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2005年10月20日 00時06分51秒

492mで高さ世界一、上海に08年完成 森ビル

テーマ:なぜかケンチクでも

森ビルは18日、上海・浦東地区で建設中の101階建て、「高さ世界一」のビルの完成時期が08年初頭になると明らかにした。資金繰りや40社にのぼる出資企業の間の調整が難航し、2回にわたって工事が中断。完成を危ぶむ地元メディアもあった。04年11月に建設を再開していた。森稔社長は現地で記者会見し「今回は完成させられる確信を持って上海に来た」とアピールした。




ビル名は「上海環球金融中心」。高さ492メートルで、アンテナなど突起物を除くビル本体の高さは世界一となる見通し。延べ床面積は六本木ヒルズ森タワーと同規模の約38万平方メートル。店舗やオフィスのほか79~93階ではパークハイアットホテルがスイートルーム中心の高級ホテルを運営する。
朝日新聞:2005年10月19日

浦東新区、近未来の開発イメージ

上海環球金融中心」の設計は、超高層ビルのデザインでは実績のあるアメリカのKPF(コーン・ペダーセン・フォックス・アソシエイト)によるものです。斬新でシンボリックな外観デザインは、国際都市・上海の新しいランドマークとなることでしょう。他に日本国内でKPFは、JR名古屋駅ビルの「JRセントラルタワーズ」、日本橋東急百貨店(旧白木屋)跡地の再開発、「日本橋一丁目ビルディング(COREDO日本橋)」、そして「六本木ヒルズ」などに「デザイン・コンサルタント・アーキテクト」として関わっています。

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2005年10月09日 00時03分00秒

フンデルトワッサーの建築

テーマ:なぜかケンチクでも
不思議の国のとりで


不思議なデザインの建物はドイツのマグデブルクに建設中の「マグデブルクの緑のとりで」。オーストリアの芸術家で建築家でもあるフリーデンスライヒ・フンデルトワッサー氏の晩年の作品の一つ。(AFP=時事:9月27日) 

久々にフンデルトワッサーの話題です。

フリーデンスライヒ・フンデルトワッサー

フンデルトワッサーは、1928年ウィーン生まれグスタフ・クリムトエゴン・シーレに続くウィーン出身の芸術家として有名です。国立美術アカデミーに学び、アンフォルメル芸術の影響を受けます。53年頃から渦巻きや曲線激しい色彩を特徴とする幻想的な絵画を制作。現代文明を批判するとともに自然との共生の必要を訴え、70年代以降は建築と環境問題にも実践的に取り組みました。心臓発作で亡くなり、71年の生涯でした。


左はゴミ処理場、 右は汚泥処理場

大阪市環境事業局舞洲工場

大阪市都市環境局舞洲スラッジセンター

日本でフンデルトワッサーが関わった建築の仕事はふたつ。ひとつは、2001年4月に完成した、大阪にある地上7階地下2階のゴミ焼却及び粗大ゴミ処理工場、「大阪市環境事業局舞洲工場」です。最新の排ガス処理設備を備えるなどして、焼却時の熱エネルギーを蒸気と電気に変え、工場と地域で利用しているそうです。もうひつつは、2004年3月に完成した地上6階地下1階の下水汚泥集中処理センターの「大阪市環境事業局舞洲スラッジセンター」です。市内の下水処理場を地下パイプで結び集中処理する施設です。処理後の汚泥「溶融スラグ」は、建築資材として再利用。フンデルトヴァッサーが、ウイーンのゴミ焼却工場をデザインしていたことから、大阪市がフンデルトヴァサーに依頼し、実現した建築です。工事費がかかり過ぎたということで、批判されてもいるようですが、このふたつの建築、一目見て今までのゴミ処理施設とは違った、楽しく夢のある外観です。 残念ながら、僕はまだ見ていませんが。

