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育児・教育ジャーナリストおおたとしまさのブログ


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 従業員の育休取得を認めることは、たしかに雇用者にとっては負担である。経営に余裕のある大企業なら自前の育休制度を整えることもできて、それが企業としてのイメージアップにもつながるだろうが、自転車操業のような状態で、社長の給料を削りながら社員の給料をぎりぎりで支払っているような中小企業においては、育休取得者が一人でも出たらダメージは大きい。その人が優秀であればあったほど、ダメージも大きい。育休取得者一人分の給料を支払いつつ、代替要員を採用するなど、普通の中小企業ではなかなかできないだろう。中小企業にとっては死活問題なのだ。それを、「育休制度の不備は企業の意識の低さ」みたいな論理に帰してしまうのは間違いだ。

 国を挙げて「女性の力をもっと活用しよう」というのなら、資金的な後ろ盾は国が用意すべきだ。「女性を活用しよう」と格好のいいことを言いつつ、「費用負担は各企業でお願いします」というのでは、結果的に中小企業いじめになってしまう。今後「クオータ制」なども検討されると思うが、であれば、企業に対してもそれなりの補助が必要だろう。たとえば世界一男女平等が進んでいる国の一つといわれるノルウェーで、子育てと仕事の両立がしやすいのは、国家としてそこに投資しようという社会的合意があるからであって、企業単体やその経営者の意識が高いからではない。「うちの社長は育休を認めてくれない。時代遅れ」というように、中小企業の社長を責めてもしょうがないのだ。

 のべつくまなく中小企業でも育休制度を充実させたいのなら、公的資金の投入が不可欠だ(育休制度に限った話ではないが)。そのためには、子育てや教育という営みが公共財であるという認識、つまり「子どもは社会の宝」という意識が、社会に共有されていなければならない。しかし今の日本でそれは難しいのだろう。「子どもは社会の宝」的意識が希薄だからこそ、子育てに対する社会的なバックアップが脆弱化し、結果、子育てのしにくい社会になり、少子化現象を巻き起こしている、というのが私の考えだ。

 「子どもは社会の宝」という認識を、一人でも多くの人がもってほしいと切に願う。それこそ電車の中で泣く子やベビーカー使用へのもっとおおらか視線があってしかるべきだと個人的には思う。しかし、「子どもは社会の宝」という視点が必要なのは、実は親自身にもあてはまる。親が子どもを私有化すれば、当然まわりの社会は、「自分たちの子ではない」と認識することになる。「子どもは社会の宝」という認識が希薄化してしまった原因の一端には、一時期親が、「わが子かわいさ」「うちのこに限って」「わが子だけは……」というような意識をもちすぎたこともあるのではないかと思うのだ。(子どもにかかわる職業、つまり小児科医、保育士、教師などが、割に合わないとされ敬遠されているのも、そこに一員があると考えられる。親がそのような意識を強めてしまうのには、自由主義を推し進めすぎた過当な競争社会という社会的背景もあるのだが。)

 「子どもは社会の宝」という価値観を広めたいのであれば、まず親自身が、「たまたま自分のところへ生まれてきてくれた宝物を大事に育て、立派な1人の大人として社会にお戻しする」という意識を示さなければならないと私は思う。わが子を勝ち組にするために育て教育するのではなく、「少しでも世の中の役に立つ人になりなさい」と育て教育しなければならない。(決して自己犠牲的な価値観ではない。念のため。)親たちの間にそのような意識が広まれば、「子どもを育てる」というミッションに対するまわりの社会からのリスペクトの度合いも上がり、子育てに対する社会的バックアップも自然に強化されるはずだ。親も親であることにもっと誇りと喜びを感じられるようになると思う。

 たしかに子育てのしにくい世知辛い世の中だ。しかしそれに不平や不満ばかりを言っていてもしょうがない。親として、自分の意識や振る舞いを変えていくことなら、今すぐにでもできるはずだ。自分を変えたからといってすぐに社会が変わるわけではない。しかしじわりじわりと社会が変われば、今よりは幾分子育てのしやすい世の中を、後輩たちには残してあげることができるかもしれない。

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