Bunkamuraザ・ミュージアムで「ベルギー幻想美術館」展を観た! | とんとん・にっき

Bunkamuraザ・ミュージアムで「ベルギー幻想美術館」展を観た!

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Bunkamuraザ・ミュージアムで「ベルギー幻想美術館」展を観てきました。「Bunkamura20周年記念企画」とあります。もう東急の文化村が出来てから20年も経つのかと驚きました。早いものですね。20年前は、というと、何度となく東急主催のシンポジウムをやっていて、それらに参加したことがありました。今で言えば、丸の内の「三菱一号館」のようなシンポジウムだったでしょうか。20年前、なにをやっていたのでしょうか僕は。いろいろとあくせくとやってきましたが、ほとんど進歩していないのが実情です。


それはそれとして、「20周年記念企画」、どうも諸般の事情で、他の企画だったのが流れて、「ベルギー幻想美術館」になったようです。自前の所蔵品のない美術館は、こういう時は哀れなものです。が、それは仕方がないことです。副題が「クノップフからデルヴォー、マグリッドまで 姫路市立美術館所蔵」とあります。これだけまとまってベルギー関連の作品を所蔵している姫路市立美術館、これは凄いことでちょっとした事件です。従って、今回の「ベルギー幻想美術館」展の「図録」は、「コレクションでたどる姫路市立美術館の25年 ベルギー美術」です。


今年の5月から7月にかけて東京都美術館で、「日本の美術館名品展」という展覧会がありました。僕は観に行く予定はなかったのですが、「名品展オフ会」があるというので参加しました。これが素晴らしい展覧会でまさに「名品展」でした。僕の不明を恥じました。そのオフ会で参加者のよかった作品に姫路市立美術館所蔵、ポールデルヴォーの「海は近い」が数人から挙げられていて、僕は初めてその時にデルヴォーの作品が姫路にあることを知りました。


下に図録を載せておきましたが、実は1975年3月から5月にかけて、竹橋の東京国立近代美術館で開催された「ポール・デルボー展」を僕は観ています。ポール・デルボーの回顧展が、この時初めて日本で開催されました。その前、1971年5月に同じ東京国立近代美術館で「ルネ・マグリット展」を開催していたようですが、それについては僕はなにも知りません。デルヴォーが亡くなったのは1994年ですから、「デルヴォー展」は彼が亡くなる前のことです。そのデルボー展、全部で88点、そのうち油彩37点、水彩・素描51点という大規模な展覧会でした。その後、日本でこのようなデルヴォー展が開催されたのかどうか、僕には分かりません。


と思っていたのですが、思い出したのは伊勢丹美術館で観たポール・デルヴォーです。調べてみたら、2001年に開催した「ベルギーの巨匠展―安ソールから、マグリット、デルヴォー」でした。これははっきり覚えています。その5人とは、ジェームズ・アンソール、レオン・スピリアールト、コンスタント・ペルメーク、そしてルネ・マグリットとポール・デルヴォーです。


今回の「ベルギー幻想美術館」展は、全部で113点の作品が並びます。マグリットとデルヴォーは、ほぼ同時代の人です。第4章はルネ・マグリット(1898-1967)の作品26点、うちリトグラフが22点です。第5章はポール・デルヴォー(1897-1994)の作品42点、うちリトグラフ・エッチングが34点となっています。マグリットは観た感じ、イラストレーションのようで、やはり平板です。そのうちリトグラフの「マグリットの捨て子たち(12点組)」があったりします。


今回の展覧会、全体の印象としては「ポール・デルヴォー展だね、これは」と、思いました。「汽車と風景」は全く別の人が描いたようなスケッチでしたが、その他はいろんな要素があちこちに見られはしますが、ほぼテーマは一貫しているように見えます。「女は心を惑わす悪魔で、身体を与えるだけで、男を破滅させる」と、デルヴォーを溺愛した母は、デルヴォーが成人後も教え続けたという。デルヴォーの中で女性への憧れと恐れは、複雑に入り混じっています。デリボーの描く女性の原点は、ブリュッセルの移動遊園地で観た機械仕掛けで動く人体の模型だったという。女性の裸像を町中に出現させるというシュルレアリズム的手法のきっかけは、同じ頃出会ったイタリアのデ・キリコの作品だったという。この二つが融合して、デルヴォー独自の世界が生まれました。


