Bunkamura ザ・ミュージアムで「モネとジヴェルニーの画家たち」展を観た! | とんとん・にっき

Bunkamura ザ・ミュージアムで「モネとジヴェルニーの画家たち」展を観た!


Bunkamura ザ・ミュージアムで「モネとジヴェルニーの画家たち」展を観てきました。


つい先日、銀座で神戸のSくんの個展が開催されたおり、知人のMさんから以下のようなメールが送られてきました。「個展の会場でSくんと2時間ゆったりと話し合い、奥さんにも会い、Sくんと来年、5月ごろにジベルニーを訪れようと約束し、奥さんの許可ももらい、Sくんはセーヌ河を描くつもり。ジベルニー訪問、ぜひ実現したいと思います」という、突然降って湧いた話でした。Mさんは僕らの仲間の牽引者、どこへ連れて行かれるか、しかし注意していないと、わかったものではありません。まあ来年の初め、1月8日に、例年行っている「七福神めぐり」が決まってはいますが。


今年は印象派の話題で持ちきりでした。関連する展覧会は目白押し、次々と観て回りました。印象派に関連する書籍は続々出版され、雑誌は印象派を特集していました。こんな年は珍しいのではないでしょうか。まあ、その最後を飾るのが、Bunkamuraザ・ミュージアムで開催された「モネとジヴェルニーの画家たち」展でした。モネの作品は上野の国立西洋美術館でも多数所蔵されており、たしかレストランも「睡蓮」という名でした。「アルブレヒト・デューラー版画・素描展」へ行った時に参加した「ハイライトツアー」でも、モネの「睡蓮」が取りあげられていました。


多々ある中でも圧巻だったのは、森アーツセンターで開催された「ボストン美術館展 西洋絵画の巨匠たち」でした。「モネの冒険」として、モネの作品9点を展示するスペースが設けられていました。出させていたのは、以下の通り。「アルジャントゥイユの雪」「プールヴィル、ラ・カヴェの道」「ヴァランジュヴィルの崖の漁師小屋」「ジヴェルニー近郊の積みわらのある草地」「アンティーブの古城」「小クルーズ川の峡谷」「積みわら(日没)」「ルーアン大聖堂の正面とアルバーヌ塔(夜明け)」「ジヴェルニー近郊のセーヌ河の朝」「睡蓮の池」。これだけ纏まってモネの作品を観たのは僕は初めてでした。


またもう一つ、国立新美術館で開催された「オルセー美術館展2010 ポスト印象派」展では、モネの作品が5点、「ボルディゲラの別荘」「日傘の女性」「ノルウェー型の舟で」「睡蓮の池、緑のハーモニー」「ロンドン国会議事堂、霧の中に差す陽光」が出されていました。そうそう、ブリヂストン美術館で開催された「セーヌの流れに沿って 印象派と日本人画家たちの旅」展でも、モネの作品が出されていました。「セーヌ河の朝(ジヴェルニーのセーヌ河支流)」「睡蓮」「睡蓮の池」などです。


今回の展覧会の構成は、以下の通りです。

序章 ジヴェルニーのモネ

第1章 周辺の風景(1886-90年)

第2章 村の暮らし(1890-95年)

第3章 家族と友人(1895-1905年)

第4章 ジヴェルニー・グループ(1905-15年)


モネが移り住んだジヴェルニーは、パリから約80キロ程北西に位置する、当時は300人ほどが暮らす小さな農村でした。モネはジヴェルニーで近隣の風景を描いて、名声を得てゆきました。モネの描いた睡蓮、積みわら、ポプラ並木などの作品は、世界的に広く知られることになりました。モネの友人であるセザンヌやボナールたちはジヴェルニーを訪れています。1915年頃までには、19カ国をこす、300人以上もの芸術家がジヴェルニーを訪れたそうです。日本からは松方幸次郎や児島虎次郎がモネに会いにこの智を訪れています。が、しかし、訪問者で最も多かったのはアメリカの画家たちでした。写真家の南川三治郎は、図録の中で下のように述べています。


モネがジヴェルニーを気に入ったのは、大きな孤を描いて続いているセーヌ河対岸の斜面にあった。太陽はこの給料に添って移行するので、何時の季節でもジヴェルニーから見た対岸の丘の長目は一日中逆光の中にあるからだった。水に映った影、光を受けた葉の輝きや動き、太陽にヴェールをかけたものや、日の出や日没を描くためには、水と木々に縁取られた自然の斜面をたどって行きさえすればよかった。そこで輝く風景の色は絶えず変化し、近く見えたり遠くに見えたり、いつも同じことのない、新しい風景の発見につながり、自然を自然に、瞬時の感銘を描き込める、印象主義の極地だったのだろう。


