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2005年10月21日 00時19分40秒

世田谷美術館の「宮殿とモスクの至宝」展を観た!

テーマ:ゲ~ジュツ見てある記

秋めいてまいりました。駐車場周辺の樹木はだいぶ色づいてきました秋ですね砧公園の樹木も色づいています。突然、家人からの電話、いま美術館員の解説が終わってこれから入るところだけど、来ないかとの急なお誘い。そうは言っても仕事の都合もあるし、う~ん、ちょうどお昼時、なにはともあれ、大急ぎで車で駆けつけました。久しぶりの世田谷美術館、いいですね、環境にとけ込んでいます。惜しむらくは道路を挟んだ反対側、背景に「世田谷市場」の巨大な建物がそびえています。また、これも巨大な「ゴミ焼却場」は、現在工事中で、建築現場には工事用の大型トラックが出入りしています。


都立砧公園の一番隅っこの敷地を、美術館を建てるということで、世田谷区が東京都から譲り受けました。美術館の設計はコンペで選ばれた内井昭蔵。元々は菊竹清訓事務所のチーフでしたが、事務所開設一作目の「桜台コートヴィレッジ」が、いきなり日本建築学会賞を受賞しました。東京YMCA野辺山高原センターは、三角形をモチーフにしたデザインで、気持ちのいい建築です。そしてコンペで世田谷美術館を獲得し、その頃からなぜか急速にライト風の装飾を多用するようになりました。内井はまた、多摩ニュータウン15住区のマスタープランを作成し、自身はマスターアーキテクトとしてデザインコードをつくり、個性豊かな複数のアーキテクトをゆるやかに統一し、全体を統括しました。69歳の若さで急逝、2002年8月6日、内井昭蔵に別れを告げる「埋葬式」がハリスト復活大聖堂(神田ニコライ堂)で行われました。



さて、世田谷美術館で開催されている「宮殿とモスクの至宝」展、なんの先入観もなく、見に行きました。それが世界屈指のコレクションを誇るヴィクトリア・アンド・アルバート美術館のものだったとは驚きでした。なにしろ第1回万国博覧会で、クリスタル・パレス(水晶宮)に展示しされたイスラム装飾品が元になっているということですから。ヴィクトリア・アンド・アルバート美術館のイスラム美術ギャラリーが新装されることとなったのを機に、コレクションの中から選りすぐった作品が、世界の美術館4館を巡回する国際展として貸し出されることになり、日本では世田谷美術館のみの開催だということです。美術館の改装や増改築の時でもなければ、そう簡単に美術品は貸し出せませんよね。さすがは「アール・ヌーヴォー、アール・デコ・・・装飾芸術の源泉がここに。」と自負するだけのことはあります。


イスラム圏の文化が産み出した広範で重層的イスラム美術、古くから中東は東西交流の重要な役割を果たし、他文化を受け入れつつ豊かな発展を遂げてきました。まさにヨーロッパとアジアを結び、東西の相互乗り入れ、その接点に当たるのが、エジプトトルコ、イランの他、西はスペインから東は中央アジアの旧ソ連連邦共和国、コーカサス地方にまで広がっています。出品される美術品は、陶磁器、絨毯などの織物、金工、象牙細工、ガラス、絵画など多種多様な分野にわたっています。8世紀から19世紀まで、長い歴史と広範な地域で制作されたイスラム美術の至宝、120余点が、日本で初めて公開されました。

「白地多彩野宴図組タイル」(部分)
イラン(サファヴィー朝)17世紀

今後、館外に貸し出されることはないと言われているスケールの大きな作品がありました。高さ7mを超える15世紀エジプトの精緻な木工製のミンバル説教壇)、これは大きいのでアメリカでは上下を分けて展示されたそうです。高さ3m半を超える18世紀のオスマン・トルコの色鮮やかなタイル製暖炉、これは分解して運び、展示するために世田谷で一体に作り上げたものです。また、長さ約5m半の16世紀イランの技術の粋を凝らした豊麗な絨毯は圧巻でした。これも大きいので斜めに2枚、向かい合わせに展示してありました。


カーネーション文ビロード」、イタリア特有のザクロ文様とトルコ特有のカーネーション文様が混在しています。「イーデンホールの幸運」というエナメル彩装飾杯はベネチアガラスの起源となる技法で作られています。その他、展示品は数々ありますが、なんと言っても、あのイスラム文様が凄い。圧倒されます。すべての品々にびっしりと、これでもかと言わんばかりに細かい文様が刻まれ、また織り込まれています。淡泊な日本人にはやや辟易する感じもします。


宮殿とモスクに代表される、聖(宗教的な)と俗(非宗教的な)両面から、重層的で複雑な様相を呈するイスラム美術、こうして一同に見ることができるのも得がたい機会で、これもまた日本ならではとも思います。


世田谷美術館HPはここ

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2005年10月13日 09時35分35秒

「没後50年 モーリス・ユトリロ展」を観た!

