラル・シャーマン号事件、朝鮮側の奇襲により沈められ船員全員20人が虐殺された。

この事件をフランスから知らされた米国は、1871年、シャーマン号事件への謝罪と通商を求め

 

 

で米アジア艦隊での朝鮮派遣を命じ、長崎で5隻の艦隊を編成し、江華島に向かい610日に襲撃した。陸戦隊を上陸して制圧し、朝鮮軍は240人以上が戦死した。『辛末洋擾』

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BE%9B%E6%9C%AA%E6%B4%8B%E6%93%BE

 

米側は江華島を占領したが、大院君は要求に応えず、持久戦に持ち込んで、撤退させた。

 

 

   18684月、大院君はカトリック迫害、鎖国・攘夷政策を強化し、西洋人を野蛮人として、各地に「欧米列強が侵犯しているのに戦わずして和親するのは売国だ」との内容の「斥和碑」を建てた。

http://www.bbweb-arena.com/users/hajimet/shounei_006.htm

 

 

●『日本リーダーパワー史(438)日米中韓150年戦争史ー

第1次米朝戦争を勝利と錯覚、誤認した大院君の朝鮮、韓国

http://maesaka-toshiyuki.com/top/detail/2326

 

 

●『日本リーダーパワー史(439)日米中韓150年戦争史『征韓論の深淵』

大院君は日本の外交関係などへとも思ってなかった

http://maesaka-toshiyuki.com/detail?id=2328

 

 

 

AD
2014-10-26 01:37:42

『中国紙『申報』からみた『日中韓150年戦争史』㉟「日本が民情に従い、善隣関係を保つべきを諭ず」

テーマ:天才の勉強法
  

 

『中国紙『申報』からみた『日中韓150年戦争史』

日中韓のパーセプションギャップの研究』

 


1889
(明治22)年526日光緒15年己丑427『申報』

 

 

日本が民情に従い、善隣関係を保つべきを諭ず

【異文化理解の難しさ】

 

 

古来国をよく治めるには,急激な改革を行うよりも旧制を順守すべきであり.厳重な刑罰を行うよりは.広く恩沢を施すべきだ。朝廷の思沢が広く行われれば,人民はその恵みを受け,感激しない者はないのだ。「易経」に言う「説(よろこ)びて以て民に先んずれば,

 民其の労を忘る。説びて以て難を犯せば.民其の死を忘る」とはこのことだ。

 

そうすれば決して上に逆らい反乱を起こす者は出ないだろう。「大学」に言う「好悪人の性にもとにる」ようでは,決して安泰とは言えない。人民とは川のようなものだ。川がふさがり決壊すれば.多くの人が傷っく。政治を行う者は,民情に順い彼らをうまく導かねばならない。こうしてこそ民意を得ることができるのだ。

 

日本は東方海上の雄国である。中国.ロシアという両大国の間にあって毅然として自立し.勢い盛んだ。ヨーロッパ諸国と通商を開いて以来,西洋の学問を尊重し西洋の制度を導入し,次第に国外に名をはせている。

 

しかし,「日本の立法はあまりに煩雑で.その改革はあまりに急激だ」と論じる者もいる。全国民を断髪させ西洋式の服装に倣わせ,また民間において米穀の代わりにパンを食べさせているというが.衣服や飲食のようなきわめて些細なことが.富国強兵となんのかかわりがあるだろうか。国民ににわかにこうしたことを強制するべきではない。また言語や文字などは,民間で代々伝え習い.慣れ親しんだものなのだから.簡単に全廃して他国に倣うことはできない。

 

ヨーロッパでもよく他国の言語に通じる者は,全国民の23割に過ぎないのだ。全国民が他国語に倣うようなことは決してない。自国語を捨てて他国語を用いるようなことでは.どうして国家の体をなすことができようか。

 

考えるに,日本は最も早く中国に通貢した。昔、漢の武帝が朝鮮を滅ぼしたとき.倭人はこれを恐れ,20余国が使者と通訳を通わして漢に通頁したのだ。日本が中国に通貢したのはこれが最初だった。その領域は,「宋史」に至って初めて詳細となった。すなわち僧喬然の伝えるところによれば.畿内・七道・三島より成り.計65国であるという。

 

現在はこれに北海道が加わり,20国が置かれている。さらに琉球を滅ぼして沖縄県とし,辺境でもやや領土を広げた。これが日本の沿革の大略である。そもそも日本は神武天皇が国を開いて以来,国制はおよそ5度かわっている。秀吉が天下を平定して以来,初めて封建制度を行い.徳川氏が興起するや,また諸藩を封じた。諸大名は各国で各々領地を支配していたが,一方朝廷の大権は衰微し,租税徴収も滞っていた。

 

