2005年09月04日 00時03分00秒

骨董市で家を買う―ハットリ邸古民家新築プロジェクト

テーマ:住まいづくりあれこれ

骨董市で家を買う―ハットリ邸古民家新築プロジェクト」という本を、半年前ぐらいにブックオフで購入、やっと読み終わりました。といっても、読んだ時間は今日半日ですけど。其の一から其の十まで、それぞれの章が面白いし、各章の終わりに次の章の展開を暗示する記述がまた次への期待感を高めます。中央公論社、1998年11月7日初版発行です。さすがは作家、読ませます。といってもどんな人かは、ほとんど知りませんでした。


著者の服部真澄、写真で見るとなかなかの「いい女」、髪が長くて黒い半袖に黒のパンツに黒のブーツ、カッコいいんですよ!1961年東京生まれ。早稲田大学教育学部卒業後、編集制作会社勤務、フリー・エディターを経て作家に。1995年デビュー作「龍の契り」がいきなり直木賞候補に。1997年には二作目「鷲の驕り」で吉川英治文学新人賞を受賞。他に「ディール・メーカー」「バカラ」などがある。と、経歴には書いてあります。残念ながら、僕が読む小説の分野ではないようですが、でもスケールの大きな小説で、その分野では評価の高い作家のようです。



骨董市で家を買う―ハットリ邸古民家新築プロジェクト」という本は、こんな本です。「民家売ります」骨董市でみつけた一枚の貼り紙。それがすべての発端だった…!?怪しい骨董商のみちびきで、福井の廃屋に一目惚れした著者は、東京下町に移築を決意。しかし、肝心の骨董商が宗教にハマり、あげくの果てには雲がくれ。きまじめな建築士と職人たちが日々材木と格闘するも、遅れに遅れる工期足りない予算―次々に迫る困難をくぐり抜け、理想の家を求めた女流小説家が描き出す痛快ノンフィクション。



「秋葉原感覚で・・・」の石山修武がこう書いています。自称「俗物小説家」服部真澄、家づくりに暴走す。貯金ナシ定期収入ナシそれでもこんな家が欲しい。コレワ、彼女のスーパーミステリーよりさらに面白い!まいったな。家づくりの深みにはまつた人間の、底ナシ沼のおかしさ、辛さ、そして不思議な知恵が満載。世紀末爆走住居論。なんだか読み終わると頭がやたら元気になっているのに気付く。自分の家を自分流に建てた力が伝染してくるからだ。



石山センセが余すことなく書いているとなると、僕がグダグダ書き連ねてもあまり効果はなさそうです。がしかし、待てよ、服部真澄は女じゃないの?この本の書き手はご主人になっています。そうです、これはあくまで小説なんです。服部真澄とおぼしき女性作家が、骨董市で仲介者を見つけて、福井まで買い出しに行き、品川に移築する顛末が、実際にあった話に基づいて書かれています。しかし、それをいつも横にいる夫の目で見ているという形式でこの本が書かれています。どちらかというと突っ走り気味な妻と、それを冷静に分析しながら見ている夫の目が相まって、この本を面白く仕立てています。



昔ながらの民家の長所や短所をよく理解し、それでもなお骨太の民家にこだわる。シックハウスや環境問題が大きな社会問題になっている現在、漆喰や土間によって家の中の温度変化をやわらげ、結露と無縁な住宅を、古民家の再生でつくり出すことは大きな意味を持っています。それをスッタモンダの末に実現してしまった女性が服部真澄です。叔父さんの土地を借りられたり、小説がヒットして収入があったことなど、条件が整っていたことはありますが、服部真澄のパワーには驚かされるものがあります。


書斎の方から、妻のいいわけが聞こえてくる。「どうにもこうにも、居心地がよすぎまして、ええ。こんどの家では、なかなか、原稿が捗らないんですよぅ・・・」

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2005年08月06日 09時19分07秒

「前川国男邸」について

テーマ:住まいづくりあれこれ

これはいい機会だから宣伝しておきましょう。と言っても、僕もつい先日知ったことなんですが。なんとなんと「生誕100年・前川國男建築展」があるんですね。そうか、前川さんは1905年の生まれですから、今年は生誕100年になるわけです。2005年12月23日から2006年3月5日まで、東京ステーションギャラリーで開催されます。また、プレイベントも行われているようです。


1986年に81歳でお亡くなりになったので、あれからもう19年も経つんですね。古武士然とした風貌が思い起こされます。神宮前にある建築家会館のバーで、お一人でよくお飲みになっていましたね。何の用事だったか、事務所にもお邪魔したことがありました。一度だけ、ひょんなことから前川事務所のパーティに呼ばれて出席したことがあります。前川さんご夫妻の新婚旅行の8ミリを延々と見せられましたが。ブリッセル万博の時に行かれたんじゃないかと思います。もちろん、講演会や対談では、何度もお見かけしましたが。




