今日はじーちゃんの火葬が執り行われた。
正直、じーちゃんと話した記憶はあまり無い。
そりゃじーちゃんちには何度もお邪魔はしていた。
でもそういう時にはだいたいいとこや親戚がたくさんその場には居て、俺はちっちゃいいとこの相手したりで彼と話すことはそれほど多い訳ではなかった。
多趣味。
彼を一言で表すと、この言葉に尽きる。
昼になると自宅のカラオケ専用(カラオケの機材が山積みされていた)の個室に二・三時間こもっては俺にはあまり馴染みの無い演歌を歌い出し、夕暮れの刻にはいつものジャージに着替えてはランニングに出掛けていた。
そして黙々と机に向かっている時は筆をとってお経を書いていることが多かった。
なんとも、その書き終わったお経は全てお寺に寄付されていた様だ。
彼の書斎の壁には、その行いに対する感謝の旨の綴られた黄ばみかかった感謝状がかかってあったが、依然その威厳は余すことなく放たれていた。
三年前、そんなじーちゃんは突然倒れた。
心筋梗塞。
ありがちな病名を母から聞かされた時、心中それほど混沌と渦巻くことは無かった。
薄情なやつだ
と自分を野次ったのを確かに覚えている。
その後、じーちゃんが奇跡的に息を吹き返したことを母に告げられた。
しばらく入院した後、状態次第では自宅療養すれば大丈夫って言われたらしい。
まるで笑い話のように話す母の口元には、今にも安堵のあまり泣き出しそうな衝動を必死に抑える虚飾の色が滲んでいた。
そりゃそうだ。
自分の父親が九死に一生を掴んだのだ。
喉元まで上がりきっていた溜飲が下がったことは、何よりも彼女の表情が物語っていた。
それから何度かじーちゃんの様子を見るため横浜の母の実家にお邪魔していた。
歩き方が少しぎこちなくなってた。
カラオケの機材には埃がかぶってた。
ランニングもやっぱりご無沙汰だよな。
毎朝朝食にはうるさかったじーちゃん。
差し出された食パンに文句を付ける彼は何処へ。
じーちゃん。
こんな冷たくなっちゃって。
人肌の感触とこの肌の冷たさ、何度触っても俺の五感はケンカしだす。
「死の感触」ってこのことなのかな。
みんな泣きながらじーちゃんの棺に花を添えていく。
体が花に埋もれて見えなくなる。
大量の花の中にポツン、とじーちゃんの顔だけ池に浮かぶ月の影のように浮き出てる。
なんだか滑稽で皆クスクス笑いだしてた。
「じーちゃん、花粉で困りそうだねー。」
お母さん、おばちゃん、ばーちゃん。
みんな笑ってじーちゃんを写メってる。
目は泣いてんのに。
矛盾しまくりでしょ。
本当モラルが無いし空気読めないなー、この家系は。
人って面白いなあ、とこういう時思ってしまう。
泣きたい時は泣けばいいのに。
強がんなって。
いや、お母さん達の感情を察することなんて、到底無理か。
彼女らとじーちゃんの絆なんて、何を思って涙を浮かべながら今笑ってるのかなんて、考えたところで至る訳がない。
俺にとってはじーちゃん。
それ以上でも以下でもない。
彼女らにとってはお父さん、夫、大黒柱。
彼を表現する言葉なんていくらでもあるはず。
俺はそういう意味では傍観者。部外者。
彼女らが冷たくなったじーちゃんを見て思うことは、彼女らだけのもの。
空気を読めてないと反省すべきは、この俺か。
ガシャっ。
まるで重い窯の蓋を外す時のような、そんな音をたてながら斎場の制服に身を包んだ男によって鉄の扉は開いた。
その奥にじーちゃんの体は通され、迸る業火に体を焚かれるらしい。
家の者一同、金輪際の別れに手を合わせた。
じーちゃん、往生できますように。
天上の安寧の地はきっとこっちより暮らしやすいって祈ってる。
じーちゃんが会いたかった人と再会できてますように。
見守っててくれなんて、そんな立派なこと言える程俺はじーちゃん孝行してないです。
ただ、暇な時とかあったらテレビのチャンネル切り換えるのりで俺のこと見ておいて欲しいです。
そして、いつか会いに行きたいです。
その時俺の存在思い出してくれたら、きっと喜ぶと思う。
Android携帯からの投稿