テーマ:ゲ~ジュツ見てある記

酔い、惑い、描き、祈った。日本で最も人気のある画家のひとり、詩情あふれるパリの風景を描いたモーリス・ユトリロ。今年は、ユトリロの没後50年に当たります。本展では、特に評価の高い「白の時代」の作品を中心に、国内外から集められた初期から晩年までの作品80数点を展観。うち約20点は、国内の展覧会に初出展される作品です。新たなユトリロ像をご覧いただけるこの機会に、ぜひご来場ください。(高島屋HPより)



日本橋高島屋で開催されていた「没後50年 モーリス・ユトリロ展」へ、会期終了間際に行ってきました。デパートの絵画展は、会場が狭い、混んでいる、会期が短い、一歩出ると物産展などをやっていて雰囲気がよくない、等々で、いつもは避けています。しかし「ユトリロ」とあってはしかたがない、行かざるを得ません。ホント、日本人は「ユトリロ」が好きなんですね。と、人のことは言えません。僕も好きとは言えませんが、もう何回となく「ユトリロ」展を観ました。最近では、西新宿の高層ビルにある「安田火災東郷青児美術館」、今の「損保ジャパン東郷青児美術館」ですが、2002年4月から6月にかけて開催された「ユトリロ展」を観ています。



今回の「没後50年 モーリス・ユトリロ展」、NHKの新日曜美術館で「モンマルトルの孤独、モーリス・ユトリロ」と題して、浅田次郎がゲストで放映されました。また、「美の巨人たち」でも放映していました。「今日の一枚」では、今回のユトリロ展に出ていた「ラパン・アジル」を取り上げていました。ふたつとも偶然見ることができましたので、予備知識は完璧?で、その後、高島屋でのユトリロ展を観てきたというわけです。とはいえ、予備知識といっても、ユトリロについてはほとんど言い古されていることばかりです。


ユトリロを語るには、彼の母親をはずしては語れません。ルノアールやロートレックのモデルをしたこともあり、その後画家になった母親シュザンヌ・ヴァラドンとの関係に集約されます。シュザンヌも私生児として生まれ、ユトリロの実の父親もわかっていない私生児であること。恋多き女で、昼はアトリエ夜は男と街へ出る。そうした母親であったために、ユトリロは孤独に苛まれ酒に溺れ精神に異常をきたす。母親は絵筆とパレットをユトリロに与え、それが功を奏して天賦の才を発揮するキッカケになる。ユトリロが絵を描くことによって、母親の注意を引くことができたからであったという。その母親が、ユトリロの友人アンドレ・ユッテルと結婚することになり、ますます酒に溺れ、外出もままならなくなる。そのため、当時盛んに出始めた「絵葉書」を元に絵を描くようになる。



ユトリロの作品は、大きく3つの時代に分けられます。修業時代、黄土色と青を用い、線描を避け、絵の具を厚く塗る「モンマーニの時代」。最もユトリロらしい時代、石膏、チョーク、セメント、砂を混入した白を、卵の黄身を使ってキャンバスに定着した「白の時代」。そして最も長く続いた時代、色彩の幅が広がり、鮮やかな色調を用い、乾いたタッチの「色彩の時代」。今回の「ユトリロ展」も、このような時代区分に分けて、ほぼ80点の作品が展示してありました。思っていた以上にたくさんの作品でした。日本初の約20点とは、やはり新しい作品がほとんどのような気がしました。


ユトリロは、ほとんど独学で絵画を学びました。パリの、生粋の「モンマルトル」の画家でした。消滅してしまった過去の街を生き生きと描き残しました。ラパン・アジルムーラン・ド・ラ・ギャレット、そしてサクレクール寺院、等々、何度も同じテーマを繰り返し描きました。ロートレックの描く華やかなムーラン・ルージュは描かれません。ユトリロの絵には、人物はほとんど描かれていません。描かれているとしてもほとんどが後ろ向きです。帽子をかぶり、大きなお尻をしたご婦人たちです。これは、ユトリロの女性に対する嫌悪感の表れだとも言われています。


51歳で12歳年上の女性と結婚し、やっと平穏な日々を手に入れますが、結婚した3年後の1938年に母親が72歳で亡くなります。彼は祈りの生活を始めます。毎日、祭壇の前で数時間も祈っていたようです。その頃のパリには、ロシアからシャガールが、オランダからはモンドリアン、イタリアからはモジリアーニ、ポーランドからはキスリング、日本からは藤田嗣治がやって来ます。後年、「エコール・ド・パリ」と呼ばれる一群の「異邦人芸術家」たちです。また、キュビスム運動のピカソも挙げられます。しかし、そうした流れとはいっさい関わり合いを持たずに、ユトリロは自分の昔の作品を懐かしみ、模写したりして晩年を過ごします。


最晩年、パリ18区役所から委嘱されたユトリロの作品が2点、同区役所の「ユトリロの部屋」に展示されています。ひとつは、ふんわりと浮かんだ空の下をのんびりと歩いている人たちを描いたもの、もうひとつは、セーヌ河沿いに見えるエッフェル塔を描いたものです。ユトリロの作品としては、これといった特徴もなく、ごく平凡な作品です。しかし、なにもかも達観したような静謐な作品です。このふたつの作品は、パリの現実の街を描いた絵はなく、パリの街のどこにもない、ユトリロが最後にたどり着いた「心象風景」だったようです。この絵が完成した2ヶ月後、ユトリロは71歳で亡くなります。


・ユトリロ展、10/10 まで、その後、横浜高島屋(10/13-10/31)、
 京都、大阪、愛知へ巡回

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2005年10月04日 00時03分00秒

日本橋三越本店の「小杉小二郎展」へ行ってきました!

