2010年12月03日 23時15分24秒

「明治の彫塑 ラグーザと萩原碌山」展を観た!

テーマ:ゲ~ジュツ見てある記


東京芸術大学大学美術館で「明治の彫塑 ラグーザと萩原碌山」展を観てきました。「ラグーザ初の回顧展」、そして「絶作《女》の秘密をさぐる」と、副題?にあります。「ラグーザと荻原碌山」展、ラグーザの作品は頂いたリストによると全部で30点、碌山の作品は参考作品も入れて15点、またラグーザの弟子たちの作品が13点出されていました。数ヶ月前から楽しみにしていた展覧会です。


昔から彫刻が好きで、ちょくちょく観て回っていました。先日、といっても今年の夏でしたが、安曇野の「碌山美術館」を初めて訪れました。たまたま、というか、わざわざ、というか、開催していた「新宿中村屋サロンの美術家たち展―生命の芸術表現と思潮―」を観ることができました。もちろん碌山美術館で開催されたこともあり、荻原守衛(碌山)の彫刻がメインでした。たぶん碌山の彫刻作品のほとんどを、その時観たのではないかと思います。また中村彝が好きだったこともあり、新宿中村屋に集まった芸術家たちとの関係についても興味があり、そんなことから荻原碌山の作品もよく知っていたのではないかと思います。


中村彝と中村屋の娘・俊子との関係は以前からよく知っていましたが、碌山と相馬黒光との関係については、今年の夏に詳しく知りました。ラグーザについては、「日本婦人像」が東京国立博物館にあったので知ってはいましたが、お雇い外国人で工部美術学校に招かれた先生だったことは、今回初めて知りました。工部美術学校と、工部大学校造家学科と、まったく同じ教育の構造ということも初めて知りました。建築でいえば、ジョサイア・コンドルのような人だったんですね、ラグーザは。また、工部美術学校の流れを組む彫刻家の1人として、荻原碌山がいたことも、今回初めて知りました。


今回の目玉、ラグーザの「日本婦人像」と碌山の「女」が、それぞれブロンズや石膏作品が幾つか出されていました。同じ石膏からとったブロンズでも微妙に違っているところがある、ということを初めて知りました。またラグーザの「日本婦人像」の造り方によるわけですが襟が取れちゃっていて、乳房が露わになっているということ、これは衝撃的でした。


ヴィンチェンツォ・ラグーザ



荻原碌山




「明治の彫塑 ラグーザと荻原碌山」
本展覧会は、日本近代彫刻史において重要な役割を果たした二人の作家に焦点を当てて、とくに明治期の彫塑技法に関するさまざまな問題を浮き彫りにしようという試みです。 イタリア人彫刻家ヴィンチェンツォ・ラグーザ (Vincenzo Ragusa, 1841-1927) は、明治9年に開校した工部美術学校に招かれ、日本にはじめて西洋彫刻を伝えました。ラグーザは明治15年に帰国しますが、その間日本でも積極的に制作し近代日本彫刻の基礎を作りました。没後の昭和8年、来日中および帰国後の作品が妻清原玉から東京美術学校に寄贈され、今日、そのコレクションは明治初期の西洋彫刻受容の経緯を知るうえで貴重な存在となっています。この展覧会では、ラグーザ芸術だけでなく工部美術学校での美術教育のあり方にも注目していきます。 一方、荻原碌山(1879-1910)はラグーザの来日から30年を隔てた明治後期、パリでロダンの「考える人」をみて彫刻家を志しました。パリのアカデミー・ジュリアンで勉強し、明治41年に帰国。明治43年に没するまでのわずかな活動期間でしたが、碌山の作品は日本の近代彫刻に新しい風をもたらしました。2010年は碌山の没後100年にあたる記念の年となります。この機会に、展覧会では碌山の芸術を検証するにあたって、とくに絶作「女」に焦点を当てて、石膏原型と複数のブロンズ像との比較、そして新たに石膏原型から鋳造するブロンズ像の制作過程もくわしく紹介いたします。 この展覧会は2部構成になっていますが、明治期を代表する二人の彫刻家の作品をあわせて展示する、ひとつの展覧会です。さらに第一部ではラグーザの弟子たちの作品も集められます。


「東京芸術大学大学美術館」ホームページ


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