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2005年09月30日 07時31分21秒

Bunkamuraで「ギュスターヴ・モロー展」を観る!

テーマ:ゲ~ジュツ見てある記

ギュスターヴ・モローと言えば、神話や伝説の世界を題材に、19世紀末のパリにおいて独自の耽美世界を構築した象徴派の巨匠と言われています。ずいぶん昔に高階秀爾の記した「近代絵画史」(中公新書)を読んでいたら、ギュスターヴ・モローは晩年、「マティスやルオーなどフォーヴの画家たちを育て上げた教育者」とあったので、奇異に感じたことがあります。今回「ギュスターヴ・モロー展」のHPで確認しましたら、やはり「1892年国立美術学校の教授となり、マティス、ルオーら時代を担う画家たちを育てた」とありました。「マティスやルオー」と言われると、モローとは作品の傾向が違うように思いましたが、確かにモローは教育者としても優秀だったようで、意外な一面を感じました。


「出現」

東急Bunkamuraのザ・ミュージアムで「ギュスターヴ・モロー展」を観てきました。パリにある「フランス国立ギュスターヴ・モロー美術館」所蔵の作品を公開しています。珍しいのは、前期と後期に分けた公開の仕方です。油彩画48点と扇1点は通期で展示し、水彩・素描230点は前期119点、後期111点に分けて展示します(全279点)。前期は8月9日から9月11日まで168点を展示し、後期は9月13日から10月23日まで160点を展示します。9月12日の月曜日、1日の休館日だけで100点以上の作品の展示替えをしたようです。従って、僕が観てきたのは「後期」ということになります。


パリのギュスターヴ・モロー美術館は、モローが住宅兼アトリエとして使っていたところを、1898年の死去に際し、自宅建物と膨大なコレクションを国家に遺贈して美術館として生まれ変わった世界初の個人画家の美術館です。ここには約14,000点もの驚くべき数の油彩画、素描、資料類が遺されています。展示室は、作品が壁中を覆い尽くすように展示されており、夥しい数のデッサンや水彩画も閲覧できるようになっています。


「エウロペ」あるいは「エウロペの誘拐」

その道に詳しい人に聞いたのですが、ギュスターヴ・モロー美術館は、元々個人の住宅兼アトリエですから美術館としては狭く、その割には作品数が多いので、展示の仕方に一工夫してあるそうです。油彩画は別にして、水彩画や素描画は、入れてある額が二重になっていて金具で止めてあり、展示替えの時にはその金具をはずして、裏側に隠れている作品を表側に出すという方法をとっているそうです。ですから、額縁が通常より分厚くなっているそうです。僕がそのことを聞いたのは作品を見て帰ってからだったので、残念ながら会場では確認はしていません。そんな方法があるので、前期と後期の大幅な作品替えが可能になったということのようです。

「一角獣」

モローは、「自分の内的感情以外に、私にとって永遠かつ絶対と思われるものはない」とし、近代化の中で人々が置き去りにしてしまった心の世界に思いを馳せました。それは明るい陽光のもと、目前で繰り広げられる現実に目を向けた印象派とは対極をなすもので、神秘的な瞑想への誘いでもありました。ギリシア神話や聖書の物語に画想を求めたモローは、愛と憎しみの相克、生と死、聖と俗など人類の普遍的なテーマを、卓越した想像力で視覚的イメージに捉え直し、きらびやかな色彩で宝石のような絵画を創り出しました。


モローは、1つの主題や作品に対して、夥しい数の素描や習作を残しています。今回のモロー展は、そうしたモローの詩的絵画世界を、ギリシア神話から「神々の世界」「詩人の世界」「英雄の世界」など、そして聖書物語から「サロメ」などの主題に分けて展示してありました。分類すれば、同じザ・ミュージアムで4月末に観た「ベルギー象徴派展 」と同じ時代、同じ傾向にあると言えます。大きくは「世紀末芸術」「世紀末絵画」にあたり、そして「象徴派」「象徴主義」になります。


「モデルを使った《サロメ》のための習作」と「サロメ」

モローの絵は画像は明確ですが、画家のメッセージは難解です。を描き、エロスにこだわります。社会通念から逸脱した退廃的なテーマです。そのための素材を、神話や伝説聖書や文学に求めます。モローは母親との癒着が強い、極度に夢想的な男だったと言われています。そうした彼が、女性に対する男性の幻想をロマンチックに描きます。「出現」や「エウロペ」、そして執拗に描いた「サロメ」から、女性が強くなりつつある19世紀後半の社会を見ることができます。

