干し柿造り 26.12.04 | 棟上寅七の古代史本批評

干し柿造り 26.12.04

●早くも九州にも雪情報です。さて、チェーンはどこにしまったのかなあ、雪道を無理してはしる年齢でもないし、むしろチェーンを装備していないほうが安全かなあ、など思っています。


●先日、おいしいと評判の太秋柿を買いに出かけて、そのお目当ての柿の50分の一程度で売られている、干し柿用の渋柿に目が行きました。35個250円でした。


もう70年ほども前のことになります。長野県に集団疎開していました。遠足である農家の前で小休止したら、そこの軒には干し柿が簾のように干されていました。子供たちが欲しそうに眺めていたのを見て、これでよければ、というようなことを言っておばあさんが、その干し柿を製造した時にできた柿の皮を干したのをくださいました。

飢えていた子等にはそれでもごちそうでしたが、皮より干し柿が食べたかったなあ、と思いました。今思い返せば、干し柿は売り物にするためのもので、皮を干したのは自家用だったのでしょう。そこまで思いが廻らず、ケチなおばあさんと思ってしまって申し訳なたったなあ、と思い出しています。


ベランダの干し柿 ベランダの干し柿

●古田先生は、主治医K先生の指示で例年の検査入院中だそうです。しかし、特に治療を受けるわけでもなく、好きな本が読めて幸せな時間を過ごしている、と電話でいろいろと喋ってくださいました。

九州古代史の会の「九州倭国通信」の最近号の、奴国論のことから始まって、内倉さんの玉壁の話になりました。とても私には対応できない話なので、「直接内倉さんにお聞きしたら」、と申しあげたら、「ニュース元の青木さんに聞いてみるかなあ」、とおっしゃっておられました。ともかく研究力旺盛で、お元気な声が聞けて安心しました。