テーマ:ゲ~ジュツ見てある記

家人に誘われて、日本橋三越本店で開催されている「小杉小二郎展」へ行ってきました。家人がどうして招待券を持っているのかは、よく分かりません。たぶん、婦人大学?の関係でいただいたものだとは思うのですが。小杉小二郎、聞いたことがあるけど、どんな絵を描く人か、まったく分かりませんでした。花や静物、玩具をモチーフにパリのエスプリ優しい画風で人気が高い画家だということのようです。さすがは日本橋三越本店で催すだけのことがある画家のようです。小杉小二郎、略歴を見ると、家系が凄い。そうそうたるものです。恵まれています。美術史家小杉一雄を父に持ち、祖父は画家小杉放庵叔父は有名な工業デザイナー小杉二郎という芸術一家に生まれました。こういう環境にいれば、幼い頃から絵を描くようになるのも当然でしょう。


「窓辺の花と果物」

「緑壺の花」


小杉小二郎は、若い頃、一度は工業デザイナーの道に進みましたが、中川一政の絵に衝撃を受け、画家を志します。一政の元で絵を描き始めた小二郎は、1970年26歳の時に一政の渡仏に同行します。一度は帰国したものの、すぐにパリに留学、以後35年にわたりパリに画家としての拠点を移し、フランスと日本を行き来しながら独自の画風を確立しました。今回、展示してある風景画もほとんどがパリ、または、その近郊の風景です。絵画は、派手さはなく、静物や風景を中心として単純化した対象を微妙な色使いによって表現、マットな質感をもった画面は、微妙な静寂感詩的空間を醸し出しています。


「1946年の食卓」

「奇妙なカップル」


展示されている作品は絵画だけではなく、コラージュオブジェガラス絵など、全部で約130点もの作品を見ることができました。コラージュにはいいものがありました。古いコンパスや、シャベルのような古びた工具類に、鮮やかな色を乗せて描いた作品に興味を持ちました。また、新作の「百人一首」もなかなか面白い試みだと思いました。たぶん、絵画だけの展覧会だったら退屈したでしょう。でも、絵画以外で見るべきものが多いと感じました。彼はまだ還暦を過ぎたばかりです。小杉小二郎の世界、さすがは「大人のためのメルヘンを感じさせる作家」と言われる由縁です。


小杉小二郎の祖父は、日本画家小杉放庵。日光・輪王寺、二荒山神社、東照宮へ向かう道、金谷ホテルを通り過ぎ、神橋を左手に見て橋を渡り、右側に「小杉放庵記念日光美術館 」があります。

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2005年09月30日 07時31分21秒

Bunkamuraで「ギュスターヴ・モロー展」を観る!

テーマ:ゲ~ジュツ見てある記

ギュスターヴ・モローと言えば、神話や伝説の世界を題材に、19世紀末のパリにおいて独自の耽美世界を構築した象徴派の巨匠と言われています。ずいぶん昔に高階秀爾の記した「近代絵画史」(中公新書)を読んでいたら、ギュスターヴ・モローは晩年、「マティスやルオーなどフォーヴの画家たちを育て上げた教育者」とあったので、奇異に感じたことがあります。今回「ギュスターヴ・モロー展」のHPで確認しましたら、やはり「1892年国立美術学校の教授となり、マティス、ルオーら時代を担う画家たちを育てた」とありました。「マティスやルオー」と言われると、モローとは作品の傾向が違うように思いましたが、確かにモローは教育者としても優秀だったようで、意外な一面を感じました。


「出現」

東急Bunkamuraのザ・ミュージアムで「ギュスターヴ・モロー展」を観てきました。パリにある「フランス国立ギュスターヴ・モロー美術館」所蔵の作品を公開しています。珍しいのは、前期と後期に分けた公開の仕方です。油彩画48点と扇1点は通期で展示し、水彩・素描230点は前期119点、後期111点に分けて展示します(全279点)。前期は8月9日から9月11日まで168点を展示し、後期は9月13日から10月23日まで160点を展示します。9月12日の月曜日、1日の休館日だけで100点以上の作品の展示替えをしたようです。従って、僕が観てきたのは「後期」ということになります。


パリのギュスターヴ・モロー美術館は、モローが住宅兼アトリエとして使っていたところを、1898年の死去に際し、自宅建物と膨大なコレクションを国家に遺贈して美術館として生まれ変わった世界初の個人画家の美術館です。ここには約14,000点もの驚くべき数の油彩画、素描、資料類が遺されています。展示室は、作品が壁中を覆い尽くすように展示されており、夥しい数のデッサンや水彩画も閲覧できるようになっています。