フンデルトワッサーハウス、竣工時と現在


フンデルトワッサーの最初の建築の仕事は、当時は「ウィーンの公営住宅」と呼ばれていましたが、最近は「フンデルトワッサー・ハウス」と呼ばれているものです。重厚な建築の多いウィーンの街中に、突如現れたカラフルな建築、これにはウィーンの人も驚いたことでしょう。僕がウィーンへ行ったのは、バルセロナオリンピックの前の年、この建築ができて間もない1991年頃だったと思います。予定になかったのですが、偶然、この「公営住宅」を見ることができました。ウィーンといえば、シェーンブルグ宮殿は別格として、「ウィーン郵便貯金局」を始めオットー・ヴァーグナーの数々の建築、オルブリッヒが設計してクリムトが外装に関わった「ゼセッション館」等々、近代建築のお手本として見るものがたくさんあります。その頃「フンデルトワッサー・ハウス」は、日本ではあまり知られてなく、まだ評価が定まっていない時期でした。今では、カラフルな「フンデルトワッサー・ハウス」は、今はウィーンの観光名所となっているようです。


最近の建築作品をふたつ、紹介しておきましょう。どちらも大規模で、自然との共生がいかんなく発揮されている素晴らしい建築です。是非見ておきたい建築のひとつです。

ブルーマウ温泉保養村

ダルムシュットのウッドスパイラル(模型)

ちょっと関連記事はここ
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2005年10月03日 00時03分00秒

日本人建築家、師匠と弟子、ダブルで快挙!

テーマ:なぜかケンチクでも
金沢21世紀美術館

「SANAA」の妹島和世(左)と西沢立衛


ルーブル美術館 別館の設計を日本人建築家が担当

パリのルーブル美術館が仏北部パ・ド・カレー県ランスに建設を予定している別館「ルーブル・ランス」の設計を日本人建築家、妹島和世(せじま・かずよ)、西沢立衛(にしざわ・りゅうえ)両氏の事務所「SANAA」が担当することが26日、決まった。設計の国際公開競技には約120組が参加。26日開かれたノール・パ・ド・カレー地域圏議会選考委員会の結果、最終選考に残った3組の中から選ばれた。SANAAの設計案はコンクリートと金属の幾何学的な組み合わせを基盤に、自然光を最大限に活用するためガラスの平屋根を採用している。地域圏議会副議長のラング元文化相は記者団に「空に向かって開かれた透明感あふれる設計で、環境を大切にしている。フランスの重要な公共建築物女性(妹島氏)が手がけるのは初めてだ」と述べた。「ルーブル・ランス」建設は仏政府が進める地方分権政策の一環で、08年末に完工、09年初めに開館の予定。パリのルーブル美術館の収蔵品のうち数百点が展示される。
毎日新聞:9月27日

せんだいメディアテーク

伊東豊雄


建築家の伊東豊雄さん、英国の建築賞を受賞

ロンドンの王立英国建築家協会(RIBA)は29日、06年のロイヤル・ゴールドメダルを日本人建築家、伊東豊雄さん(64)に贈ることに決めたと発表した。同賞は150年以上の歴史を持ち、世界の建築に大きな影響を与えた建築家や団体に贈られる。日本人ではこれまで、丹下健三磯崎新安藤忠雄の各氏が受賞。授賞式は06年2月15日、ロンドンで行われる。伊東さんは「シルバーハット」(84年、東京都)、「せんだいメディアテーク」(01年、仙台市)などの建築を設計している。
アサヒコム:2005年09月30日


別館とはいえルーブル美術館の設計を、世界の強豪を抑えて、日本人建築家が獲得しました。妹島和世西沢立衛の「SANAA」です。これは快挙です。実績としては「金沢21世紀美術館」があります。
そして、なんと、妹島の師匠である伊東豊雄が、RIBAのロイヤル・ゴールドメダルだそうです。これも快挙です。

師匠と弟子ダブルで快挙です。素晴らしいですね。

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2005年09月11日 14時15分02秒

目黒区総合庁舎(旧千代田生命本社ビル)を見学した!

