【 昭恵さん、森友問題「私が真実を知りたいと本当に思う」 】

https://www.huffingtonpost.jp/2018/02/03/moritomo-academiy-abe-akie_a_23352215/

 

「いい土地ですから、前に進めて下さい。」 昭恵さんはそのように言ったと、籠池さんは言う。

安倍総理は国会で、「妻に確認した。『そんなことは言っていない』ということだった」と言うが、それが直ちに、「私も妻もこの件に関わっていない。」ということにはならない。

 

昭恵さんが、名誉校長を引き受けていること、幼稚園を訪問して「せっかくここで芯ができたものが公立の学校に行くと揺らいでしまう」とまで言っていること、幼稚園児のあいさつを受けて涙ぐんでいるビデオがあること、などの一連の事実から、「いい土地ですから、前に進めて下さい。」 ぐらいのことを言った蓋然性は十分すぎるくらいある。

 

安倍首相の「私も妻もこの件に関わっていない、ということは明らかであります。」ということはちっとも明らかではない。むしろ、昭恵さんが関わっていないと考えるといろんな点で合点がいかない。8億円の値引きもそうだけれど、申請書のドラフトまで近畿財務局の方がおぜん立てして、およそ民間に対する役所の対応らしくない。やはり、総理夫人付き秘書の電話が効いているとしか思えない。

 

昭恵さんが『そんなことは言っていない』なら、その潔白を証明するためには自らすすんで国会の場でそのように申し開きすべきだし、総理もそのように計らうべきだろう。そのようにしないのは、やはり後ろ暗いことがあるからではないのか。

 

テレビでこの問題の取り扱いを見ているとどうももどかしい。田崎史郎という御用ジャーナリストなどは、「今までに総理やその夫人がこの件に関わっていたという証拠は一つも見つかっていないんですね。」とかなんとか云っているけれど、実際に彼らがかかわっていたいないという事実に関わらず、官僚たちが総理のご意向を忖度したとしか考えられない行為をした、というところに問題があるのだということを忘れている。

 

一国の総理ならば、そのような疑いがかかったらもっと真剣にそれを払しょくしようとしなければならないだろう。妻がそんなことを言っていないというのなら、その旨国会で証言させるのは当たり前のことではないか。

 

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女王の品格

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日本に勝てばうれしく日本にまければ悔しい、そんな気持ちが韓国民には間違いなくある。しかし、女子スピードスケート500で優勝した小平選手についての韓国の報道はかなり好意的だった。同じ競技で2位になつた李相花選手との友情についても大きく取り上げている。また、五輪記録を出した直後に、李相花選手の競技の邪魔にならないよう、唇に手を当てて観客の歓声を抑えるよう要請したしぐさについては「女王の品格」とまで賞賛した。くやしい筈の韓国のメディアがここまで好意的報道をしてくれたことが、日韓友好の可能性を示しているように思えて、私はとてもうれしかった。 

私はどちらかと言うと、オリンピックには一言文句を言いたくなる人間ではある。しかし、あらん限りの情熱を競技に注ぎ込んでいるアスリートの姿にはどうしても心を揺さぶられてしまう。それと、小平選手と李相花選手はともにインタビューで、お互いに対する「尊敬」という言葉を口にしていた。こういう姿を見ると、オリンピックも悪くはないなと考えたりもする。 

小平選手と李相花選手の爪の垢を煎じて、日韓双方のネトウヨに飲ませることはできないだろうか。人生をかけて勝負する選手同士は、お互いの中に崇高なもう一人の自分を認めて尊敬しあうのだろう。互いにけなしあう民族主義者は、お互いに自分の醜さを相手の中に見ているのだろう。

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今も流しているのかどうか知らないが、出川哲朗氏が一人二役で次のようなやり取りをしているコマーシャルを見たことがある人は多いと思う。

 

弟 : なんでビットコイン取引はコインチェックがいいんだ? 兄さん

兄 : ……(無言)

弟 : まさか……

兄 : 兄さんが知らないはずないだろ? 

