昨日(12/27)の東京新聞・夕刊に、太平洋戦争の開戦通告が遅れたのは、日本外務省が意図的に電報発信を遅らせたことが原因であるとする新証拠が発見された、との記事があった。

 

真珠湾攻撃が開始されたのは12月7日の午後1時19分、覚書がハル米国務長官に手渡されたのが一時間後の午後2時20分だった。

 

覚書は長文なので14部に分割されて送信された。1から13部までは12月6日の午前11時25分までに発信されていたが、結論となる14部は15時間後の12月7日の午前2時38分に送られた。

 

従来の説明では、1から13部までを先に暗号解読してタイプライターで清書しておけば、12月7日の朝に14部を追加すれば、開戦までに十分間に合ったはずが大使館の怠慢で12月7日の朝からすべての分の清書を始めたため間に合わなかったというものだ。つまり意図的に遅らせたわけではなく、すべて大使館員の責任であるというものであった。

 

しかし、当時の一等書記官である奥村勝蔵氏が、「夜半まで13通が出そろったが、後の訂正電信を待ちあぐんでいた」と1945年に証言している。当時のタイプライターは途中で訂正追加が出来ないので、訂正電報が届くまでは清書できなかったというのである。結局12月7日の朝から14通分の清書を始めたが、開戦には間に合わなかったというのである。

 

今回の新証拠というのは、その訂正電報らしきものが12月7日の午前0時20分と午前1時32分に発信されていることが、米海軍の傍受記録に残っていたというものである。そのとおりなら奥村氏の証言を裏付ける有力な根拠となる。

 

この新証拠の評価については、例によって歴史学者の立ち位置によって随分違うようだ。右寄りの人はどうしても大使館員に責任を押し付けたいらしい。

 

歴史家は歴史家で実証的な研究をしていただきたいのだが、この問題を大使館員の怠慢として矮小化したいという根性のさもしさが気に食わない。これが外務省本省の責任ではなく大使館員の責任なら、日本の罪は軽いあるいは日本は卑怯ではない、というふうに考えることができる、その思考回路がさもしいというのである。

 

日本が武士道精神に満ち溢れた正々堂々とした国であると思いたいのなら、開戦通告が届いたことを確認してから攻撃すればよかっただけのことではないのか?

 

まあ、そんな理性があったなら無謀な開戦には踏み切らなかっただろう。それに、戦争は殺し合いである。卑怯もへったくれもない。やるからにはなにがなんでも勝たねばならない。相手の不意を衝くのは当たり前のことである。開戦前に通告しなければならないという意識はそれほど強くなかったかまったくなかった、というのは下種の勘繰りだろうか?
思うに、不意討ちがいけないのではなく、戦争をすることがいけないのである。

 

真珠湾攻撃について日本は卑怯だったし、南京事件については日本は残虐だった、どちらも素直に謝ればよいのではないだろうか。

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カストロが死んだ

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11月25日、キューバのカストロが90歳で死んだ。団塊の世代より上の人には感慨深いものがあったのではないでしょうか。

 

トランプ次期米大統領は「残忍な独裁者が死去した。」と声明を発表したが、私はそうであったとは思わない。確かにカストロはキューバの社会主義体制を維持するために、人々の人権をある程度抑圧したということはあったと思う。しかし、アメリカの傀儡であったバチスタ政権は、アメリカ資本やマフィアと共に大衆を搾取する腐敗したろくでなし政権で、それを倒したカストロに大義は確かにあった。

 

革命によって、キューバにおける権益を失ったアメリカはカストロを追い落とすために経済封鎖を行った。製糖産業以外にめぼしい産業のないキューバが経済封鎖されれば、ソ連に頼るしかなかったのだ。カストロが独裁者だというなら、アメリカがカストロをそのように追い込んだという一面もある。

 