「エウロペ」あるいは「エウロペの誘拐」

その道に詳しい人に聞いたのですが、ギュスターヴ・モロー美術館は、元々個人の住宅兼アトリエですから美術館としては狭く、その割には作品数が多いので、展示の仕方に一工夫してあるそうです。油彩画は別にして、水彩画や素描画は、入れてある額が二重になっていて金具で止めてあり、展示替えの時にはその金具をはずして、裏側に隠れている作品を表側に出すという方法をとっているそうです。ですから、額縁が通常より分厚くなっているそうです。僕がそのことを聞いたのは作品を見て帰ってからだったので、残念ながら会場では確認はしていません。そんな方法があるので、前期と後期の大幅な作品替えが可能になったということのようです。

「一角獣」

モローは、「自分の内的感情以外に、私にとって永遠かつ絶対と思われるものはない」とし、近代化の中で人々が置き去りにしてしまった心の世界に思いを馳せました。それは明るい陽光のもと、目前で繰り広げられる現実に目を向けた印象派とは対極をなすもので、神秘的な瞑想への誘いでもありました。ギリシア神話や聖書の物語に画想を求めたモローは、愛と憎しみの相克、生と死、聖と俗など人類の普遍的なテーマを、卓越した想像力で視覚的イメージに捉え直し、きらびやかな色彩で宝石のような絵画を創り出しました。


モローは、1つの主題や作品に対して、夥しい数の素描や習作を残しています。今回のモロー展は、そうしたモローの詩的絵画世界を、ギリシア神話から「神々の世界」「詩人の世界」「英雄の世界」など、そして聖書物語から「サロメ」などの主題に分けて展示してありました。分類すれば、同じザ・ミュージアムで4月末に観た「ベルギー象徴派展 」と同じ時代、同じ傾向にあると言えます。大きくは「世紀末芸術」「世紀末絵画」にあたり、そして「象徴派」「象徴主義」になります。


「モデルを使った《サロメ》のための習作」と「サロメ」

モローの絵は画像は明確ですが、画家のメッセージは難解です。を描き、エロスにこだわります。社会通念から逸脱した退廃的なテーマです。そのための素材を、神話や伝説聖書や文学に求めます。モローは母親との癒着が強い、極度に夢想的な男だったと言われています。そうした彼が、女性に対する男性の幻想をロマンチックに描きます。「出現」や「エウロペ」、そして執拗に描いた「サロメ」から、女性が強くなりつつある19世紀後半の社会を見ることができます。

「24歳の自画像」

ギュスターヴィ・モローの作品をこれだけまとめて観るのは、僕は初めての経験です。「ベルギー象徴派展 」と併せて考えると、「世紀末」の「象徴派」について多くを学びました。ざっと見ての感想は、素描を除いて、油彩画、水彩画ともに、描きかけの印象が強い作品ばかりだということです。確かに、部分的にはこれでもかというほど詳細に描いている個所もあります。写真で見ていると完成したようにみえるものが、実際に展示してある作品を見ると、制作途上の未完成な作品に見えるのです。「世紀末」の「象徴派」の作品を僕はあまり好きではないから、特にそう思うのでしょうか。神話や伝説、聖書を知らないから、どうしても描かれているテーマがよく分からないということもあります。いずれにせよ、世紀末と言えば「アール・ヌーヴォー」という新しい装飾様式があり、モネやセザンヌなど「印象派」とはほぼ同時代なので、余計に奇異な感じを受けました。「世紀末」といえばもう「モダニズム」の萌芽がみられる時代ですから。


Bunkamuraザ・ミュージアム


関連記事: 「ベルギー象徴派展」を見てわかったこと!

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2005年09月20日 00時35分01秒

「茨城県立近代美術館」の常設展と中村彜!

テーマ:ゲ~ジュツ見てある記
千波湖から偕楽園の好文亭を見る

市街地の中にある水戸芸術館から、水と緑あふれる千波湖畔の茨城県立近代美術館へ移動しました。千波湖は水戸市民の憩いの場、湖には多くの水鳥が飛来し、周辺の木々が四季折々の表情を見せ、落ち着いた雰囲気の中で、ゆったりとした時間が過ごせます。駐車場から美術館へ行くところの大きな看板を見ると「予告」という紙が貼ってありました。「あれ、おかしいな、今日は何日?」そうです、僕が行った日は16、「片岡球子展」は17日からです。1日前ですから、当然、やっていません。せっかくここまで来たのに、と嘆いても仕方がありません。それでは「常設展」を観ようとチケット売場へ。駐車場代400円を払ったので、その領収証を受付で見せるとお金が戻ってきます。つまり400円戻ってきて、常設展の入場料が300、差し引き100円が得した勘定です?ん?違うかな?