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過去にこのブログで、旧千代田生命本社ビル現目黒区総合庁舎について、記事にしたことがあります。千代田生命本社ビルといえば、村野藤吾の最高傑作のひとつです。それが、ひょんなことから目黒区役所に売却されて様変わり、区民が誰でも自由に利用できる施設になりました。元々生命保険会社の本社ビル、つまりオフィスビルですから、利用勝手から言えば、区役所の本庁舎になっても、なんの不思議はないのですが。ただ本社ビルですから、目玉は幾つかあります。



ひとつは車廻しの玄関のキャノピー、つまりですね。それからお客様が最初に入る空間、玄関ホール、これは見事なものです。それから、玄関ホールからそれぞれの部屋に行く動線上にある、優美な曲線を描く廻り階段です。日比谷の日生劇場のロビーにある階段と同じ形状です。それから1階の茶室ですが、これは自由には見ることができません。帝国ホテルにも、高輪プリンスホテルにも、村野茶室がありますね。その代わり、といっては変ですが、池に面した休憩するための和室が自由に利用できます。




先日、目黒区役所へ行く機会があり、駐車場の判子をもらう関係上、受付に「見学させてください」と一応おことわりして、判子をもらってから、1階の茶室廻り以外、この時とばかりに画像に収めてきましたので、ここに掲載します。ついでに、ちょうどお昼時だったので、区役所の食堂でお昼の「定食」を食べてきました。セルフサービスでしたけど、安いです。それにしても目黒区民は恵まれています。日本最高の建築家・村野藤吾の設計した建物を自由に使えるんですから。



関連記事:旧・千代田生命本社ビル

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2005年09月03日 00時03分00秒

「ねじれたトルソ」と名付けられたマンション

テーマ:なぜかケンチクでも

スウェーデン・マルメにオープンした「ねじれたトルソ(胴部分だけの彫像)」と名付けられた高層マンションが話題を集めている。部屋はいずれも開放的な間取り大きな窓で自然光を取り入れているのが特徴だとか。(27日、スウェーデン)
EPA=時事:8月29日


画像を見てビックリ、この「ねじれたマンション」は知りませんでした。実際に建っているんですね。北欧はまったく土地勘がないのですが。3月にフランスのカンヌで開かれた不動産国際見本市住宅部門で最優秀賞を射止めたそうです。147世帯が入居可能で、33種類の居室が用意されています。マルメはスウェーデンで3番目に大きい都市人口は25万人で、デンマークのコペンハーゲンから海峡を隔てて22 km離れた位置にあります。コペンハーゲンの中央駅までの所要時間は、眺望が素晴らしいÖresund橋を渡る高速列車で34分だそうです。


このブログでも先日、シカゴのミシガン湖岸近くに高さ444メートル(尖塔部分を含めると610メートル)のビルが出現するという話題を載せました。2006年春に着工、09年の完成を目指している「フォーダム・スパイアー」で、スペイン人の建築家サンチアゴ・カラトラバが設計、表面が流麗に波打つ細長い円錐形。115階建てで、ホテルや住居などが入るという、「ねじれた建築」です。また、吉田修一の小説「ランドマーク」でも、「O-miya スパイラル」という、重箱を少しずつずらして積み上げたような35階建ての高層ビル、「ねじれた建築」が出てきました。


関連記事:

今度は「北米一の超高層ビル計画」だよ!

吉田修一の「ランドマーク」を読む!

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2005年09月02日 00時03分00秒

「建築家・清家清展」を体感する!

テーマ:なぜかケンチクでも

去る4月8日、日本の代表的な建築家・清家清は惜しまれつつ86年の生涯を閉じました。博学で多彩な趣味を持ち、「人生を楽しむ達人」でもあった清家清――。当館ではその人間的な魅力とそこから生み出された珠玉の作品群を、多彩な資料を用いて紹介いたします。特に代表作「私の家」(1954)の原寸大模型からは、清家清が模索した「広く住まい、時に応じてしつらえる 」暮らしをつぶさに体感することができるでしょう。また、本展が清家清の人生よ業績を通して、私たちのくらしと建築について再考する機会になれば幸いです。