私個人は、カストロが理想主義者であり、キューバを愛していたことは間違いないことだと信じている。決して金日成と同列に語られるべき革命家ではないし、またキューバは北朝鮮でもない。キューバは貧しいながらも、教育や医療に力を入れているし、医療制度については先進国より充実しているといえる面もある。なにより、開放的な音楽や文化も健在で、人々の表情が北朝鮮に比べて圧倒的に明るい。

 

アメリカがもっとキューバに対して寛容になれば、キューバは我々と十分価値観を共にできる国であると私は考えている。それにしても、これから経済を発展させねばならないキューバにとって、トランプ大統領の登場はあまりにも間が悪すぎるような気がする。

 

江の島から見る富士山

 

 

 

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トランプ大統領への期待

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民主主義というのはもどかしい制度です。常に大部分の人が何らかの不満を感じているのが民主主義です。今回の米大統領選では米メディア100社のうち57社がクリントン支持、それに対してトランプ支持はたった2社だったといいます。しかしクリントンは破れました。投票数はクリントンが少し上回っていました、クリントン支持側は今でも結果を受け入れることが出来ないようです。アメリカが真っ二つに分断されてしまった感があります。

 

長らく共和党を支持し続けてきた人でも「トランプには大統領になってほしくない」という人が少なくなかった、それにもかかわらずトランプが勝ったのは、裕福ではない白人層が変革を望んだからだといわれています。大富豪のトランプが果たして低所得者層に有利な政策を打ち出してくれるかどうかは分かりませんが、アメリカのエスタプリッシュのど真ん中に居るクリントンに入れたくないという気持ちは理解できます。

 

クリントンが大統領になってもおそらくアメリカは変わらない、それより大胆な発言をするトランプに大変革をもたらしてほしい、ということなのでしょう。より良い方向に変わればよいのですが、大変革というものは誰にとってもよいということにはならないのが常です。個人的にはあまり過大な期待は持たない方が良いように思います。

 

私自身もトランプの勝利には落胆している一人ですが、かすかに期待している面もあります。それは、TPPから撤退するということと、アメリカ軍の駐留費をもっと負担しないと軍を引き上げると、表明していることです。

 

成金不動産屋のトランプには今のところアメリカ・エスタブリッシュメントの息はかかっていないようなので、本当にTPPをぶち壊してくれるかもしれません。本当のところは分かりませんが。

 

TPP問題よりもっと重要なのは駐留米軍の問題です。「金をもっと負担しないと軍を引き上げる」というのなら引き上げてもらってはどうでしょう。日本は現在、米軍の駐留費用の75%を負担しています。残りの25%というのは、兵隊の給料とジェット機の燃料代くらいなものです。兵隊の住居や光熱費、各施設で働く日本人従業員の給料まで全部日本側が負担しているのです。もし、米軍を米本土に置いておくより日本に駐留させておいた方がアメリカ側の財政負担はずっと軽いのです。現状において明らかに日本は駐留費用を負担しすぎです。アメリカは自国の世界戦略のために軍を日本に駐留させているのであって、決して日本を守るということが主目的ではありません。自国の軍隊を他国に置いておいた方が安く済む、そのような非常識な状態がなぜか一般には知られていない。これから大統領になろうという人物も知らないくらいだから、ほとんどのアメリカ国民も知らないでしょう。日米両政府ともにあまり大っぴらにしたくない事実です。

 

残念ながら、米軍が撤退することは実際上はあり得ないでしょう。しかし、トランプ大統領の誕生は日米関係を新たに見直すいいきっかけにするべきだと思うのです。

 

カレーの市民 ( 国立西洋美術館 )

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TPP強行採決

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ブレないことが政治家の美徳であるかのように言われるが、政治家がブレないのは権力への執着というただ一点だけにおいてであることは覚えておいた方が良いような気がする。

 

 

「ウソつかない。TPP断固反対。ブレない。」 笑うしかないが、少し前まで自民党はこんなことを言っていたのである。それが昨日の強行採決である。

山本有二農林水産相は「冗談を言ったら、クビになりそうになった」と言ったが、そうではない。本当のことを言ったからクビになりかけたのである。安倍さんは、「自民党は結党以来強行採決しようと考えたことはない」と言ったが、実はこちらの方が冗談だったのだ。