1928年3月、東京帝国大学工学部建築学科卒業後、渡仏。1928年4月18日ル・コルビュジェのアトリエに入所。というのは、もうほとんど伝説になっています。「『今日の装飾芸術』の巻末の誌されたコルビュジェ半生の『告白』を諳んじる程読み返した私はついに矢も盾も溜まらなくなって1928年3月31日卒業式の夜、東京を発ってシベリアの荒野をパリにはしった。」「モスクワは雪に埋もれて復活祭の鐘がなりひびいていた。ポーランドは吹雪に鎖されていた。然しパリは繚乱の花盛り。その頃私はセーブル街35番地のコルビュジェのアトリエにはじめてこの人の風貌に接したわけである。」「コルビュジェはセーブル街35番地の、数百年を経た僧院にたてこもって、アカデミーと世俗に対する果敢な孤独な戦いを続けていたわけである」(「伽藍が白かったとき」まえがきより)


小金井の「江戸東京たてもの園」で最も見たかったものは「前川国男邸」です。はっきり言えば、これだけを見に行ったようなものです。大屋根の切り妻骨太な外観です。やはり「たてもの園」の中では、ひときわ目を引きます。その存在感に圧倒されます。切り妻の真ん中に丸柱が1本、これが印象的です。丸柱は中古の電柱を再利用したそうです。大屋根の切り妻に棟持柱、この単純で明快な基本構成が素晴らしい効果を上げています。



1940年(昭和15年)というから、日本は太平洋戦争に突入して、緒戦の勝利でやや明るさが漂っていた時期とはいえ、資材統制が始まり、面積も30坪以内、金物類も入手困難な時代です。各個室は十分な広さが取れないが、空間だけでも贅沢にと、中2階と吹き抜けの居間を中央に設けました。1942年(昭和17年)の竣工から1945年(昭和20年)までは、前川が住宅として使用していました。しかし1945年、銀座にあった前川事務所が空襲で焼失した後、この住宅は事務所として使用されるようになりました。またその年に前川も結婚したために、夫妻の住宅としても使われました。


仕事場としての居間と、2階に製図台を並べて、書斎が仕事上の接客や所員の休憩の場として使われました。1954年(昭和31年)、四谷の本塩町に前川事務所のビルが出来て移転したので、やっと前川夫妻の住宅に戻り、約17年、お二人で住まわれることになります。上大崎にあったこの「前川自邸」は、1973年(昭和48年)に解体されます。見る機会があったのですが、僕が訪れたのは鉄筋コンクリートの家に建て変わってからでした。昭和50年頃ですね。(どういうわけか、この鉄筋コンクリート造の前川自邸は、一切発表されていません。)解体された前川邸は軽井沢の別荘に部材として保存されていたのを、藤森照信が探し出して、「江戸東京たてもの園」の目玉として持ってきたと、建築雑誌に書いています。前川さんは軽井沢に別荘として移築したいと考えていたようだと、藤森は言っています。



ディテール」のない建築なんてものがあるだろうか。「ディテール」の真実に支えられなければ、小説という大きな虚構はひとたまりもなく崩れ落ちるだろうと言った、フランスの文豪の言葉を思い出す。建築家が、その設計に苦心の努力を積み重ねるのは、その建築の実在感、ひいては彼自身の「実存」の証をつかみたいからである。その「実存」を「構造」と「機能」に頼っている「建築」にとって、「ディテール」こそが、その構造を成立させる「実在感」の「手ざわり」と言えるだろう。(「前川国男のディテール」彰国社刊より)


建物へのアプローチは、北側の大谷石積みの門を曲がって入ります。玄関扉が見えないようにうまく凹みをつくっています。図面の段階では上下足の区別を付けない家だったそうですが、現場が始まってから段を設け、下足箱を追加したようです。プランは左右対称、右翼、左翼共に真ん中にウォーターセクションをコアとして挟み込んだプランです。この住宅の中心は、大きな吹き抜けを持つ居間・食堂です。階段がむき出しで、軽い感じを与えています。1段目を浮かしてあるのが軽く感じさせます。


南からの風は、大きな吹き抜けを通り北へと抜けていきます。これが気持ちのいい要因です。この住宅はディテールの宝庫です。特に開口部は徹底的に追及されました。例えば南側の回転する「戸袋」、例えばガラス戸の内側にある「引き込み雨戸」、例えば玄関から居間へ入る軸がずれた「大扉」、等々。階段の1段目や下足場をを浮かせている飼い物は、マルセイユのユニテのピロティを思わせます。全体を特徴づけている木製の格子や障子の桟はすべて面が取ってあり、より繊細に見せています。大きな吹き抜けの照明器具は、イサム・ノグチの「あかり」です。