弟 : じゃ、教えてよ! なんでビットコイン取引はコインチェックがいいんだよ、兄さん……やっぱ知らないんだ!

 

なにを伝えたいのかさっぱり分からない、不思議なコマーシャルだ。しかし、このコマーシャルこそ仮想通貨の本質を表している。内容など分からないまま、ただ取引所である「コインチェック」の名前が売れて、「なんだかもうかりそうだ、やってみようか。」という人が増えれば、コインチェックにとっては望ましいのだろう。私に言わせれば、人を馬鹿にしているコマーシャルとしか思えない。どうして放送禁止にならないのだろうか?

 

仮想通貨は決済機能にすぐれていることと偽造が難しいという面で、もし公平な運用ができるようであれば素晴らしい技術であると言える。将来的には、銀行が発行主体となって決済の主流を占めるようになるのかもしれない。

 

しかし、仮想通貨の発想が素晴らしいということと、仮想通貨そのものに価値があるということとは全く別の問題であることは明確に認識されねばならない。

 

現実的にはいまのところは、これによって大儲けできるかもしれないという思惑に支えられているだけの、まさに「幻想通貨」と言った方が良いように思う。

 

人々の思惑に支えられているという面では株式に似ているが、株式を発行している会社は実際に経済活動をしていて配当もしている。現実の通貨とリンクしているという根拠があるのである。希少性という意味では金(きん)にに似ているが、金は美しいし実際に手にすることができるけれど、仮想通貨は美しくもないし手にすることもできない。あるのは「思惑」だけである。最初に参入した人は大儲けして、最後に参加した人は必ず損をする、そういう意味でねずみ講に少し似ている。

 

すべての人が合理的に判断するならば、仮想通貨で儲けるというようなことはできない。しかし、千人に一人くらいは非合理的な判断をするという判断が成り立つ余地もあることから、参入する人が絶えないのだろう。仮想通貨の40%は日本人が所有しているのだそうである。日本人というのは楽観的なのかもしれない。もう少し怜悧なものの考え方をするような教育をした方が良いような気がする。

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左翼が保守で右翼が革新

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思い込みを脱するということはなかなか難しい。私も長らく「左が革新で、右が保守。」と思い込んでいた。ところが最近テレビで、「左が保守で右が革新」だという人がいて、思わずうなってしまった。よくよく考えてみればその通りである。憲法を守りなんとかこの体制を維持していこうというのが左で、改憲によりこの国のあり方を変えたいというのが右の考えていることだろう。 

このように考えると、最近の若者の右への傾斜が説明できる。若者は常に変革を望んでいるのだ。老人が支配するこの退屈な体制に倦んでいるのだろう。 

 

しかし、問題は変革の先に何があるかということだろう。そのことについては昔も今も変わっていない。


スターバックス本社 

 

トランプ米大統領が、イスラエルの首都をエルサレムと認定するとともに、テルアビブにある米大使館をエルサレムに移転することを表明した。このことは世紀の暴挙と言ってもよいくらいのことだと思う。しかし、この問題の異様さは1995年にすでに米議会が決議したということにもある。政治家が自分の当選を第一に優先することは、アメリカも日本も一緒である。議員たちがユダヤ・ロビーににらまれるのをおそれた結果、通るはずのない法案が通ってしまったのだ。アメリカの中東政策は一貫してイスラエル寄りである。アメリカの大衆自身がこのことに自覚的でない。 
アメリカのメディアは軒並みユダヤ系である。当然ニュースもイスラエル寄りになる。ナチスによるユダヤ受難の映画は数多くつくられるが、パレスチナ人に対するイスラエルのナチス顔負けの陰湿で過酷な所業については全然触れられない。いつの間にか,「イスラム教徒≒テロリスト」的なイメージが浸透しているという結果になる。 