「24歳の自画像」

ギュスターヴィ・モローの作品をこれだけまとめて観るのは、僕は初めての経験です。「ベルギー象徴派展 」と併せて考えると、「世紀末」の「象徴派」について多くを学びました。ざっと見ての感想は、素描を除いて、油彩画、水彩画ともに、描きかけの印象が強い作品ばかりだということです。確かに、部分的にはこれでもかというほど詳細に描いている個所もあります。写真で見ていると完成したようにみえるものが、実際に展示してある作品を見ると、制作途上の未完成な作品に見えるのです。「世紀末」の「象徴派」の作品を僕はあまり好きではないから、特にそう思うのでしょうか。神話や伝説、聖書を知らないから、どうしても描かれているテーマがよく分からないということもあります。いずれにせよ、世紀末と言えば「アール・ヌーヴォー」という新しい装飾様式があり、モネやセザンヌなど「印象派」とはほぼ同時代なので、余計に奇異な感じを受けました。「世紀末」といえばもう「モダニズム」の萌芽がみられる時代ですから。


Bunkamuraザ・ミュージアム


関連記事: 「ベルギー象徴派展」を見てわかったこと!

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2005年09月29日 09時17分47秒

河野多恵子の「秘事」を読む!

テーマ:本でも読んでみっか

河野多恵子について、このブログで触れたのは2個所あります。いずれも芥川賞を受賞した作品の「選評」の個所を引用しています。2月20日の個所。いつも歯切れのいい河野多恵子、今回は「グランド・フィナーレ」については、見事に一言もふれていません、無視、無視3月15日の個所。花村萬月の「ゲルマニウムの夜」。河野多恵子「確かな手応えを感じた。主人公の<悪あがき>にある真摯さに深い説得力があり、いたく引き込まれた。」と、絶賛。とあります。8月17日に書いた<芥川賞受賞作、中村文則の「土の中の子供」を読む!>では、河野多恵子の「選評」については、僕は特に触れてはいませんが、それは「今回の候補作には、ぜひとも受賞作にしたいものがなくて残念だった。」とあるからです。


そうです、河野多恵子は芥川賞の選考委員でもあります。著者略歴によると、1926(大正15)年、大阪生れ。大阪府女専(大阪女子大学)卒。「文学者」同人になり、’52(昭和27)年、上京。’61年「幼児狩り」で新潮社同人雑誌賞、’63年「」で芥川賞を受賞。著者に、「不意の声」「谷崎文学と肯定の欲望」(共に読売文学賞)、「みいら採り猟奇譚」(野間文芸賞)、「後日の話」(毎日芸術賞、伊藤整賞)など。日本芸術院会員。という、そうそうたる経歴の持ち主です。



そこで、本棚から引っぱり出して手にしたのがこの本。「小説の秘密をめぐる十二章」(平成14年3月15日第1刷発行)です。内容はというと、こんな本です。「小説はいかに書くべきか、文学の心得とはなにか。いまもっとも豊潤,かつ過激な作家河野多惠子が明かす創作の秘密。「デビューについて」から始まり「作家の嫉妬について」「剽窃の危険」に至るまで。『文学界』連載の単行本化」。河野多恵子のことを、ほとんど知らないで読んだ本、この本には参りました。歯切れがよくてテンポがよくて、言いたいことをものの見事にズバリと言ってのけます。「小説の書き方」を書いた本が数限りなく出ていますが、この本の右に出るものはありません。何度も読み直したい一冊です。


「河野多恵子のことは、ほとんど知らない」と書きましたが、本棚を探してみると「純文学書き下ろし特別作品」と銘打った、新潮社版、ハードケース入りの「回転扉」という本が出てきました。1970年11月20日発行ですから、今から35年前の作品です。ケースの裏を見ると、僕の好きな作家、吉行淳之介大江健三郎が「短評」を書いています。読んでいたんですね、35年前に!当然、内容についてはほとんど忘れていますので、これも読み直したい作品の一つです。


本の帯には「夫婦という《かくも素晴らしき日々》21世紀の小説を先駆ける傑作長編!」とある、河野多恵子の「秘事」を読みました。内容は以下の通り。「幸福な結婚」に隠された秘密とは。三村清太郎と麻子は、大学で知り合った、昭和11年生まれの同級生カップル。夫は一流の商社で順調に出世し、妻は聡明で社交的な、周囲も羨む睦まじい夫婦だ。だが、この結婚にはある事故が介在していた。周到に紡がれた夫婦の日常の結晶。とあります。


