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育児・教育ジャーナリストおおたとしまさのブログ


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1月末に新刊『ルポ塾歴社会』(幻冬舎新書)が発売になった。「塾歴社会」とは、ごく一部の学力最上位層が、ごく一部の塾に集中してしまっており、実質的に日本のエリートがごく一部の塾で養成されている状態を指す。

行列のできる店には行列ができる理由があり、行列にさらに人が吸い寄せられるのは日本人の性である。一部の塾に人気が集まり、さらに優秀な生徒が集まる構造は全く不思議でも危険でもない。それを批判するような本ではない。

私の問題意識は、受験システムそのものが、塾に完全に分析され攻略されているということである。なぜそのようなことが可能なのか。それは端的に、日本の受験システムが制度疲労を起こしているからではないだろうか。そういう問題提起をしたつもりだ。

その最たるものが「理Ⅲ問題」である。血を見ただけでも卒倒してしまうような学生が、医師になりたいわけでもないのに、日本でいちばん偏差値が高いからという理由で理Ⅲに入ってくるという問題である。

選べる範囲の中で「いちばん」を選ぶのはごく自然なことである。しかしその「いちばん」の基準がどこにあるのかが問題だ。それを世間の評価に求めているのだとしたら、その選択は危うい。

人生における選択の善し悪しは、決断したときに持っている情報量やそのときの判断力が決めるのではなく、その後の努力が決める。それがセンター試験の選択問題とは決定的に違う。どんな不利な選択肢を選んだとしても、あとからその選択肢を最善のものに変えることができる。それが人生だ。その選択を他人からどんなにバカにされようとも、自分にとってはそれが最善であると胸を張って努力し続けられることが「いちばん」大切だ。

しかし世間の基準で選んだ選択肢の善し悪しは変えられない。世間の基準が変わったら、自分の選んだ選択肢の価値も変わってしまう。そのような選択を続けていたら、いつまで経っても人生を自分のものにはできない。満足も得られない。常に生きづらさを感じることになる。

今、生きづらさを感じている若者が多いのだとしたら、私たちの住む社会の中に、「回り道」「無駄」「不純物」「遊び」など円環的作用をもたらすものの価値を認める知性・教養・文化が欠けている証拠といえるのではないだろうか。

その点、塾業界には、「回り道」「無駄」「不純物」「遊び」を経験してきたいわゆる「アウトロー」が多い印象がある。これまでは受験のための知識や技能が塾の売りであったが、今後大学入試改革が進んでいくのであれば、塾業界に集う「アウトロー魂」こそが物を言うのではないかという期待を私は抱いている。


<新刊情報>
『ルポ塾歴社会』
(おおたとしまさ著、幻冬舎新書)
今、ごく一部の塾が、この国の「頭脳」を育てていると言っても過言ではない。「学歴社会」ならぬ「塾歴社会」である。このことが何を物語っているのか、この国の教育はどうなっていくのか。膨大な取材を踏まえ、考察する。


ルポ塾歴社会 日本のエリート教育を牛耳る「鉄緑会」と「サピックス」の正体 (幻冬舎新書)/幻冬舎
¥864
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※塾業界誌「塾と教育」2月号の連載コラムとして寄稿した記事を転載しています。
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