第二次世界大戦前に、現在「イスラエル」と呼ばれる地には、もともとイスラム教徒、ユダヤ教徒、キリスト教徒が混在していたが、人数的には圧倒的にアラブ人が多かったのである。イスラエル建国時点でさえ、アラブ人はユダヤ人よりも2倍も多く住んでいた。現在イスラエルに住んでいるユダヤ人の大半は2,3代さかのぼれば出自がヨーロッパである。そして逆に、いわゆるヨルダン川西岸地域に住むアラブ人は、ほとんどが本来ならばイスラエル内に住んでいたはずの人々なのだ。今となってはもう取り返しがつかないが、イスラエルという国は本来は存在すべき国ではなかったと私は思う。

 

日本がフェアな国であると世界に認められたいなら、ここははっきりとトランプに「No!」と言わなければならない。

泰山鳴動

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コラムニストの小田嶋隆さんが Twitter で次のようにつぶやいている。

 

≪ 隣人が拳銃を持っていてしかも銃口がこっちを向いている時に、「飛んでくる弾丸を撃ち落とす銃」を売りに来るセールスマンが現れたのだとしたら、そいつは詐欺師だと思います。 ≫

 

「飛んでくる弾丸を撃ち落とす銃」はとにかく高い、しかも本当に役に立つのかどうかはかなりあやしい。日本は既に六隻のイージス艦を導入している。 200を超える目標を追尾し、その中の10個以上の目標(従来のターター・システム搭載艦は2~3目標)を同時攻撃する能力を持つ。そんな高度な能力をもつ艦船を六隻もである。

 

なのに、たった一発のミサイルを打たれただけで、北海道から長野県までという広範囲で、電車を止めたり、頑丈な建物や地下に逃げ込んだり、こんなに大騒ぎするくらいならそのミサイルを迎撃すればいいではないかと思うのは私だけだろうか。

 

一発のミサイルの弾道計算結果が北海道から長野までということはあり得ない。日本の領土に落ちてこないことは初めから分かっていなくては、ミサイル迎撃などできるはずがないのだ。危機を煽り立ててイージス・アショアを導入させようとの意図が働いていないかどうか疑う必要がある。詐欺師の手先がこちら側に潜入している可能性があるとみるべきだろう。

9条が泣いている

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憲法9条の3項に自衛隊を明記するという話が浮上しているらしい。正気だろうか?

 

第九条  日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
○2  前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 

これに第3項を追加すれば、第九条の中だけで内部矛盾をきたしてしまう。だって、第2項で「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。」とはっきり規定しているのだから、論理的に整合するためには自衛隊は戦力ではないということになってしまう。
そのような憲法を戴く日本国民全体の知的レベルが疑われることになりかねない。こんなトンデモ案を思いつく安倍さんは、もしかしたら頭が悪いのかもしれない。

 

今の若者からしてみれば信じがたいかもしれないが、私が小中学生であった昭和30年代においては、第9条の非戦の誓いは国是であった。第2次世界大戦の敗戦を通じて、日本国民のほとんどは、平和であることがいかなる戦争より勝ることを身をもって知らされたのである。「いかなる理由があっても戦争してはならない。」日本国民は自衛権をも放棄する覚悟をしたのである。尖閣や千島を取られてもいいのか? と言われても、戦争放棄とは、そういうところまで覚悟した上でのことであることはもちろんである。国土か狭く資源も食料も輸入に頼っている、日本は戦争をすることはできないと腹をくくることである。

 

ところがいつの間にか状況に流されて、軍事費ベースでみるならイギリスやフランスに肩を並べるほどの軍備を備えるようになってしまった。憲法には明確に交戦権の放棄をうたっているのに、「現実的脅威」の名のもとになし崩しに9条は凌辱されてしまった。

 