実は僕は「秘事」というタイトルに惹かれて、やや不純な気持ちでこの本を読み始めたのですが、完全な肩すかしでした。帯に書いてある通り、「夫婦はかくも素晴らしい」という小説であって、タイトルの「秘事」から想像するような小説ではまったくありません。交通事故の縫合手術で取りわすれられた糸をあとで抜く、そのときの感じが性交の感じと似ているといって顔をあからめるところや、夫婦がベッドではなく床に降りて、畳のもつ固さ快楽にふさわしい褥であるという、河野多恵子らしさが現れているところがあるにしても。男と女が結婚をし、共に淡々と生活をし、一生を終える。取り立ててなにが起こるというのではない平々凡々な生活、これほど「健全な夫婦」は他に例を見ません。昭和11年生まれの夫婦。読み終わってみると、高度経済成長期の一番いい時代に生きた夫婦であったということができます。僕らの時代は、こう簡単には行かないと思いますが。


麻子が死に瀕した場面で、以下の会話があります。
「麻子、僕はあんたが好きなんだ。何ともいえずに好きなんだ」と三村はベ ットの傍に屈んで言う。「ありがとう」と彼女が言った。「─どういうところが好きなの?」「感じがいいもの、ほんまに気持ちいいもの」「そうお風呂みたいね」と彼女は言って、けたたましく笑いだした。「ああ、おかしい」と言っては、ますます笑う。三村は笑顔になってやりつつ、ますます哀しくなる。
─僕はあんたとひたすら結婚したくて結婚したんだぞ。侠気や責任感はみじんもなかったんだ。それをあんたに言うてやりたかった。だが言うてやれなかった。これまで決して言わなかった。─彼は自分の臨終で言い遺してやるつもりだった。その言葉を無言で彼女に告げ続けた。


彼は自分の臨終でそのことを言い遺してやるつもりでした。予期に反して彼女の方が彼より先に臨終を迎えることになり、彼はそれを無言で病床の彼女に告げます。清太郎が麻子と結婚した理由は、麻子の怪我という「秘事」に対する同情からだったということのように見えますが、実は本当の理由は、清太郎が臨終の時に語りたかった言葉で、それが「秘事」であったということだと思われます。人はそれぞれ平々凡々と生きています。しかしそれは、他に代え難い自らのそれぞれに物語を持っています。なんの変哲もない物語が実はなかなか味わい深いものであるということを、逆説的に河野多恵子は言っているような気がします。


追記:
山田詠美の「ベッドタイムアイズ」が、文芸賞を受賞したときの河野多恵子の選評で、「感性や知性を認識手段とするだけでは捉えきれない未踏の真実を的確に生み出し、本当の新しさを示す。」と絶賛しています。と引用していました。

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2005年09月28日 00時03分00秒

「困った」ポーズが人気 山口・徳山動物園のクマ

テーマ:道々寄り道だよん
頭を抱えて鳴くマレーグマのツヨシ君
(山口県周南市の徳山動物園)

山口県周南市の徳山動物園で、鳴きながら立ち上がり、前脚で頭を抱えて振り回すマレーグマのツヨシ君が人気だ。推定年齢14歳の雄。ここ10年ほど、雌に餌を奪われたり、じゃれ合おうとして無視されたりすると出るポーズ。クマの習性にはないらしく、飼育係は「困った気持ちの表現かな」。日曜・祝日の午後1時から約30分間の餌やりの時間に見られる確率が高い。最近は右前脚でこめかみをたたく新ポーズも披露。もの思う秋に悩みが深まったか。
朝日新聞:2005年09月26日



また動物ネタですよ。よく飽きもせず続きますね。記事に事欠いて、天下の朝日新聞が、ですよ。一世を風靡した千葉動物公園のレッサーパンダの風太クンは、見に行っても、ほとんど立たないらしい?だから、かどうかは分かりませんが、今度はマレーグマが立ち上がりましたという記事。しかも、前足で頭を抱えて振り回すとは?イヤイヤのポーズですね。クマの習性にはない?そんなことはありませんよ。これはどうも新聞社と動物園が結託して、つくられたニュースとしか思えません。なぜなら、ちょっと調べただけで出るは出るは、マレーグマがしなを作ったポーズの画像が次々と出てきました。上野動物園では、立ち上がって両手を挙げてポーズをとるマレーグマは、いつでも見られる光景ですよ。イヤイヤじゃないから、でもちょっと違うかな?もの思う秋に悩みが深まったかどうかまでは分かりませんが。それにしてもこのマレーグマ、カワイイアップに堪える顔ですね。(画像はすべて上野動物園のマレーグマ)