 

茨城県立近代美術館は、緑青色の屋根と花崗岩の茶色い壁が目印で、吉村順三の設計です。アントニー・レイモンドの弟子で、戦争が激しくなってレイモンドがアメリカへ帰ると、後を追ってアメリカへ行きます。戦争が激しくなり、最後の交換船で日本へ帰ってきます。長らく東京芸大で教職にあり、清家清とはまた違った意味で日本の住宅設計をリードした人です。芸大の教え子からは「順ちゃん」と呼ばれて親しまれていました。皇居の新宮殿の設計時には、宮内庁や建設省の役人と意見が合わず、基本設計でその仕事を下りたという逸話の持ち主です。


美術館のロビー

木内克の「エーゲ海に捧ぐ」

美術館のロビーには幾つかの彫刻が展示してあります。なかでも好きなのは、茨城県出身の彫刻家、木内克(よし)のブロンズ彫刻「エーゲ海に捧ぐ」です。木内は手びねりのテラコッタの作品が多いのですが。常設展では、横山大観や下村観山、菱田春草など、「五浦(いづら)の作家」や、「河童の芋銭」として親しまれた「小川芋銭(うせん)」もなかなか面白い。が、やはり「中村彜(つね)」でしょう。水戸出身の画家中村彜は、大正13年(1924)に、37歳の若さで亡くなります。その短い生涯の中で、海外生活の経験もなく、日本に僅かしかない作品集画集などによって、レンブラントセザンヌルノワールなどの西洋絵画を学びます。僕の大好きな画家の一人です。


「裸体」

「エロシェンコ氏の像」

新宿中村屋の主人、相馬夫妻の好意で新宿角筈にある中村屋裏のアトリエに住むようになり、相馬家の人々、相馬俊子や相馬安雄、相馬千香を描きます。大正5年(1916)の作品「裸体」はルノワールの影響が強い作品です。そして優れた肖像作品を残しています。なかでも自画像の画家とも言われるぐらい、数多くの自画像を残しています。代表作は、ロシア生まれの金髪で盲目のエスペランティストを描いた大正9年(1920)の作品「エロシェンコ氏の像」ですね。この絵は重要文化財で、国立近代美術館に常設展示してあります。




大正5年8月に、新宿区下落合に、ベルギーから取り寄せたという、当時としては洒落た赤い屋根瓦の「アトリエ付き住宅」が完成します。この年から岡崎きい(老母像のモデル)が身辺の世話をしてくれるようになり、大正13年に没するまで、きいの手厚い看護のもと、この家で暮らしたということです。近代美術館の裏庭の一角に、中村彜の下落合時代の「アトリエ付き住宅」が新築保存されています。


過去の関連記事:万博に飛び出したニッポン

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2005年09月20日 00時06分56秒

水戸芸術館と日比野克彦一人万博!

テーマ:ゲ~ジュツ見てある記

たまたま水戸へ行く機会があったので、久しぶりに「水戸芸術館(ART TOWER MITO)」を覗いてきました。建築の関係者なら誰でも知っている通り、磯崎新の代表作の一つで、1990年3月22日に開館しています。磯崎新をご存じない方のために、他の代表作を挙げると、66年大分県立大分図書館、70年日本万国博覧会お祭り広場、これは丹下さんの下で関わったものです。83年つくばセンタービル、 そして90年水戸芸術館、95年京都コンサートホール、98年なら100年会館などがあります。「世界のイソザキ」ですから、海外でもたくさんの実績があります。86年ロサンゼルス現代美術館があります。また、フィレンツェ・ウフィッツィ美術館「都市門」が挙げられます。国際コンペで入賞したものです。2003年3月に、僕がウフィッツィを訪ねた時は、まだ完成していませんでした。



水戸芸術館(ART TOWER MITO)」は、水戸市制100周年(1989年)を記念してして音楽、演劇、美術の分野のそれぞれの施設で独立して活動を行う空間を有し、水戸の芸術活動の本拠地として、また世界に向けた発信基地として建設されました。その活動には、市の予算の1%の管理運営費が当てられ、その活動を支えています。コンサートホール(620~680席)、ACM劇場(472~636席)、現代美術ギャラリー(9室)で構成されています。シンボルタワーの高さは100m、言うまでもなく市制100周年からきています。水戸は高い建物がほとんどないので、どこからでもこのタワーが見えます。運営は、(財)水戸市芸術振興財団が行っています。




いまなにをやっているのかというと、「日比野克彦の一人万博(HIBINO EXPO 2005)」です。でも実は、NHKの新日曜美術館でほとんど見てしまったので、入り口まで行って雰囲気だけを味わって、引き返してきました。展示室には、高さ9mの段ボール箱を積み重ねたタワーや、直径40cm25個のガラス玉。多くの人の手癖を借りて日比野が組み上げた7つのコラボレーション作品と、日比野が水戸に滞在して制作した段ボールの新作、そして80年代初頭の代表作品も展示されていたようです。そうそう、幅45mの朝顔の壁は外にありましたので、しっかりと画像におさめてきました。