残念なのは、日本に9条の意義を理解する本当の政治家が育たなかったことだろう。「現実的脅威」を言いながら、憲法の範囲内でその「現実的脅威」に立ち向かおうとする政治家はいなかった。国民国家の枠組みを超えて、新たな市民社会を創造するという理念に従うならば、日本が軍備を持たないことの意義を近隣国家に認識させる必要があった。一定の国際理解が得られなければ9条の維持はできない。ロシア、中国、北朝鮮にはもちろん韓国にとっても、日本が軍備を持たないことはメリットになるはずだった。日本のような経済大国が軍備を持たないということは、世界の諸国にとってもいつか地球上から戦争がなくなる日が来る、という希望でもあったわけだ。しかし、そのような意義を他国に理解させようという努力は皆無だったのである。自ら進んでアメリカの走狗とろうという政治家に、そのような理念に対する理解などあろうはずもなかったからだ。

 

ともあれ、国是を変えるということならば、それなりに歴史への総括と新しい理念の提示をしなくてはならないはずだ。恋愛などにしても心変わりしたら、相手に2,3発頬を張られる覚悟でそのことを打ち明けなくてはなるまい。それが、ずるずるとつぎはぎだらけの解釈改憲したあげくに、論理破たんの3項追加とは情けない。

 

「9条を守れ」と言うと、右寄りの連中から「現実離れした平和ボケ」と揶揄される。しかし、原発を稼働させながら、北のミサイルの脅威を口にする連中こそ平和ボケだと言いたい。

いい加減、加計学園問題にはうんざりしてきた。文部科学省内では「総理のご意向」文書が出回っている。前次官もそれは認め内容も真実だと言っている。なのに官邸はなぜか真実の究明に消極的であるならば、もうそれは「総理のご意向」があったとみなすべき事態のはずだ。なのにジャーナリズムの論調は甘すぎる。 

官邸の言い分では、文部科学省内で誰かが「総理のご意向」を勝手にねつ造して、行政を恣意的にコントロールしたということになる。それこそ由々しき問題で、総理からすれば徹底的にその張本人を追及して懲罰せねばならないはずなのに、安倍さんは全然そのことについては全然関心がないようだ。面妖なことである。 
 

安倍さんは李下において冠を正してしまった。そして、その冠の中には何も入っていないと口で言うだけで、一向に冠を脱いで見せようとはしないのである。

「アベ首相はうそをついている。」 はっきりそのように断定すべき時期だと思う。

身体障碍者への偏見と性

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先日の朝刊に「性を大事にしたい」というタイトルのコラムがあった。身体障碍者でありコラムニストでもある伊是名夏子さんの記事だ。その冒頭の部分を引用します。

 

≪ 先日、一人で映画館を訪れたときのこと。長い階段があり、車椅子の私は劇場に入れません。入口の男性スタッフに「私を抱っこして、階段を移動していただけませんか?」とお願いすると、彼は「私でもいいでしょうか? 女性にしましょうか?」と聞いてくれました。
 その一言に、とても嬉しくなった私。だって障害のある私を女性扱いする人は、ほとんどいないからです。そんな心遣いのできる男性になら安心して身を預けられます。!…… ≫

 

ある人々が肩身の狭い思いで生きている。そのことに気づかないとしたら、それは恥ずべきことではないだろうか。

一般的に言って、身体障碍者の人々は謙虚である。「けなげでひたむき」というのが望ましい身障者像なのだろう。それに沿っているかぎり、人々は「えらいわねぇ。」と称賛してくれたりもするのだが、実はその裏に、「一丁前面をするな」という本音が隠されている。

 

昨年、「五体不満足」で有名になった乙武洋匡さんの不倫問題が世間に公表された。それ以来インターネット上ではバッシングの嵐である。試しに「乙武」で検索してみれば、人々のこの問題に対する関心がいかに高いか分かる。おそらく彼が健常者であればこれほど騒がれることはなかっただろう。同時期に不倫問題が持ち上がった落語家は、「船で東京湾を出たところ、そのこころは『航海(後悔)の真っ最中』でございます。」ダジャレの一言でけむにまいて済ませてしまった。ところが乙武さんの方は一年以上もたった今でもたたかれ続けている。