前川国男の体質ともいうべき頑丈好みは、コンクリート構造で使われると、どうしても重苦しくなりますが、木造の前川邸ではその軽快さで、ちょうどよい加減に仕上がっています。それを称して、藤森照信は「前川国男邸は木造のサヴォア邸である」と言います。


前川国男理解のために:

一建築家の信條
1981年12月20日発行
著者:前川国男、宮内嘉久
発行者:昌文社





建築の前夜・前川国男文集
1996年10月1日第1刷発行
著者:前川国男
発行所:而立書房

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2005年07月20日 00時03分00秒

緑が育ったコーポラティブハウス

テーマ:住まいづくりあれこれ

先日、車で走っていたら、前の車が踏みきりで止まったので、僕の車もちょうどその建物の前で止まりました。その建物は「欅ハウス」と名付けられたコーポラティブハウスです。出来てすぐに伺ってから、もう1年半も経つのか。ずいぶん緑が育ってきました。そうそうデジカメを持っていたなと、車の中から数枚の写真をここぞとばかりに撮りました。さてここで、以前撮った写真と比べてみましょう



オープンハウスをすることにしましたので、お時間がございましたら、お誘い合わせの上是非お越し下さい。世田谷線松陰神社から徒歩3分かかりません。蕎麦屋の隣のゴリラが目印の文房具屋の隣です。」と、知り合いの若い友人夫妻からのメールが突然舞い込みました。ご主人は建設コンサルタント会社に勤務、奥さんは「睡眠」のコンサルタントで、小さなお子さんが一人います。


友人夫妻のお住まいは、樹齢200年の大きな欅を囲んだ円形のデッキや外階段のある15世帯のコーポラティブハウスです。コーポラティブ方式とは「自ら居住するための住宅を建設しようとする者が、組合を結成し、共同して、事業計画を定め、土地の取得、建物の設計、工事の発注その他の業務を行い、住宅を取得し、管理していく方式」です。


 

土地を手放さなければならなくなった地主さんが、いくつかの市民グループに自らの「思い」を伝え、事業提案を募り、「エコロジー市民学校」の提案する案を採用しました。その案は「コーポラティブ方式で参加者を募り、その土地の樹木をできる限り残した環境共生型の集合住宅を創る」というものでした。庭にあった樹齢200年の大きな欅は50トンのクレーンで20m移動し移植、壁面緑化や誰もがいつでも使える屋上庭園も実現しました。


そもそもはご主人が「エコロジー市民学校」に参加。2001年12月頃この建物の趣旨説明があり、2002年3月に入居者15世帯が決定、4月着工。毎月一回の会合を続け、2003年10月に入居したということです。僕が彼らのお住まいに伺ったのはその年の暮れでした。


 

ご主人の火鉢以外、家具はほとんど全部造り付けにしたこと、細長い部屋なので南北に風が通るようにしたこと、床は杉板、壁は薩摩中霧島壁、天井はエコクロス、というあっさりした仕上げです。風の通りはさわやかで、開放感があり、裸足で生活、無垢の板の感触がいいそうです。ご主人の願いであるホームシアター用の配管もしてあり、機器さえ購入すればすぐにでも映写が可能だそうです。


「普通のマンション価格と同じだと思うが、屋上庭園や共有スペース等の付加価値を考えると安いと思うし、建設の過程で知り合った人たちと共に住めることは、他に代え難いものがあります。」とご主人はいいます。

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2005年07月12日 00時03分00秒

「狭くて小さいたのしい家」

テーマ:住まいづくりあれこれ

1992年3月8日発行となっているから、いまから13年以上前の本ですが、「別冊宝島」の「家は建つ!」という本があります。副題は「ローン漬けのマイホーム観を笑い飛ばす転機の書」と書かれていて、「押しつけられた住み方なんてもういやだ!」「建て売りなんていらない、やっぱり家は自分で建てよう!」「家にまつわる常識を疑え!」そして「安く、楽しく、よい家に住みたいあなたのための本!」とあります。僕はそういった一般向けの住宅の本はほとんど買わないんですが、なぜかこの本「家は建つ!」はどこか引きつけられて買ってしまいました。当時はバブル絶頂期で、土地が上がり放題、持ち家なんかとてもとても、という時代でした。


一般に市販されている月刊の「住宅雑誌」と比べると、はるかに内容のある「住宅の雑誌」でした。もちろん、「別冊本」ということもあるのでしょうが、よくぞここまで執筆陣を揃えたなと感心しました。「秋葉原感覚」の早稲田大学・石山修武や、「スラムとウサギ小屋」の京都大学・布野修司、「こんな家に住みたいな」の熊本大学・延藤安弘、クリストファー・アレグザンダーを日本に呼んだ盈進学園東野高校・細井久栄、「意地の都市住宅」の中原洋、他にもそうそうたる面々が執筆に加わっています。住宅に纏わる問題点は、ほぼこの本はほとんど網羅してあります。たかが「別冊宝島」と言うなかれ!いま考えると凄い本でした。


