横浜市大倉山記念館
テーマ:なぜかケンチクでも大倉山の豊かな緑に囲まれているこの建物は、実業家大倉邦彦(1882~1971)が、東西の精神文化の研究を目的として、昭和7年に建設されたものです。設計者の長野宇平治(1867~1937)は、大正時代の古典主義建築の第一人者として数々の著名な銀行建築を生み出し、彼の最後の作品となったのが、この大倉精神文化研究所本館です。プレ・ヘレニック様式と呼ばれ、外観はギリシャ神殿風で西洋を象徴し、内部には東洋を象徴する木組みを用いた部屋があるなど、東西文化の融合を理念とした創設者大倉邦彦の精神が、設計者長野宇平治により具象化されています。(建物の由来:案内チラシより)
昭和56年3月に(財)大倉精神文化研究所敷地を、横浜市が公園予定地として買収した際に建物が寄贈されました。建設後約70年が経過していますが、建物はほぼ原型のまま残っており、日本建築学会から昭和初期の代表的な建築物としてリストアップされるなど文化的な価値が高いため、横浜市では大規模な改修工事を行い、建物の保存を計るとともに、「大倉山記念館」として昭和59年10月27日に開館しました。平成3年には横浜市指定有形文化財に指定されています。音楽会や各種集会など、市民の文化的諸活動の場に活用されています。(開館までの経過:案内チラシより)

大倉山記念館には、「大人のためのリトミック教室」のために初めて訪れました。長い間行ってみたいと思いながら、東横線の大倉山の駅には急行も止まらないのでいつも通過して、大倉山記念館の見学は延び延びになっていました。なにしろ変な建物が丘の上に忽然とそびえ立っていると聞いていたので、変なもの見たさに是非とも行ってみたいと思っていました。「変な建物」とは、言うなれば古典的なオーダーに従ってつくられたしっかりした建物ではないという意味で、なんとなく「まがいもの」、「キッチュ」という事前の思い込みがあったからです。プレ・ギリシャ様式とか、プレ・ヘレニック様式とか、建築史の中ではあまり聞くこともなかったし、古典主義的な建築のなかで取り入れられたということも聞きませんでした。そんなこともあってか、見ないうちに「コケ脅かしの建築」という印象が、僕のなかでは刷り込まれていました。


大倉山の駅を降りて急な坂道を登るとそこは別世界です。ゆったりとした空間に木立が生い茂り、その正面にこの建物は建っています。東西文明の融合を意図し、研究所を世界の精神文化の中心としたいと考えていた大倉邦彦と、その意をくみ取ってこの建築を設計した長野宇平治の、二人の絶妙な組み合わせがこの建築を創り出したと言えるでしょう。ギリシャやローマの様式ではなく、それ以前の紀元前ギリシャのクレタ・ミケーネ時代の建築様式、プレ・ヘレニック様式を選んだということ、そして丘全体を精神文化をテーマにした一つの小宇宙とすることが、大倉邦彦の意図であったようです。


長野宇平治は辰野金吾の高弟で、日本において建築家の職能を定着させるべくリードした建築家で、日本建築士会初代会長にもなった建築家です。早稲田大学教授でもあり、彼が設計した建築は奈良県庁舎、北海道銀行本店、横浜正金銀行東京支店などがあります。この大倉山記念館は彼が設計した最後の建築です。 長野は古典主義建築が得意でした。この建築は外観はプレ・ヘレニック様式の鉄筋コンクリート3階建ですが、詳細に見ていくと古典主義に基づいて設計されていることがわかります。特に正面階段を登ったピロティ部分や、シンボリックな内部階段のある玄関ホールは、密度が濃いディテールでつくられていることが、実際に観てよくわかりました。 柱が上にいくほど太くなっているのは、他に例をみないスタイルです。吹き抜け上部のライオンと鷲動物たちが、こちらを見下ろしていてまた面白い。


この建物、横浜市に寄贈される前までは、手入れに費用がかけられずボロボロで、廃墟寸前だったようです。こうして修復されて生き延び、年間を通して「水曜コンサート」や「講演会」、そして「秋の芸術祭」等々、市民に愛されて使われていることは素晴らしいことだと思います。そしてそれを支える地域のボランティアや商店街に支えられ、地域に密着した文化施設であることが大きな特徴です。なおこの建物、「スパイゾルゲ」や「裁判員」などを始め、映画やテレビのロケ地として年間30件以上使われているそうです。
参考:大倉山記念館HP





1 ■TBありがとうございます。
初めまして、かおるんと言います。
先ほどはトラックバックありがとうございました。
大倉山記念館、こんなにすごい所だったとは知りませんでした。