(松下電工汐留ミュージアム)


もう3度目かな、「松下電工汐留ミュージアム」に行ったのは。最初は開館してすぐの「ルオー展」、所蔵品は20世紀を代表するフランスの画家ジョルジュ・ルオー(1871‐1958)の油彩や版画作品、約140点です。ルオーの作品を常設展示する小部屋と、展示室がふたつの、小さな美術館です。ルオーの絵画は、皇居に面した「出光美術館」も思いの外、たくさん所蔵しているんですね。浮世絵を見に行ってルオーがあるので驚いた記憶があります。


私の家

次に行ったのは、タイトルは忘れましたが「西沢文隆・作庭展」でした。西沢さんは「ホテル・パシフィック」の設計で知られていますが、坂倉事務所大阪の所長で、坂倉さんが亡くなって急遽坂倉事務所の所長になられた方です。関西に住まわれてるのを活かして、休日は古建築、社寺や仏閣ですね、の実測を長年行っていて、その蓄積は何冊かの本にまとめられています。その時は主に西沢さんが採取した「実測図」を展示してありました。


西沢さんは、あまり最近は言う人はいませんが、単なる関西のローカル建築家だった安藤忠雄を、東京に紹介し支援したことは、知る人は知っています。それまでは建築家は、関西にはまったくいなかったと言っても言い過ぎではないほど東高西低?でしたから。そして今回「建築家・清家清展」ですね。その前に、行ったのはいいけど、月曜日で休館だったことがあったりしました。「松下電工」のショールームだけ見て、カタログを貰って帰ってきたりしたこともありました。なにしろ「汐留再開発」に合わせて「東京メトロ・大江戸線」が開通したので、汐留は一挙に便利になりました。


続私の家

行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しく止とゞまる事なし。世の中にある人と住家すみかとまたかくの如し。」清家さんは「方丈記」の冒頭部分をよく引き合いに出して、自分の建築観、住宅観を語ります。同じ雪が谷の200坪ほどの敷地の中で「私の家」、「続私の家」、そして、「倅の家」と住まいづくりが続きました。世間をアッと、いわせる自邸を作って、実際にそこに住まない建築家が多い中で、清家さんの自邸は、世代を越えて実際に住み続けているわけですから、こんな幸福な建築家は他には例を見ません。


さて、「建築家・清家清展」、清家さんの自邸「私の家」の原寸大の模型があるというので、それを体感しに行ってきました。玄関がない、便所にもどこにも扉が一枚もないことで有名なこの家、思っていた以上に広い家でした。ただし、原寸大とはいえやはり模型ですから、材料の質感、テクスチャーが出ていないことや、狭い美術館の中なので庭に対する開口部の広がりも、実感するには ほど遠い感じでした。ビデオでの清家さんのお話や、関係者の証言などを聞いて、また展示されている日頃使われていた身の回りの品々を見るとき、温かい人柄がよく伝わってきました。もう一度書きます。こんな幸福な建築家は他には例を見ません。


清家清のディテール―間戸 まど 窗
デザインシステム (編集)、 清家 清
彰国社 1984年01月








松下電工汐留ミュージアム
関連記事:
建築家の清家清さん死去 戦後日本の住宅設計をリード

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2005年08月19日 11時06分26秒

福島の小学校が東京の幼稚園に!

テーマ:なぜかケンチクでも

渋谷から東横線で3つ目、祐天寺の駅から歩いて3分の位置にある、信じられないような大きな木立に囲まれた平塚幼稚園、その園長先生である平塚通彦さんの話を聞き、移築された建物を見学する機会がありました。


「増築といっても、ただ単に今風の新しい建物を建てるのではなく、何か平塚らしい形でできないか」という園長先生の発想で、卒園生のお父さんでもあり近所で設計事務所を営む相子芳也さんと、廃校の移築もいいけど、それが出来なければ、とりあえず新築でと検討をし始めた矢先に、「壊される予定の廃校がある」という情報が舞い込み、さっそく二人で福島県大沼郡金山町へ飛び、その場で金山町の教育長と交渉をして急転直下、旧本名小学校校舎を譲り受けることになったそうです。



