木村さんとの散歩は学びの散歩でもあった


木村さんは自分がした事なんか大したことではないと言い


僕に何度も感謝の言葉を言い、歳は違いますが尊敬して居ますとまで言ってくれた。


僕は謙遜なんかしなかった。

本物の男に認められたんだ!心の底から誇りに思った。


深々と頭を下げて心の底から『ありがとうございます。その言葉僕の人生の宝です。』


木村さんはニコニコしてた。


『吉田さん僕は、あの子達に良く言ったんです

こんな酷い状況です心が荒んで来るんです。

皆自分さえ良ければ・・自分達さえ良ければって成るんです。

実際そんな感じでした。

争い事は絶え無かったです・・・テレビ等では流れて無いかもしれませんが・・・

石巻ではおにぎり一つで人が一人殺されました。

でもね・・・吉田さん、人の指は10本も在るんです!その内の小指の先で良い!

他人に対する優しさを持ちなさいって。

どんな状況に成っても10本のウチの小指の先の優しさを忘れてはいけないんだ!って

私はあの子達に教えてきました。

それでもこんな状況です小指の先の優しさすら難しい状況だったんです・・明日の命も知れず・・皆ギスギスしてました。

そんな時ケイが(さかなや)笑顔を皆にくれたんです。』



アイツを知ってる奴は分かると思うが結構なKYだ(笑)


避難所でもそのKYさは冴えわたって居たらしいw



上海楼と言う鮎川で中華屋さんを営んでいた人がいる。名前は面倒なんで上海楼とするww


その上海楼とさかなやと飲んで居る時の会話。


『とっくりさんコイツ笑っちゃうんですよw

良く漫画とかでコックコート着たままお玉とフライパン持って逃げるシーンとか有るじゃないですか!

コイツ地震の時それとまったく同じに

エプロン付けたままフライパンとお玉持って逃げてきたんですよw』 皆大爆笑!


因みに上海楼はさかなやの15,6歳年上だw


何故か上海楼も大爆笑しながら


『ケイwコイツって言うなよwそれとw逃げる時フライパンもお玉も持ってね~から(笑)』


またまた大爆笑


『でもねwマスター流石にお玉もフライパンも持って逃げるゆとりは無かったですけど(笑)

エプロン付けたまま逃げてて。ボーっと津波に釘づけに成って動けない婆さんとかに逃げろ!走れ!って叫びながら必死で坂を駆け上ってたんですよ。

そんで・・・やっともう大丈夫だろうって所まで来て振り返ったら・・・水は直ぐ後ろまで来ていて俺が最後だったんですよ・・・確かに俺の後ろに人がいた筈なのに・・・誰も居なかったんです。

多分俺はかなりヤバかったんだと思います。』


僕がシリアスに成りかけた瞬間


『カッコつけた事言ってんじゃね~よwデへへへっへ~wwとっくりさんコイツの店ってピンクの建物だったんで遠くからでも見て分かるんですよw』


『へ~・・。』


『そしたらコイツ自分の店が流されて行くの見て!・・・ああぁ~・・俺の店が~~~!!って言ってたんですけど。』


『ケイ!コイツって言うなww』


『そしたら潮が戻ってきたら!店も戻って来たんですよwそしたらコイツwwああ!俺の店が戻って来たって(笑)

そんで喜んでたら引き潮に成って又店が沖に引っ張られていちゃって(笑)

コイツwああ~~~!!!上海楼が~~!!ってwww』


何故か・・・一緒にいる上海楼まで大爆笑ww


『そうそうwマスターwひょっこりひょうたん島って知ってます?(笑)浮いたり沈んだりwwそんな感じですw今頃金華山沖に俺の店沈んでますよ(笑)』


全員で大爆笑


他にもさかなやがヤスの軽バンにマジックで落書きしたりw


こんな事して遊んでたり↓


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『お前の家なんか違う人の家の敷地に入ってるからそこの人がどけてくれって言ってるぞ(笑)』


って家ごと流された人に嘘ぶいたりw


兎に角・・あいつは場違いにハシャイデいたらしい。



僕は聞きたいです


皆さんの被災者のイメージってどんなんですか?


暗く沈んでるイメージですか?


今までの僕のブログ読んで頂いて楽しかったですか?


笑えましたか?


心が躍りましたか?



辛く成ったでしょ・・・


悲しく成ったでしょ


読みたく無かったでしょ


僕は何一つ嘘をついてません


全て此処鮎川で起こって


木村さんが、さかなやが、ヤスが、上海楼が経験した事です。


その何日か後の・・この会話です。


さかなやの事を僕は良くアホアホ言います、実際アホだけどw


あいつが辛く無かったって思いますか?


ノー天気に何も考え無かったって思いますか?