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2005年09月27日 00時03分00秒

愛知万博が閉幕 2204万人が来場 万博旗、上海へ

テーマ:道々寄り道だよん

日本を含む121カ国と4国際機関が参加した愛知万博(05年日本国際博覧会、愛称=愛・地球博)は25日、185日の会期を終え、閉幕した。目標の1500万人を上回る2204万人が訪れ、環境やロボット、IT(情報技術)などの分野で科学の最先端に接し、世界各国の人々とふれ合った。「自然の叡智(えいち)」をテーマに掲げた21世紀初の万博は、自然との共生持続的成長可能な社会の一端を示し、「開発型」が続いてきた万博の歴史に新たな一ページを加えた。



閉幕を飾る最後の大イベント「フェアウェル(さようなら)パーティー」が午後6時半からあり、「森の精」とされる公式マスコットキャラクター「モリゾー&キッコロ」が会場近くの里山に帰っていく大がかりな演出を披露。大勢の人が名残を惜しんだ。



これに先立って開かれた閉会式では、万博協会の名誉総裁を務める皇太子さまが「人々の感動が全世界に広がって、地球規模の問題に立ち向かう大きな動きとなることを希望します」と述べた。小泉首相は「物を大切にする『もったいない』という心が広がり、人間と自然が共生する新しい社会の実現を祈念する」とあいさつ。2010年に万博を開く中国・上海に博覧会国際事務局(BIE)の旗が引き継がれた。



愛知万博は、国内では70年の大阪万博以来となる総合博。名古屋東部丘陵で開かれた。テロを警戒して厳重な警備体制が敷かれたこともあり、大きな事故はなかった。入場者数は右肩上がりで推移。繰り返し入れる全期間入場券を使った延べ440万人のリピーターが数字を押し上げた。入場券収入は当初見込みの425億円を150億円以上上回る見通しだ。



未来型の乗り物やロボット最新の映像技術冷凍マンモスなどが人気を集めた。外国館の工夫をこらした展示や体験型の企画も注目を集め、幅広い世代をひきつけた。万博史上初となる市民参加にも取り組み、国内外で活動中のNPO、NGOなども参加した。
アサヒコム:2005年09月25日


21世紀最初の万博となる2005年日本国際博覧会(愛知万博、愛称=愛・地球博)が、好評のうちに閉幕しました。僕は、ロンドンのハイドパークで開催された1851年の第1回万国博覧会から万国博覧会の歴史を興味を持って調べてきました。万博の歴史は、ほとんど建築の進歩と同義語でした。大阪万博にも行きました。筑波博にも、大阪花博にも行きました。今回の愛知万博では、建築は大きく後退し、「自然の叡智に学び、地球的課題を克服しよう」というテーマの通り、今までの博覧会にはない成果を上げたのではないでしょうか。


伸び悩んでいた客足も、会期の後半にきて急速に延び、全体を通して目標を大きく上回ったことは嬉しい限りです。愛知万博での提示された新しい成果を、今後はいかにに確実に生活の中に定着していくかが課題となります。特に、NGOやNPO市民の積極的な参加で、これからの社会が作られていくことが、なによりも重要だと思います。偶然ですが、閉会のセレモニーをテレビ中継で見ました。厳粛な中にも、余裕のある素晴らしいセレモニーでした。5月の連休後に2日間、愛知万博を見学して、建築の専門家の視点から、幾つかのつたない記事を書きました。たくさんの方々に僕の書いた記事を見ていただきました。


つい先日、作家のKさんからメールが届きました。第1回万国博覧会のメインパビリオン、クリスタルパレス(水晶宮)について書いた記事を見てメールをいただいた方でした。8月に出るはずだっだ小説が遅れて10月末ごろに発売になること。謝辞のところに、三太ケンチク日記から「水晶宮」のことを教わったことを記させていただいたこと。記念に小説も添えてお送りしたい。とメールには書いてありました。嬉しいじゃないですか。このブログから万国博覧会を通して派生した貴重なつながりのひとつです。


愛知万博(愛・地球博)に関する記事一覧はこちら です。

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2005年09月26日 13時11分31秒

田んぼアート 色の異なる稲を使い浮世絵描く

テーマ:道々寄り道だよん
黄金色に実った浮世絵を刈り取る人たち


青森県田舎館村で25日、異なる色の3種類の稲で東洲斎写楽と喜多川歌麿の浮世絵を描いた「田んぼアート」の稲刈りが行われた。県内外から参加した約800人は、村役場東側に広がる水田(約1.5ヘクタール)で、黄金色に染まった稲を手作業で刈り取っていった。


浮世絵は村などでつくる「むらおこし推進協議会」が制作。遠近法を駆使した構図が話題となり、“キャンバス”を見下ろすことができる役場展望室には、5月の田植え以降延べ約13万人が訪れたという。田んぼアートは村おこしの一環として93年に始まった。同推進協は「浮世絵は図柄が繊細で難易度が高かったが、出来栄えには満足」と話している。
毎日新聞: 9月26日


関連記事: 「田んぼアート」で浮世絵を!