僕が最初に水戸芸術館へ行ったのは「クリスト」展でした。それから「YES オノ・ヨーコ」展、建築関係では「ジュゼッペ・テラーニ」展、「アーキグラム」展もありました。行けませんでしたが、「まほちゃんち」という一風変わった展覧会もありました。地方にある美術館ですが、前衛的な企画展が多い美術館でもあります。チタンでできた100mタワーもエレベーターで上まで登れるようですが、まだ登ったことがありません。エントランスホールは吹き抜けになっていて、パイプオルガンが設置されています。教会に代わる場として、素晴らしい音を聞かせる空間になっているようです。エントランスホールでのパイプオルガンの音色は、是非一度聞いてみたいものです。



過去の関連記事:「まほちゃんち」という展覧会

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2005年09月16日 00時03分00秒

「プラート美術の至宝展」を観た!

テーマ:ゲ~ジュツ見てある記

損保ジャパン東郷青児美術館は、1976年7月に美術館を開館ですから、もう30年近くも経つんですね。当初は安田火災東郷青児美術館でした。どうして東郷青児美術館なのかと思い調べてみたら、美術館発足時に東郷青児が美術館設立の目的に共鳴し、所蔵の自作約 200点と自分が収集した内外作家の作品約250点を寄贈したそうです。それでいつまでも頭に名前が付いているんですね。どんな素晴らしい企画展でも、最後に東郷青児を無理矢理見せられるには、それなりのわけがあったんですね。


フィリッポ・リッピ「身につけた聖帯を使徒トマスに授ける聖母」

1987年10月には、フィンセント・ファン・ゴッホの「ひまわり」を購入して、世間をアッと驚かせました。1989年1月にはポール・ゴーギャンの「アリスカンの並木路、アルル」、1990年1月にはポール・セザンヌの「りんごとナプキン」が加わり、展示内容が一躍充実いたしました。ゴッホの1888年の作品「ひまわり」、ゴーギャンの1888年の作品「アリスカンの並木路、アルル」、セザンヌの1879年頃の作品「りんごとナプキン」、この3つの作品が、一室に常設展示してあります。西新宿の超高層ビルの42階にある美術館ですから、落着いた雰囲気で、しかも展望回廊からは東京都心を見下ろす眺望は、なかなか素晴らしいものがあります。


フィリッポ・リッピ「聖ユリアヌスを伴う受胎告知」

さて今回の企画展は、「プラート美術の至宝展―フィレンツェに挑戦した都市の物語―」です。プラートは、イタリアのトスカーナ地方フィレンツェから北西に約15km程離れた小都市です。市内の教会や政庁が中世以来の美術品で満たされている街で、14~18世紀の絵画や資料・約60点が今回展示されています。まず、見終わった感想から言いますと、最初の約半分は、本当に素晴らしいものばっかりで、比較的空いていたこともあり、時間が経つのも忘れるぐらいじっくりと見て回りました。フレンツェには2度ほど行ってますが、今回の展示ではウフィッツィでは見られないものもたくさんありました。これは得したなと思いました。まあ、あとの半分は、時代も新しくなり、それなりに、という感じでしたが。


ルドヴィコ・ブーティ「身につけた聖帯を使徒トマスに授ける聖母」

ボッティチェッリに影響を与えたということで、初期ルネサンスの重要な画家、フィリッポ・リッピが取り上げられています。フィリッポ・リッピの描く聖母子像は、優美で清らかで、素晴らしいんですよ。ウフィッツィには、フィリッポ・リッピの部屋があり、「聖母子と二天使」や「聖母の戴冠」があります。僕が聖母子像が好きだというと、皆さんに笑われそうですが、事実ですから仕方がありません。2年前にも目黒区美術館で開催された「聖母子と子供たち展」にも行きました。フィリッポ・リッピはカルメル会の修道士画家でした。なにしろ遊び人で、落ち着きのない反逆的な性格だったようです。とにかく早く絵を完成させるようにと宮殿に幽閉されたときも、シーツを引き裂いて窓から逃亡したという逸話が残っています。


ラッファエッリーノ・デル・ガルボ「聖母子と幼き洗礼者ヨハネ」

その彼が聖母像のモデルに頼んだ尼僧のルクレツィア・ブーティ恋仲になり、駆け落ちして2人の子供までもうけたということは、当時の良識ある人々の目にはとんでもない大事件だったようです。しかし、メディチ家の老コジモは、リッピの芸術は、未曾有の神から授け物と考え、「稀なる才能は天からの顕現であって野卑なロバの如くではない」と言ったと伝えられています。フィリッポ・リッピの工房からやがてルネサンス絵画の傑作を生むボッティチェッリや、息子のフィリッピーノ・リッピが育つんですね。今回は、祭壇画「身につけた聖帯を使徒トマスに授ける聖母および聖グレゴリウス、聖女マルゲリータ、聖アウグスティヌス、トピアスと天使」、という長いタイトルの祭壇画がメインに展示してありました。小さいものですが「聖ユリアヌスをともなう受胎告知」という作品もリッピの作品です。