あいつはせえ一杯仲間を大事にしてたんです。


あの子が居たから避難所は笑顔が絶えなかったって皆声を揃えて言ってました。


あんな事が有ったのに!全てを失ったのに・・・流された家の事を笑い話にするほど!彼等は普通に前を向こうと頑張ってるんです。


勿論一人に成れば不安に押しつぶされそうに成るって皆が言ってます。


ある人は家族4人で家に居て家ごと津波に流されたそうです


気づいたら病院のベットの中


自分の幼い子供も母親もお婆さんも行方不明


母と祖母の遺体を確認後


『辛い・・・・。』て言われ・・避難所のある人は


『掛ける言葉なんか・・・無かったです・・。』 



でも


生きて行かなきゃいけないと


それこそ手の先から足の指先まで勇気をかき集め!振り絞って頑張ってる。


そんな彼等に


お願いです


気安く頑張れなんて言わないで上げて下さい。


あけない夜は無いなんて言わないで上げて下さい


そんな事必死に頑張って前向いてる彼等が一番分かってる事ですから。



僕は二日目の夜


これからの事に絶望しながらもなんとかしなきゃと立ち上がろうとしてるヤスと話しました。


『とっくりさん・・俺友達に言ったんですよ!もう俺達どん底だ!だからこれより酷い状況になんかなんね~!後は這い上がるだけだ!だから頑張れる!って!そうですよね?とっくりさん!』


僕は・・・・悩んだ


でも


彼の目は真剣だった


気休めを聞きたいんじゃ無い


本当に俺の心が聞きたくて聞いてるんだって思ったから僕は言った。


『多分・・そうじゃない・・きっとこれからの方がもっともっと大変だろう・・・

もしかしたらあの時死んでればって思う様な時も来るかもしれない、でもな!

こんな困難に立ち向かったんだ!それがきっと自信と成ってヤスを支えてくれるはずだ。

それ位の覚悟を持って立ち向かわないとこれからは難しいと思う。』



木村さんも頷いて居た。


後で木村さんからは『あの時本当の事言って頂いてありがとうございます・・・皆嫌な事から目を逸らす様に成ってきてるんです・・・でも・・あれでヤスも変ります。』

そう言ってた。


その時ヤスは『・・・・・・・。』


無言で悔しそうな顔をしてた・・・。


彼は


ここ鮎川でクリーニング屋さんを営んでた


兄は女川原発で働き震災当日は・・・大変だったらしい


彼の家も工場も津波に呑まれた
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二日目の夜も焼物バー(テント)で夜中まで沢山話をした。


自分はどうしたらいいのか?


この故郷の復興の為に残ったらいいのか?


外に出て新しい新天地で頑張るべきなのか?


外から支援するべきなのか?


でも仲間を!家族を!置いていって良いのか?


『とっくりさん!どうしたら一番良いと思いますか?』


『俺には分からないよ・・・それは自分で決める事だよ。』


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瓦礫の山の中でヤスは


もがき苦しんで居た



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ヤスにも分かってた


それは自分で決めないといけない事なんだって


ただ・・・毎日毎日不安でしょうがなかったんだと思う。


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此処にいた人達は皆そうだ。


皆が同じ境遇な為、泣き言も言えず


愚痴もこぼせず


きっと誰かに聞いて欲しかったんだと思う。


皆僕や兄貴に


咳を切った様に御自分の境遇を喋ってくれた


『もう・・・何にも無くなっちゃった・・・無一文ってこういう事言うのね・・・(笑)・・・。』


『なんか夢みたい・・・夢なら覚めてくれないかな~って・・・毎日思うけど・・・起きると此処避難所なんですよね・・・。』


『テレビでこう言うの見てたんですよ・・・可哀そうだなって(笑)・・・まさかね・・・自分がそうなるなんて・・・・。』


僕等は只頷くだけ・・・


そんな人に掛ける言葉なんか無いでしょ。


でも喋ると皆少し元気に成った様にニコって笑うんだ。


ヤスは言う


『どいつもこいつも頑張れ!頑張れって!俺達はそれこそ死に物狂いで頑張って来たんだ!今だって・・・それを温かい家でテレビ見ながら東北頑張れって言われても・・・・これ以上何をどう頑張ったら良いんですか?とっくりさん!教えて下さい!』


『もう良いよ・・・頑張らなくて良い。良く頑張って来たよな・・本当に凄いと思う。今は少し休んでろよ!

その分俺達が頑張るから!

そう思ってる人だって沢山居る。

なんて言って良いか分からなくて、現状を知らなくて、合い言葉みたいに頑張れって言ってるだけで・・・

東北の人達は今はまだ・・・頑張る時じゃないもんな・・・。

て言うか・・・もうすでに・・せえ一杯頑張ってるよね・・・

だから・・気持ちだけでも少し休めよ。』


この時ヤスは、やっと・・・やっと分かって貰えた・・・と言う様な表情を浮かべて・・・肩の力を抜いた。


『明日帰りのトラックヤスが運転してよ!そんで上海楼滞在して居る横浜に行こう。俺の家に泊まれば良い。

俺達トラックの運転したくないから頼むよ(笑)』


『エエェ?・・・でも・・・。』


『ヤス!行ってこい。折角言ってくれてるんだ。外からこっちを見るのも大事だぞ。』 木村さんが優しく声を掛けた。

『そうそうwそんで久しぶりに上海楼に会ってとっくりで飲んでさwゆっくり気持ちを休めてリフレッシュしたら良い。

好きなだけ居て良いから。』


ヤスは揺れて居た


自分だけそんな所に言って良いのか?


