命題 「生物界は生産者、消費者、分解者によって成り立っている。」


命題 「人間は動物である。」


命題 「動物は(生物界において)消費者である。」


命題 「人間は消費者である。」


さて、


命題 「幸福とは生きがいを感じることである。」


命題 「消費者の生きがいは消費である。」


命題 「人間の幸福は消費である。」


しかし、


命題 「今日の世の中において人間は増えすぎており、消費だけでは生きていくことが出来ない。」


よって、


命題 「人間は生産と分解をしなければ生きていけない。」


命題 「善とは人間(人類)のためになることをすることである。」


命題 「生産(農業、養殖など)は善である。」


命題 「生産を支援する行為(運輸や警備など)も善である。」


命題 「分解(リサイクル、清掃など)は善である。」



さて、


命題 「生産と消費は同時に行うことが出来ない。」


よって、


命題 「人間は善をなしている間、(消費者として)幸福であることは出来ない。」


ここで、


命題 「人間にとって、(自分の)幸福は、(人類のための)善に優先する。」


よって、


命題 「(消費者としての)幸福を捨ててまで善をなそうとする人間は少ない。」


のであろう。


要するに、


命題 「善は人間(個人)の本性に反している。」


のである。


しかし、


命題 「誰かが善を為さなければ、人間社会(人類)は成り立たない。」


よって、


命題 「善は人類の本性には反していない。」


命題 「善を為すのは、人間にとっては不完全義務だが、人類にとっては完全義務である。」


それはちょうど、あなたが選挙に行かなくても、政治は成り立つが、全員が選挙に行かなければ、政治が成り立たなくなるのと同じである。選挙は義務ではなく、権利だが。




以下、雑記:


命題 「人間にとって、自分の消費は不愉快ではないが、他人の消費は不愉快でありうる。」


何故ならば、


命題 「他人の消費は自分の消費分の消費をイメージさせる。」


からである。


例えば、満員電車において、ある人が、自分が他人を差しおいて空いている席に座るのは気にならないが、他人がそうするのを見るとみっともなく見える。


ここで大事なことは、他人がみっともなく見えるのは、自分の立場に寄らないということである。


つまり、自分が席に座ろうとしていたところを他人に坐られてしまった場合だけでなく、自分はすでに席に座っており困っていないという状況においても、やはり他人がそうするのを見るとみっともなく見えるものである。




命題 「人間は人類の一部である。」


だから、


命題 「善を為すのは、人間としては不完全義務だが、人類の一部としては完全義務である。」



さらに余談ではあるが、


命題 「消費者は、生産物を好み、老廃物を嫌う。」


命題 「分解者は、老廃物を好む。」


命題 「消費者は、生産者を尊ぶ。」


命題 「消費者は、自分を分解する者としての分解者(死体にたかるハエ、蛆虫(厳密には消費者だが))を恐れる。」



命題 「善とは人間(人類)のためになることをすることである。」について。


ついでに言えば、例えば、


命題 「人間は地球がなければ暮していけない。」


よって、


命題 「地球のためになることは人間のためになることである。」


よって、


命題 「地球のためになることは善である。」


などなど。


補足的事実 「toraji.comは、今日、三浦半島を歩きながら、上のようなことを考えてみた。」



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