正直、じーちゃんと話した記憶はあまり無い。
そりゃじーちゃんちには何度もお邪魔はしていた。
でもそういう時にはだいたいいとこや親戚がたくさんその場には居て、俺はちっちゃいいとこの相手したりで彼と話すことはそれほど多い訳ではなかった。
多趣味。
彼を一言で表すと、この言葉に尽きる。
昼になると自宅のカラオケ専用(カラオケの機材が山積みされていた)の個室に二・三時間こもっては俺にはあまり馴染みの無い演歌を歌い出し、夕暮れの刻にはいつものジャージに着替えてはランニングに出掛けていた。
そして黙々と机に向かっている時は筆をとってお経を書いていることが多かった。
なんとも、その書き終わったお経は全てお寺に寄付されていた様だ。
彼の書斎の壁には、その行いに対する感謝の旨の綴られた黄ばみかかった感謝状がかかってあったが、依然その威厳は余すことなく放たれていた。
三年前、そんなじーちゃんは突然倒れた。
心筋梗塞。
ありがちな病名を母から聞かされた時、心中それほど混沌と渦巻くことは無かった。
薄情なやつだ
と自分を野次ったのを確かに覚えている。
その後、じーちゃんが奇跡的に息を吹き返したことを母に告げられた。
しばらく入院した後、状態次第では自宅療養すれば大丈夫って言われたらしい。
まるで笑い話のように話す母の口元には、今にも安堵のあまり泣き出しそうな衝動を必死に抑える虚飾の色が滲んでいた。
そりゃそうだ。
自分の父親が九死に一生を掴んだのだ。
喉元まで上がりきっていた溜飲が下がったことは、何よりも彼女の表情が物語っていた。
それから何度かじーちゃんの様子を見るため横浜の母の実家にお邪魔していた。
歩き方が少しぎこちなくなってた。
カラオケの機材には埃がかぶってた。
ランニングもやっぱりご無沙汰だよな。
毎朝朝食にはうるさかったじーちゃん。
差し出された食パンに文句を付ける彼は何処へ。
じーちゃん。
こんな冷たくなっちゃって。
人肌の感触とこの肌の冷たさ、何度触っても俺の五感はケンカしだす。
「死の感触」ってこのことなのかな。
みんな泣きながらじーちゃんの棺に花を添えていく。
体が花に埋もれて見えなくなる。
大量の花の中にポツン、とじーちゃんの顔だけ池に浮かぶ月の影のように浮き出てる。
なんだか滑稽で皆クスクス笑いだしてた。
「じーちゃん、花粉で困りそうだねー。」
お母さん、おばちゃん、ばーちゃん。
みんな笑ってじーちゃんを写メってる。
目は泣いてんのに。
矛盾しまくりでしょ。
本当モラルが無いし空気読めないなー、この家系は。
人って面白いなあ、とこういう時思ってしまう。
泣きたい時は泣けばいいのに。
強がんなって。
いや、お母さん達の感情を察することなんて、到底無理か。
彼女らとじーちゃんの絆なんて、何を思って涙を浮かべながら今笑ってるのかなんて、考えたところで至る訳がない。
俺にとってはじーちゃん。
それ以上でも以下でもない。
彼女らにとってはお父さん、夫、大黒柱。
彼を表現する言葉なんていくらでもあるはず。
俺はそういう意味では傍観者。部外者。
彼女らが冷たくなったじーちゃんを見て思うことは、彼女らだけのもの。
空気を読めてないと反省すべきは、この俺か。
ガシャっ。
まるで重い窯の蓋を外す時のような、そんな音をたてながら斎場の制服に身を包んだ男によって鉄の扉は開いた。
その奥にじーちゃんの体は通され、迸る業火に体を焚かれるらしい。
家の者一同、金輪際の別れに手を合わせた。
じーちゃん、往生できますように。
天上の安寧の地はきっとこっちより暮らしやすいって祈ってる。
じーちゃんが会いたかった人と再会できてますように。
見守っててくれなんて、そんな立派なこと言える程俺はじーちゃん孝行してないです。
ただ、暇な時とかあったらテレビのチャンネル切り換えるのりで俺のこと見ておいて欲しいです。
そして、いつか会いに行きたいです。
その時俺の存在思い出してくれたら、きっと喜ぶと思う。
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