 

TPPは日本の将来を左右する重大な問題である。与党と野党という立場の違いで、こんなにもコロッと態度が変わってよいものだろうか。これだけの方針転換をするのなら、それなりの釈明が必要だと思うが、それは十分なされたのだろうか。

 

米大統領候補のクリントンもトランプもTPPには反対だと言っている。なのに日本の政府がTPPに対してこれほど前のめりになっているのはなぜだろう? 国民のほとんどはTPPがなんであるかはわかっていない。はっきりしているのは、大企業と富裕層がそれを望んでいるということだけだ。

 

安倍さんの経済政策は場当たり的で将来を見通す視点がない。大幅な金融緩和、節操のない財政出動、税収が足りなければ国債を乱発して挙句の果てはそれを日銀に引き受けさせる。株価を引き上げるために年金資金までつぎ込む。経済を刺激するために即効性がありそうなことをすべてやっているが、結果的にみればことごとく外している。自分の任期中だけは盛り上げようという姑息な計算を市場に見透かされているからだ。

 

年金資金で株に投資すれば株価は上がるのは決まっている。 見せかけは儲かっているように見えても(現実は思惑ほど上がっていない)、資金が必要になった時は株式市場に株を放出しなくてはならない。日銀はマイナス金利まで導入して、経済をコントロールする力をすっかり失っている。膨大な国債発行額は将来の政府の政策の大きな足かせとなる。なりふり構わぬ経済刺激策にもかかわらず、2年で2%のインフレ目標は5年経っても達成できていない。旧「三本の矢」がどこへ飛んで行ったかもわからないのに、性懲りもなく新「三本の矢」を放つのだという。さすがにこの頃は「あたしのアベノミクス」という言い方はしなくなったが、素直に失敗を認めないこの人に経済政策を任せておくと、とんでもないことになってしまうだろう。

 

中国や韓国・朝鮮に対する強気な態度で支持を得ている安倍首相だが、中国や北朝鮮に攻められる可能性よりも、日本経済が破たんする危険性の方がもっと大きいと私には思える。

生前退位狂想曲

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昨日(9/27)の東京新聞夕刊の論壇・時評で中島岳志さんが述べていることが興味深かった。生前退位についての天皇の「お気持ち」表明について、左派/右派の論客の受け取り方に、奇妙な『ねじれ』がみられるというのだ。

 

≪従来、天皇制に対して批判的な傾向にあった左派論壇が天皇の意向を支持し、天皇への無条件の敬意を表明してきた右派論壇の多くが、厳しい見方を提示しているのだ。背景には、これまでの「お言葉」から垣間見える天皇自身の思想信条が、左派リベラルに近いという事情がある。≫

 

そして、少し話をややこしくしているのは、右派も一枚岩ではなく、天皇の「お言葉」を尊重すべきという「承詔必謹」派もいるということだ。

 

リベラルな天皇によりそう左派と「承詔必謹」の国体論者が見解を共有し、右派論壇の天皇批判とが衝突するという、奇妙な構図が出来上がっている、と中島氏は指摘する。

 

私個人は左派の一員として、同士諸君がこの問題に対して、「あべちゃん見たか、天皇はこっちの側だぜ」と喜んでいるような気がして、なんとなく違和感がある。そして実際にそのような趣旨のことを耳にしたこともある。それはれっきとした天皇の政治利用というものだろう。

 

左派リベラルとしては、万人平等の視点からあくまで天皇制そのものに反対していくべきであると思う。天皇の内心を忖度してあれこれ言うのは、天皇の権威そのものを肯定していることにつながる。この件についてはもっと突き放してみるべきだろう。

 

ここからは私のお節介なのだが右派の諸君にも一言いいたい。アマチュア哲学者としては自己矛盾した言い分を見逃すのは気持ちが悪いのだ。

 

