長嶋有の「泣かない女はいない」を読んだ! | とんとん・にっき

長嶋有の「泣かない女はいない」を読んだ!


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長嶋有、1972年生まれ、東洋大学2部文学部国文学科卒業。2001年、「サイドカーに犬」で第92回文学界新人賞、2002年、「猛スピードで母は」で第126回芥川賞を受賞しました。また、小説家「長嶋有」以外に、コラムニスト「ブルボン小林」、俳人「長嶋肩甲」としても執筆活動中です。


表題作「泣かない女はいない」は、勤め始めたばかりの睦美の日常を、どこがどうという山場があるわけでもなく、ただ淡々と描かれているだけです。折からの就職難に、断られるのを覚悟して靴まで新調しますが、しかし案外簡単に採用が決まり、睦美は拍子抜けします。勤めた会社は、K電機という親会社からの出向者が多い下請けの物流会社です。通勤には、大宮駅を経由して都心部とは逆方向のシャトルに乗ります。働く会社は工場街にあり、電車を降りた全員が同じ方向に黙々と歩きます。全員が一人で歩くから、歩道は一列の長い行進になります。毎日の行進に、互いの連帯を感じて睦美は不思議な興奮を覚えます。感動はしたものの、ある雨の日小さな発見をして、「我々は連帯しながら断絶している」と、睦美は思います。


歩道の真ん中に誰もどけようとしない車のホイールキャップや木の板が落ちています。工事の準備中の鉄板の壁にはへたくそなイタズラ書きがあり、その中に上手に描けたキン肉マンの絵を見つけて、感心したりもします。会社は門をくぐれば右手に3階建ての事務所、左手には大きな倉庫があります。事務所の入り口にはタイムカードのレコーダーと靴入れがあります。めいめいが好みのスリッパを持ってきて、女子社員も男子社員も違和感なく履いています。


睦美たちの仕事は、膨大な伝票をチェックして、正しい行き先に荷物が届くように伝票を振り分けること。5名の女子社員と3名のパートで、午前中いっぱいかけて2000枚以上の伝票をさばきます。10時半と3時半に「おやつ休憩」のある珍しく牧歌的な会社です。女子社員は睦美よりも5、6歳若いし、パートは皆40前後の子持ちの主婦で、睦美と話の合う仲間はいません。仲間がいないので、昼休みはパンと牛乳を持って近くの公園でひとりで食べます。ある日睦美は、昼休みの散歩の帰りに、保安林の脇道で蛇を見ます。


帰りのシャトルの中で睦美は、蛇と、自分とはなにかが違う女子社員のあいまいな表情を思います。彼女たちは「退屈しているのではないか。彼女たちはいつだって、心の奥底では蛇を待ち望んでいる」と睦美は思います。倉庫では数人の男性社員は一日中荷物を運搬しています。倉庫係の班長は無精髭を生やした樋川さん。会社のコンピュータにウィルスが侵入し、それを簡単に解決したのは樋川さんです。年齢不詳の樋川さんの、若いというよりも幼い笑顔は、なんだか少し素敵だと、睦美は思うようになります。


睦美には、一緒に暮らして3年になる四郎がいる。四郎は少し前に仕事先をリストラされたところ、家事をするでもなく、自室にこもってパソコンをいじってばかりの毎日です。布団に横になって目を閉じると、職場の樋川さんが蛇を捕りに、無表情のまま保安林の中に入っていく姿を想像します。四郎に対しては、今までやりすごしていた違和感を、はっきりと意識するようになります。


しかし、牧歌的な会社にも社会の荒波が押し寄せ、会社自体の存続も危ぶまれます。苦渋に満ちた表情の男たちは一日中、遅くまで会議を続けます。リストラでパートが辞めさせられたりもします。忘年会の二次会でカラオケに行き、社長は定番の「大阪で生まれた女」を歌います。樋川さんが歌ったのはボブ・マーリーの「NO WOMAN NO CRY」でした。ご存知、レゲエの神様ボブ・マーリーの大ヒット曲です。皆が口々に「誰の歌ですか」「どこの人ですか」等々の質問に、樋川さんではなく睦美が代わりに答えます。


「題名はどんな意味なの?」という睦美の質問に、「泣かない女はいない」と樋川さんが答えます。家に帰ってCDの歌詞カードを見ると、「ノーウーマンノークライ」のところは「女 泣くな 女 泣くな」と書いてありました。樋川さんが間違えて覚えているのだろうか?「どうしたのよ」という四郎に「私、泣いたことないんだ」と言うと、すごいなと返されます。間違えているにしてもわざとにしても、樋川さんは字義通り「泣かない女はいない」と思っている、だからそう口にしたのではないかと睦美は思います。


俺さ、君のことが好きなんだよ、絶対にいうはずのない樋川さんの言葉を、睦美はつかの間思います。夜遅く、高村さんから電話がかかり、真夜中に、元気な人の声を聞くのはいいもんだと睦美は思います。隣の部屋では四郎がどんどんと壁を蹴っています。「俺がいると、電話もしにくいだろうしね」と、吐き捨てるような四郎の口調。もう駄目かなと思いながら布団に入ると、樋川さんのことだけが思い浮かびます。私、樋川さんのことが好きなんですよ、そう言わなければと睦美は思うのですが、会社を辞めるという樋川さんに対して口に出た言葉は、「なんとなくそうじゃないかって思ってました」とだけでした。樋川さんは晴れ晴れとした表情で、「ちょうど最後に君に会えてよかった、そろそろいくわ」と言います。樋川さんの車は、クラクションを弱々しく鳴らしながら、勢いよく門を抜けていきました。



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大江健三郎は「大江健三郎賞」の選評で、長嶋有の「夕子ちゃんの近道」について、次のように述べています。「私がなぜこうした細部の、それもこまかな読みとりにこだわるのか?この作家が、細部をはっきりと書いてゆくことに、特別な思いを込めている人だからです。かれがそこに、正確な小さい意味をきざみ出す人だからです。長嶋有は、意味のあいまいな文章は決して書かない。しかも背負わされた意味によって言葉が重くなったり、文節が嵩ばったりしないよう細心の注意を払う。つまりは、すべて具体的な事物にそくして、スッキリと書く努力をおこたりません」と評価しています。


年譜を見ると、1994年、長嶋有22歳のとき、 第2回パスカル短編文学賞に落選したときに、選考委員の一人が「へえ、男だったの」と後で感心されたという話がありました。「泣かない女はいない」も、やはり「へえ、男だったの」と同じように言われそうな作品です。本の帯で「触れあうような、触れ合いそこねたような、触れあいすぎたような、人と人との関係。なんていい小説なんだろう」と、角田光代は述べています。


他にこの本には、聖飢魔2というバンドが好きだった保子の日常を淡々と描く「センスなし」が収録されています。この本、「泣かない女はいない」と「センスなし」の2作かと思ったら、もう1作、実は意外なところに短編が隠されていました。これも面白い。長嶋有の「サイドカーに犬 」は、監督は根岸吉太郎、主演は竹内結子で映画化されて、初夏の公開を待つばかりです。

bob marley - no woman no cry

長嶋有公式サイト

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