これから紹介したい「狭くて小さいたのしい家 」という本、実は、この「別冊宝島」の「家は建つ!」の編集をした永江朗の家なんです。彼は現在フリーライター、1958年の生まれですから、今年で47歳、「宝島」や「別冊宝島」の編集やライターを経て、93年頃からライター業に専念。著者に「批評の事情」「ベストセラーだけが本である」「不良のための読書術」などがあります。「家は建つ!」であれほど煽ったからには、自分の建てる家はいい加減にはできません。「家は買うものではなく、建てるものである。」と、ずっと前から考えていたそうです。「家は建つ!」をつくるときに、建築に詳しいフリーライターの中原洋と、建築家で早稲田大学教授の石山修武アドバイザーになってもらい、企画立案から取材先の選定まで、様々な助言をしてもらったそうです。なるほど、これで合点がいきました。ひょんなことから世田谷の等々力駅から3、4分のところに15坪の借地ですが土地が見つかった。さて、家を建てるには誰に頼んだらいいのか



いま首都圏では、建築家の設計による敷地面積25坪ほどの小さな家が急増中。「小さくても自分の好きな街に好きなデザインの家で住みたい」と考える人が増えた性でしょう。永江家もそう考えました。だけど、建築家に頼むってどうすればいいの?自分の住みたい家をどう説明すればいいの?施主、建築家、職人、みんなが一丸となってくりひろげる、とびきりたのしい家づくりのドキュメント!

と、本の後ろの帯に書いてあります。


塚本由晴と貝島桃代の「アトリエ・ワン」宛てに、永江朗は突然手紙を書きました。「家を建てたいと思っています。住宅を設計していただけませんでしょうか。」そして難点を2点あげています。まず、土地が借りられるかどうか確実ではないこと、そしてご多分に漏れず、お金があまりないこと。こういった悪条件の中で設計を引き受けてもらえないか、という手紙です。建築家選びで住宅のほとんどが決まってしまうことがありますから、なぜ「アトリエ・ワン」にしたかは重要です。もちろん、彼は彼なりの筋道があるのですが。運よくというか、たまたま、というか、「アトリエ・ワン」は設計を引き受けてくれたのですが。その後、永江洋は0章から10章までの「家の企画書」を作成します。まあ、自分達のプロフィールや、敷地の条件、どんな家を望むか、そんな要望書のようなメモ書きですが。ここから永江洋の「家づくり」がスタートします。


別冊宝島150「家は建つ!」
発行:JICC出版局
1992年3月8日発行
定価:1010円(税込み)

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2005年06月22日 00時03分00秒

「500万円で家をつくろうと思った。」

テーマ:住まいづくりあれこれ

「500万円で家をつくろうと思った。」
 著:鈴木隆之、藤井誠二
 2003年11月30日初版第1刷発行
 定価:本体1500円+税
 発行所:株式会社アートン








この本、2003年11月30日の発行ですから、もうだいぶ前に読んだんですが、なぜかまたこの本が気になって引っぱり出しました。読んだと言ってもこのような本はいつも斜め読みなので、ほとんど内容は詳しくは憶えていません。また、斜めに読んでみると、これがなかなか面白い。痛いところをついているんですね。著者が二人というところが、また面白い。


藤井誠二は通常言うところのお施主さん、つまり、建築主、依頼主なんですね。彼は1965年生まれのノンフィクションライターです。荒木経惟との共著もあり、守備範囲も広く多方面で活躍しているようです。そしてもう一人、鈴木隆之は1961年生まれ、建築家でもあり小説家でもある人です。1987年に「ポートレイト・イン・ナンバー」(現代企画室)という作品で群像新人文学賞を受賞し、「未来の地形」(講談社)という作品もあります。京都大学を卒業後、原広司の主宰するアトリエ・ファイ建築事務所を経て、鈴木隆之デザインネットワークを設立。この家を建てたときは京都精華大学の先生をしていましたね。



藤井誠二は「藤原智美さんの『家を建てるということ』に『家は家族をする場所』というくだりがあるのですが、どうもぼくはなじめない。考え方は自由ですが、家は人が生きるための道具であって、それ以上でも以下でもない、とぼくには思えてなりません。家と家族がセットになっちゃうのはどうしてなんでしょう?」と、疑問を呈しています。

過去記事:藤原智美の「運転士」を読む

http://tonton1234.ameblo.jp/entry-75118ffe91a0b6e9c7e0eba514966cfb.html



最初は藤井からのメールで、この「東京激安住居」は始まります。「私は2年前に世田谷区内に12坪の角地を入手しました、古屋が立っておりましたので、適当にリフォームして住んでいます。そこを壊して、一軒家を建てようと思っているのですが、そのご相談であります。」土地が狭いことや、不安定な職業ゆえに、どこの金融機関からも融資を断られてしまいます。「制度にはねられるなら、手元にある現金と個人の信用だけで貸してくれる人から借りたカネだけで家を作ってやろう。それが500万という数字だった。」というのである。



