以下の続き


【思索】本当にあなたは議論が好きだね その1
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2.についてのたとえ話。


あるところに、ひとつの家庭があった。


その家庭の夫婦は熱心なキリスト教徒だった。


彼らに子供が生まれた。


彼らはその子をキリスト教徒として育てた。


その子はキリスト教徒として育てられた。


その子は、けなげにも、修道に励み、親の意思をまっとうしようとしていた。


しかし、彼はいまだ若く、自分が信じているものについて、十分な理解を得ていなかった。


しかし、彼は両親が教えるがごとくに、キリストを信じ、キリスト教以外のすべての宗教を邪宗だと信じていた。



あるとき、彼が図書館に行くと、一人の老人と知り合った。


その老人は仏教徒だった。


そのことを知った彼は、その老人に議論を吹っかけた。


彼はいまだ若かった。


しかし、その結果、その老人から、完膚なきまでに叩きのめされた。


彼は一言も反論することが出来なかった。


悔しかった彼は、次に会ったときには、必ずその老人を言い負かしてやろうと思った。



そして、彼は、家に帰ると、一生懸命に考えごとをした。


いかにして、その老人を言い負かすか、いかにしてキリスト教の方が仏教よりも優れているか、それをどうすれば証明できるのか、そんなことばかりを考えた。


そして、次の週末、ふたたび、その図書館に行くと、その老人がいた。


ふたたび、彼は議論を吹っかけた。


しかし、またもや、簡単に論破されてしまった。


それどころか、かえって教え諭されてしまった。



その日、青年は悔しさから、その図書館からの帰りに、こっそり仏教についての解説書を借りて帰った。


「邪教の本など決して手に取らない」と誓っていた彼にとって、それは大変な屈辱だった。


そして、熱心なキリスト教徒である両親の目に付かないところに、その本を隠して、こっそりと読みふけった。


あの老人の言うことの揚げ足を取る理由を探していたのである。



そして、その翌週、ふたたび、図書館に行くと、その老人がいた。


三度、彼は論戦を挑んだが、やはり簡単に言い負かされてしまった。


帰りに、彼は街の大きな書店に寄り、仏典を買った。


それを買うとき、青年はどきどきしていた。


彼にとって、仏教は邪宗だった。


それゆえ、彼は、自分がお金を払ってその本を買うことに、とてつもない罪悪感を感じた。


しかし、彼はその誘惑をとめることが出来なかった。



彼は、両親に隠れて、その本を読みふけった。


その本のタイトルは、「ダンマパダ」と言った。


彼は、その本を読んで愕然とした。


その本に書かれていることは、彼が慣れ親しんだ新約聖書に書かれているイエスの教えに勝るとも劣らず、素晴らしいものだった。



しかし、自分がキリスト教徒であることに誇りを持つ彼は、やはり仏教を認めることが出来なかった。


彼にとって、仏教は邪宗なのである。


しかし、次の週末、4度目の論戦に敗れた彼はようやく悟った。


自分が、その老人を通して、仏教に惹かれていることを。


キリスト教徒であるはずの私が仏教に惹かれている!


どうしたことだろう。


私はキリスト教徒ではなかったのか。


私は老人を質問攻めにしながら、その教えを学ぼうとしてるではないか。


その老人のことを尊敬しているではないか。


彼は悩みに悩んだ末に、自分自身に忠実になった。


彼は仏教を受け入れた。




さて、人間には、そういうことって、あるんじゃないだろうか。


もちろん、上の話において、「仏教」と「キリスト教」は入れ替えて読んでも、差し支えない。


また、上の話を、宗教ではなく、政治に置き換えてもいい。


右翼と左翼の話に置き換えてもらっても、差し支えない。



一般に、ある考えを持っている人間が、それと対立する(と本人が思っている)考えに出会うと、それを否定的に捉える。


しかし、相手の方が、自分よりも、数段上であったら、手も足も出ない。


結局は言い負かされることになる。


そうして、相手に対して、深い恨みを抱きながら、同時に敬愛の気持ちを抱くことになる。


相手を憎みながら、相手を愛する。


相手を否定しながら、その教えを学ぼうとする。


そういった矛盾に陥るのではなかろうか。


相手を質問攻めにしながら、相手の答えの中に、自分の密かな悩みの解を引き出そうとする。


そういうことはあるものだ。



しかし、私は、そういった矛盾は、若い者だけに許されている特権だと思う。


だから、人間は若いうちに、いろんな世界に行って、いろんな考えに接した方がよい。


親や世間から与えられたものだけが、必ずしも正しいわけではない。


若い人は、もっとそれを求めるべきだと思う。


歳をとって、考えの合わない人間に食ってかかったところで、誰も相手にはしてくれないだろうから。



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