 

そもそも不倫問題は当事者だけの問題である。もちろん褒められたことではない。時には非常に深刻な問題にもなりうる。しかし、第三者にはなかなか実情の計り知れない問題でもあるのだ。この問題一つをとって乙武さんの人格を全否定するのは間違っている。「五体不満足」が世に出た時、今までのけなげでひたむきな身障者像に納まり切れない彼を見て、このような破格の人物を生み出した日本は先進国になりつつあるのでは、という感慨を私は持ったものである。身障者の枠を超えて前向きに生きる彼を社会はもっと大切にすべきだと思う。彼を正当に評価できるようになった時、日本は初めて成熟した文化国家であると言えるようになると私は思うのである。

 

週刊誌が不倫問題を取り上げるのは、それだけ人々の性への関心が高いからだろう。なぜか人は他人の性に関心を持つ。それは性が嫉妬というものを常にはらんでいるからに違いない。だから自分の利害得失に何ら関係のないことに口を出す。しかし、その正義面の裏には「障碍者が一丁前にセックスなんぞするんじゃない。」という邪悪な偏見が潜んでいることに気がついていない。

偽善面したパリサイ人には、「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」と言っておこう。

 

マロニエの花が咲いた。

哲人政治家

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今村復興相がまた失言をしたらしい。

【これがまだ東北で、あっちの方だったからよかった。けど、これが本当、首都圏に近かったりすると、莫大(ばくだい)な、甚大な被害があった。】 (毎日新聞より)

 

大臣になって舞い上がっているのかもしれない。為政者として人々を上から見下ろしていると、このような発言になるのだろう。被災した人々の苦しみに寄り添っているなら、絶対に出てこない言葉である。政治家としての見識を持ち合わせていない、飲み屋で偉そうに一席ぶっているおっさん以下のレベルである。

 

大臣と言っても小粒な人物ばかりの昨今だが、本日はかつて哲人政治家と呼ばれた田渕豊吉をとり上げてみたい。田渕は1882年に和歌山県御坊市の生まれた。つまり、私と同郷である。生家も私の生家とは同じ通りにあり、100メートルと離れていない。

 

造り酒屋の四男坊で、幼少のころから勉強が好きであったと聞いている。とくに英語が゜好きで、便所に辞書を置いて用を足す毎に単語を覚え、ページ単位に憶えるとそれを破り尻を拭いたという逸話が残っている。

 

早稲田大学の政経を経て、約7年間の欧米留学をしている。この経験によって日本を客観的に見る視点を獲得したと考えられる。1920年に衆議院議員となったが、良い意味でお坊ちゃんだったのだろう、決して俗に染まることはなく一貫してリベラルな姿勢を貫いた。その超俗的な言動から、田渕仙人とも哲人政治家とも呼ばれたのである。

 

関東大震災時における朝鮮人大虐殺事件の真相を追及する演説に対して、尾崎行雄は「日本国民の良心の叫びとして、わが国議会演説史にちりばめられた不滅の宝石であった」と絶賛したという。(ウィキペディアより)

 

彼は一貫して戦争反対を訴え続け、大政翼賛会が発足した後も無所属を貫き、東条英機の演説に対し痛烈なヤジを浴びせ続けた。そのため、不規則発言等により懲罰をうけること4回、議長による退場命令はその数知れずであったという。

 

残念ながら、1942年の翼賛選挙において落選して、政治家として無念の幕を下ろし、そして日本は敗戦への道をひた走ることになってしまった。

国会議員に落選したのち、誰かが田渕に御坊市長に立候補してほしいと頼みに行ったらしい。彼は「クジラが泉水で泳げるかあよ。」と答えたと言われている。豪放磊落な田渕らしいが、実際のところは健康を害していたのかもしれない。それからほどなく1943年に失意のうちに死亡している。享年60歳であった。

 

山下公園にて