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2005年09月26日 00時03分00秒

人工飼育のコウノトリ5羽を放鳥 兵庫・豊岡の郷公園

テーマ:道々寄り道だよん

国の特別天然記念物で、世界的に絶滅の危機にあるコウノトリ保護・増殖に取り組んできた兵庫県豊岡市の県立コウノトリの郷公園が24日、飼育してきた5羽を放鳥した。国内最後の生息地だった同市で71年に絶滅してから34年。再び人里に放す取り組みは世界でも珍しい。人との共生を目指す地域挙げての野生復帰事業が、新たなスタートを切った。



24日午後2時半、郷公園前を流れる小川の土手に五つの箱が並べられた。国内外の研究者や多くの市民らが見守る中、秋篠宮ご夫妻や河合隼雄・文化庁長官らのテープカットで、ふたが一つずつ開いた。中から1羽ずつ出てきたコウノトリは、全長2メートルになる白と黒の翼を大きく羽ばたかせて空へ舞い上がった。集まった約3500人の観衆から拍手と歓声がわき起こった。



5羽は2~7歳のオス2羽とメス3羽。確認できなかった1羽を除くと、いずれもこの日は同公園付近で日没を迎えた。発信器や目印の足輪が付けられており、今後、人工衛星と地上からの目視で追跡調査される。増井光子園長は「予想以上に空高く舞い上がってくれた。半世紀を経てこの日を迎え、感無量だ。放した鳥が数世代にわたってヒナを生み続けたときが野生復帰の成功だと言える」と話した。
アサヒコム:2005年09月24日



そうです、つい先日記事にしました増井光子さん、よこはま動物園ズーラシアの園長だけではなく、実は兵庫県豊岡市にある県立コウノトリの郷公園園長でもあったわけです。「半世紀を経てこの日を迎え、感無量だ」との、コメントをしていますね。コウノトリと言っても赤ちゃんを運んでくる話ではありません。シュバシコウというコウノトリとよく似た鳥がいます。朱嘴コウの通り、嘴が真っ赤なコウノトリです。古くからヨーロッパでは幸福と長寿のシンボルとされ、こちらが赤ちゃんを運んでくる鳥と言われている鳥のです。豊岡市のコウノトリは、翼を広げると約2メートルにもなる大型渡り鳥です。野生の推定生息数は約2500羽の絶滅危惧種です。ロシアの極東地域と中国東北部で繁殖、揚子江中流域などで越冬します。条件がよければ渡り先にすみつくことも多く、江戸時代には各地で普通に見られる鳥だったようです。現在では、渡りの途中に迷い込んだ鳥が年に1、2羽見られる程度になっています。



国内では71年に野生種が絶滅しました。ロシア、中国産人工繁殖させて野生復帰を目指すもので、絶滅した動物と人間の生活圏で「共生」を図る試みは世界でも初めてです。30日には、つがい1組と雌2羽もそれぞれ別の方法で放鳥します。いずれも、5年程度の観察を続けて収集したデータを分析して、コウノトリが自力で餌を取ったり、繁殖できる環境を地域に整え、野生化を促進します。豊岡市で人工飼育の取り組みが始まったのは40年前。89年に人工繁殖に成功し、118羽まで増えていました。この間、県などが野生復帰推進計画(03年)を策定しました。地域で無農薬・有機栽培農業に取り組むなど、コウノトリの成育のための環境改善を進めてきました。
参考:毎日新聞 9月25日


過去の関連記事:よこはま動物園ズーラシアのズーラシアブラス!

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2005年09月25日 00時03分00秒

「蝉しぐれ」をいち早く試写会で観た!