右派論壇の人々の言い分を聞いていると、彼らの言う「尊皇」は天皇その人が対象ではなく、あくまで天皇制そのものに対するものであることが明らかだ。一見忠義面を装いながら、天皇の言葉さえも否定して天皇制の擁護者としての国士きどりに酔っているようにさえ見受けられる。

 

「承詔必謹」というのは、十七条憲法の第三条「詔(みことのり)を承(う)けては必ず謹(つつし)め。君をば則(すなわ)ち天とし、臣(しん)をば則ち地とす」からきている。忠良たる臣民にとって天皇の言葉は天の声であるはず。それを、天皇制の中にあっては虫けら同然の平民が、畏れ多くも畏くも天皇のお言葉を公然と否定するというようなことがあっていいのだろうか。

 

天皇制を擁護しながら、民主主義と言論の自由のいいとこどりは許されない、地にいる臣民が天に向かって諫言するにはそれなりの作法があろう。本来なら命を懸ける覚悟でのぞむべきで、言うべきことを言ったならその場で腹をかき切るべきではないのか。テレビ局でいいたい放題の言葉はいかにも軽い。「私一人が悪者になって諫言する。」と言うのなら国士面をするな、本当の悪者になれと言いたい。

 

天皇に寄りそう左派と、天皇をないがしろにする右派、どちらも本分を外れているような気がする。

会社の社長でも小学校の校長先生でもやめたいと言い張ればやめることが出来る。社長や校長をやりたいからと言って、「やる」権利は誰にでもあるわけではないが、「やめる」権利は誰にでもあるのである。それが天皇に限ってはやめる権利がない、実に理不尽なことだと思う。天皇には戸籍も無ければ人権もないのである。

ちょっと「やめたい」とほのめかしただけで上から下への大騒ぎ、どうかしている。なんでも、皇室典範の改正にかかわる発言は政治性があるから憲法に触れる、という判断があるらしい。なにを大げさなことをことを言っているのだろう。昭和天皇などは沖縄をマッカーサーに売り渡すような、重大な政治的発言をしていた、それに比べれば「天皇を辞めたい」というくらいのことは何でもない。さっさとやめさせてあげればよいのである。

世間の人はおおむね天皇に同情的で、ほとんどの人は「皇室典範を改正して差し上げるべき」か、そうでなければ「何もしなくてもよいから、ただ天皇でいて欲しい」と考えているようだ。報道の方もそのような国民感情をベースに、皇室典範を改正するという線に沿っているように見受けられる。

ここで私が違和感を持つのは、国民の中には天皇制廃止論者も少なからずいるにもかかわらず、そのような視点からの報道がほとんど見当たらないことである。憲法では、天皇の地位は「日本国民の総意に基づくもの」とされているが、その総意とやらがいつ確認されたのか定かではない。

「人はみな平等である。」というのは現代社会の前提ではなかったのか?天皇制は明らかにその前提とは相容れない、きわめて単純な事実だ。
その出自だけを理由に特定の人を尊びながら、なんとなく情緒的に「人はみな平等」と思っている。日本の民主主義はなんと危うい基盤の上に立っているのだろうかと危惧せずにはいられない。

もちろん信教の自由は保障されるべきで、どうしても天皇教を信じていたいというという人々の気持ちは尊重する。しかし報道機関にはもっとニュートラルな姿勢を守ってほしいと思う。世間の風潮にあわせて、「お忙しすぎる」だの「常に国民のことを考え献身しておられる」式のコメントはもうたくさんである。天皇一人が不如意な生活を送っているわけではない。日本には、高齢のホームレスやブラック企業で心身をすり減らしている若者がたくさんいる。それらの人々が抱えている問題は天皇の問題よりもはるかに切実だと思う。
(過去に投稿した記事を加筆訂正)

広島におけるオバマ大統領の感動的な演説については好意的な意見が多いようだ。歴史に区切りをつけるためにもオバマの広島訪問は時宜を得たものだろうが、ホワイトハウスはこのことについて次のように発表した。

