上海楼の募金箱の話し

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あ・・・そうだったヤスの日記で


とても印象深いのが有ったからUPしようと思って忘れてたの今出すね(笑)


勿論無断だよ(笑)↓


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そして、最後に訪れたみなとみらいでの光景が、僕の心を宮城に留めた…。


いろいろな大道芸などを披露し、最後に太平洋大震災の義援金の募金を募る、募金箱が回って来る感じの催しが行われていた。



ベリーダンスを披露している会場。

周りにはたくさんの観覧者。

ベリーダンスが終わって、義援金を募るアナウンス。


見ていた人は、ベリーダンスが終わって、アナウンスが流れた瞬間…。


蜘蛛の子を散らした様に離れていく…。


わかってはいたが、温度差を痛感した…。


その光景を見ていた上海楼が思わずお金を入れようとしていた…。


被災地で避難所で、生活していた上海楼がだ…。


ここにいて、宮城の復興への気持ちが薄れるのが一番嫌だった…


意思の問題と言うかも知れないが、人間は移ろいやすい生き物だ…


自信が無い訳では無い。


ただ、瓦礫と化した町にいてこそ、強い気持ちで復興に取り組める気はした。


だから、横浜での建て直し計画はやめよう。



宮城で踏ん張ろうと、固く決意した。



とっくりに戻り、とっくりさんに、その話しをしたら
「嫌な言い方だけど、確かに温度差もあるし、ひどい言い方だけど、旬が終わりかけてるから、しょうがないんだな…」と言われた。


すごくわかる。


わかるけど、なんかが弾けた気がした。



早く宮城に帰りたかった…。


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この時の上海楼の気持ち


自分こそが被災者なのに、誰も入れない募金箱に募金しようとしてた上海楼の気持ち・・・・。


きっと堪らなかったんだと思う


あんな辛い思いして頑張って生き残って・・・・立ちあがろうとしてるのに


皆から忘れ去られ様としている現状が・・・・



誰にも入れられない被災地へと書かれた・・・・・募金箱が可哀そうだったんだと思う



僕も2回しか会った事無いけど、ちょっと・・足りない所は満載の人だけど・・・本当に優しい子供の様に無垢な良い人です。


ヤスはその上海楼見て居て・・・もっと辛かったと思う


きっと・・・『なんなんだ・・この街の奴らは・・・・』って思ってから・・・『でも・・・そんなもんだよな・・・・。』って思ったんじゃないのだろうか。


ヤスも又・・・・上海楼の様な思いを横浜で沢山したんだろうな・・・・。




僕は最初さかなやに宮城に炊き出しに行く時



次はきっとこんなに物資は集まらない


神戸の時もそうだったけど


オウムの事件で震災が吹き飛んでしまった様に


段々と新しいニュースや


煩わしい毎日に忙しくなり風化していく


距離が有れば尚更だ。



今もビンラディン殺害やユッケの生食問題・・・テレビでの被災地情報も段々少なくなってきてる


世界のニュースでは今回の震災は8位だって・・・。


別に上位じゃないからなんだ!って訳でも無いんだけど・・・


世界の中でも今回の注目度は中国の躍進やビンラディン殺害、黒人の大統領誕生より関心が低いんだって。


そのニュースを読んだ時のなんか悲しい気持ちの千倍はこの時ヤスも上海楼も悲しかったんだろうな・・・って思ったんだ。


別に忘れないでくれとかお願いする気も無い


僕にそんな力も無い


ただね



ヤスの日記読んで


義援金の募金箱に、なけなしのお金を入れようとしてた上海楼の事をもっと皆に伝えたくて


只それだけなんだ


上海楼


土曜日か休み明け辺りに又横浜に戻ってくるらしい


そしたら厄介になってると言うおじさんの店に行くつもり


彼のチャーハンは絶品らしいから


美味しいの食べさせて貰おうかな~って!


思ってるんだもの~~~~~~(笑)






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