韓国純文学の最高峰「麗しき霊の詩」 | 三太・ケンチク・日記

韓国純文学の最高峰「麗しき霊の詩」

麗しき霊の詩


この本は、昨年の7月半ば頃、出版関係の知人に紹介されたもので、2004年8月20日の発売日前の、たぶん8月始めに入手して読みました。その時は、韓国語からの翻訳本であり、しかも430ページもある長編なので、どうにも韓国の風習地名人名にすんなりとは馴染めず、読むのに1週間ぐらいかかりました。結局のところ、読んだとはいえ、ほとんど頭に入っていませんでした。最近、読み直す必要が出てきて、もう一度読み直しましたが、集中して読んだせいか2日間で読み終わりました。実はA4のメモ用紙に、登場人物と簡単なプロフィールを書きながら読み進めました。


昔の長編のロシア文学によくありましたよね、登場人物のリストのようなものが。あれと同じようなものを読みながら作っていったのです。もちろん、人に見せられるような代物ではなく、自分だけが分かる人物リストですが。登場した人物は25人前後の人がいました。しかも名前がキム・ユジンとか、これは主人公の女性の名前ですが、イ・サンチェン、ナム・キチョル、アン・ヨンヒ、等々、韓国の名前は馴染みが薄く、覚えるのに一苦労しました。ですから、人名が出てくるとすぐにリストに記入し、参照しながら読み進めました。これが功を奏したのか、もちろん2度目ということもありましたが、1度目よりはるかに本の内容が分かりました。とはいえ、どれだけ理解し得たかは疑問ですが。


麗しき霊の詩 」韓末淑著 中村欽哉・本橋良子訳 文車書院 定価2940円
本の帯には、待望の日本語訳なる!韓国純文学の最高峰!、既に英語・仏語・独語・伊語・中国語・チェコ語・ポーランド語・スエーデン語、翻訳済み、とあります。


主人公ユジンは、中学の講師をしている中年女性です。夫と裏山の薬水飲み場に通うのが日課です。そこに集う人々との交流が描き出されます。不法バラックに住むカン老人と曾孫のソッキュ、大学教授のチャン博士と病弱の妻ナ・ヨンスク夫妻はユジンと親しくつき合います。祖父の妾(第2夫人)だったチョンイムや、その友人オ・ヒョン道師がユジンと係わってきます。他に大学の先輩で昔の恋人ナム・キチョル、その妻で中学講師のアン・ヨンヒ、等々。作者は、それぞれの登場人物にそれぞれの哲学を語らせます。息子や孫を日本の侵略朝鮮戦争で奪われたカン老人は、それを「前世の罪」として捉え、苦しい日々を真面目に生き抜いています。幼いソッキュは純真な信仰心で、熱心に教会へ通います。教会に多額の寄付をするチョンイムは、財産を巡るトラブルで殺されます。そのを清めるために祈るオ・ヒョン道師は、輪廻や因縁について語ります。


そして、ユジンの昔の恋人キチョルの突然の死があり、妻のアン・ヨンヒはパリへと旅立ちます。チャン博士と心の病を持つナ・ヨンスクのドロドロした愛憎劇は、これだけでひとつの作品になるような迫真の描写があります。ユジンと結ばれるかと思ったのもつかの間、チャン博士の突然の自殺。やっと幸せになる道が見つかったかに見えたソッキュの死。様々な事件が相次ぎます。仏教的な生死観、キリスト教的な生死観。このふたつが奇妙に融合する韓国的な精神世界。ユジンは魂や霊について思いを深め、東洋的な精神世界へと入っていきます。人々が織り成す愛憎や生死、そして宗教観歴史観等々が交響楽的響きをもって迫るこの作品は、韓国人の精神世界を見事に表現しています。


さてこの本は、韓国純文学の最高峰と銘打っていますが、読後の感想は、純文学というより、大衆文学、大河ドラマのような雰囲気を持った作品でした。というのも、韓国では純文学という分野は、まだ確立していないと言われています。それでもなお、純文学といわれるのは、韓国では文学のなかで初めて「自我の芽生え」が見られるからです。この本は、冬から始まり、春、夏と過ぎて秋で終わる、全体を4章に分けた構成になっています。日本人的には、春・夏・秋・冬というような流れですが。韓国では秋は最後の季節、凋落と収穫、冬は生命の種を育む、命の始まりと捉えているようです。僕は「冬のソナタ」はまったく見ていませんが、やはり同様に「冬・春・夏・秋」という4部作になっているそうです。


作品に描かれている時代は、確かなことは分かりませんが、たぶん1970年代であろうと思われます。著者が上流階級だということもあってか、登場人物は、ほとんどが資産家で生活には困らず、医者や教師、翻訳家、編集者等々、知識階級の人たちです。全体を通じて、人間が描き切れていない、生活感がないという批判がありそうです。いずれにせよ、現代韓国の社会を描いた純文学作品の翻訳出版は、この作品が始めてのようです。「韓流」のようなマスメディアに作られた流行ではなく、今後、韓国文学の翻訳出版が日常的に増えることが、韓国と日本の理解を深めるためにも必要なことではないでしょうか。