テーマ:映画もいいかも

なんと、今までなんの景品がついたことがない「朝日新聞」から、初めて映画のお誘いがありました。藤沢文学の最高傑作と呼び声高い「蝉しぐれ」という映画です。「東京都ASA連合会」という新聞販売店の組織が、映画製作に資金の一部を提供したようです。さっそくFAXで申し込むと、間髪をおかず、招待券を2枚、届けてくれました。会場は近くの区民会館でした。これがよく言うところの「試写会」というやつなんですね。


藤沢周平が唯一映像化を認めた鬼才・黒土三男は、一切の妥協を許さない脚本作りに取り組み、構想から15年の歳月をかけ、小説以外では表現できないと言われた透明感を見事に映像化しました。と、チラシにあります。実はこの「蝉しぐれ」は、2003年8月からNHKで金曜時代劇で放送されたようで、その時の脚本も黒土三男が担当しました。第1話「蝉しぐれ/嵐」がモンテカルロ国際テレビ祭・ドラマ部門のグランプリを受賞した経歴があるそうです。どうして映画化されたのか、詳しい経緯は不明ですが、黒土監督自身が、「テレビでは表現できない『蝉しぐれ』の空気感と透明感を表現することができた」と語ったそうです。



近年、「時代劇」がブームと言われています。数多くの時代劇が製作されていますが、なかでも山田洋次監督の「たそがれ清兵衛」と「隠し剣 鬼の爪」は、原作が藤沢周平です。藤沢周平は文章の名手と称される作家です。故人となって10年近い月日が経ってもなお、評価が高まっているそうです。「蝉しぐれ」は、発表後17年経っても人気が衰えず、120万部を超えるロングセールスを記録し続けているようです。ブックオフでも、国内の一般小説とは別に、時代小説は分けていますね。でも、僕は時代小説はほとんど読みませんので、藤沢周平がどんな作家であるかはよく分かりません。


舞台は東北の小藩「海坂藩」。下級武士である養父の元で成長する牧文四郎。父は藩の派閥抗争に巻き込まれ、冤罪によって切腹を命じられる。その後、謀反を起こした父の子として数々の試練が待ち受けるが、幼なじみたちの助けと、剣の鍛錬によって日々を質素に、そして懸命に、母とともに生きる。ある日、筆頭家老から牧家の名誉回復を言い渡される。しかし、これには深い陰謀が隠されていた。文四郎は、藩主側室となり派閥抗争に巻き込まれた初恋の人・ふくを命懸けで助け出すことになる。その時、海坂藩には、悲しみをつんざく蝉の声が、いつまでも鳴き響いていた・・・。



おふく役の木村佳乃が、品があって素晴らしい。大した演技をしているわけではありませんが、ただいるだけでその存在感が伝わります。いわゆる空気感透明感とはこの人のためにある言葉のようです。文四郎役は市川染五郎は「それなり」でしたが、存在感のある脇役が凄い。緒方拳が出ているのはどうしてなのか判りませんが、原田美枝子、大地康雄、加藤武、柄本明、田村亮、大滝秀治、等々。そうそう、今田耕二とふかわりょうは、まあまあの演技でご愛敬。文四郎・ふくの子供時代を演じたのは映画初出演の二人、石田卓也佐津川愛美、重要な役を瑞々しく演じていました。


20年ぶりで再会した文四郎とおふくが静かに語り合います。「文四郎さんの御子が私の子で、私の子どもが文四郎さんの御子であるような道はなかったのでしょうか」。藤沢文学で最も有名な場面だそうですが、新聞連載時にはこの部分がなかったそうです。単行本化に際して大幅に加筆されたようです。また、3ヶ月前までは「朝の蝉」という題名だったとか、構想メモの段階ではヒロインの名は佐久、新聞連載時にふくに決まったそうです。折しも世田谷文学館で藤沢周平の文業と生涯をたどる「藤沢周平の世界展」が開催されています。「蝉しぐれ」執筆の興味深い舞台裏も、公開されているようです。



そして、風景がまた素晴らしい。山形の庄内地区には、壮大なオープンセットを作ったという。この映画も、「20年、人を想い続けたことがありますか」とあるように、分類すれば「青春映画」と言うのでしょう。「若々しさ」や「清々しさ」が作品のテーマとなっています。それともうひとつ、時代劇というと「日本人の気高さ」ですね。この手の映画は必ず、「日本人が忘れていたものを思い出させる」となってしまうのですが、そうなると、やや陳腐になります。


そうそう、映画のイメージソングは 一青窈(ひととよう)の「かざぐるま」です。22日の夕刊には全面広告が載っていました。コメントしている人たちは、どこかの会社のエライさんばかり。映画のHPにも、同じコメントが載っていました。こうまでされると興ざめの感は否めません。「蝉しぐれと、藤沢周平の世界」という文春ムック本も発売されています。しかし、本年度ベストワンの呼び声がどこからともなく聞こえてきます。10月1日から東宝系で公開されます。是非、ご覧になってみてはいかがでしょうか。


「蝉しぐれ」公式HP

世田谷文学館HP

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2005年09月24日 00時56分49秒

大・大阪博覧会でビリケンさんに会う!