その校舎が再利用できればいかにも平塚らしいものになるだろう、また移築の過程に何らかの形で子供たちを関わらせることが出来れば、それはかけがいのない経験になるだろう、といった思惑もあったようです。相子さんによると、旧本名小学校の実測調査を3日間かけて行い、昭和8年に建てられた部分がちょうどよい大きさだったので、南北を逆転して長さを4m縮め、2階だけ高さを1.5~2.5m低くして現在の建物になったようです。もちろん敷地も限られており、防火地域でもあり、小学校でなく幼稚園で使うといことで、設計は相当悪戦苦闘したようです。


百聞は一見にしかず、実際見学してみると、骨太な構造体や父兄が洗って柿渋を塗った羽目板は、日頃メンテナンスフリーのきれいな建材しか見慣れていないものにとっては、圧倒的な存在感で迫ってきます。それらの移築に関わるすべての経緯を園長先生は「移築ごっこ」と称して、移築をめぐるさまざまな関わりを園児や、父兄、幼稚園関係者が体験すること、また地元の方と相互に交流すること、そして素人が建設に関わることそのものが「ごっこ」であると言っていました。



結果的には、通常、木造で建てるここと比較して、運搬や様々な経費がかさみ、建設費は2割増しだったそうですが、園長先生は決して後悔してないようで、それ以上に、移築された骨太木造の幼稚園で学び育つということは、園児たちの心に長く焼き付くことでしょう。ただ単に建物の性能や保証を重要視する昨今にあって、平塚幼稚園の「移築ごっこ」は建築するとはなにかを無言で提示し、建築生産に従事するものに対して大きな批判にもなっているように思われます。なお、環境負荷を与えず、住まい・建築・都市を持続可能な社会にするかということを基準に選定する「エコビルド賞」を、2003年に受賞しました。

*画像は建設時のメーリングリストからお借りしました。


*過去の関連記事:東江幼稚園は夢のある幼稚園だ!

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2005年08月05日 00時03分00秒

「江戸東京たてもの園」に行って来た!

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小金井公園の入り口に面した「玉川上水」沿いの道は、年中通っているのですが、仕事で急いでいることが多く、行こう行こうと思っていましたが、なかなか行く機会に恵まれず、10数年が経ってしまいました。「江戸東京たてもの園」は、失われてゆく江戸・東京の歴史的な建築物を移築保存し、展示する目的で、東京都小金井市の都立小金井公園内に設置された野外博物館です。東京都墨田区のJR両国駅前にある「江戸東京博物館」の分館として、1993年に開園しました。その趣旨は、現地保存が不可能な文化的価値の高い歴史的建造物を移築し、復元・保存・展示することにより、貴重な文化遺産として次代に継承する役割を担っています。この知には従来から、古代住居や江戸時代の農家を移築、展示する「武蔵野郷土館」がありましたが、「江戸東京たてもの園」の開館に合わせ、施設を拡充する形でオープンしました。


子宝湯正面外観

女湯から男湯を見る

大きくは西ゾーン、センターゾーン、東ゾーンに分かれています。西ゾーンは、山の手通りに面してさまざまな建築様式の住宅を復元・展示してあります。さらに西へ行くと、昔懐かしい茅葺き屋根の民家が並んでいます。センターゾーンは、「たてもの園」の出入り口になる「ビジターセンター(旧光華殿)」や、旧自証院霊屋、高橋是清邸など、歴史を伝える建物が復元・展示されています。東ゾーンは、昔の商家・銭湯・居酒屋などを通して、下町の風景を楽しむことが出来ます。復元した建物の中には、当時の暮らしや商売の道具や商品も展示しています。宮崎駿監督「千と千尋の神隠し」の作画には、たてもの園の東ゾーンの、銭湯や下町の商家を参照したと言われています。現在は現在は27棟ですが、東ゾーンにはまだ空き地が目立ち、最終的な復元目標は31棟のようです。ただし、東京都も緊縮財政を迫られて、当面は予算が付きそうもないということのようです。