ベネデット・ダ・マイヤーノ「聖母子」

プラートという街は「聖母マリアの帯」がある街で知られています。伝説によれば、帯は聖母が死後、天に引き上げられる際に残したものです。14世紀、プラートの美術は、まずこの「聖帯」を中心テーマとして形成されたそうです。プラートは、常に巨大都市フィレンツェの侵略に脅かされながらも、信仰と美術が民心をまとめる象徴だったそうです。今回の展示は、出品作品を都市の歩みに沿って、「聖帯伝説による愛郷心の創出」、「聖母信仰」、「カトリックの世界的プロパガンダ」、という三つの観点から読み解きます、とあります。そう言われてみると、ちょっと判ったような気がしてきました。感動のあまり、普段はほとんど買ったことにない「図録」まで買ってしまいました。


損保ジャパン東郷青児美術館

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2005年08月29日 00時04分00秒

子どもたちの未来を救うTシャツアート展

テーマ:ゲ~ジュツ見てある記

古代エジプト展を見終わり出口へ向かうところで、地下3階まで吹き抜けの彫塑室を見下ろしてみると、洗濯物がいっぱい干してある、じゃなくて、なんと壮観、1000枚のアートTシャツが会場を埋め尽くしています。美術作家から一般の子どもや大人まで、チャリティ企画に賛同して貰った多くの方々の個性豊かなオリジナルアートTシャツ作品です。「子どもたちの未来を救うTシャツアート展」でした。



会場にて1点1500円で販売しており、売り上げは社会福祉法人「子どもの虐待防止センター」に寄付されるそうです。一緒に行った家人が入り口の受付で立ち話をしていました。自分の関係する福祉団体との関連で、主催者側のどなたかを知ってるようなことを言ってました。いずれにせよ、地下3階まで下りて、この壮大な、洗濯物風の展示、ひとつひとつ見るとホントに個性豊かです。



ちなみに、社会福祉法人「子どもの虐待防止センター 」は16年前に設立された民間団体で、育児に悩む親電話相談とか、虐待している親のグループ治療や、虐待されて心が傷ついている子供の治療も行っているようです。



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2005年08月29日 00時03分00秒

東京都美術館で「ルーヴル美術館所蔵・古代エジプト展」を観る!

テーマ:ゲ~ジュツ見てある記

どうして この時期、二つの「古代エジプト展」なのか?意図したものなのか、偶然なのかはまったく分かりません。ひとつは、上野の東京都美術館で開催中の「ルーヴル美術館所蔵・古代エジプト展」ですが、もうひとつは、大丸ミュージアムの「ドイツ・ヒルデスハイム博物館所蔵・古代エジプト展」です。大丸の方は7月28日から8月28日なので、会期は僅か1ヶ月です。こちらは、エジプトと言えばこの人、吉村作治さんの監修のようです。一方、東京都美術館で行われている「ルーブル・古代エジプト展」は、8月2日から10月2日まで、2ヶ月間です。こちらの方がゆっくり見られるのではないかと思い、都美術の「ルーブル・古代エジプト展」の方へ行ってきました。東京駅大丸は、確か「小磯良平展」を見に行きましたが、混んでましたね。落ち着いて見られないんですよ、デパートの展示会は!



都美術へはたぶん年に2回ぐらいは見に行ってますね。このブログにも書きましたが、最近では「アール・デコ展」や、「フィレンツェ芸術都市の誕生展」を見ましたね。その前は、「マルモッタン美術館展」、「大英博物館の至宝展」、「池田満寿夫の世界展」、「アール・ヌーヴォー展」も見ました。その前、1999年8月から10月ですが、「大英博物館・古代エジプト展」というのを見てるんですよ。その時は確か「ロゼッタ・ストーン」や「ミイラ」が展示されていました。いや、「至宝展」の方だったかな?記憶が曖昧になっています。


どちらにせよ、都美術だったと思いますけど。実は、だいぶ前ですけど、パリのルーブル美術館のエジプト部門と、ロンドンの大英博物館のエジプトの間は、それぞれ一度だけ駆け足で見たことがあります。大英博物館の「ロゼッタ・ストーン」や「ミイラ」も、触ってしかも写真も撮ってきましたが、日本に来たときには、しっかりとガラスのケースに収められていました。今回の展示では、ヒエログリフとの関連が深い「ロゼッタ・ストーン」は、実物大の写真が壁に掲示してあり、それについてはやや興ざめでした。

センウセルト3世座像

この度、ルーヴル美術館の古代エジプトコレクションが日本で初めて本格的に公開されます。数の豊富さと室の高さでは名高いこのコレクションですが、古代エジプトを解明する上で、他にない輝かしい側面を持つことは意外に知られていません。19世紀、砂に埋もれた古代エジプト文明を再発見し、知られざる過去に光を当てたのは、ルーヴル美術館の初代館長、ドゥノンをはじめ、ヒエログリフ(神聖文字)の解読者として有名なシャンポリオン、カイロ博物館の前身を創設したマリエットなどルーヴルの学者たちでした。

約5万5千点に及ぶ膨大なルーヴルのエジプトコレクションは、世界的に見ても、ナイル川流域の古代人とその生活を研究するための主要な情報源と言えます。本展覧会は、エジプト学に多大な功績のあったルーヴルの学者たちゆかりの遺物を紹介すると友に、彼らが解明した「古代エジプト人とその生活」に焦点を定め、選りすぐりの名品約200点を通して、古代エジプト人の生活感や人間像を紹介いたします。シャンポリオンたちが開いた古代への扉を通して、古代エジプト人の人々と対話してみませんか?