500万円の車を買ったとすれば、けっこうお金持ちだと思われるでしょう。しかし500万円で住宅を建てると言ったら、人からはウサギ小屋しかできないだろうと思われるに決まっています。車の500万円は高級なのに、家の500万円は度を超して安いと思われます。その違いはなんでしょうか?「住宅は高すぎる!」建築家の石山修武が「秋葉原感覚で住宅を考える」で、早くから言ってきたことです。が、しかし、なかなか住宅は安くはなっていないのが現状です。そこをこの「東京激安住居」、つまり「スーパーローコストハウス」は「セミ・セルフビルド方式」で、多くの手伝ってくれる人を巻き込んで、なんとか建ち上がったのです。



比較する基準がもともと違います。住宅メーカーのCMで流されるような素敵で幸せそうな家はもちろんできません。建築家と施主が両方の立場からアプローチした、まったく新しいタイプの家づくりの実例ができました。「500万円だから、住みづらくたって文句は言わない。その代わり、面白い住宅を作ってほしい。」と藤井は言いました。建築家の鈴木は間髪をおかずに「もちろんできます。」と!この一見非常識な話を鈴木がワクワクしそうだと直感した根拠は、「非常識な条件を逆手にとって、こんな条件だから可能になる住宅がきっとあるはずだ」と思ったからに他なりません。もちろん、こんな家には住めないと言う方も数多くいることでしょう。この家はあくまでも建築家・鈴木隆之がつくった藤井誠二の家だからです。

*床は現場の足場板、穴が空いているので下からの光が漏れて、幻想的な空間になっています。



*「チャーリーの建物探訪

  熊本在住、結婚5年目の方のブログです。

  家づくりのプロセスをそのまま記事にされています。

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2005年06月17日 09時48分32秒

成城五丁目猪俣庭園「旧猪俣邸」その1外部編

テーマ:住まいづくりあれこれ
道路側外観

猪俣邸門

6月の始めに、成城にある「旧猪俣邸」を見学してきました。大変遅くなりましたが、ここに画像を掲載します。猪俣邸は我が国の木造住宅建築の最高の到達点です。設計者は吉田五十八です。吉田については過去に記事にしましたので、詳細はそちらをご参照ください。過去の記事は吉田の紹介も併せて、二宮の「吉田邸」について紹介したものですが、それに対して専門家の方から何通かメールをいただきました。また、貴重なご意見も頂戴しました。今回の「旧猪俣邸」は、できるだけ私見を交えず、手に入る資料をそのまま掲載いたします。よろしくお願いいたします。


アプローチ

客用玄関

旧猪俣邸は、(財)労務行政研究所の理事長を務めた故・猪俣猛氏ご夫妻の邸宅として、昭和42(1967)年に建てられたものです。主屋は、文化勲章受章者の建築家・吉田五十八の設計によるもので、武家屋敷風の趣がある数寄屋造りの木造平屋建ての建物です。敷地面積は約1861㎡(562坪)、延床面積は371㎡(112坪)です。施工は本屋は水沢工務店、茶室は丸富工務店です。邸内には、アカマツやモミジをはじめとする多くの樹木や、居間に面した一帯にはスギゴケを植えて、一部に水路を配し、その廻りに園路を巡らせた回遊式の日本庭園となっています。


南側外観

杉苔

南側外観

南側軒下を見る

この邸宅を猛氏の長男・猪俣靖氏が「貴重な文化財として末永く残したい」との意向から、平成8年11月に(財)せたがやトラスト協会と「保全協定地契約」を締結、平成10年10月からせたがやトラスト協会の管理運営により、一般公開が始まりました。文化的資産価値の高い邸宅と、四季折々に移ろう日本庭園の美しさを楽しめます。
以上、(財)せたがやトラスト協会資料より


世田谷トラスト協会HP:
http://www.setagayatrust.or.jp/mijkana.htm

過去の関連記事:「新興数寄屋の教祖・吉田五十八」
http://tonton1234.ameblo.jp/entry-b1b90b275d2ffac9748ba83b40824918.html


茶室アプローチ・外観

茶室南側外観


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2005年06月17日 09時45分32秒

成城五丁目猪俣庭園「旧猪俣邸」その1内部編

テーマ:住まいづくりあれこれ
玄関

玄関ホール

建主は武士道の精神を尊ぶ方で、武家屋敷のような寡黙で凛とした落ち着きが求められた。そこで、約100坪の延べ面積を持つ1階建ての数寄屋であるが、やや太めの木割りで質実剛健な表現をとっている。内外共壁の仕上げは殆ど京聚楽壁を用い、柱、造作は赤松、建具も全て木製となっている。この住宅以後、吉田五十八作品にもアルミサッシュが使われるので、これは最後の木造住宅といえる。