万世橋交番外観

交番入り口上部を見る

たてもの園」の入り口には、ビジターセンターと称している大きな「旧光華殿」がそびえ立っています。とても「たてもの園」の正面入り口に建つ建物とは思えません。悪い意味で驚きました。もうちょっとスケールを落とした、例えば「伊達家の門」を通って「たてもの園」へ入るとか、なにか工夫があろうかと思いました。「高橋是清邸」の1階が休憩・飲食の「茶房」になっているので、遅いお昼をそこで食べました。広縁には不粋な木製の格子があり、薄暗い印象を与えていて、気持ちよく飲食をする場にはなっていません。木造の耐震補強のようですが、他にやりようがなかったでしょうか。


旧自証院霊屋

田園調布の家(大川邸)

茅葺きの民家では囲炉裏に火をおこしている人がいましたが、ボランティアの方でした。「燻煙」で防虫対策を図るとのことでした。案内人の方はやはりボランティアの方ですが、当たった方があまり慣れていないようでしたが、一生懸命に説明してくれました。「たてもの園」の建物を愛している感じが伝わってきて好感が持てました。案内は約1時間と言うことでしたが、ついつい熱が入ったようで1時間半はかかりました。それでも全部見たわけではなく、要点だけをかいつまんで駆け足で見たという感じでした。


皇居正門石橋飾電燈         同詳細

7月30日、31日には「下町夕涼み」と称して、夏の特別夜間開園を行ったようです。黒澤明監督の映画「用心棒」や「椿三十郎」の野外上映会、子宝湯での寄席、農家の座敷での「昔語り」、そして盆踊りや夜店など、情景再現を兼ねた催しを、建物を活用しながら開催したようです。8月の土曜、日曜にも夜間開園があり、やはり野外上映会や寄席が開かれます。「たてもの園」では、四季を通じてこのような催しがあるということです。


江戸東京たてもの園HP:http://www.tatemonoen.jp/

関連記事:「ゲゲゲの鬼太郎の家」を訪ねる

http://ameblo.jp/tonton1234/entry-10003048023.html

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2005年08月03日 00時03分00秒

めくるめく二重螺旋の迷宮・会津さざえ堂!

テーマ:なぜかケンチクでも

タイトルは、「芸術新潮」2003年2月号からの借り物です。なぜか「ワビサビなんてぶっ飛ばせ!バロック王国ニッポン」の堂々5番目に、さざえ堂が取り上げられています。「さざえ堂、レオナルド・ダ・ヴィンチもびっくり」と、掲載写真のキャプションにもあります。どうしてレオナルド・ダ・ヴィンチなのかと言いますと、彼の描いたスケッチの中に二重螺旋を描いたものがあるからです。

二重螺旋構造についてはこちら


フランスのシャンボール城二重螺旋の階段がありますが、レオナルド・ダ・ヴィンチの関わったという確証はないようです。ただ、旅行案内書には、彼が関わったように書かれていますが。「アクロバティックな外観とトリッキィーな内部空間を見せるさざえ堂は、日本のバロックではなかろうか。」と、日本工業大学教授で建築史家の波多野純さんは言います。



会津さざえ堂は、福島県会津若松市の飯盛山に1796年に建立された、高さ16.5メートル六角三層のお堂です。正式名称は「円通三匝堂」(えんつうさんそうどう)といいます。その昔、飯盛山には正宗寺(しょうそうじ)というお寺があり、当時の住職であった僧郁堂(いくどう)の考案した建物です。

その独特な二重螺旋のスロープに沿って西国三十三観音像が安置され、参拝者はこのお堂にお参りするだけで三十三観音参りができるという大変合理的なお堂です。また、上りと下りが全く別の通路になっている一方通行の構造により、たくさんの参拝者がすれ違うこと無く安全にお参りができるという世界にも珍しい建築様式を採用したことで、その特異な存在が認められ、平成7年に国重要文化財に指定されました。
会津さざえ堂公式HPより:http://www.eva.hi-ho.ne.jp/iimori/