カバの小像

と、まあ、いただいたチラシの裏にはこう書いてあるんですが、やはり輸送や展示スペースの関係か、展示されているものはほとんど「小物」ばかりで、「エジプト」というイメージからはやや迫力に欠けましたね。例えば「シェドホルの石棺」は蓋しか来ていなくて、重量のある石棺そのものは来ていません。まあ、5万5千点のうちのたった200点ですから、そういう意味では仕方がありませんが。


小物」を非難しているわけではなく、いいものもありました。例えば「カバの小像」、思ったより小さかったのですが、色といい艶といい、素晴らしいものでした。ルーヴルでも大英博物館でも、エジプト関係の展示室天井高の高い、もっと見通しの利く広々とした部屋で、大きなものがゴロゴロ展示してあったような気がします。日本の美術館は、「エジプトもの」には向かない美術館なんですね。というか、最初から日本の美術館は、「エジプトもの」は想定の範囲外なんでしょうね。


「ドイツ・ヒルデスハイム博物館所蔵
古代エジプト展 甦る5000年の神秘」
大丸ミュージアム・東京
2005年7月28日(木)~8月28日(日)







関連記事:
早大調査隊、エジプトで未盗掘のミイラ発見!
過去の記事:
東京都美術館で「アール・デコ展」を観る!
フィレンツェ―芸術都市の誕生展

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2005年08月18日 08時16分24秒

「ボテロ野外彫刻展」再掲!

テーマ:ゲ~ジュツ見てある記

ボテロの作品がションゼリゼにドンドンドンとある日現れた~なんともふとっちょ!でもでも変でも汚くも哀れでもない。そのころは笑って観ていたのに、ふとっちょになった今みると…親近感?やばい 肉体を現実にデフォルメしてはイカンよね。


このようなdaidai-2005 さんの記事を見かけたので、2005年01月16日の記事、恵比寿ガーデンプレイス で開催された「ボテロ野外彫刻展」をトラックバックしておきました。その記事を書いた頃のアメーバブログは、画像が1枚しか張り付けられませんでした。その時は頂いた「ボテロ展」のチラシの画像だけを掲載しました。なにしろ20体ものボテロの大型彫刻が勢揃いしたのですから、画像を載せないと意味はありません。そんなわけで、遅ればせながら、記事の一部と、選りすぐりの画像を10枚ほど載せておきます。誰ですか、「あら、私だわ!」、なんて言っている方は?



以下は、過去の記事の一部の再掲です。
まずは画像を見て下さい。皆さんに、是非とも見て欲しかったんですよ。「アダム」と「イヴ」の彫像です。ダイエットなんてなんのその、堂々としたもんでしょう。ということで、やや旧聞に属しますが、去年の3月31日から7月11日まで、恵比寿ガーデンプレイスで「ボテロ野外彫刻展 」が開催されました。ガーデンプレイス誕生10周年記念行事、かな?



大型彫刻が20体、恵比寿ガーデンプレイスの広場を中心に並べられていました。各地の美術館にも1体、2体、見かけましたが、これだけまとまって見られるのは珍しい。なにしろ、1体、1トンを超えるといいますから。ということで、見に行きましたよ、僕も、しかも3回も。屋外での展示ですから、当然、入場無料です。その辺が太っ腹でいいですね。いやいや、ボテロだからではなく。しっかりと写真も、行くたびに撮ってきました。




フェルナンド・ボテロ、1932年、コロンビア生まれ。貧しい幼少時代、闘牛学校にはいるが、絵画に目覚め、画家を志し、渡欧。マドリッド、フィレンツェで絵画学校に学び、ルネサンス芸術の影響を受ける。1960年にニューヨークに移住。翌61年、ニューヨーク近代美術館(MoMA)が絵画作品「12歳のモナリザ」を購入、対象に大胆なデフォルメを施し、ふくよかに表現するボテロ独特の作風が一躍注目される。1973年に、彫刻の製作を開始。絵画同様、「量感」と「質感」を追求した巨大な彫刻作品が世界的な評判を博す。



と、まあ、チラシにはそう書いてあります。今、ボテロは72歳かな?現在も精力的な創作活動を続けているようです。ボテロの彫刻は、圧倒的な存在感と量感、そして生命力溢れるユニークな豊満さは、見る人に微笑みをもたらすと同時に、元気をも与えてくれます。


過去の記事:「ボテロ野外彫刻展

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