長さとは何か?

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ウィトゲンシュタインの「青色本」の冒頭は次のような一節から始まっています。

 

≪語の意味とは何か。
 この問題に迫るためにまず、語の意味の説明とは何であるか、語の説明とはどのようなものかを問うてみよう。
 こう問うことは、「長さはどうして測るのか」を問うことが「長さとは何か」という問題に役立つのと同じ仕方で役立つ。 ≫

 

初めてこの文章を読んだときは一体何を言っているのかわかりませんでした。「長さとは何か」というのはあまりにも自明のことと思えたからです。しかし、あらためて考えてみるとなんだか落ち着かない気持ちになります。このような「感覚」をウィトゲンシュタインは「知的けいれん」と表現します。哲学はこの知的けいれんから始まるのでしょう。

 

「『長さはどうして測るのか』を問うことが『長さとは何か』という問題に役立つ」と彼は言います。「長さ」の意味に「長さの測り方」を対応させるというプラグマティックな考え方を提案しているのです。

 

小包のサイズを測るにはメジャーを当てて測ります。比較的遠方の距離は三角測量で測ります。非常に遠い銀河の場合には光のスベクトルの赤方偏移によって測定します。このように考えると、「長さ」というのは実は多義的な概念であるということが分かります。

 

と、ここまで読んで、あなたは少し困惑しているのではないかと想像します。「御坊哲は一体何を言っているんだ、『長さ』は『長さ』じゃないか」と思ったのではないでしょうか? そのような困惑についてウィトゲンシュタインは次のように述べています。

 

≪哲学的困惑の大きな源の一つ、名詞があればそれに対応する何かのものを見つけねば困るという考えに迫られるのだ。≫

 

小包のサイズと遠い銀河までの距離を、同じ『長さ』という概念に押し込めるていることには十分な根拠があります。科学的にはそれらを一つのカテゴリーで扱う方がシンプルな理論を形成できるからです。しかし、それらはもともと別のものとも考えられるのです。科学からの要請は、概念をより一般化することを我々に求めますが、ウィトゲンシュタインは概念に一意的な『本質』というものは存在しないというのです。

 

「名詞があればそれに対応する何かのものを見つけねば困る」という感覚は、「時間とはなにか?」について考えれば、「長さ」よりは明瞭になると思います。
ぼくらはどうしても「時間そのもの」を取り出すことはできません。ウィトゲンシュタインのアドバイスは「『時間』という言葉がどのように使われているかを枚挙するしかない。」というものです。

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