北立面図(日大建築史研究室)     さざえ堂公式HPより

二重螺旋の階段は、フランスの「シャンボール城」と「パリ大学」に例があります。また、毛綱毅曠が設計した「釧路市立博物館」の中央にも、二重螺旋の階段があります。ただし、六角形の平面で三層の木構造で、二重螺旋のスロープというのは、世界的に見ても会津さざえ堂だけです。考案したと言われている郁堂ですが、二重螺旋のスロープを突然思いついたのか、西欧の文献などからヒントを得たのか、これもはっきりしたことは分かっていません。


シャンボール城     パリ大学外階段

僕は3年前の夏に一度、さざえ堂を見に行きました。残念ながら、かつて安置されていたであろう観音像が一体も置かれていないので、宗教的な体験には至りません。昔から建築関係者の間では話題に上っていた建物でした。面白いアイデアだということ、それを実現させた大工の技術については高く評価します。しかし、この建物、手入れが非常に悪い。一歩裏側へ廻ると、トタン板で塞いでいたり、隣の建物がトタン屋根でまた貧弱、そしてその接合部がいい加減で、まともに見られない状態です。さざえ堂は、観光地の貧弱な建物に囲まれています。世界に例を見ない珍しい建築ですから、文化財として十分な予算を付けて、しっかりと維持管理を行い、後世に残して欲しいと思います。

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2005年07月29日 15時01分35秒

今度は「北米一の超高層ビル計画」だよ!

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米不動産会社フォーダムのクリストファー・カーリー会長は27日、北米一の高さとなる超高層ビルの建設計画を明らかにした。米シカゴ市中心街のミシガン湖岸近くに高さ444メートルのビルが出現する。という時事通信社の記事と画像が出ましたが、建物の名称や設計者名がない。そうこうしているうちに詳報がでました。


北米一の超高層ビル計画=NYフリーダムタワー上回る-シカゴ

高層建築で有名な米シカゴ市で、北米一の高さとなる超高層ビルの建設計画が明らかになった。米不動産会社フォーダムのクリストファー・カーリー会長が27日発表したもので、市中心街のミシガン湖岸近くに高さ444メートル(尖塔部分を含めると610メートル)のビルが出現する。2006年春に着工、09年の完成を目指している。 「フォーダム・スパイアー」と命名されたこのビルは、スペイン人の著名建築家サンチアゴ・カラトラバ氏が設計を担当し、表面が流麗に波打つ細長い円錐形。115階建てで、ホテルや住居などが入る。世界第1位の台湾の「TAIPEI 101」や2位のマレーシアの「ペトロナス・ツインタワー」には及ばないものの、同じシカゴ市内にある第3位の「シアーズ・タワー」(約442メートル)や、最近建設が始まったニューヨークの「フリーダム・タワー」(尖塔部分を含めない高さ415メートル)を上回る。 

時事通信:7月28日



やっぱり出ましたか、北米一の超高層ビル!見事にねじれてますね。これって「ランドマーク」の「O-miya スパイラル」?って、あちらは35階建てでしたが。サンチアゴ・カラトラバが設計を担当とありますが、「構造家」だから、担当は構造設計的なことだけだと思いますが。MoMAの監修した「TALL Buildings 」にある「7 South Dearborn」のことかな?610メートルは合ってるとしても、2004年に完成とあるからな?これが名称と設計者が替わったのかな?不確かな情報で申し訳ない。シカゴだと、「シアーズタワー」、これが今のところ一番高いですね。それから「ジョンハンコックセンター」もありますね。湖に突き出ている右側の建物は、たぶん、「レイクポイントタワー」かな?左側には、これもたぶん、ミース・ファン・デル・ローエの名作「レイクショア・ドライブ・アパート」があるはずですね。なにしろ、ミシガン湖からの眺め、きれいですね。


MoMAの監修した「TALL Buildings
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