末期に至って.アメリカ人が浦賀に至り,次いで下田に至った。ロシア人も大阪に至り,次いで樺太に至った。さらにイギリス人も函館に至り,次いで長崎に至った。このように外賃船がにわかに出没したために,国を挙げて混乱が広がった。明治帝が政権を執るに及び,日本は島国という条件から,陸よりも海を重視すべきだと考え,藩を廃し,その版籍を奉還させることを決意した。そして336県を設け,それぞれに長官を置き,府県制度を整えたのだ。按ずるに日本の領土は,中国の1省程度でしかない。

 

旧制に因循せず.強国たろうと奮起を始めて以来.汽船は縦横に通じ.使節は諸国に赴き,北は強国ロシアと.西はイギリスやフランスと友好関係を結んだ。またヨーロッパに倣って徴兵制を実施し.重く租税を徴収して軍糧を調達した。また全国に地理局や水路局を設置し.全国の子弟に戦術や地理学を教えている。どこが四通八通の地で,どこが要害か,どこが河川や海洋の要衝で,どこが首都を守るための要地かなどに通暁させ,非常事態に備えようとしているのだ。

 

加えて中国の地理を教え,詳細に考察を加えている。さらには旅行に名を借りて,中国の各海港や内地の地形を測量し,その浅深を記録し,地図を作成して帰国している。ああ.その野心は決して小さくはないのだ。そもそも政治の根本は礼・楽・政・刑の4つにある。

日本国民の風俗は,元来中国と同様だった。

 

その詩書や文字も相通じあい.海外随一の高い文化をもった国と言うことができる。また日本は島国という地理的条件のために,船舶をもって外国と通交している。この点ではイギリスと同様だ。日本がヨーロッパを範としようとするのならば,第1に海軍が重要になる。また鉄砲・機器・戦術・軍政なども順を追って整備すべきだ。

 

さらに国内政策としては,交通や鉄道を整備し,また電報や通信にも力を注ぐべきだろう。また学校を設立して西洋の学問を振興し,いわゆる軍事学校・技術学校・商業学校・外国語学校なども全国に建設すべきだ。これらはその大網であり,一切の細かい点についてはここでは論じない。このような政策を10年行えば.富国強兵の実はたちどころにあがることだろう。

 

ただしいたずらに改変だけをくり返し.朝令暮改のありさまでは,単に国民を苦しめるだけで,なんの意味もないのだ。最近日本では議会を設立し.民意を政府に伝えさせようと計画しており,あたかもヨーロッパの民主国家のようだ。とすれば上下が協力し.官民一体となり.心をあわせて政治に努めるべきだろう。しかしそれなのになぜ刺客が高官を襲撃するような事件が起きるのだろうか。

 

また10余年前には,廷臣が意見の衝突からそろって辞任して下野したこともあった。これでは,信任し得る臣下が君主と艱難・喜憂を共にするという状態とはほど遠いといえよう。聞くところによると,日本国民は忠勇をもって自ら誇り,死をも恐れず,また身命をささげても悔いず,さらに武勇の士や二心なき臣が,皆君主の恩を懐い,国家が安泰で無事であることを願っているために.不達の輩もあえて蠢動しようとしないという。

 

思うに,ヨーロッパに倣って強国たろうとするのは.もとより悪いことではない。ただ改革を性急に進めるあまり民情に背くべきではない。民情に背いて自己の目的をとげようとすることすら難しいのに,民情に背いて外国の風習に従わせることなどできるだろうか。国民を欺いてまでヨーロッパの制度・法律・文字・言語・衣服・飲食・風俗・教化を押しつけようとするのは,甚だしく思慮に欠けたことだ。また陰謀や秘計をもって他国に食指を伸ばしているが.局外にあるヨーロッパ諸国でさえすでにその腹の内を見抜いている。これはいわゆる「司馬昭の心たるや,路人も皆これを知る」のたぐいだ。

 

考えるに.アジアのうち.中国が最も大国であり,日本がそれに次ぐ。日中両国が協調して.相互に助けあってこそ,外国の侮りを防ぎ,遠近の国々を制することができるのだ。遠大な考えもなく.目先の利益に惹かれて分外の野心を抱くべきではない。秦が滅亡したのは.封建制度を廃して郡県制皮を施行したためではなく,詐術をもって諸国を併呑し.天下の恨みを集めたためであることを想起すべきだろう。

 

すなわち,強大な権力や,峻厳な刑法をもってしては,天下国家を久しく治めることはできないのだ。重要なのは,民情に順って善隣関係を保つことだ。民情に順って立国してこそ.強国となることができ,善隣関係を保って統治してこそ,久しく統治することができるのだ。これが大所高所から見て,日本に望まれることなのだ。

 

 

AD

[PR]気になるキーワード

1 | 2 | 3 | 4 | 5 |最初 次ページ >>