ジヴェルニーは、村でただ1軒の「ボーディ・ホテル」を中心に、英語を話す人たちの「アーティスト・コロニー」の様相を呈していました。アメリカ人の画家は多いときには50人を超す人たちが共同体をつくって、制作していました。今回の展覧会は、モネの作品を初め、彼の義理の娘ブランシュの作品、この芸術家村(コロニー)で制作したアメリカ人画家の作品に焦点を当てたもので、理想郷に育まれた風景と人々の生活の姿を、約75点の作品で示しています。


モネの作品で強いて挙げれば、今回の目玉は「積みわら(日没)」(ボストン美術館蔵)でしょう。この「積みわら」、モネが同じ場所で時間の移り変わりとともに、何枚も描いていることはよく知られています。それに呼応するように、ジョン・レスリー・ブレックの描いた「積みわらの習作:秋の日1-12」が出されていたのには、キッチュとまでは言いませんが驚きました。モネの作品は今回、18作品が出されていました。ここでは「序章」として最初に取りあげていますが、展覧会場では最後の部屋に一堂に展示されていました。もちろん「ジヴェルニー関連」の作品ばかりです。ジヴェルニーの季節を描いたものやセーヌ河を描いたもののほか、やはりモネと言ったら「睡蓮」ですね。「日本風太鼓橋」を含め、「睡蓮」だけでも9点が出されていました。ただ1つ、他と変わっていたのは「赤とピンクの芥子」という作品でした。


アメリカ人画家たちの作品では、セオドア・バトラーとモネの義理の娘であるシュザンヌ・オシュデとの結婚の様子を描いたセオドア・ロビンソンの「婚礼の行列」が秀逸でした。顔はスケッチ風に留め、福も素早い筆遣いで対象を捉えています。右手はジヴェルニーの村役場で、アメリカ人画家とモネの義理の娘が結ばれたことは、芸術家村にとっては重要なイベントだったようです。セオドア・アール・バトラーの「庭の入口」や、ブランシュ・オシュテ=モネの「ジヴェルニーの庭、バラの小道」は、明るい色彩の油彩画で、印象派の柔らかな色合いとは無関係に見えますが、それでもジヴェルニーらしいと思われます。ただ1つ、ルイス・リットマンの「早朝」は、光あふれる明るい色彩と、ベッドカバーや衣服、壁紙など、繰り返しのパターンで描かれた室内、しかも寝室に座って服を着ようとしている艶めかしい女性を描いています。


序章 ジヴェルニーのモネ



第1章 周辺の風景(1886-90年)


第2章 村の暮らし(1890-95年)




第3章 家族と友人(1895-1905年)



第4章 ジヴェルニー・グループ(1905-15年)




「モネとジヴェルニーの画家たち」展

印象派の巨匠クロード・モネが晩年に移り住みアトリエを構えたジヴェルニーは、パリから西に約80キロほどのセーヌ川の右岸にある風光明媚な小さな村。モネの噂を聞きつけて1880年代半ばにやってきたアメリカ人画家たちの滞在をきっかけに、芸術家のコロニーが形成されました。村は賑わいを見せ、ピークを過ぎる1915年までには通算300人以上の画家が長期滞在しました。訪れる画家が増えるにつれ、この村は一方でステレオタイプな場所にもなっていきましたが、画家たちは描く対象を自然から人物や村の暮らしに移すなど、常に斬新なものを求め、独自の様式に到達していきます。それはまたアメリカ印象派誕生の軌跡でもありました。本展はモネの作品に加え、日本で殆ど紹介されることのなかったアメリカ人画家の油彩、約75点で構成されます。ジヴェルニーの自然と村の暮らしを描いたこれらの作品は、新鮮な感動を呼び起こすことでしょう。


「Bunkamura ザ・ミュージアム」ホームページ


とんとん・にっき-mone1 「モネとジヴェルニーの画家たち」展

図録













過去の関連記事:

Bunkamuraザ・ミュージアムで「フランダースの光」展を観た!
Bukamuraザ・ミュージアムで「ベルギー王立図書館所蔵 ブリューゲル版画の世界」展を観た!

Bunkamuraザ・ミュージアムで「語りかける風景」展を観た!
Bunkamuraザ・ミュージアムで「ロートレックコネクション」展を(再び)観た!
Bunkamuraザ・ミュージアムで「ロートレックコネクション」展を観た!
Bunkamuraザ・ミュージアムで「20世紀のはじまり ピカソとクレーの生きた時代」展を観た!
Bunkamuraザ・ミュージアムで「ベルギー幻想美術館」展を観た!
Bunkamuraザ・ミュージアムで「奇想の王国 だまし絵展」を観た!
Bunkamuraザ・ミュージアムで「国立トレチャコフ美術館展 忘れえぬロシア」を観た!
Bunkamura ザ・ミュージアムで「アンドリュー・ワイエス 創造への道程」展を観た!
Bunkamuraザ・ミュージアムで「ジョン・エヴァレット・ミレイ展」を観た!
Bunkamura で「アンカー展」を観る!
「ヴェネツィア絵画のきらめき」展を観る!
「ポンペイの輝き」展を観た!
「ピカソとモディリアーニの時代」展を観る!