Bunkamuraザ・ミュージアムで「ロートレックコネクション」展を観た! | とんとん・にっき

Bunkamuraザ・ミュージアムで「ロートレックコネクション」展を観た!

とんとん・にっき-laut


1886年頃からヴァラドンと同棲していたロートレックは、彼女の正確で力強いデッサンを評価し、画家への道を開いたといわれています。また、ドガも彼女の画家としての才能を認めて、彼女のデッサンを買い、画家になることをすすめたという。画家モーリス・ユトリロは、ヴァラドンの私生児であることも知られています。ヴァラドンは恋多き女、ロートレックとはごく僅かのつき合いだったようですが、由緒ある貴族のロートレックに連れられて行くムーラン・ルージュは、正面中央のテーブルを独占できたという。ロートレックが結婚を望まなかったからなのか、彼女の方から離れていきます。ヴァラドンと別れてからのロートレックは歓楽街に入り浸り、これが結果的にいま僕らの知るロートレックを作ったのでしょう。とは、僕の勝手な考えですが。


上の文章は、サントリー美術館で数年前に開催された「六本木ムーランルージュ・ロートレック展」を観たときに、このブログに書いたものです。ユトリロの母親でもあるヴァラドンとロートレックの関係はよく知られています。従って、画家としての2人の関連性はともかく、スザンヌ・ヴァラドンの「自画像」が今回の「ロートレック コネクション」に出てきたとしても、なんの不思議もないし、それはそれでありなのかなとも思います。


しかしつい先日、横浜美術館で観たフェルナン・コルモンの「海を見る少女」(島根県立美術館蔵)、そう「フランス絵画の19世紀」展でしたが、あのお腹の周りや太ももの肉付きから推してとても少女には見えませんが、あの大きな油彩画は「なんでここに出ているの?」と、ついつい意識がそっちへと向かってしまう自分を戒めながら、そう思いました。ロートレックとの関連性が会場ではいまひとつつかめなかったからです。「フランス絵画の19世紀」を観たときには、他の裸婦というかヌードの作品が多数あり、実は自分の中では大いに注目していながら、「海を見る少女」は画像も小さめに、扱いは控えめにしてこのブログに書きました。



その関連を調べようと、「フランス絵画の19世紀」の図録を見てみると、コルモンは洋画家・藤島武二(1867-1943)や山下新太郎(1881-1966)の師だったことがわかりました。「海を見る少女」を描かれたのは1882年、コルモンは37歳で、その年に18歳のロートレックが、私設アトリエを開設したばかりのコルモンの元へ入門してきたそうです。なるほど、なるほど、そんな関係だったのかと納得はしましたが、なにしろこの「海を見る少女」は大きく迫力があり、他のロートレックの作品、あるいは関連した作家の作品がかすんでしまうぐらい、この作品は少なくても僕の中では、今回の展覧会の導入部では存在感を示していました。


ロートレックといえば、サントリー美術館で開催された「六本木ムーランルージュ・ロートレック展」が記憶に新しいところですが、僕の中では池袋西口の東武美術館の閉館時に開催された、つまり最後の展覧会でしたが、「「没後100年トゥールーズ・ロートレック展」のことが、素晴らしい展覧会だったと、思い出に残っています。実はお金が無くて「図録」を買えなかったので、取り逃がした魚かどうかはともかく、いまでもロートレックといえばその展覧会を思い出すくらい、よく覚えています。と言いながら今回も図録は購入していませんが。まあ、それはそれとして、今回の「ロートレック・コネクション 愛すべき画家をめぐる物語」と、「六本木ムーランルージュ・ロートレック展」を思い出しながら比較してみると、今回は「目玉がない」の一言に尽きます。