テーマ:道々寄り道だよん

今朝のワイドショーでも取り上げられていました。ビリケンさんは東京へ行ったけど、東京からきたハチ公はレプリカで、バランスがとれないと、大阪の皆さん、怒っていましたね。おつきの人が大事そうに抱えて、飛行機に乗って運ばれてくるのを、テレビは密着取材。美術品扱いで梱包して運んでもらった方が、はるかに安全だと思いますが、まあ、そこはやはり、ビリケンさん、VIP扱いなのでしょう、飛行機はビジネスクラスのようでした。



さて、東急本店の「大・大阪博覧会」へ行って、ビリケンさんに会ってきました。女の子の聖地「109」から、文化村通りを東急本店へ。玄関前には、なにやら得体の知れない「飾りもの」が?一番手前にはビリケンさんが。 一つ一つ意味があるのでしょうが、説明がないのでよく分かりません。ブルガリやカルテエの横の案内所で「新聞」と「チラシ」をもらって、会場のある7階へ。さて、と思ったら、会場の出口の方へ行ってしまいました。仕切り直して会場の入り口へ、それほど多くもないお客さんへの対応で、切符売り場のおばさんともぎりのおばさんがてんてこ舞いでした。入場料500円、ちょっと高いんじゃないの?



桂三枝が名誉・総合プロデューサーなので、おしてしるべし。メインの展示は「大大阪80年・栄光のナニワ歴史展」と銘打っています。初代の通天閣は凱旋門の上にエッフェル塔が載っているというのは知ってましたが、桂春団治とか言われても見る気もしません。なにしろ全体的に展示が陳腐、ほとんど素通り、足を止めて見る人もいません。目玉はナニワの守り神・ビリケンさんです。30~40人くらいでしょうか、並んでいる人たちがいました。すぐに僕の番がきたので、ビリケンさんの足の裏を触って写真を何枚か撮りました。ずいぶん足の裏がすり減って、へこんでいました。撮るのに夢中で、願い事をするのを忘れた。台座には「THE GOD OF THINGS AS THEY OUGHT TO BE」と掘られていました。沙羅さん 、見てきましたよ。これが「ケセラセラ」なのでしょうか?



大阪からきたと思われるスタッフの方が、おばさんたちに説明をしていました。足の裏は触るのではなくて、「こそばゆ?」東京で言うとくすぐる、そうするとビリケンさんは笑ってくれるんですよ、と。そう言えば、願い事をしてビリケンさんが笑ったら願い事が叶う、と聞いていました。遅かった、もっと早く言ってくれよ。ほとんど展示は素通りで、出口前の売店で「551蓬莱」のアイスキャンデーを買って、トークショーなどをやるライブステージの前の椅子に座って食べました。売店横には阪神タイガーズグッズのコーナーもありました。背広を裏返して展示してありましたが、裏地が凄い、ほとんどヤーサン趣味です、これには驚きました。



さて、ハチ公が健在かどうか確かめなければなりません。夕闇迫る中、ハチ公広場へ、人混みをかき分けながら向かいます。東急東横店の外壁には「大・大阪博覧会」の大きなポスターが貼ってあります。時間も時間なので、もの凄い人だかりです。チェ・ジウと見まがうばかりのきれいな女の子がハチ公の横でポーズをとっています。韓国から観光に来た若い女の子二人組のようです。手には分厚いハングルの案内書を持っています。なかなかどかないので、しっかりと画像に収めてしまいました。


過去の関連記事:ビリケンさん東京へ 「ハチ公」と交換で調印式

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2005年09月23日 00時03分00秒

よこはま動物園ズーラシアのズーラシアブラス!

テーマ:道々寄り道だよん

今朝の朝日新聞の朝刊「ひと」欄に「増井光子」さんが載っていました。68歳になるんですね。よく新聞に取り上げられる人です。獣医師としてパンダの出産を日本で初めて成功させた人で、上野動物園の園長などを経て、今は「よこはま動物園ズーラシア」の園長です。どうして新聞に載っていたのかというと、日本初の野生動物の専門医に若い人たちと一緒に試験を受け、認定されたからです。増井さんは、半世紀近い動物園生活で、管理職になり、長く獣医師としての一線を離れていました。最近、専門分野に関わることで素人呼ばわりさせて愕然ときたそうです。過去の実績などなんの役にも立たないと。受けた試験は、長く自ら会長を務める日本野生動物医学会専門医制度で、厳格な資格です。環境学や生態学などの幅広い知識も求められています。同時に認定された他の4人は30代と40代だそうです。動物に対する情熱は衰えを知りません。