「オバマ大統領27日広島訪問、原爆投下謝罪せず」

私もアメリカが日本にそのことで謝る必要はないと思う。現在のアメリカ国民のほとんどは原爆投下に対して責任はないからである。また日本国民のほとんどは自分が原爆の被害にあったわけでもない。現にこの私自身そのことについて何ら謝られる必要も感じない。

しかしそれは原爆投下が罪かどうかということとは別の問題である。あえてアメリカに対して、それは明白な犯罪であると主張したい。トルーマンやヒロヒトにはその犯罪に対して大きなな責任がある。

「戦争を早期に終結するため止むを得なかった、その判断は間違っていない。」とするのが米国の公式見解である。だから、「謝罪することはなにもない」ということらしい。多くの米国民もその自分にとって信じやすいプロパガンダを信じている。

無邪気に「正義の行為」を信じることが出来るのは、おそらく人間の知性が小さすぎるからだろうと私は考える。誰も広島で起こったことの真実を受け止めることはできない。そのことの重大さを受け入れるには人間は小さすぎるのだ。立ち上るキノコ雲の下で起こった出来事の重さを私たちは決して知ることが出来ない。知ることが出来るのは20万の犠牲と言う単なる記号にすぎない。

広島の犠牲者を順に1日一人ずつ追悼するとして、全員の分をこなすには20万日かかる。
500年以上かかる計算になる。こんな計算にどれほどの意味があると言いたいのではない。あのキノコ雲の下にどれほどの苦しみがあったか、我々は決して想像できないというだけのことだ。本当のことを知れば身がすくむ、「正義の行為」などと言う言葉など吹っ飛んでしまうだろうと言いたいだけだ。想像力の乏しい人間は幸せだ、と皮肉の一つも飛ばしたくなる。

戦争は国家間で行われるものだが、悲劇は個人の身の上に降りかかるものである。広島の悲劇も国家という枠組みでとらえるべきではない。南京事件や慰安婦問題についても、同様に被害者の側に心を寄せて考えるべきであることは言うまでもないことである。

以前、「他人のことは放っておいたらどうか?」 というタイトルで、男性ミュージシャンと女性タレントの不倫問題について取り上げたが、この問題がいまだに世間を騒がせているということに驚いている。この問題がこのようにこじれているのは、おそらく男性ミュージシャンの態度が傲岸不遜に見えるからだろう。


「言っておくけど、俺、好きで黙ってたわけじゃないから! ネットとかでみんな『謝れ』って言うけど、世間の誰に謝ればいいの? 正直内輪での話だからみんな関係ないじゃん」


私には彼の言葉はもっともな言い分に聞こえる。不倫は褒められるべき筋合いのものではないが、犯罪でもない。当事者は彼の奥さんと不倫した当の二人だけである。「内輪の話」というのはその通りなのだ。


それでも世間の人は謝れという。一体誰に? おそらく空気にでも謝れと言っているのだろう。不倫などという不埒な(うらやましい)行為をした人間は、土下座してしおらしくしていないといけないとでも言うのだろうか。多くの人々は不倫もしないで毎日を地道に生きている、「なのにこの芸能人は」というル・サンチマンにも似た感情がそこにはありはしないだろうか。


自分が(不本意ながら)従っている規範には他人も従ってほしい、そんな気持ちが人々の心の底に巣食っている。問題は、ここでいう「規範」とはなんとなく謙虚で品行方正という程度の意味でしかないということだ。しかし、そのあいまいな不文律に従順に従わないで、「誰に謝ればいいの?」などと発言すると、「居直っている」と見られてしまう。これはとりわけ日本における顕著な傾向ではないかと考えられる。


この「自分が従っている規範に他人をも従わせたい」という傾向性は夫婦同姓制度の問題にも働いていると考えられる。夫婦同姓がどの程度家族の絆に貢献しているかの検証もないまま、「日本の良き伝統」に基づく公序良俗であるかのごとく言われる。伝統と言ってもたかだか明治になってからのことでしかない。法律で夫婦同姓を強制している国は、今や日本以外にはインドのヒンズー教徒とジャマイカぐらいしかないということぐらいはわきまえておいたほうが良い。