手持ちの作品がない「Bunkamuraザ・ミュージアム」のいつものやり方なので、慣れていると言えば慣れているのですが、ついつい期待が先に立って大きくふくらみ、そしてがっかりさせられる場合が多いのがBunkamuraです。たとえば思い出すままに「ピカソとモディリアーニの時代展」とか、「ピカソとクレーの生きた時代展」とかで、期待して行ってみると「~の時代展」に重きがおかれていて、僕の期待は空振りに終わるのが常です。今回出品された作品は全部で113点、そのうちロートレックの作品は約半数の65点に過ぎません。ロートレックの作品、油彩とリトグラフがありますが、その内訳は面倒なので数えることはしませんが、油彩画は非常に少ない。しかも、兵庫県立美術館蔵のリトグラフだけでも35点(このうちロートレックの作品は11点)もあります。


結局のところ、この展覧会のよかったところを強いてあげれば、前にあげたコルモンの「海を見る少女」や、ロートレックに影響を与えたとされる画家たちの作品です。エドガー・ドガの「入浴後の朝食」、エドゥワール・マネの「イザベル・ルモニエの肖像」、モーリス・ドニの「ランソン夫人と猫」、そしてピエール・ボナールの「靴をはく若い女性」やエドゥワール・vユィヤールの「ロマン・コーリュスの肖像」があげられています。ポスターではロートレックの先を走ったジュール・シェレの「イヴェット・ギルベール」やテオフィル=アレクサンドル・スタンランの「シャ・ノワール巡業公演」があげられています。









今回の「ロートレック・コネクション」、目玉を強いてあげればロートレックのアンボワーズ街の娼婦がふっと見せたあきらめにも似た穏やかな表情を描いた「マルセル」(トゥールーズ=ロートレック美術館蔵)でしょうか。他に「ムーラン・ド・ラ・ギャレットにて」(ポーラ美術館蔵)と、ポスターでおなじみの「アリステッド・ブリュアン」(ひろしま美術館蔵)の油彩画がありました。ロートレックのポスターは、その成功を呼び寄せたポスターの第一作である「ムーラン・ルージュノラ・グリュ」と、「歓楽の女王」です。「歓楽の女王」は「六本木ムーランルージュ」や「週刊世界の美術館」では「快楽の女王」と表記されていますが、ポーランド人作家の小説「社交動物園」のなかの一作「快楽の女王/高級娼婦界の風俗」の宣伝用のポスター「歓楽の女王」でしょうか。どうしてタイトルが異なっているのかは存じませんが。


画家を目指すようになったロートレックは、モンマルトルでシュザンヌ・ヴァラドンをはじめ、アンクタンやベルナール、ドニやゴッホなど、多くの仲間に出会います。またゴーギャンやマネ、ドガやフォランたちとも出会います。「ムーラン・ルージュのラ・グリュ」の観客の黒い影や黄色い照明の描き方は浮世絵の影響を指摘されています。アリスティド・ブリュアンのためのポスターの構図も、浮世絵の大首絵に近いものです。






「ロートレックコネクション 愛すべき画家をめぐる物語」:「ザ・ミュージアム」ホームページより

世紀末のモンマルトルを舞台に活躍した異才の画家、アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック(1864-1901)は、36年という短い生涯のなかで、多彩な画家たちとの交流を通し、独自の作風を確立していきました。モンマルトルの画塾でのベルナール、ゴッホらとの出会い、敬愛するドガとの交流、年上の画家マネへの憧れ、そしてポスター制作においてはシェレやスタンランらと刺激を受け合い、さらにはボナールなどナビ派の画家とも親交を結んでいます。本展覧会は画家ロートレックの出身地、南仏アルビのトゥールーズ=ロートレック美術館館長の企画・構成により、国内外のロートレック作品と、交流のあった画家たちの作品を併せて紹介することで、世紀末のパリを駆け抜けた画家、ロートレックの世界を展観します。


「Bunkamuraザ・ミュージアム」ホームページ


過去の関連記事:

六本木ムーラン・ルージュ「ロートレック展」を観た!