僕は、増井光子さんには一度もお会いしたことがありません。増井光子さんの秘書的な仕事をしている妹さんと、姉妹お二人で住んでいます。実は、妹さんの方には何度かお会いしたことがあります。妹さんからお姉さんの人柄を聞いていて、お会いしたことがないにも関わらず、近しい人のように思っています。そんなことはどうでもいいんですが、これから書くことは、増井光子さんが園長をしている「よこはま動物園ズーラシア 」のことなんですが、実は僕は行ったことがないんですよ。どこにあるかも、よく分かりません。だけど、「オカピ」がいる動物園として有名で、よく聞いていました。



よこはま動物園ズーラシア 」は、「生命の共生・自然との調和」をメインテーマに掲げています。1999年4月、横浜動物の森公園の中に第1次開園しました。その後ゾクゾクとエリアが広がって、数年後には、日本最大級の動物園になる予定です。この「ズーラシア(ZOORASIA)」という愛称は、動物園(ZOO)と広大な自然をイメージしたユーラシア(EURASIA)の合成語で、平成8年秋に市民公募で選ばれたそうです。展示動物は、約70種400点で、「オカピ」、「インドライオン」、「キンシコウ」など珍しい動物たちに出会うことができます。ズーラシアに希少動物が多いのは、「種の保存」を行っていくことを目的の1つとしているためです。



実は、ここで紹介しようとしているのは、「よこはま動物園ズーラシア 」の「ズーラシアンブラス 」についてです。動物のマスクをかぶった金管五重奏です。子どもたちには大人気です。年30回ほどコンサートで全国を回っているそうです。「ズーラシアンブラス 」は子どもたちの音楽への興味を沸き起こし、これから花開く可能性を持った素晴らしい感性の導火線に火をつけることを目的に、「よこはま動物園ズーラシア 」のマスコットキャラクターとして制作されました。動物園が生命やその営みへの興味や関心・感動を動物を通して伝えていくように、「ズーラシアンブラス 」は音楽の素晴らしさを知る糸口を提供していきます。とHPの解説にあります。なにしろ「Band Journal」という専門誌の表紙にもなっているほどの実力なんですから。



メンバー構成」は、指揮がオカピ、トランペットがインドライオン、トランペットがドゥクラングール、ホルンがマレーバク、トロンボーンがスマトラトラ、チューバがホッキョクグマです。画像を見てください、どうです、楽しいでしょう。動物園という場で、音楽家と観客が、動物の「かぶりもの」を仲介役にして、難なくつながっていきます。音楽家という高い敷居を子どもたちは意に介せず、直接つながっていきます。音楽家も「かぶりもの」をしていることで、より自然に接することができます。いいですね、専門家と子どもたちがダイレクトにつながった、理想的な状態がここにあると思います。


「動物が好きだから」
著者:増井光子
発行所:どうぶつ社
2003年11月30日発行
販売価:1,575円(税込)

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2005年09月22日 00時03分00秒

ペーパークラフトでつくるレッサーパンダの風太くん

テーマ:道々寄り道だよん

ご紹介します。「紙は神に勝利(ペーパークラフト作成記) 」の kondofuji さんから、先日、トラックバックがありました。記事は、9月18日の「レッサーパンダ 風太 」です。



背筋を伸ばして直立するレッサーパンダの風太(ふうた)君が、ペーパークラフトになりました。動物のペーパークラフトで定評のあるごとうけいさんがデザインし、風太のいる千葉市動物公園が監修しました。実物の約4分の1の大きさで、その立ち姿はまさに風太くんそのものです。ご家族でぜひトライしてみてください。とあります。



asahi.comの「直立するレッサーパンダ風太くんを作ろう! 」からダウンロードできます。A4版、4枚です。説明図1枚、切り抜く図は2枚半です。「紙やインクの選び方」や「作り方のコツ」も載ってます。僕も興味を持って、「インクジェットペーパー」に打ち出してみました。少し厚紙で、とありましたので。なるほど、これを「組み立て説明図」に従って切り抜き、組み立てればいいんですね。大きさ20cm弱、実物の約4分の1の大きさです。制作時間は、3~4時間程度小学校中高学年向けとあります。なんだ、簡単じゃない不器用な僕でもできそうです。と、今日は概要篇、ここまでで終わってしまいました。



kondofuji さんからのトラックバックがあったすぐ後に、「月乃春水 ツキノ・ハルミ 本のこと あれこれ 」のtukinohalumi さんから、「レッサーパンダの風太くんのいる動物公園に行ってきました 」という記事が、トラックバックされていました。残念ながら、風太くんの立ち姿は見られなかったようです。代わりに、というのは変ですが、黄色い服を着た息子さんの立った画像が、プロフィール欄に載っています。

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