村井康彦の「出雲と大和―古代国家の原像をたずねて」を読んだ! | とんとん・にっき

村井康彦の「出雲と大和―古代国家の原像をたずねて」を読んだ!

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村井康彦の「出雲と大和―古代国家の原像をたずねて」(岩波新書:2013年1月22日第1刷発行、2013年2月15日第3刷発行)を読みました。村井康彦の名前を見て、随分昔に、お茶の本を読んだことを思い出しました。押し入れの奥に入っていたので、やっと探し出しました。「千利休 その生涯と茶湯の意味」(日本放送出版協会:昭和46年3月20日第1刷発行)という本でした。40年以上も前の本です。著者紹介には「京都女子大学文学部教授」とありました。その当時は茶の湯の専門家として、数冊の著作を出していました。


現在、村井の肩書きは、「国際日本文化研究センター名誉教授」となっています。肩書きで判断するというのではなく、その書き方や論の立て方でふと思い出したのは、井上章一のことでした。いま、購入したばかりの井上の著作「伊勢神宮と日本美」(講談社学術文庫:2013年4月10日第1刷発行)の略歴を見てみるとやはり「現在、国際日本文化センター教授」となっていました。数年前にも井上の「伊勢神宮 魅惑の日本建築」(講談社)という本を読みました。どうも井上は伊勢神宮が守備範囲らしい・・・。


さて、村井康彦の「出雲と大和―古代国家の原像をたずねて」は、その名の通り、出雲に主眼を置いて記述されています。本の帯にはセンセーショナルに「邪馬台国は出雲勢力が立てたクニである!」とあります。そしてカバー裏には、以下のようにこの本の「あらすじ」が書かれています。


大和の中心にある三輪山になぜ出雲の神様が祭られているのか? それは出雲が大和に早くから進出し、邪馬台国を創ったのも出雲の人々だったからではないか? ゆかりの地を歩きながら、記紀・出雲風土記・魏志倭人伝等を読み解き、古代世界における出雲の存在と役割にせまる。古代史理解に新たな観点を打ちだす一冊。


10年ほど前に、一時、「古事記」ブームがありました。当時爆発的に売れていた「口語訳 古事記 完全版」(訳・注:三浦佑之:2002年6月30日第1刷)を、僕にしては高価な本でしたが、購入しましたが、自慢にもなりませんが、1ページも読んでいません。ブームに遅れまいと購入したのですが、そのうち時間ができたらゆっくり読もうとは思っていたのですが・・・。そんなわけですから、「古事記」や「日本書紀」はおろか、「魏志倭人伝」などは、もちろんのこと読んではいません。日本誕生の物語は、まったく知らない、というわけです。


岩波書店新書編集部の平田賢一は、この本について以下のように書いています。

この本の始まりは7年前にさかのぼります。雑誌『図書』(2006年9月号)に「宮都の風景」という題でお書きいただいたことがきっかけです。それが出雲について論じながら、古代史全体の流れについて大きな問題提起をするような本になろうとは想像できませんでした。現地踏査される中で注目された四隅突出墓、磐座信仰の場、国司神社などの写真を見せていただきながら、次第にその構想の大きさが分かるようになりました。なお、掲載した写真はすべて先生が撮られたものです。本文と併せてお楽しみください。


古代の出雲世界とはなんだったのか。この本は、写真を含めて、大国主神(大名主命・大物主命)や出雲系の神々を求めて各地に出かけ現地を訪れた旅の軌跡であり、その間に思い描いた古代史の原像である、と村井は述べ、「あとがき」で村井は、出雲理解の三つのデータを挙げています。


一つは、三輪山の存在、山そのものが神体で拝殿はあっても本殿はないこと。その祭神・大物主神が大和にあってなぜ出雲系なのか。二つは、出雲国造が朝廷に出かけて奏上し貢置を申し出た「皇孫の命の近き守神」が三輪山の大物神社葛城の高鴨神社など、出雲系の神々だったこと。三つは、「魏志倭人伝」で知られる倭の女王、邪馬台国の卑弥呼の名が、「古事記」「日本書紀」にまったく出てこないこと。この三つのデータを重ね合わせると、それは邪馬台国は出雲勢力の立てたクニであった、というものです。


話は奈良盆地の中央部東側にある三輪山から始まります。三輪山の麓にある大神神社は大物主命を祭神とするが、拝殿はあるが、この神社には祭神を祭る建物(本殿)がない。本殿がないのは、三輪山そのものを神体山として崇拝しているからである。したがって大物主神を祭る三輪ヤマハ、全山が禁足地だったこと、しかもこの山中には巨石に神の霊が宿るとする磐坐(いわくら)信仰があり、大物主神は山頂の奥津磐坐とされている。この大国主神が出雲の大国主神と同神だ、というのです。これは始まりの始まりに過ぎませんが、それにしても、まるで推理小説を読み解くような、スリリングな論の展開がその後次から次へと出てきます。


著者紹介
村井康彦(むらい・やすひこ)1930年、山口県に生まれる。1958年、京都大学大学院文学研究科博士課程修了。専攻は、日本古代・中世史。現在、国際日本文化研究センター名誉教授。著書に、『古代国家解体過程の研究』(岩波書店、1965年)、『平安貴族の世界』(徳間書店、1968年)、『千利休』(日本放送出版協会、1971年)、『茶の文化史』(岩波書店、1979年)、『京都史跡見学』(岩波書店、1982年)、『王朝風土記』(角川書店、2000年)、『日本の文化』(岩波書店、2002年)ほか。


目次
はじめに―備中国の惣社にて
序 章 三輪山幻想
第一章 出雲王国論
 1 大国主神の分身たち
 2 磐座祭祀をたどる
 3 『出雲風土記』の地政学
 4 四隅突出墓をたずねて
第二章 邪馬台国の終焉
 1 北九州の古代遺跡を歩く
 2 邪馬台国はどこにあったのか
 3 邪馬台国と大和朝廷
 4 邪馬台国の終焉
 5 「神武東征」説話
第三章 大和王権の確立
 1 「国譲り」とは何だったのか
 2 伊勢神宮の成立
 3 出雲系諸氏族の動向
 4 出雲系葛城氏の動向
 5 大和王権と吉備
第四章 出雲国造―その栄光と挫折
 1 国造の世界
 2 「神賀詞」奏上
 3 熊野神社
 4 出雲国造の本拠
 5 出雲大社はいつ創建されたか
 6 国造家の歴史に翳り
終 章 再び惣社へ
あとがき
年表

索引


とんとん・にっき-murai1 「千利休―その生涯と茶湯の意味」

昭和46年3月20日第1刷発行

著者:村井康彦

発行所:日本放送出版協会