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育児・教育ジャーナリストおおたとしまさのブログ


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2月9日『男子御三家 なぜ一流が育つのか』(中公新書ラクレ)が発売になります。

・ダイヤモンド社『注目校の素顔 開成中学校・高等学校』
・ダイヤモンド社『注目校の素顔 麻布中学校・高等学校』
・ダイヤモンド社『注目校の素顔 武蔵高等学校中学校』
・ダイヤモンド社『進路で迷ったら中高一貫校を選びなさい』
・日本経済新聞出版社『男子校という選択』
・朝日新聞出版『名門校とは何か?』
の要素を凝縮して再編集した、「おおたとしまさベストアルバム」みたいな本です。


以下、著者として気に入っている箇所を抜粋して貼り付けます。



学校ができた順で並べれば、開成1871年、麻布1895年、武蔵1920年。開成は責任感の強い長男。要領の良い次男が麻布。年が離れて生まれたマイペースなこだわり屋の三男が武蔵。個性は違うがどことなく似ている3兄弟。ちょうどそんなふうに、私には見える。
「3校の違いを一言で言うとどうなるか?」という意地悪な質問を受けた場合には、私は「開成では毎日が運動会。麻布では毎日が革命。武蔵では毎日が散歩」と言うことにしている。もちろん相手はぽかんとする。そこで私は、「運動会」「革命」「散歩」という3つのキーワードからそれぞれの学校の教育を説明し始める。


集団の中でたくましさを発揮できる大人になる学校。自由に生きる術を授ける学校。里山のような学校。前章までで、開成、麻布、武蔵を、それぞれそう表現した。
開成では運動会に代表される学校行事において、高3から中1までの生徒が適材適所で居場所を見つけ、それぞれの才能を発揮する。ときにはリーダーになり、ときにはフォロワーになり、組織の一部として機能しながら、組織に埋没しない人物になっていく。
麻布にいると、波瀾万丈の人生を歩んだ創立者・江原素六の霊が憑依する。東大に進み、文字通りのエリートコースを進む卒業生も多いが、むしろ本流を外れ、社会的に不安定な立場に立たされたときにこそ、麻布らしさが発動する。江原素六譲りの、人生の荒波を乗り越える航海術が役に立つ。
武蔵では、どこかに行くのにいちいち目的や手段を問われない。あちこちよそ見をして、ときどきぼーっとしてみる時間もある。その中でふいに思いがけない出会いに恵まれる。誰かに意図されたものではない、下心のない出会いを通じて、本物をかぎ分ける力が身につく。


しかしそれぞれ学校の波動は違う。この微妙な波動の違いが、「ハビトゥス(特定の集団に特有の行動・知覚・判断の様式を生み出す諸要因の集合)」の違いとなって表れる。
男子御三家にはそれぞれのハビトゥスがある。それが、根本のしくみは同じなのに結果的にまったく別物に見える外面を作り出す。
残念ながらハビトゥスはコピーできない。各学校で時間をかけて育むしかない。どう考えても数十年という時間がかかる。だからこそ、各学校は、腰を据えて、ぶれない教育を続ける必要がある。


特別にパッケージ化されたキャリア教育や人格教育がなくても、どこの学校でも同じように教えている9教科の中に、それらの要素を自然に取り込んでいるのである。学校で学んだものを自分なりに組み合わせれば、たいていの問題には対処できるはずだという自信を身につけて生徒たちは巣立つ。
9教科をまさに「リベラル・アーツ(古代から西洋に伝わる自由七科)」の延長として教えている。これこそ最高のキャリア教育であり、全人教育であり、「生きる力」を育む教育であると私は思うのだ。


私が開成・麻布・武蔵の教育をつぶさに見て感じることはまず、現在「新しい学力観」と呼ばれている概念のほとんどは、これらの学校おいては、何十年も前から「当たり前の学力観」であるということ。そして、それを伸ばすために、従来型の教科指導を否定する必要などまったくなく、むしろ「従来の教科指導」といわゆる「新しい学力観」は連続的なものであるべきということだ。


「時代が変わったのだから、教育も変わらなければいけない」は一見正論だが、取り扱いに注意が必要だ。
たしかに時代は変わっているのだが、人間の本質はそれほどに変わらない。人間の本質が変わらない限り、教育の本質も変えてはいけない。


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