「女帝」や「二人のライバルたち」は、レオナール・フジタを思わせる乾いた絵です。「水のニンフ」は1937年の作品、もうこの頃から自らの画風を確立しています。「海は近い」は1965年の作品、姫路市立美術館と言えばこれです。圧巻は大作ですが、絵はやや平板ですが、「立てる女」「女神」「乙女たちの行進」3連のものです。デルヴォーは別々の部屋に飾られたもので、これらを3連として並べられるものとして描いたのではないという。


第2章のフェシアン・ロップスと、第3章のジェームズ・アンソールは全体的に平板、盛り上がりに欠けます。ロップスの「古い物語」、仮面を手に持ちそれを顔の前に掲げる女性を描いています。奔放な素顔に対して貞淑な仮面。「古い物語」とは、どこにでもある話だという意味です。ロップスは、「生贄Ⅰ」や「スフィンクス」など、素描がいい。アンソールの「キリストの生涯」、なんとこれだけで32枚組です。「オスステンドの女」というスケッチは、見事なものでした。また「果物、花、裸にされた光」、葡萄を口にした明るく、淡く、カラフルな、布柄の作品でした。


さて、第1章「世紀末の幻想、象徴主義の画家たち」ですが、ここは観るべきものがたくさんありました。そんなわけでここでは9点もの作品を、下に載せておきます。まず、ヌンクの「夜の中庭あるいは陰謀」と、クノップスの「ブリージュにて 聖ヨハネ施療院」は、共に死の街を描いているように見えます。ファブリの女性2人を描いた「夜」、異様に縦に長い画面は、窮屈で不安をかき立てます。世紀末のアンニュイでメランコリックな感じがよく出ています。デルヴィルの「ジャン・デルヴィル婦人の肖像」と「茨の冠」、クレヨンや黒いチョークで描かれていますが、女性の表情がよく捉えられています。今回の目玉は、実は小さな作品ですが、クノップフの「ヴェネツィアの思い出」でしょう。顎が際立った、意志の強そうな顔立ちをしている、若い女性を描いています。不思議な魅力を発揮している作品ですが、パステルと鉛筆で描いたものです。


デルヴィルの「レテ河の水を飲むダンテ」は、「神曲」を題材にしたもので、幻想的な作品ですが背景の植物はアール・ヌーヴォーの影響を受けていると言われています。フレデリックの「春の寓意」は、キリスト教の三連祭壇画をまねた画面構成ですが、特に宗教画と言うほどではない、自由な描き方です。幼児やそれを抱く女性、また天使たちは、祝福を与える宗教画のようですが、草花が咲き誇り、春の雰囲気を醸し出しています。スピリアールトの「自画像」は、暗く、陰鬱で、鬼気迫る表情で描かれています。ムンクを思わせる単純化された形態把握が的確な作品です。


全体の展覧会の構成は、以下の通り。

第1章 世紀末の幻想 象徴主義の画家たち

第2章 魔性の系譜 フェリシアン・ロップス

第3章 幻視者の独白 ジェームズ・アンソール

第4章 超現実の戯れ ルネ・マグリット

第5章 優美な白昼夢 ポール・デルヴォー


第1章 世紀末の幻想 象徴主義の画家たち











第2章 魔性の系譜 フェリシアン・ロップス

第3章 幻視者の独白 ジェームズ・アンソール


第4章 超現実の戯れ ルネ・マグリット


第5章 優美な白昼夢 ポール・デルヴォー







「Bunkamuraザ・ミュージアム」ホームページ


「姫路市立美術館」ホームページ

とんとん・にっき-del2 「コレクションでたどる姫路市立美術館の25年 ベルギー美術」とんとん・にっき-del1
2009年3月発行

発行:姫路市立美術館友の会

編集:姫路市立美術館









「ポール・デルボー展」

図録

東京展:

1975年3月29日~5月5日

編集:ポール・デルボー展カタログ編集委員会

表紙デザイン:原弘

発行:毎日新聞社

製作:美術出版デザインセンター

(大きさは縦24cm×幅25cm)


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