居間から茶室を望む

居間から庭を望む

居間から食堂・中庭を望む

平面計画の特徴は、茶室の配置にある。居間から見て、茶室がさながら離れのように見え、実際は渡り廊下を通って行けるという一石二鳥を狙っている。渡り廊下は本屋の角から45度の角度で斜めに延び、再び45度曲がって茶室の軸線を本屋のそれと合わせている。この渡り廊下により、玄関前庭のフォーマルな庭と、茶室前の侘びた趣の庭との分離を自然なものにしている。


茶室(躙口は広くとってある)

二つの中庭は多くの部屋の通風、採光に役立たせる効果をもつほか、屋根の構成の妙を表現するのに役立っている。すなわち、南側にある居間、夫人室、和室10畳を天井高の順番に東側から高、中、低の三段重ねの屋根の妻がそのまま玄関の入母屋となり、玄関には更に土庇がつけられている。玄関土庇は高過ぎない程良い建端(たっぱ)で、左に伸びて渡り廊下、茶室の屋根の下へと絶妙なつながり方を見せている。


和室から庭を望む

和室・床の間

南側開口部は、雨戸、網戸、ガラス戸、障子の8枚分の建具が引き込まれる戸袋の内外に柱を並べ、外観上も戸袋の存在を手際良く隠している。
以上、住宅建築別冊・17「数寄屋造りの詳細・吉田五十八研究」より


世田谷トラスト協会HP:
http://www.setagayatrust.or.jp/mijkana.htm

過去の関連記事:「新興数寄屋の教祖・吉田五十八」
http://tonton1234.ameblo.jp/entry-b1b90b275d2ffac9748ba83b40824918.html


婦人室

婦人用茶室

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2005年02月09日 00時03分09秒

銀色夏生の「家ができました」という本

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建築家・フリップ・ジョンソンが98歳で亡くなったというニュースがありました。一般の方には馴染みがない名前ですが、どうしてどうして、これが大変な人なのです。「彼の死で建築の20世紀がやっと終わった」と、建築家・隈研吾は言います。それほどフィリップ・ジョンソンという建築家は、20世紀という時代と一体だった人なのです。

まず、1932年、その頃ニューヨーク近代美術館ディレクターを務めていたフィリップ・ジョンソンは、ル・コルビュジエやミース・ファン・デル・ローエなど、ヨーロッパ若手の建築家を集めての展覧会をニューヨーク近代美術館で企画し、「インターナショナル・スタイル 」という「くくり 」でその後の時代の流れを大きく決定づけました。また、モダニズムの建築の最高峰、ニューヨークのシーグラムビルをミースと共に設計し、2階にある最高級レストラン「フォア・シーズンス」をデザインしました。前にも述べたように、ニューヨーク近代美術館の別館や中庭も設計しました。

リンカーン・センターのニューヨーク州立劇場もそうです。カーテンウォールの高層ビルも、教会も、美術館も、研究所も、イヤというほど数多く設計しました。「モダニズムの建築」の主流を歩いた人です。ところが突然、1984年、ニューヨークのAT&Tビルで「ポストモダニズムの建築」という懐古主義に先鞭をつけました。更には、いち早くポストモダニズムに見切りをつけ、「デコンストラクティヴィズム」という新しいムーブメントを起こしました。そのように20世紀の建築は、ジョンソンによって次々と衣替えを繰り返しました。時代に対しての変わり身の早さ嗅覚の鋭さは、見事と言うほかありません。

私生活は、生涯「独身」でした。コネチカット州ニューキャナンには、広大な敷地の自宅があります。1949年に建てられた自邸「ガラスの家」はモダニズム建築の、これもまた最高峰です。その他にも、煉瓦のゲストハウス、湖上のパヴィリオン、絵画ギャラリー、彫刻ギャラリー、等々。現代アートの理解者で、現代絵画、彫刻のコレクターでもありました。来客がきたときは、シャンパングラスを片手に、これらの建築群を一巡して廻ります。が、しかし、案内が終わり、来客が帰った後は、彼は敷地の隅の方の森の奥にある、ごく普通の木造の「アメリカンハウス」へ帰ります。つまり「ガラスの家」は住めないのです。20世紀の建築をリードしたフィリップ・ジョンソンでさえも、くつろげる場所は、どこにでもある「アメリカンハウス」だったというから面白いものです。

いつもの如く、前置きばかり長くて申し訳ありません。さて、ここからが本題です。僕は、銀色夏生という人は、ほとんど知りませんでした。本屋に並んでいる本で、「ああ、あるな」という感じで見たことはありますけど、どんな本を書いている人なのかさっぱり分かりませんでした。でも、たくさん本を 出してる人だなというぐらいは、知っていたかもしれません。