それと、これは特に強調しておかねばならないが、夫婦別姓制度を訴えている人々はすべての人にそれを強制するべきだと言っているのではない。同姓と別姓を自由に選択できるようにしてほしいと言っているだけである。だから夫婦別姓制度が導入されたとしても、夫婦同姓が「日本の良き伝統」であると考える人はこれまで通り同姓を選択することは何の不都合もないのである。


どのように考えてみても、夫婦同姓をすべての人に強制するに足る合理的理由というものが見当たらない。著しい不都合がなければ個人の自由を最大限尊重する、というのが現代社会の原則ではなかったか。その原則を曲げてまで夫婦同姓を強制することによって得られる利益というのはいかほどのものだろう。


日本人は恥を知る民族であるとよく言われるがどうだろう。国連の女性差別撤廃委員会の再三の勧告を馬耳東風とばかりに受け流している。もう少し外聞を気にしたほうが良いのではなかろうか。

杉原千畝

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映画「杉原千畝」が本日より公開となった。彼のことは今までもこのブログで何度か取り上げた。彼の行為はいくら賞賛しても足りぬくらい立派なことであると思う。しかし忘れてはならないのは、このりっぱな行為はあくまで杉原氏個人のものであるということである。つい、「同じ日本人として誇りに思う。」と言いたくなるが、単に同じ日本人の行為だからという理由だけで、まるで自分自身の手柄であるかのような錯覚をするべきではない。

もし日本の国民が真に人道的な人ばかりであったならば、杉原の行為は特に称賛するには当たらない、普通の行為でしかなかったはずである。彼が称賛されるのは外務省の訓令に逆らってまで、ユダヤ人にビザを発行したからである。当時の外務省が人道的な人ばかりであったなら、彼は何の抵抗も感じることなくごく当たり前にビザを交付しただろうし、それは単なる事務処理以上のものではなかったはずだ。杉原の行為がりっぱであればあるほど、日本という国が卑小な国であることを我々は恥じねばならないのである。

もう一つここで注文をつけたい。カウナスで杉原のもとに押し寄せたユダヤ人は間違いなく同情すべき人々であった。しかし、日本を通り生き延びた人々は100%被害者であるとは言い難いのも現実である。イスラエルのパレスチナ人に対する陰湿な仕打ちはかつてのナチスとダブって見えると言ったら言い過ぎだろうか。かつて杉原がユダや人に対したと同じように、イスラエルもパレスチナ人に対し人道的であってほしい。そして杉原の業績を、決して日本におけるイスラエルのプロパガンダに利用させてはならないと思う。

沖縄を返せ

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佐賀空港への自衛隊新型輸送機オスプレイ配備計画に関し、防衛省が佐賀空港の米海兵隊利用の要請を取り下げた。県民の理解が得られなかったからだという。では、沖縄の米軍基地について県民の了解はいつ取り付けられたのだろうか? 明らかに沖縄と本土の扱いに差がある。

「‥沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」

上の文言は、沖縄根拠地隊司令官である大田実少将が、自決前に海軍次官あてに打電した内容の結びの一節である。大きな犠牲を払った沖縄県民に対し、特別の配慮をと遺言したのだ。

しかし、米軍施設の74%が小さくて人口密度の高い沖縄県に集中しているという現状はどうだ。「特別ノ御高配」とはこのことか。沖縄は辺境の島だから多少の不都合は押し付けても良いなどという差別意識がないだろうか。国家の安全保障という大きな視点に立つべきだ、などとしたり顔で言う人もいるが、同朋の痛みが分からないそんな国が守るに値するだろうか。
翁長知事は言う。「基地問題はもうイデオロギーではない。沖縄のアイデンティティーの問題である」と。左翼も右翼も立場を超えてこの問題には協力してほしいと思う。


 
11.29辺野古に基地は造らせない大集会に行ってきました。

  
 人畜無害のデモに大勢の公安を張り付けている。税金の無駄遣い。