伊藤若冲の生涯の傑作「動植綵絵」全30幅を観た!
テーマ:ゲ~ジュツ見てある記
「御即位20年記念特別展 皇室の名宝―日本美の華」1期を観てきました。副題は「永徳、若冲から大観、松園まで」とあります。が、しかし、観ての印象はこれはほとんど「若冲展」です。狩野永徳も円山応挙もありました。横山大観も上村松園もありました。が、しかし、やはり伊藤若冲です。なかでも圧巻は若冲の「動植綵絵」です。しかも30幅もあるのですから、いや、驚きました。僕はなにしろ日本美術にはほとんど興味がなかったので、意識して若冲を観るようになったのは、昨年開催された「対決巨匠たちの日本美術」あたりからでした。その時は曽我簫白と対決させられていて、若冲の作品は「仙人掌群鶏図襖」や「石灯籠図屏風」、「旭日鳳凰図」や「雪中遊禽図」などが出されていました。また、府中の「山水に遊ぶ 江戸絵画の風景250年」展では、「石灯籠図屏風」や「石峰寺図」が出されていました。
細見美術館蔵「日本美と出会う―淋派・若冲・数寄の心―」展でも「花鳥図押絵貼屏風」や「糸瓜群虫図」ほかの作品も観ました。その前に、「奇想の系譜」では「幻想の博物誌」、「奇想の図譜」では「若冲という不思議の国『動植綵絵』をめぐって」という辻惟雄の論文を読んでいました。が、、「石灯籠図屏風」や「石峰寺図」の印象が強くて、正直言ってあまり好きな画家ではありませんでした。いま観直してみると、「対決巨匠たちの日本美術」では「群鶏図」「鳳凰図」「雄禽図」など、若冲の特徴が出ている作品が出ていたのですが、僕の意識はそこへは向かいませんでした。
今回「動植綵絵」を観て、今までの若冲に対する僕の考えを変える必要が出てきました。まあ、早い話が僕の若冲理解が足りなかったということですが。若冲の「動植綵絵」は一つ一つが精緻に描かれていて、なにしろ圧巻でした。またこのように一堂に会して「動植綵絵」が観られるのも、今までなかったことのようですし、今後もこういう形で観られることはそうあることではないと思います。今回の展示は会場の都合からか、、「旭日鳳凰図」を背に、右側に16幅、正面に4幅、左側に10幅が並べられています。並ぶ順序は、制作された順序のようで、つまり「芍薬群蝶図」が最初に描かれ、「紅葉小禽図」が最後に描かれ、その間10年に歳月が流れました。
ということで、「皇室の名宝―日本美の華」1期を観ての感想は後回しにして、以下に、伊藤若冲の生涯の傑作「動植綵絵」30幅の画像を(ここでは図録に載せられた順序で)載せておきます。
「動植綵絵」30幅は、明治22年、下賜金の返礼として相国寺から皇室へ献納され、現在宮内庁の保管となっている。彼がこの野心的な仕事にどれほどの時間を費やしたかは、くわしくは知られていないが、43歳に当たる宝暦8年(1758)、あるいはそれよりすこし前に30幅完成を目ざして着手され、宝暦11年には12福ができ、明和2年には24福に釈迦文殊普賢の三幅対をそなえたものが相国寺に寄進されている。そして大典の碑文によれば、若冲51歳に当たる明和3年(1766)11月には、30幅全部が相国寺に揃っていた。つまりは、40歳台のすべてをこの制作に投入したことになる。
綵絵(綵は彩と同義)とあるように、これらは、絹地に驚くほど細密な手法で描かれた濃彩画である。画題は、ニワトリをはじめ、クジャク、オシドリ、オウム、ツルなどの鳥に、ウメ、マツ、ヒマワリ、フヨウ、ボタン、ナンテン、アジサイなど、四季の木や草花を配した、中国画の画題分類でいう花鳥図、花卉図の類がおもである。ほかに、さまざまな魚や貝、昆虫から虫けらまでが登場するが、これらも画題形式の点からいえば、藻魚図、貝甲図、草虫図といった中国画の伝統的なレパートリー―これらも広義には花鳥図の仲間に入れられる―のなかに収まるものだ。大典の記述のとおり、ここには若冲が、相国寺をはじめ京都の各寺院に伝わる宋元明―とりわけ明―の花鳥画から、貪欲に手法を学び取ったあとが歴然としている。そうした中国画の素養を持つ彼が、ひとたび手本から離れ、<物>との独自な対話をはじめるとき、そこには、全く若冲自身のものとしかいいようのない、特異な映像の世界が現出するのである。
辻惟雄:「奇想の系譜」の中の「幻想の博物誌―伊藤若冲」より
「御即位0年記念特別展
皇室の名宝―日本美の華」
1期永徳、若冲から大観、松園まで
図録
2009年10月6日発行
編集:東京国立博物館
宮内庁
NHK
NHKプロモーション
発行:NHK
NHKプロモーション
読売新聞社
日本経済新聞社
「目をみはる伊藤若冲の『動植綵絵』」 2000年8月20日第1版第1刷発行
著者:狩野博幸
発行所:株式会社小学館




