それはそれとして、銀色夏生 の「家ができました 」という本、文庫本で、ほとんど写真集のようなものですが、平積みされていたのを手にとってパラパラと見たときに、「ああ、この人はちゃんとした人なんだな」と、一瞬にして思いました。 「家はハウスじゃなくてホームだ」という言い方もありますけど、そんなことはどうでもいい。家を見れば、その人の「人となり」や「人間性」が、ほとんど間違いなく、分かるわけですから。

どういう内容の本か。宮崎の母親名義の土地に、自分の考えた通りの家を建てて欲しいと思い、言うなれば「家づくり奮戦記」なのです。とはいえ、シャカリキに頑張って建てたというのではなく、設計者や工務店との出会いもよかったんでしょうが、力の入ったところはほとんどありません。大きなところ、つまり、間取りですが、その辺りから、細かいところ、これは数々あるんですが、物を入れる棚ひとつの寸法まで、自分で決めるという離れ業、つくづく感心させられました。人によっては辟易するところを、まったく自然体で家づくりにのぞみ、それを達成したというから、これはオドロキです。

この家は、いくつか「家づくりのポイント」があります。「冬、寒くない家」ということで「OMソーラーの家 」にしたということ、材料は極力自然の素材を使ったこと、木はほとんどが近くの山の木です。また、薪ストーブ、木の浴槽、浴室用コルクタイル、ミーレの食器洗い器、アルカリイオン清水器、竹炭入り畳など、興味があるものを体験したくていろいろ導入したこと。自分の考えを工務店に指示するスケッチが、なかなか雰囲気を出していますし、これがまた細かいところまでよく描かれています。
この家は、デザイナーがデザインした家、あるいは、ハウスメーカーの家とは、正反対の家です。自分の家は木の節ひとつとっても愛着があるものです。鉄とガラスとコンクリートの「モダニズムの建築」に対して、「建築家なしの建築 」と言えます。「自然の多い場所なので、木の家にしました。広いワンルームのような、使いやすい家にしたいと思いました。住みながら、どんどん変わってもいいように、のびのびとした空間になるよう、イメージしていたような気がします。」と、銀色夏生はこの「家づくり」を総括します。

家ができました銀色夏生 著 平成15年11月25日発行 角川書店 定価:552円
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2005年02月02日 00時04分50秒

ヘンな間取り、満載!「間取りの手帖」

テーマ:住まいづくりあれこれ
「今、私が一番耳に残るCMソングは‘ネットで探せるエ○ブル~’って、やつです」と、あるブログのhさんの記事に書いてありました。タイミングよく、今朝の朝日新聞の「はてなTV」というコーナーに、「路上ライブの二人は?」ということで、以下のように書いてありました。賃貸住宅を仲介する「エイブル 」のCMです。CMは、♪ネットで探せるエイブル~、と繰り返し歌う2人の脇を、「歌詞がサイテーね」と通り過ぎる女性たち。歌っているのはストリートミュージシャンとして活動する「セカハン」の2人。 79年生まれの中学同級生。オーディションで選ばれたそうです。02年頃から小田急の新百合ヶ丘駅前、JR町田駅前、立川駅前などで路上ライブ活動を始めたそうです。

不動産もネットで探せる時代ということですから、駅前にある不動産屋さんも、最近は顧客獲得競争が激しいせいか、店構えやインテリアも、若者受けするようにオシャレになってきましたね。お店のガラスに張っている「物件案内」も、マーカーで派手な色を塗りたくったりして、カラフルになってますね。一昔前は、筆で書かれた「物件案内」がガラスにベタベタ張ってあって、それが何年も更新しないので黄ばんでいた、なんていうのもしばしば目につきました。パソコンで画像の取り込みや編集が簡単にできるようになったので、写真付きの「物件案内」も多くなっています。でもやっぱり「物件」の基本は「間取り」でしょう。2月、3月は、新入学や転勤のシーズン、不動産屋さんはかき入れ時ですね。

ということで、不動産広告の「間取り」だけを集めた本があります。「間取りの手帖 」というリトル・モアから2003年4月16日初版発行された本です。新書版のざら紙の本で間取り収集家の佐藤和歌子さんが、賃貸情報誌などから集めた99点の「間取り」が、一言コメントがついて載っています。収集されたのは、家族向けではなく、ほとんどがいわゆるワンルームマンションのようなもの、単身者またはせいぜい2人用の部屋ですね。ここどうなってるのとか、こんなところによく住めるねとか、収納ないじゃないとか、こんなに収納ばかりあってもとか、便所へ行くのに雨に濡れちゃうよとか、えっどこから入るのとか、「ヘンな間取り、満載! 」です。こんな本がなぜ売れるのかは分かりませんが、ただ「間取り図」を見ているだけでも面白い。とは言っても、「想像力」を働かせないと、その面白さは読みとれません。

