キリストはこう言っているね。
命題1 「あなたがたは神と富とに仕えることは出来ない。」
この命題は以下の命題が”暗黙のうちに”前提になっているね。
前提1 「神 ≠ 富」
前提2 「富に仕えなければ、神に仕えることは出来る。」
前提3 「神に仕えなければ、富に仕えることは出来る。」
もし前提1が正しくない(「神 = 富」)と仮定すると、命題1は以下と同じことになるね。
命題2 「あなたがたは神と神とに仕えることは出来ない。」
命題2’ 「あなたがたは神に仕えることは出来ない。」
あるいは、
命題3 「あなたがたは富と富とに仕えることは出来ない。」
命題3’ 「あなたがたは富に仕えることは出来ない。」
どちらも、前提2か前提3に矛盾してしまうね。
ところで、富ってなんだろうか。
僕は、富を以下のように定義する。
定義1 「富とは、お金、あるいはお金で買えるものである。」
これは、前提1により、以下のようにも言ってよい。
定義2 「神とは、お金ではなく、かつお金で買えないものである。」
(「バラは植物である」が「植物はバラである」とは限らないことに注意する。)
ところで、例えば、以下のようなことわざがあるね。
命題4 「時は金なり。」 ("Time is money.")
ここで、定義1により、富はお金、あるいはお金で買えるものだから、以下のように言える。
命題5 「時 = お金 = 富」
つまり、命題4は以下のように言い換えることが出来る。
命題6 「時は富なり。」
そうすると、命題1と命題6により、さらに以下のように言える。
命題7 「あなたがたは神と時間とに仕えることは出来ない。」
つまり、時間に追われるような生活は、富を追いかけているのと同じであって、神に仕える暮らしではないということだ。
では、次の場合はどうだろうか。
命題8 「沈黙は金。」 ("Silence is golden.")
今までの経緯により、
命題9 「沈黙 = 金(きん) = お金 = 富」
つまり、上の命題は以下のように言い換えることが出来る。
命題10 「沈黙は富なり。」
そうすると、命題1と命題10により、さらに以下のように言える。
命題11 「あなたがたは神と沈黙とに仕えることは出来ない。」
うーん、これは何か変だね。
ところで、命題8の前には、以下のような命題がついているね。
命題12 「雄弁は銀。」 ("Speech is silver.")
命題9と同様にして、
命題13 「雄弁 = 銀 = お金 = 富」
つまり、上の命題は以下のように言い換えることが出来る。
命題14 「雄弁は富なり。」
そうすると、命題1と命題14により、さらに以下のように言える。
命題15 「あなたがたは神と雄弁とに仕えることは出来ない。」
何か、こちらの方がもっともらしい。
しかし、考えてみると、命題9と命題13が成り立つのなら、以下が成り立たなければならない。
命題16 「沈黙 = 金(きん) = お金 = 富 = お金 = 銀 = 雄弁」
これの意味するところは、
命題10 「沈黙は雄弁なり。」
あるいは、
命題11 「雄弁は沈黙なり。」
なんだか、禅問答のようだね。
(「金(きん) = お金 = 銀」は経済的には分からないではないけれども。)
(続く)
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