(笑) について

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なにか面白いことを述べようとしているわけではありません。最近というか結構前からですが、メールやSNSにおけるメッセージの中の ”(笑)” というのがどうも気に入らないという話です。こんなことを言うのは私が年寄りだからかもしれないのですが、結構年配の方でも使っていることがあるので、年は関係ないのかもしれない。

 

子供のころテレビでアメリカのお笑い番組をよく見ていましたが、オチのところで笑い声が入ります。スタジオ収録だから録音した笑い声を流しているわけです。笑い声で見ている人に面白いんだという印象を与えようという狙いがあるのでしょう。おそらくその脚本には、笑い声を挿入する箇所に「(LOL)」と書き込まれているはずです。

 

LOLとは Laughing Out Loud の省略形で、「爆笑」というところでしょうか、それでアメリカ人は手紙の中で面白いことを記した分の末尾に (LOL) と書く人もいるわけです。 ”(笑)” はその日本語版でしょう。中には、 ”(爆)” を使う人もいます。

 

私が”(笑)”を使う気になれないのは、”(笑)”と書いたところでちっとも面白くないからです。おそらく文章を受け取る側からすれば、”(笑)”は何の効果もないように思えます。メッセージを送る側から「ここは笑うとこです」と指定する、好意的に解釈すれば一種の照れとも受け取れますが、そこに書き手側の反知性的な自己満足のようなものを嗅ぎ取ってしまうこともあります。そこのところは、受け手が送り手の性格をどのようにみているかで大きく解釈が分かれますが、どちらにしろ”(笑)”はそれほど肯定的な効果をもたらさないと思うのです。

 

親しい人どうしのメールにおいてはたいして問題はありませんが、SNSで見知らぬどうしのメッセージのやり取りにおいて、”(笑)” を使用するのは極力避けた方が良いと思います。前に述べたように、”(笑)” には送り手が期待しているような効果は全くないからです。時には、”陳腐な悪意”ととられかねません。

 

哲学趣味の人々のSNSをのぞいてみると、この”(笑)”または単に”笑”が使われている場合が結構多い。しかもそのような場合に限って、そこは哲学的議論とはほど遠い場となっている場合が見受けられるのです。そこでは、この”(笑)”は自分の(あくまで独善的な)優位を強調する符号でしかなくなっており、しかしそれはあくまで独善的なものだから、結局自分の底の浅さを強調するものでしかないことを本人だけが分かっていないという状態に陥っているのです。哲学上の議論をする場合には自分を相対化できないとならないのですが、そこのところが分かっていない人が実に多い。それで意地の張り合いのようなやり取りになって、”(笑)”が飛び交うようになる。頭を冷やせば、そこにはくだらなさ過ぎて「笑うしかない」ような状況が生まれているのです。

 

 

ちょっと厳しすぎる言い方になったかもしれないけれど、決して”(笑)”を使うべきではないということではありません。上記のことはあくまでぼくの主観で、自分は”(笑)”を使うことはできないというお話です。あくまで、会話上の言葉にはもう少し注意しましょうというだけのことで、これは自戒の意味も込めてそう思うのです。

 

海王丸と私 (東京 江東区 青海)

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