日本家屋の「間取り」の基本は、3帖、4帖半、6帖、8帖、10帖といった畳の数 で部屋の広さをあらわしてきました。ですから専門家も一般の人も、容易に共通の理解ができました。この畳、関東と関西、大きさが違っているのをご存じですか。現在では、畳は部屋の大きさや形に応じてどんなものでも作れますが、ですから任意の寸法で作るマンションや公団住宅での「団地サイズ」という畳まで出てきたわけです。

少し前までは、関西では畳の寸法は、縦幅が六尺三寸、横幅が三尺一寸五分と決まっていました。日本家屋の間取りはこの畳の寸法 を基準につくられていました。「関西間」あるいは「京間」とも言いますが、例えば、8帖間だと畳2枚で 6.3尺X2=12.6尺、これに3.5寸の柱を立てると柱の芯は12.6尺+0.35尺=12.95尺、4寸の柱を立てると12.6尺+0.4尺=13尺となるわけです。これに対して「関東間」あるいは「田舎間」とも言いますが、間取りや柱にかかわらず柱の芯と芯の距離を、3尺(909)の倍数にとります。上の例と同様に、8帖間だと壁の芯と芯の距離は12尺×12尺、6帖間だと12尺×9尺になるわけです。最近は 3尺、909mmを基本モジュールとする木造建築が大半となりました。この寸法でいくと、8畳間で「関東間」より「関西間」は各辺1尺、約30㎝広いことになります。

この差は心理的にもそうとう大きく感じられます。関西人の「おおらかさ」と関東人の「せせこましさ」は、ここから来ているのかも知れません。とは僕のとってつけたような説ですけが、いかがでしょうか。
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2004年11月10日 12時07分13秒

今でも4000万人の人が地下住居に!

テーマ:住まいづくりあれこれ
生きている地下住居 中国の黄土高原に暮らす4000万人 」という本があります。著者は窰洞考察団、東京工業大学の先生や学生が主なメンバーです。

バーナード・ルドフスキーの「建築家なしの建築 」に載っていた、中国地下住居の4枚の写真がこの本のキッカケでした。この写真は、かつてミュンヘン空港長だったディーター・カステル伯爵が、若い頃郵便飛行機から撮影したものだという。どういうルートでその写真がルドフスキーの手に渡ったのかは不明。家がまったく見えないのに、地表から煙が立ち上っている。下は住居、上は田畑。この穴だらけの村が、いったいどこにあるのか、果たして今でもこうした村が残っているのか?

この本、なぜか僕は二冊持ってるんですよ。ひとつは都市住宅・別冊の「集住体モノグラフィティNO2・建築家なしの建築」昭和50年11月1日発行のもので、もう一冊はそれをSD選書に入れた「建築家なしの建築」昭和59年1月25日発行のものです。こちらはこちらで面白いんですが、今はヤオトンの話を。

窰洞(ヤオトン)考察団は、世界の異文化を楽しんでいるうちに、大規模に現存し、住居の根源的な魅力が息づく黄河中流の地下住居集落「窰洞(ヤオトン)」にとりつかれ、中国詣では延べ9回に及んだというネツの入れよう。空撮の特別許可は下りず、やむなく開発した「凧写真」は、これが傑作、超ローテクなシロモノ、がしかし、かなりの成果を上げたのはうなずける。なにしろ、ヤオトンは空から見ないと分からないから。

中国は、東の華北平原、西のチベット高原、南のチンリン山脈、北のゴビ・オルドス砂漠に囲まれた、平均標高1200m、60万平方キロメートルの黄土高原の大地の中に、窰洞は4000年の歴史を経て、現在もそのまま生きています。中国ではこの窰洞を住みかとしている人々が、今日でもなお4000万人いるという。最近はテレビで取り上げられることも時々ありますが、その当時はなんだこれは?って感じでした。

窰洞は、もともと黄土を切り取り、掘って作られた生土の洞穴を居住空間としたもので、主に崖面に横穴を彫り込んだ靠山式(カオサン)式あるいは山懸(ヤマカケ)式と呼ばれる形式と、平坦な大地に矩形の竪穴を掘り下げることによってできた中庭(院子・坑院)の四面の崖に横穴を彫り込んだ下沈(カチン)式と呼ばれるふたつの形式があります。
上の写真は下沈式、わざわざ垂直に彫り込んでその下で生活しています。「建築家なしの建築」に出ていたのはこっちの方。

この本では、中国の伝統民家である窰洞住居と人々の生活の全貌と細部、作り方、しかけ、住まい方、そこでの暮らしぶりを余すことなく紹介されています。
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