正直避難所から離れたいって気持も有っただろう・・・いろいろな葛藤が有ったと思う。


『まあ・・考えとけよw』




亡くなってしまったヤスのお父さん


残してくれた物は決して多くは無かった


僕が木村さんに貰ったクジラの歯等を持っているのを見つけると


今と成ってはオヤジの形見に成っちゃったけど・・て・・・。
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クジラの骨で作ったオヤジさんの工芸品を見せてくれた。
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お父さんは


クリー二ング屋さんをする前クジラの骨の工芸品の職人さんだったらしく

この様なイルカやクジラ、バンビ等のネックレス。


クジラのネクタイピンなどを作って売って居た。


『こんなのも・・・随分昔の物ですし・・・津波のせいでケースも少し汚れてるし・・・一銭の価値も無くなった物なんで。とっくりさん良かったら持って行って下さい。』


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『!!ヤス!大した額に成るか分からないけど!仕事出来たよ!!』


『??はぁ?』


『お前のお父さんお前に大きなおこずかい残してくれたよ!この工芸品、いくつか俺に預けてくれ!横浜で売る!』


『エエェ?無理ですよ・・こんなの・・・良いですよ・・・とっくりさんにあげますから・・・。』


『バカw何言ってたんだよ!お前はしょっちゅう見てるからそう思うのかもしれないけど!

十分良い物だよ!しかもクジラの骨でデザインだって悪く無い!良いから!兎に角俺に預けろ!

もし売れたらお前に全部金は渡すから。』


『・・・・・でも・・・。』


『良いから!お前今無職なんだからw取りあえずこれで通信販売の仕事に有りつけたんだからww

良いんだよお前は何もしなくて!

もし全部売れたら又残りの工芸品も送ってくれれば良いんだからw

兎に角任せておけ。』


『・・売れますかね?・・・本当に・・・・・?』


『売れるよ横浜の商売人舐めんなよ!』


『マジですか?(笑)だったら・・・水没してない二階にもっと有るかもしれません・・・から今度探しておきます。』


『おおw探しておけw宝の山だぞ』


つー訳で!


とっくりで鮎川名産クジラの骨のネックレス(イルカ、クジラ、バンビ)1500円(本当なら2500円位の物です)

シロナガスクジラとマッコウクジラのネクタイピン2500円(本当なら3800円)

カエデなどの葉っぱのネックレス1000円で!


訳あり商品ディスカウント発売中ですww


もうね既に一万円位売り上げて


ヤスにホラよ!って渡したんです。


そしたら『すげ~!本当に売れた~~!!すげ~!』って・・・。


『なんか・・・本当にありがたいっす・・・本当は必要でも無いだろうに・・・こんなん買ってくれて・・こっちの人の温かさに・・・涙が出るっス・・・。』


って


トラック運転してくれたヤスは


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横浜下町鶴見はとっくりに来て


喜んでました。
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最初はね


こっちは全然


あっちと違いますね


本当に普通なんですね・・・


『なんででしょう・・・?なんか・・・ガッカリしました・・・。』


なんでだろうね・・・きっと自分でも分からない複雑な思いが渦巻いて居たんだと思う。


横浜の親戚の元に身を寄せてる上海楼ともとっくりで再会し


涙ぐみながら


近況を報告しあってた。


ヤスは三日間横浜に居て色々な所を見たり・・・色々な人に会ったりしたらしい


『来て良かった。

被災地との温度差がこれほどとは思わなかったけど、知れて良かったし

とっくりさんに会って今までは頑張らないと!頑張らないと!って思ってたのが・・頑張るに!変りました!

外から自分の立ち位置を見るって大事なんですね・・・ありがとうございました。』


『もっとゆっくりしてて良いんだぞ!自分の家だと思って好きなだけ居ろよ。俺も避難所で世話に成ったんだから』


そう言う僕に


『明後日捕鯨船に乗り込む為に避難所を発つ木村さんを見送りたいんです!本当はもっと此処に居て色々考えたいんですけど俺のオヤジですから(笑)見送りたいんです。』


『そっか・・・そうだよな。ゴリ隊長に宜しく言ってくれw』


次の日東京駅までヤスを送って行った


新幹線の時間がギリギリだったんで別れの言葉もそこそこに荷物を抱えて


改札を抜けて行ったヤス。


次の日


山形に瓦礫を運ぶバイトにつきました!頑張ります!ってメールが来た。




またまた長く成ってごめんなさい。


又続き書きたいんですが・・・


もう少し付合って貰っても


良いでしょうか?


すいません


避難所の人の事もう少し知って下さい。


それでは又



とっくりマスターのブログ-110418_0744~01.jpg
横浜の自宅にて宮城に帰る朝。

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